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20.10.21運開

寸又川:利水の歴史と現状と開発

(川口脇野田大井川奥泉・井川畑薙等最奥部寸又川歴史林 鉄路線図東側堰堤と発電所現状大間発電所・【大間データ】・大間ダム湯 山発電所・【湯山・千頭データ】・千頭ダム大間川堰堤)・開発案(奥大間発電所(6.1MW)千 頭発電所(25.0MW)大根沢発電所(13.1MW)柴沢発電所(4.2MW)西河内発電所(6.8MW))]奥地開発長島ダム有効活用策(案))


出典:関 東農政局[pdf](大 井川用水農業水利事業所)


嘗て,寸又川の奥地迄,戦前は帝室林野局,戦後は東京営林局千頭営林署が林業経営をしており,嘗ては筏で搬出していた材木は,戦間期に水力発電用ダム建設 の為の工事軌道が発祥となって森林 鉄道を経営しており,その後森林鉄道を林道に転換を経て,現代では経営が放擲されて規模縮小と折角建設した(環境には多大な負荷を掛けた)林道の廃道化が 進んでいると云う現状である。現地のレポとしては「山行が」の愛 称で知られる廃道サイト『山さ行がねが』ヨッキれんこと平沼義之氏のレポが一番詳しいか と思われるが,それも探索は10年も前の事であり,その後も崩壊は進む一方と思われる(こん なレポも見かけた。2018年。2019 年には更に荒廃が進んでるそうな。)。

ヨッキのレポ中でも,光(て かり)岳への登山ルートとしても役立つのに維持出来なかった事に対する嘆息が示され共感を禁じ得ない所であるが,林道が破潰的な影響を山に与えた こともほぼ確実の様で,山歩きには全く興味が無い訳でも無いけどまあ林鉄とかに比べれば大部関心は落ちる目下可成りの電力開発マニアの俺としては自然環境 に配慮しつつこの豊かな再生可能な包蔵水資源をなんとか利用したいと思わざるを得ないのである。

1.沿線沿革[wikiなど参照]    
1930(S5) 千頭ダム着手
1931(S6) 9月第二富士電力により寸又川専用軌道沢間~大間間 (10.5km)が開通 12月 大井川鉄道・金谷~千頭全通
1933(S8) 寸又川専用軌道大間~千頭堰堤間(9.8km)が開通
1934(S9) 大井川ダム・寸又川ダム着手
1935(S10) 千頭ダム竣工・湯山発電所運開[第二富士電力](22.2MW)[→発電された電力は西渡発電所を経由して中京地帯へ送られた]・大井川電力専用軌道が大井川発電所(崎平)~千頭で運行開始,沢間・川根両国開業(千 頭~崎平は大井川鐵道に乗り入れ?)。寸又川軌道,千頭堰堤~大樽沢開通(4.3km)。
1936(S11) 大井川ダム・寸又川ダム竣工・大井川発電所運開[大井川電力](68.2MW)
1938(S13) 大間発電所完成,寸又川軌道は帝室林野局に無償譲渡され千頭森林鉄道と改称。
1939(S14) 千頭森林鉄道:大樽沢~大根沢間(6.0km)が開通。
1945(S20) 千頭森林鉄道:大根沢~柴沢間(10.1km)が開通。
1947(S22) 帝室林野局が解体されて東京営林局千頭営林署の所轄に変更。
1951(S26) 寸又峡温泉観光客の運行を開始
1954(S29) 中部電力専用鉄道として大井川ダム(奥泉堰堤)~堂平の運行開始
1959(S34) 中部電力専用鉄道を大井川鐵道が引き継ぎ旅客運行を開始
1962(S37) 千頭森林鉄道:逆河内支線が開通。
1963(S38) 千頭森林鉄道:寸又峡温泉への観光客、宿泊客用の列車の運行中止。
1964~   寸又川左岸林道の建設開始
1968(S43) 千頭営林署:大根沢流域の開発が終了。
1969(S44) 千頭森林鉄道:全線廃止。
1968~70 沢間~大間間の森林鉄道跡を転用するなどして寸又右岸林道開設

中電から引き継いだ様に大井川鐵道が東京営林局からせめて寸又峡温泉迄運行継続出来れば面白かったのにねえ。。

さて,現代に於いては寸又川の開発はほぼされて居らず,電源開発は大井川本流沿いに沿って進められた。
大井川(川口・久野脇・大井川・井川)をザッと見て来て問題は大貯留量が大井川源流域(2億7,000万m3=畑薙第一8,000万+井川1億205万+ 長島6,800)に固まってるけどそれ長島より南側はほぼ流しっぱなし(304.5万m3=大井川102.5+境川34.3+笹間川168)である と云う点だった。

河川
流域面積①
ダム
有効貯水量②
②/①比
大井川源流
534km2 畑薙第一・井川・長島ダム
2億5000万m3 46.8
寸又川
240.9km2
寸又川大間千頭ダム
52.2+74.1+434.9=561.2万m3
2.3
境川
12km2 境川ダム 34.3万m3 2.8
笹間川
68km2 笹間川ダム 168万m3 2.5

発電所の無い長島は資料が無くて不明だが,畑薙も井川も殆ど水を漏らしてない。最大の支流,寸又川であるが大間ダムがあるもののダダ洩れと云って良い。 (寸又川ダムもあるが大井川ダムと合算でよく解らん。しかし流域面積に対する有効貯水量は大差ないのである。おそらくダダ漏れなのであろう。)寸又側の貯 留量確保が課題である。

先ずは県資料と水力.comから

水 力]さんに拠ると
>湯山発電所より更に8km、寸又峡温泉から11km遡ると千頭ダムがあり ます。
とのこと。
場 所]で見ると偉い山奥である。日本全国行ってるけどこんな山奥にもちゃんと足を運んでいて,水力管理者さん何者!?って感じになるw

勿論ヨッキも行ってて[山行が(千頭堰堤 ~大樽沢)]等のレポをもにしているけどまあヨッキはカタギじゃないので。。(どちらかというとマタギw)
2020年11月15日現在,ヨッキは左岸林道を帰還中で(正 確には10年前の帰還中のレポを順次公開中でw),次々と現れる崩落地にハラハラで,しかもこれは10年前の状況で今はだいぶ崩壊が進んでゐるという情報 がピンピンと耳に入り(例えばこ れ。また国土地理院の地図にも当時は記載されていたが既に途中から先は記載はされなくなってゐる),矢も盾も溜まらず2020年版の山と高 原の地図43『塩見・赤石・聖岳』を購入してみた。
「寸又川左岸林道は崩落が激しく通行不可」・寸又川左岸林道は日向沢 の下で林道完全崩壊(こ の辺)・日向林道完全崩壊・尾 根のカーブ先で完全崩壊・「寸又川左岸林道は2011年の台風の被害によ りお 立台(よく出てくるがこの辺にある展望台)より上部は崩壊し通行不可能」
と恐ろしい表記の連続であり,極めつけは地図そのものに釜の島小屋辺り迄しか載っておらず,もっと北側は載っているのに個人的には一番知りたい柴沢とその 先の林道は掲載範囲からコの字型に避けられてしまっているのである!!!
登山者からのルートからも外れ一番人跡未踏の奥地になってしまっているのかも。。

そのヨッキのレポに拠ると
>沢間~千頭堰堤の区間は、昭和5年から8年にかけて第二富士電力が寸又川 専用軌道として建設している。ついで千頭堰堤から2.6kmの延 伸線も、昭和9年5月に同社が建設した。
そして千頭堰堤完成後の昭和13年12月、これらが全て帝室林野局(後の東京営林 局)に譲渡され、千頭森林鉄道と呼ばれるようになったのである。

また『山行が(千頭林鉄 総扉)』に 拠ると
> この豊かな水資源は、当然電力開発の面からも着眼された。昭和3年寸又川の水利権を得た第二富士電力株式会社(昭和11年富士電力株式会社に合併)は、御 料地内に高堰堤を設けて、一大貯水池を構築し、寸又川の流水量を調節し、水力発電用に供する計画を立て…  東京営林局百年史 p.554 より
だそうだから帝室林野局に譲渡された時点では所有者は富士電力(株)だったようだ。

从(したが)って千頭ダムも湯山発電所も第二富士電力が建設している。堤高64.030mの立派なハイダムが千頭堰堤 呼ばわりされてるのは堰堤が15m以下のしょぼい奴と法律で規定された戦後では無く未だダムのことを一般に堰堤と呼んでた(トンネルが隧道だった)時代の 故であろうか。
出典:山行が(原典:千頭営林署資料)←どこで閲覧 できんにゃろか??

以下,一寸ネタバレがあるので山行がの千頭を未だ熟読してないファンの方は本文迄スキップ願います。

謎は第二富士電力が建設したと云う千頭堰堤から2.6kmの延伸線(下 線部とは)である。この先にも発電所を建設する余地というかプランがあったのであろうか?水利権の書類でも探しに行かねばならないのかも。と思ったらヨッ キが捜し出して来た構想が東側堰堤と東側発電所である!そしてそれは実現しなかった幻の発電所なのである!!(;´Д`)はあはあ

そもそも林鉄の始まりは『山行が(千頭林鉄  総扉)』
>帝室林野局は、木材搬出の水路がダムで閉ざされれば、当然木材の流送が不 可能となるので、その水利権の代償として、同会社が寸又川使用区間に森林鉄道を敷設し、無償で当局に譲渡するならば、工事を許可することも支障ない旨を回 答した。
>東京営林局百年史 p.554 より
とあるように,ダム建設の補償工事だったようだ。2.6kmはダムの区域だったのかも知れぬが,山行がのレポを読み進めて行くともう一つよっ きの重要な情報
出典:千頭森林鉄道 千頭堰堤~大樽沢  (レポート編3-7)
>昭和初期に発行された寸又峡の絵地図(とは註:別の場所でヨッキは掲示してくれて る。)などには、千頭堰堤よりも上流に「東側堰堤」(東側というのはこの辺りの地名)というのが、千頭堰堤と同じようにダムを従えて描かれているが、これ は実際の構造物も記録もないため着工されなかったと(私は)判断している。
と述べているのである!

実際はどう云う状況なのだろうか。その2.6km先,下の地図の赤線の末端方面,最後の川の迂回を直結してる部分はトンネルである。逆河内の分岐点は 670m。トンネル出た辺りにあったのか,2.6km地点の川標高は685m程度。ヨッキのレポだとこの辺[山行が]。林鉄の敷地が限界 まで川縁に降りてる箇所の様である。。

そしてそこでヨッキは古い構造物(一部スロープが撤去された砂防堰堤)を見付けている。ヨッキは東側堰堤の想定設置場所と推定しているが,発電に重要な比 高が足りない ので東側堰堤というよりはこの砂防ダム建設用に軌道を敷いたのであろう。既に有効落差143mもの巨大発電システム(千頭堰堤×湯山発電所のユニット)を 建設出来た当時(昭和初期)の電力会社がこんな40mばかりのしょぼい有効落差で発電所(恐らく千頭堰堤湖畔に建設)とセットとなる堰堤を建設する訳がな いのである。(千頭堰堤より下に発電所を建設することは水を無駄に使うことになるので考えられない。)
実際には終点付近には湯山発電所土砂留堰堤があって,どうやらこのための軌道だったようだ。

さて此処で気になるのが東側という地名がどの範囲迄及んだのかと云う事であろう。。ヨッキは勿論,東側に関しても説明されており[山行が]
>明治42年の地形図には、山中に点在する10を越える数の家屋が描かれて おり(○で囲んだ範囲にある)、併せていくつかの地名も記されていることが見て取れるだろう。
>この地図は、昭和初期に相次いで千頭堰堤や千頭林鉄といった大規模な“文 明装置”が導入される以前から、寸又川上流の当地方に人が住んでいた証拠の一つである。
>だが、そんな彼らの住み家は…昭和41年の地図では地名と供に忽然と消え ている。全国の農村部で過疎の問題が大きく採り上げられるようになるのが40年代以降だが、それよりもさらに早い段階で、この地は見放されたらしい。
>現在の地図と重ねて見ると、昭和40年代から急ピッチで建設が進められた 左岸林道や日向林道は、概ねかつての集落跡地を結ぶように作設されたことが伺える。…
>これらの集落は、「天地」という注記のある一箇所を除けば 全て寸又川の左岸、すなわち東側に点在している。
>おそらくそのこと“のみ”が由来となったのだろうが、これら散居する小集 落群の総称を「東側」といった。
>『本川根町千頭の民俗』(近畿大学文芸学部 編/平成10(1998)年)…は東側地区に所属した小字(集落名)として、上日向、日向、尾崎、上閑蔵、下閑蔵の5つを挙げている。
とあって,現在だと上 日向がこの辺上 閑蔵がこの辺にあった様だ。そして小根沢辺りはもう東側地区の範囲外であったようだ。

これらを踏まえつつ,幻の東側堰堤の場所を想像するに,千頭堰堤から湯山発電所ばりの有効落差を確保する為に150m程上流となると小根沢辺りであり,ダ ムで水面が嵩上げされることを見越しても大樽沢辺りであり(大樽沢の先は谷が細くなっていて堰堤建設の好適地に見える),個人的にはこの辺りを東側堰堤の 擬定地としたい。

上で見た様に,大樽沢や小根沢は東側からは外れる様で,「東側堰堤」という名前では可怪しいと思われるかも知れないけど,ここ千頭堰堤に対 するパートナーが此処は何故か湯山発電所になってて解りにくいが,基 本的に発電専用ダムは発電所側がメインであり,ダムはその付属物としての扱いとなる為,発電所の立地名が発電所名になり,且つ,その立地外(有効落差を確 保する為に基本的に発電所が立地する地名とは別になる)でも発電所と同じ名前がダム(堰堤)側の立地名に無関係に発電所の立地する地名で付けられてしまう る例は枚挙にいとまが無い。(例えば益田川(飛騨川)参照。瀬戸・東上田・小 坂・久々野とダムの名前が発電所の立地名であり,その発電所がダム湖端に立地しているので東上田には瀬戸ダムと東上田発電所があって,小坂には東上田ダム と小坂発電所もあると云う様にややこしいことに成ってゐる。)
詰まり小根沢や大樽沢はもう東側の領外だけど東側という大字?にある千頭堰堤に東側発電所を建設するならそれへ水を供給する発電所が大樽沢にあろうがなん なら栃沢にあろうが東側堰堤と名付けられるのは電力界ではそれ程異例なことではないのである。

後述するが大間川のレポをしてるヨッキの著 書(平沼 義之『廃道探索 山さ行がねが』じっぴコンパクト文庫2016)では
>(大間川)堰堤工事が終了した昭和13年,当初の取り決めに従って全線が帝室林野局に譲渡され
となっている。東側堰堤並びに発電所の断念の時期が気になる所であるが,実際に着工された場合にはこの林鉄を借りて資材などを運搬する心算だったのであろ う。

新発電所となればヨッキにとっては兎も角こちらにとっては真っ正面の課題となる♪先ずは既存の発電所の様子をみて,後に増強を検討する。現代に於いては大 樽沢で発電するのでは少々物足りぬ感じがするので思いっきり風呂敷を拡げたいと思うw

2.現状   
出典:関 東農政局(大 井川用水農業水利事業所)
(大井川合流点)

寸又川ダム水 力][便覧]     

目的:発電
堤高/堤頂長:     34.8m/58.8m
取水:寸又川及び大井川ダムからの導水
送水:大井川発電所
取水量: 72.35m3/s
流域面積/湛水面積     1018.9km2 ( 直接:240.9km2 間接:778km2 ) /11ha
総貯水容量/有効貯水容量     98.7万m3/52.2万m3
事業者:中部電力(株)
 着手/竣工:     1934/1936

寸又川ダムには大井川ダムより取水された水も加わり,纏めて大井川発電所(崎平発電所,とヨッキの地図にはある)へと送られる。
川自体もこの後大井川本流と合流して終わる。

大井川ダムとは山を隔てた直ぐ隣りである。朝日発電所の朝日ダムと秋神ダムの様に双子ダムの様相である。但し大井川ダムの水は一旦寸又川ダムに送られて此 処を経由して大井川発電所に送られるのが違う。ダムを見て見たかったけど近寄れなかった。

(栗代川合流)
栗代川からは現在,大井川本流沿いの奥泉発電所が取水している。

中部電力(株) 大間発電所[水 力]   
着工:1936.10 運開:1938.12[富士電力(株)] 地下化:1992.8
ダム水路式・調整池式
認可最大出力:16,500kW(地下化前13,200kW)  常時出力:380kW
設備利用率:54.4%(2015年度実績)[県データ
最大使用水量:23.10m3/s  常時(推計):0.53m3/s
有効落差:83.73m(地下化前69.20m)
水車:出力17000kW×1台
導水路:総延長2042.6m
流域面積:201.6km2
取水:寸又川[大間ダム]473.94m
放水:寸又川[寸又川ダム]384.85m
設備利用率:53.4%(2015年度実績)

【大間発電所データ】   
出典:静岡県



大間聚落へは恐ろしくくねくねして所々のみ改良された山を越えて行く必要があるが,その時,眼下に見えるのが大間発電所である。
20.8

大間聚落(寸又峡温泉)の手前には真新しい朝 日トンネルがあって,その脇に閉鎖された林道があったが,それこそが寸又川左岸林道であった。

現道補修工事中とか書いてあるけどまあゲートも錆び錆びで補修工事してる感じは無い。まあそれで良いんだけど。
それにしても延長短くね?1?569mと二桁目が剥がれて読めなくなってるけど,ヨッキに拠れば
>柴沢よりさらに奥深くにある40.6km地点が、左岸林道の終点である。山行が
とある。只今(2020.11頃,探索は2010.5)ヨッキは左岸林道20km付近をよろよろ下界へ向けて歩行中(のレポを順次公開中)だが十数キロま で延長認定されてるとするとあと何キロかで廃道状態が終わって整備区間に突入するのかも!?
2020年現在の今はこの区間も完全崩壊で国土地理院の地図で跡も辿れない感じやけどな。。

この道もう入って直ぐに大崩落していて,まあこりゃあかんわとはなった。

これから奥地に発電所と取水口を建設検討を勝手に(w)する訳だが,此処らは抛棄する予定。無駄に高いところを通って山腹の崩壊を引き起こしダムに無駄に 土砂を貯めてゐる。


大間(寸又峡温泉)
矢鱈と人が居た。此処から先は自家用車は進入禁止っぽい。知らなかったが雰囲気を読んで訊き探しもせずに引き返してきた。


大間ダム[水 力]   
目的:発電
堤高:46.1m、堤頂長:107m
総貯水量:151.9万m3 / 有効貯水量: 74.1万m3
流域面積:201.6km2 湛水面積: 10ha (0.1km2)
事業者:中部電力(株)
着手/竣工:1936/1938[富士電力(株)]
取水(位):寸又川473.94m
水利用率(=発電利用水量/(発電利用水量+ダム放水量)):53%[県データ

大間発電所に送水する大間ダム。
湛水面積は小さいが堤高46.1mで貯水量は湛水面積が狭いにしてはなかなかの74.1万m3。

~大間川~

下流から上流に入る進行方向から見て飛 竜橋を左折すると大間川沿いの林道かと思われるが,既に国土地理院の地図では消されている。崖が続いていてそれと解る塩梅となっている。
昔は此処にも工事用軌道が入っていた筈である。



湯沢堰堤
0.028m3/s (1立尺毎秒)


奥湯沢堰堤[地 図
0.056m3/s (2立尺毎秒)

大間川堰堤と湯山発電所の間に設けられた取水口の一つ。入口も無いのに何故か奥湯沢付近から歩道が復活している。。飛 竜橋から此処迄よく見ると林 道が廃止された跡が地図上で確認出来る様だ。

大間川堰堤[地 図]    
2.780m3/s (100立尺毎秒)
維持流量:0.06m3/s

平野沢と奥湯沢に共通する微妙な0.056m3/sだけどどうやら2立方尺毎秒らしい。う~ん,昭和(しかも戦前)風味♪

大間川堰堤(名前がややこしいが本流に設けられた大間発電所向けに建設された大間ダムでは無く,寸又川沿いに建設された千頭堰堤とともに支 流の大間川沿いに建設された湯山発電所向けの取水ダム)も建設の為に第二富士電力の工事用軌道が建設さ れたようである。
こちらのヨッキのレポは著書平沼義之『廃 道探索 山さ行がねが』じっぴコンパクト文庫2016での発表となっている(購入は地元の書店は勿論,日本でまともに税金を納めようとしないアマ ゾン以外を推奨)。
正直ウェブの方が臨場感(フォントや写真のカラーなど)含め全てが面白いのであるけど,秋田へ引っ込んでしまったヨッキである。東京に拠点を維持するには 苦しかったのかもしれないと思うと是非皆さんにも続篇と もども著書を買って応援して上げて欲しいと思う所である。引用に関しては著書の方が有りがたいしね。文庫本にしてはフォントなんかも結構大きめでそれなり に読みやすくなっております。
兎も角,平沼(2016)に拠ると,専用軌道は堰堤の先,700m程続いて終わっていたようだ。工事基地が堰堤から離れた広めの場所に設けられた,と云っ た感じであろうか。700mと云うとこ の位↓の距離感である。

印辺りが広くなってるような感じはするけどそれから一 寸だけ奥迄伸ばした?流石にほぼ一世紀前の工事であるから特に空 から見ても+辺り[G]に気配は感じない。

この林道というか山道,ずっと行くと山犬段の方で車道と繋がっているが,この林道は南 赤石林道で山犬段以北は完全な廃道状態[山行が(地図付き)]とのこと。今 は廃道扱いされずに地図上に記載の残ってる区間もだいぶ縮小された様である・・。

奥大間発電所】     
湯山発電所大間川堰堤付近で656m程。山の懐は深くもう一回は発電出来そう。
ということで調べて見た。
湯山発電所の取水位は641.52mだそうで,15m程は導水の逸失落差か。
一つの目安となる200m程落差取れる様にしてみる。
取水地は下 西出上 西出青 ナギ沢だな。流域は26.7km2


[私案]奥大間発電所
出力:6,100kW[+6.1MW]
水量:3.5m3/s←大間川堰堤での湯山の取水量を上回ってしまっているが。。
落差:205m
導水:
流域:26.7km2
取水:下 西出上 西出青 ナギ沢 860m
放水:大間川[大間川堰堤]641m



湯山発電所[水力]     
中部電力(株)
着工:1932[第二富士電力(株)]
運開:1935[1936年に第二富士電力は富士電力に合併されている。詳細不明だが奥寸又の電源開発プロジェクトの為の事業会社だった可能性が高いね]
wikiに 拠ると岡崎地盤で三河地区の電力を統合した中部電力(株)という会社があり,この中部電力は電力供給能力の向上に努め,
>中部電力は建設中の段階で同社(第二富士電力)と電力受給契 約を締結し、 出力全部を受電するとともに自社で発電所から自社変電所まで送電線を建設することとなった[46]。1935年3月に湯山発電所は出力2万4000キロ ワットで竣工し、同時に中部電力への供給が開始された。湯山発電所からは、西渡発電所に 至る約43キロメートルの間に77キロボルト送電線が架設され、既存送電線によってさらに豊橋市郊外の玉川変電所へ送電された。上記のように増強された電 源に対して、電力の供給先としては、1934年時点では日本レイヨン岡崎工場(現・ユニチカ岡崎事業所)、日清レイヨン岡崎工場(後の日清紡績美合工 場)、内外綿安城工場などと契約していた。
とのこと。wikiに 拠るとそもそも富士電力は今でもある富士紡(しらんなあ。。←今[22.1]からするとこの時[20.10]の私は素人だった・・・鮎沢川の電力開発を積極的に進めた会社であった様だ。不明を恥じたい。) の系列会社だったそうな。
それにしてもこんな所に西渡発電所が出てきて繋がってたとは!電発の遙か前から佐久間辺りはもっと東と直結してた様だ。
また岡多線の北岡崎に専用線のあったユニチカ,名鉄本線美合に専用線のあった日清紡など迄出てくる始末♪因みに中部電力は名古屋をその地盤の一つとする五 大電力の一つ東邦電力と関係が深く,後に東邦電力に吸収合併されることとなる。名古屋のガス会社は今でも東邦ガスであるが,電力会社は東邦電力ではなく中 部電力として戦後発足している。
ダム水路式・調整池式
認可最大出力:22,200kW  常時出力:3,400kW
設備利用率:53.7%(2015年度実績)[県データ
最大使用水量:18.92m3/s 常時使用水量:3.43m3/s
有効落差:143.648m
水車:2台 総出力30000kW
導水路(千頭ダム→発電所):総延長3739.2m
導水路(大間川→発電所):総延長4300.9m
流域面積:177.5平方キロメートル
取水:寸又川[千頭ダム]大間川[大間川堰堤]、 奥湯沢,湯沢、平野沢641.52m
放水:寸又川485.87m

平野沢堰堤
0.056m3/s (2立尺毎秒)

千頭(せんず)ダム[場 所(640m程度)][水力]    
着手/着工/竣工:1930/1932.8/1935.10[第二富士電力]
堤高: 64.030m、堤頂長:177.671m
 総貯水量:495.0万m3 /有効貯水量:434.9万m3
取水量:16.2m3/s
流域面積:132km2 湛水面積:25ha
水利用率:55%[県データ

【湯山発電所・千頭ダムデータ】    
出典:静岡県

3.水力発電開発(古 い案はこちらに撤退)
奥大間発電所(6.1MW)・千 頭発電所(25.0MW)・大根沢発電所(13.1MW)・柴沢発電所(4.2MW)・上西発電所(6.8MW) 開発合計55.2MW♪

先ずは千頭ダム・湯山発電所のペアの奥に一つ造ることにする。この際,流込式でも良い。
ヨッキは散々苦労してやっと大樽沢迄辿り着いて(地図だとこ の辺(723m)・ 山行がだとこの辺)いるし私も東 側堰堤の擬定地と推定したけど(少なくとも現代的な)水力発電的には全然未だ手前である。
例えば(林業の)拠点だった大根沢迄行かずとも小根沢迄行けば標高825mと千頭ダム(EL=640m)に対して有効落差180m程稼げる。導水路延長は 4.56km。近い。

現代的にはもっと大規模に発電することになろう。発電所は勿論千頭ダム湖畔に置かれることになろう。千頭発電所と仮称しておく。(もっと高度を稼いで一遍 に大出力の発電所を建設し併せて奥地の左岸林道を活用する当初妄想案はこち らに移した。文字通りご笑覧あれ♪)

大 根沢分岐の標高EL885mを取水位にして,小 根沢逆 河内で取水して千頭ダムに放水してみる。導水距離9.4km[大根沢~逆河内2.8km]となる。流域面積は88.8km2となる(内小根沢約 8.4km2・逆河内26.3km2)。


後から地図で近いことに気付いて栗代川からの取水(12.3km2増)も検討した。また逆河内川からの直接の取水は取り止め上流の大根沢発電所(私案)の取水から の間接供給とした(8.7km2減)
差し引き流域面積は92.5km2となった。逆河内から大根沢迄の3.0kmの導水距離が短縮される。

[私案]千頭発電所    
出力:25,000kW[+25.0MW]
水量:12.0m3/s
落差:245m
流域:92.4km2
導水:6.4km+4.0km(栗代川)
取水:大根沢堰堤(寸又川)[大根沢発電所][54.7km2]・逆河内[26.3km2]・小根沢[8.4km2]・栗代川 [12.3km2] 890m
放水:寸又川[千頭ダム]640m

この際より高度での集水して千頭発電所[私案]の取水点,大根沢で の発電も検討する。
もう一つ上の柴 沢(1112m)だと大根沢890mとの有効落差は205m。流域は48.4km2。5m3/s程とする。


[私案A]大根沢発電所
出力:8,700kW[+8.7MW]
水量:5.0m3/s
落差:210m
流域:48.4km2
導水:9.3km=6.7km+2.6km[逆河内] (1.06)
取水:椹 沢寸 又川(柴沢)赤 沢逆 河内 1110m
放水:寸又川(大根沢)[千頭発電所]890m
 


[私案B]大根沢発電所
出力:13,100kW[+13.1MW]
水量:7.4m3/s
落差:210m
流域:58.7km2
導水:11.51km=柴沢本線4.93km+大根沢支線1.70km+逆河内支線4.88km (1.10)
取水:椹 沢寸 又川(柴沢)赤 沢逆 河内・ 1110m
放水:寸又川(大根沢)[千頭発電所]890m

B案だな。

結構,普通に行けそうでは無いか。再び山奥に建設の槌音が響いて今は廃道化している諸インフラが一時的にせよ活躍することを望みたい所。次ページでその辺 は検討。

さて,この大根沢発電所[私案] の上流にも一つ発電所を建設可能か検討してみる。
この辺は千頭林鉄の最奥部の柴沢である。此処 に柴沢,そして更に奥のレポ[YamaReco]あり。
左岸林道だがヨッキの作成した地図に 拠ると寸又川と柴沢の分岐点から寸又川本流方向であるリンチョウ沢・ダルマ沢方面では無く柴沢の方へ続いているらしい。徹底的に直さないと使えないレベル で崩壊していそうだ が。。
寧ろ柴沢から寸又川源流域のリンチョウ石小屋迄は林道も無いということになるか。

放水は上の大根沢発電所の取水口で行うことになる。一番可能性があるのが寸又川本流であろう。
うんなかなかいい感じだ♪


[構想]柴沢発電所
出力:4,200kW[+4.2MW]
水量:2.3m3/s
落差:220m
流域:17.6km2
導水:km 取水:寸 又川(ダルマ沢・リンチョウ沢)柴 沢 1336m
放水(発電):寸 又川[柴沢・1110m]

最奥部で建設コストが掛かりそうなのでもう一声欲しかったけど…。
1136mてのはダルマ沢とリンチョウ沢の分岐部の標高であるが,柴沢の寸又川左岸林道(廃道)の終端点も奇しくもその辺であった。[川地図G マップ地 理院
出典:川の名前を調べる地図

もういっちょ。
異様に標高の高い上 西河内(958m)を使う。ここだけだと5.8km2と狭い。。
お隣の下 西河内(958m)も使ってみる。7.0km2。
ここまで導水路はまあ4km程度。千頭堰堤湖畔644m付近へ放流。水量を12.8km2で1.3m3/sとすると3.3MWとちと物足りぬ。
更に7.3km延ばすと大間川上流の青 ナギ沢(960m)と上 西出(961m・なんなの?!もう川も沢も谷も河内も付いちゃいんw)から引っ張って来る。

青ナギ・上西出は奥大間と被るが取り合えず絵を描いてみた。上西出などは流石にちと遠そうである。。
取水位958m(寸又川支流[上 西河内下 西河内]・大間川支流[青 ナギ沢上 西出])で落差310m・水量3.0m3/s(高落差無視)で7.7MWと推定(旧来タイプの水車効率85%)できる。

青ナギと上西出を避けて代わりに逆河内から取水して見る。取水位はさげて850m。流域は29.2km2なので水量を4.0m3/sで行くと6.8MW程 度行けそう。


[構想]西河内発電所
出力:6,800kW[+6.8MW]
水量:3.0m3/s
落差:200m
流域:29.2km2(逆河内上流を除く)
導水:
取水:逆 河内支 流上 西河内下 西河内支 流850m
放水:寸又川[千頭ダム]643m

次ぎはこれらのダム建設の為のアクセスルートを含めた検討をする。