






出典:天竜川上流河川事務所
22.8


| 【番外編】西
渡駅 水窪川と天竜川の合流部には嘗て国鉄バスの西渡駅があったが駅舎は現存していて嬉しい。 22.8ツイッター(X)にはちゃんと西渡駅と写ってて雰囲気の伝わるツイート(ポスト)も。我ながら写真下手である。。
その親ポストには瀬尻の昔の写真も載っていた。なかなか貴重。
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23.4
22.8
23.4西渡発電所 SR合成起伏堰分断構造の開発 内外ニュース[中電]技術開発ニュース No.134/2009- 4 西渡発電所は昭和2年に運転を開始したが、設備の老巧化および現在の洪水防御計画のもととなる計画高水流量に対応するため、既設えん堤を全て撤去し、全倒伏タイプのSR合成起伏堰に改修する工事を実施している。 SR合成起伏堰は、水路底に回転が自由となるように取り付けた鋼製(Steel)の扉体を下流側水路底に設けたゴム引布製(Rubber)空気袋の膨張と収縮によって操作する。 設計高水流量1,650m 3 /s流下時、堰の越流水深は約3.0mとなる。一方、通常時は堰の越流水深が0.3m以下となるように扉体起立角度を連続的に制御している。 SR合成起伏堰は流量調節機能を持った低コスト堰であり今後も導入が続くと思われる。 |
もう数mゲートを高くして貯留量確保出来無いもんかねぇ。。 今は205mが取水位であるが,下流部に堰堤を建設して満水位を210m迄上げられそう。7万m2(7.0ha)だから利用水深5mで35万m3程 貯留出来る。3h程持ちそうでピーク電源として活用出来る。 こちらで検討 |




| wikiに
拠ると岡崎を発祥として地盤とする岡崎電灯が成長して三河地区の電力を統合した中部電力(株)という会社があり,戦後の中電と区別して中部電力(岡崎)と
書かれることもあるこの会社は電力供給能力の向上に努め, >中部電力は建設中の段階で同社(第二富士電力)と電力受給契 約を締結し、 出力全部を受電するとともに自社で発電所から自社変電所まで送電線を建設することとなった[46]。1935年3月に湯山発電所は出力2万4000キロ ワットで竣工し、同時に中部電力への供給が開始された。湯山発電所か らは、西渡発電所に 至る約43キロメートルの間に77キロボルト送電線が架設され、既存送電線によってさらに豊橋市郊外の玉川変電所へ送電された。上記のように増強された電 源に対して、電力の供給先としては、1934年時点では日本レイヨン岡崎工場(現・ユニチカ岡崎事業所)、日清レイヨン岡崎工場(後の日清紡績美合工 場)、内外綿安城工場などと契約していた。 とのこと。wikiに 拠るとそもそも富士電力は今でもある富士紡(しらんなあ。。)の系列会社だったそうな。 それにしてもこんな所に西渡発電所が出てきて寸又峡の奥地と繋がってたとは!電発の遙か前から佐久間辺りはもっと東と直結してた様だ。 また岡多線の北岡崎に専用線のあったユニチカ,名鉄本線美合に専用線のあった日清紡など迄出てくる始末♪因みに中部電力は名古屋をその地盤の一つとする五 大電力の一つ東邦電力と関係が深く,後に東邦電力に吸収合併されることとなる。名古屋のガス会社は今でも東邦ガスであるが,電力会社は東邦電力ではなく中 部電力として戦後発足している。 |
出典:中部電力
出典:電源開
発(株)