~雲川~
▲ 私はこの言葉は(内輪っぽくて)好きではないが酷道として有名なR157,チーム酷道のよごれんさんの地元のフィールドでもある,に沿って上がっていくと その福井側は九頭竜川水系の真名川流域である。 沿川・沿道はほぼ無人で,或る程度の知識を得てこの地域の調査を意識的に持って訪問した三回目の24.9ではこの後奥越豪雨の影響を各所で思い知りつつ走 る事になる。 温見峠(→向こう側は根尾谷) 21.10 温見峠から温見川に沿って流れる。地理院地図から推測するに熊河川と合流後雲川となる様だ。 白谷堰堤 堰堤は全く見えなかった。。白谷がこ れだからこれ[758m]なのかそれとも白 谷が雲川と合流後のこいつ[710m]か? 細部に不正確なグーグルは温見川上流と白谷の双方をを温見川としている。 24.9 白谷方面への道路。工事用か?ス トビュウだと遮断機付きだったから工事が終わって撤去された? 温見(聚落跡) ただっぴろい場所がある。恰度橋も架かってて雲川を渡るがこの辺が温見の聚落跡の様だ。 38豪雪に早くも離村したようだ。 熊河(くまのこ)(聚落跡) 21.10の岐阜側から福井側への通過時には雲川ダムを見逃している。堤体横を(真新しい)トンネルでぶち抜いててダムは後方死角になっていたようだ。 24.9訪問時,峠から下りていくとダム湖っぽい敷地が広がる。 雲川(くもかわ)ダム[水力] ▲ 堤高:39m、堤頂長:95m 総貯水容量:149.0万m3 / 有効貯水容量:149.0万m3 流域面積: 58.8km2 ( 直接:55.8km2 間接:3km2 )←間接流域あり!?どうやら巣原川(8km2超)ではなく巣原鎌谷川(約 3km2)の様だ。 湛水面積: 18ha 着工:1952/竣工:1957 送水先(取水量・取水位):中島発電所(5.583m3/s・EL.535m 程?) ダムへはR157から一寸だけ歩くと直ぐに到達出来る。一寸だけとはいえ熊がいると思うとあんま気持ちの良いものではないけど。いざとなったらその辺の ポール引っこ抜いたりや木切れ拾ったりして威嚇しようかと考えつつ熊鈴頼りにあるいた。スプレーぐらい買った方が良かったかも。鈴を掻き鳴らしながら往 復。ダムは直ぐではある。 利水票 この日の最大目標であったので先ずは大満足である。 24.9 残念ながら天端は立入禁止 古いダム脇あるあるの旧道。ダム建設の際に付け替えられたが狭隘でトンネルが掘り直されている。 向かいの断崖から水が噴き出してるのは余水吐らしい。
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~中島鎌谷川~ r230を中島から笹生川ダム方面へ進むと先ず中島鎌谷川へ向かう林道の分岐がある。なんか資材置き場の裏手のような雰囲気で,猿がうろついてた。 この辺[地 理院535m・G 空撮]が中島発電所の取水口としてあやしい。というかほぼ確定か? ここまで雲川・巣原鎌谷川・巣原川と順調に利水票をゲットしてきたが,ここは門前払いであった。。残念。 |
その資材置き場の塀みたいな場所に看板が掲示されていて,嘗てこの辺りは西谷村という村で あったこと,ダム建設,豪雪禍,そして1965年の奥越豪雨によって遂に村の再建が断念された無念が書かれていた。 地図には豪雨の時に四方八方から土砂?が流れ込んできた様子が描かれた様だが如何せんデジカメの調子が…多分この頁[福 井県]のこの図の同等物) 文章は以下の如し: >福井県旧大野郡西谷村 は…昭和三十一年(とは註:1956年)県の総合開発事業の一環として建設された笹生川・雲川の両ダムによって,まず上秋 生,下秋生,本戸(とは註:もとど。笹生川ダム付近)の四集落が水没離村し,ついで昭和三十八年に襲った豪雪が因となって温見,熊河(とは註:くまのこ) を失いました。 >そしてまた昭和四十年 九月十四日の未曾有の集中豪雨(とは註:奥越豪雨)によって壊滅的被害を受け,再建の途も防災目的のための真名川ダム建設によってうちくだかれ昭和郷再建 の夢を捨てて全村民離村のやむなきにいたりました。 とある。 真名川ダムの建設を私は高く評価するけれども,村人の無念を思うと厳粛な気持ちにならざるを得ない所ではある。 福 井高専にはこんな頁も。 2) 奥越豪雨(9月13日~16日) 前線が台風24号の北上とと もに北へ押し上げられ、14日には本州上に停滞したため、いたるところで集中豪雨となりました。… 13日から15日までの流域 最大雨量は、真名川流域の本戸で時間雨量89mm(14日午後8~9時)、日雨量844mm(14日9時~15日9時)、総降水量1,044mm(13日 9時~16日9時)を 記録しました。また、午後7時から12までの5時間に400mmと、まさに滝のような雨が連続したのです。 このような集中豪雨によっ て、西谷村中島地区では笹生川、雲川、鎌谷川の越水・氾濫に加えて土砂災害によって154 世帯中58戸が流失し、86戸が土砂に埋没するという壊滅的な被害を受けました。九 頭竜川流域で流出した土砂は約65万5千m3に及び、そのうち約17万5千m3土砂が中島地区に流れ込みました。 西谷村(水害〜廃村)の記録(yotube) 離村した西谷村の人たちの為に大野市が整備した団地は西里団地と名付けられたが近年老朽化が進んで解体されたとのことで,こ こら[すとびゅう]らしい。 |
~笹生川~ ▲ 笹生川(さそうがわ)ダム[水力] [便覧] ▲ 堤高:76m、堤頂長:215m 総貯水容量:5,880.6万m3 / 有効貯水容量:5,224.4万m3 流域面積:70.7km2(全て直接流域→導水は無いようだ。下で検討) 湛水面積: 234ha 着工:1952/竣工:1957.11 河川 九頭竜川水系真名川 目的/型式 FNWP/重力式コンクリート ダム事業者 福井県 着手/竣工 1952/1957 送水先(取水量・取水位):中島発電所(?m3/s・EL.528m) 出典;川 の防災情報 容量配分図 出典:福 井県 無人の谷間を進んでいくと端正なお姿が目に飛び込んでくる♪ 笹生川ダムは武芸川から根尾谷に入り雲川や中島を攻めたこの日最後の獲物であり,9月上旬は最近のJAPANは未だ真夏な感じだけど,福井の山の中は結構 涼しくエアコンを切りまた既に初秋の夕闇が迫って来てたが,写真が全体的に,特に右手の森が昏いのはデジカメの調子が悪いからである。。(←伏線) 実際 はもう一寸明 るかった。。 24.9 ダム下部。 天端,立入禁止,遠くに管理棟と取水設備…←伏線 取水塔 利水票…orz 遠い上に不調の安物のデジカメでは無理! 笹生川ダム管理事務所への電凸を決意した夕暮れであった。 気を取り直してダム湖 さて,帰宅後,デジカメの写真を見直してみる。デジカメは不調なので光量を色々いじって撮ってたのであるが…?? 見える,見えるぞ!!(クリックで(もう殆ど見え方は変わらないけど)拡大) 最後の一桁がよく判らないけど14.63?m3/sらしいこ とが読み取れる。?は6か8か?まあ少数第三位なんて誤差みたいなものである。 【笹生川ダム引水・細ヶ谷など】 中島発電所での検討より,中島発電所の笹生川ダム方面での取水はなさそうである。 そこで笹生川ダムへ導水の可能性を検討してみるとまあこんなもん。5.9km2と4.0km2。かなり小さい。。面積は測り直してもこんなもんである。 狭くて川の表記もなくなる笹生川の直ぐ北側(仮称・堂ヶ辻山沢)の方は兎も角,細ヶ谷の方はやっても良いかも。 【導水検討】
面積は小さいが近いので導水距離は短くて済む。引原ダムの音水導水を思い出すがあれよりは狭い様だ。 >ダム完成後、計画高水流量を上回る洪水が記録され、特に昭和40年9月の奥越豪雨では大幅に上回る予想外の洪水が発生し、洪水吐やダム本体が重大な危機 に直面した。このため、昭和47年度から昭和52年度に、トンネル式洪水吐を新設した。 と便覧には ある。24.9時点でダムは未踏だが(←現地強行訪問フラグw→直後の24.9に訪問♪),地 理院にはそれっぽいのが在るのが判る。 細ヶ谷へはr230から分岐する立派なトラス橋で進入出来る。 渡るのは笹生川であって細ヶ谷ではないが橋の名前は細ヶ谷橋と成ってゐる。 暫く行くと巨大なサイフォンが現れる。 その先に巨大な砂防ダムも見えたがダムを見るのが先だと深追いせずに引き返して来た。 |
【奥越豪雨時の笹生川ダム】 笹生川ダムにおける洪水調節 奥越豪雨時において大野市の笹生川ダムでは、洪水調節を実施して下流への洪水流下を抑制しましたが、洪水調節容量を使い切る見込みとなったため、異常洪 水時防災操作に移行しました。 異常洪水時防災操作 大きな出水によりダムが満水になる可能性がある場合に、ダムへの流入量と同じ量まで、放流量を増加させる操作です。「緊急放流」や「ただし書き操作」と も呼ばれます。 洪水調節の記録 ○奥越豪雨 笹生川ダム洪水調節実績図(PDF形式:415 KB) ・連続雨量:1,044 [mm]、日雨量(S40.9.14):844 [mm]、最大時間雨量:89.5 [mm] ・最大流入量:1,002 [m3/s]、最大放流量:586 [m3/s] ・ピーク水位:EL.529.42 [m](サーチャージ水位の8cm下、ダム天端の約1.5m下) [福井県] |
取水ダム・河川 |
取水量 |
流域[比率] |
摘要 |
雲川ダム(雲 川) | 5.583m3/s | 55.8km2[1.00] |
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巣原鎌谷川 | (0.31m3/s) | 3km2[1.03] | 雲川ダム送水 |
巣原川 | 0.617m3/s | 9.16km2程度※[0.67] |
※:とは計測 |
中島鎌谷
川 |
不明(0.3m3/s程度?※1) |
3.2km2程度※2 |
※1:巣原鎌谷川からの類推。巣原川からの類推だと0.2m3/s程度
か。 ※2:全体より引き算(巣原川をとは計測の分,誤差含む)で3.1km2,計測してみると3.3km2程度となった。 |
雲川系統小計 |
6.2+α m3/s(6.5m3/s程度?※) |
71.06km2[0.86+α] |
※:単純平均かどうかは不明・すっきり端数の消える雲川+巣原の
6.2m3/s程度
な感じも強い |
笹生川ダム(笹
生川) |
14.68?m3/s |
70.7km2[2.07] |
|
合計 |
20.88?+α m3/s |
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中島発電所 |
16.00m3/s |
141.76km2 |
笹又 ▲ 途中に上笹又・下笹又の聚落があったようだ。 (笹又峠は)笹又集落から木本 に抜ける峠で 巣原峠と若生子峠の間に位置し、明治までは重要な峠道だったと云われるが、現在は何処から登れば良いのか判らない。[北陸の峠道] その後峠道は、赤く塗られた 「さかのたに 橋」のところから始まっている尾根の上を通っていたらしいことが判った。…とにかく今回は尾根に出て歩いてみることにした。[北陸の峠道] そして嘗ての本流はここから笹又峠を抜けて木本へ抜けるというものだったようだ。確かに佐開・五条方経由では大野へ遠回りでしかも渓谷が厳しくて嘗ては山 越えの方が楽だったのかも。 地図でみてもその関係性は明らかである。 今では道を辿るのも難しのだそう。。実際地理院図でも道は途切れている。大きな赤丸は山道の廃道化による断絶,小さな赤丸は軽車道未成に見えるが…はてさ て。 下の導水開発を調べてる時に出てきたがここが坂之谷橋[Q] というのは笹又峠へ向かう坂の谷ってことかっ!! 奥の方には旧橋とそこから分岐する林道がチラ見えしてたけど特に進入は試みなかった。 写真も導水案件と言う事で写真を撮ってたけど,実際はもう一寸ディープな古街道案件だったか~。 歴史が深い日本♪幾らしゃぶり尽くしても尽くせんのぉ。 この辺りのメインルートの転変をヨッキ@山行が辺りに調べて貰いたいところである (他力本願w)。 |
ダム名 |
谷名 | 導水距離 | 取水点 | 流域面積 | 効率 |
真名川 |
清水谷 |
3.3km |
清 水谷(EL.380m程度) | 11.2km2 |
3.4 |
真名川 |
佐開 |
3.5km |
足
谷 佐
開(こ
の辺迄) |
7.1km2 |
2.03 |
笹生川 |
細ヶ谷 | 1.7km(導水路分岐) | 細ヶ 谷(西谷・仮称) 細ヶ 谷(本谷・仮称) 細ヶ 谷(東谷・仮称) | 5.94km2 | 3.5 |
笹生川 |
堂ヶ辻山 | 1.6km(湖岸放流) | 本 戸七重谷(Q) ビ シャ谷(Q) | 3.98km2 |
2.5 |
笹生川 |
荒谷・黒谷(Q) |
1.1km(導水路分岐・笹生川サイフォン)/0.67kn(荒谷延 長) | 荒 谷 黒 谷 | 1.58km2/1.38km2 | 1.4/1.67 |
仏原 |
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鷲 |