本流に架かる東雲橋と和田川に架かる橋![]() |
和田川と大井発電所・新大井発電所と大井ダム![]() |
大井ダムと奥戸発電所と阿木川合流部![]() |
~和田川~ 橋…大戦間期に出来たらしいモダンさである。(恐らく大井発電所建設時に設置) ![]() 渓流…その橋の上から和田川渓流を望む ![]() 和田川堰堤[関 電][場 所(G)][地 理院] 取水量:1.2m3/s 流域面積:27km2 ![]() ○和田川えん堤の操作方法 和田川えん堤からの取水量の調整は、河川水位に応じて、適宜、取水口ゲートの操作を手動で行っている。 ○導水容量 和田川えん堤より大井ダムへ導水する水路は、許可最大取水量の約1.5倍の導水ができる こんな図まで造ってしまったのにもう既設だったかw(面積なんかも脇の支流を入れてしまったので一寸多めだけどほぼ的中してると云っていいだらう♪) ![]() となると残りは阿木川である! 寧ろこっちの方が流域面積は広そうだが。。なんで実現してないんだ?? |
~阿木川~ 詳しくは別項にて纏める予定 阿木川ダムマップ(現地看板より) 注目点は放流口の他,湯壺川,岩村川,阿木川にある貯留堰堤(マウスオーバーで赤楕円)。 ![]() ![]() 阿木川(あぎがわ)ダム[水力] [便覧][wiki] 水資源機構 目的:洪水調節・不特定利水・上水道・工業用水 供給先:愛知用水(WI)・東濃用水(W)
堤高:101.5m、堤体長:362m(ロックフィル部のみ) 総貯水容量:4,800万m3 有効貯水容量:4,400万m3 天端標高:417.500m 常時満水位標高:412.000m(サーチャージ) 洪水期制限取水位標高:400.500m 最低水位標高:363.000m 基礎標高:316.000m 集水面積:81.8km2 湛水面積: 158ha (1.58km2) 着手/竣工:1969/1990 阿木川発電所[水力] (独)水資源機構 ダム式・貯水池式 認可最大出力:2600kW 常時出力: 530kW 最大使用水量:4.70m3/s 有効落差:66.78m 流域面積:81.8平方キロメートル 取水:阿木川[阿木川ダム]412.0m 放水:阿木川363.0m 阿木川ダム放水口[場 所] [私案]阿木川取水堰堤[場 所(G)・地理院EL.258m] 取水位:258m…脇の住宅街向けに数mの堰堤を建設する必要がありそう。今では殆ど堤防無し状態なので良い機会なのではないか。 取水量:10m3/s程度 大井ダム阿木川導水流域(山本用水直下・[私案]阿木川ダム飯沼川導水直下・[私案]大井ダム阿木川導水以上)…25.85km2 阿木川放流水4.7m3/s+阿木川取水堰堤直接集水域2.6m3/s-阿木川流域取水量2.2m3/s-奥戸発電所取水量2.1m3/s= 3.0m3/s →通常時はあんま取れそうにないな,,阿木川降雨時に多めに取り,普段はちょろっと流す程度か。 |
国土交通省 新丸山ダム建設事業に伴う笠置発電所の最大出力の増加について https://www.kepco.co.jp/corporate/pr/2019/0829_1j.html 2019年8月29日 関西電力株式会社 当社は、国土交通省の 新丸山ダム建設に伴い、既設の丸山ダムの水位が6.5m上昇する計画であることから、影響を受ける当社の笠置発電所の機能を回復するため、 最大使用水量を変更するとともに、水車・発電機取替え等の工事を実施し、最大出力を27,500kW増加させることとしました。 当社は、2016年12月から、新丸山ダム建設に伴う対策工事を進めてまいりましたが、この度、国土交通省と笠置発電所に関する補償 契約が締結され、笠置発電所の機能回復のため最大使用水量を増加することになりました。また、2019年7月から道路拡幅等の準備工事を行っており、9月 から笠置発電所の水路工作物の補強および防水壁設置ならびに水車・発電機取替えといった工事を実施してまいります。 今後、2029年度に国土交通省の新丸山ダムが竣工予定であり、当社は、それまでに関係者のご指導と地元の方々のご理解を賜りなが ら、安全を最優先に工事を進めてまいります。 当社グループは、「低炭素」のリーディングカンパニーとして、2030年代に国内外で再生可能エネルギー電源の設備容量600万kW を目標に、200万kW以上の新規開発に取り組んでおり、今後も引き続き、地域の皆さまのご理解を賜りながら、再生可能エネルギーの普及・拡大に貢献して まいります。
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~旅足川~ ▲ R418旧道の旅足橋で有名な旅足川。400m付近で取水すると26.2km2とそこそこ取れそう。導水距離も6km以下に抑えられる。 ![]() |
~愛知用水~ 愛知用水[水 資源機構]→こちら 飛騨川との合流点よりやや上流にある様だ(兼山ダムら しい)。此処から愛知県中央部を潤しに行く。明治村の近くにある 入鹿池も関連施設だったのか。その供給範囲は遠く知多半島に迄及ぶ。 愛知用水[愛 知県] 矢作川からも水を確保しているのが判る。愛知県の用水では明治用水も 有名だがそち らは矢作川とその支流巴川から取水。東三河の豊川用水は勿論豊川である。 ![]() 供給系統図→東濃用水の項参 照 供給系統図(生活用水)→こちら 供給系統図(工業用水)→こちら 供給系統図(農業用水)→こちら |
今渡ダム[wiki] ダムとしては木曽川最下流にあり、上流での水力発電によって変化した 河川流量を自然の状態に戻して下流へ放流する逆調整の機能を担う。 完成は1939年(昭和14年)。電力会社管理ダムであり、建設時は木曽川開発を手掛けた大同電力と飛騨川開発を手掛けた東邦電力が共同出資する、愛岐水 力株式会社という電力会社が管理した。 1924年8月、完成した大井ダムが貯水を始めると、木曽川ではある問題が発生する。当時、大井ダムの下流側には木津用水・宮田用水・佐屋川用水の3つの 農業用水があった(1929年羽島用水が完成し4つとなる)が、渇水期にこれら農業用水での取水が困難になったのである[7]。これは、深夜など発電が不 要な時間帯にダムへと貯水し、発電時にダムから放流する、というダムの流量調節に伴いダム下流側において毎日の流量変化が大きくなったことにより生じた [7]。特に大量の取水をする宮田用水への影響が大きく、同用水の下流地帯では水不足を原因とする水争いが頻発したという[7]。 その後も灌漑期の水位変動や工事費の負担をめぐる用水組合と大同電力とのトラブルは続き、1930年(昭和5年)には木津・宮田両用水における工事費の負 担を大同電力が拒否したため、2つの用水組合と会社側の紛争が再燃、組合側がダムの流量調節の停止を命令するよう政府などへ陳情する事態となった[8]。 愛知県が調停役とする用水組合と大同電力との協議の結果、費用負担は従前通りとすること、灌漑期間中は常に水位調節に腐心すべきこと、という組合側の主張 を会社側が認め、この紛争は沈静化した[8](→昭和29年、木曽川総合開発の一環として宮田、木津、対岸の羽島用水の取水口を統合する犬山頭首工の建設 にいたる[水土]) 上流ダムによる流量調節の結果生じる下流への影響を抑えるために大同電力が計画したのが、河川流量を自然の状態となるよう放水する逆調整ダムの建設である [9]。逆調整発電所の建設は、木津・宮田両用水組合も1933年(昭和8年)に国や県へ陳情するなどその実現を求めていた[10]。 昭和のはじめ、大同電力は飛騨川合流点直前における逆調整発電所「今渡第二発電所」を計画し、その建設許可を申請した[11]。一方、当時飛騨川開発を手 がけていた東邦電力(名古屋電灯の後身)は木曽川・飛騨川合流点直上の飛騨川方に逆調整発電所「森山第二発電所」を計画し、その建設許可を取得した [11]。かくして木曽川・飛騨川合流点付近に2つの逆調整発電所が計画されたが、どちらも不況による電力の過剰から計画中止状態となっていた[11]。 停滞する逆調整発電所計画に対し、大同電力と用水組合の対立が続く中でその対策を講ずる必要に迫られた内務省と岐阜県当局は、2つの逆調整発電所計画を合 同するよう両社に慫慂した[11]。これを受けて大同電力・東邦電力は協議を進め、大同からは今渡第二発電所、東邦からは森山第二発電所の水利権をそれぞ れ提供し、新会社を共同で設立した上で木曽川・飛騨川合流点直下にダムを築造し共同逆調整発電所「今渡発電所」を建設することとなった[11]。1933 年5月、今渡発電所の水利使用許可を申請し、1935年(昭和10年)4月にその許可を取得した[11]。 水利権の許可取得後の1935年7月20日、資本金500万円、大同電力・東邦電力の折半出資にて「愛岐水力株式会社」が設立された[11]。初代社長に は東邦電力社長の松永安左エ門が就任し、以降は1年ごとに大同側・東邦側交代で務めることとなった[11]。また発電所の完成後は発生電力を2分割し両社 同一条件にて受電すると定めた[11] 着工準備ができた今渡発電所(今渡ダム)であったが、今度は舟運・流筏・玉石採取・漁業などの業者から生活を脅かすとして猛烈な反対運動が発生し、用水組 合からも逆調整に疑念を抱くとして了解が得られなかった[11]。岐阜県・愛知県当局の調停により1936年(昭和11年)6月着工に漕ぎ着ける [11]。工事中の洪水被害や、日中戦争による人的・物的影響が工事の障害となるも、1938年(昭和13年)12月末をもって工事は終結した[12]。 土木工事請負業者は間組である[13]。 今渡ダム工事中の1936年、大井ダムとの中間に笠置ダム(笠置発電所)が建設された。これに伴い大同電力は1937年4月、灌漑期間中は笠置ダムの水量 調節を停止し、ダムに達する全水量を均等に放流することとしたため、以後用水組合に対する寄付(施設改良工事費の負担)を打ち切るという旨を通告した [10]。この一件で大同電力に対する特に宮田用水組合の不信が強まり、今渡ダムが完成して仮貯水を始める段階になると、同組合は愛知県に対しダム操作規 定に組合の主張が反映されなければダムの操業を拒否するよう要望している[14] 宮田用水組合と電力会社の対立はダム完成後も続いたが、1942年(昭和17年)5月、内務省名古屋土木出張所の仲介によりダム操作規定について両者が了 解点に達し、加えて電力会社側(後述の通りこの時点では愛岐水力ではなく日本発送電)が宮田用水組合に10万円を寄付してこの問題は解決した[15]。こ の問題以外にも、砂鉱業権や下流船運などの問題があったが、買収または補償などの方法で処理されている[16]。 天端部分は基礎岩盤から33.4メートルの高さにあり、その標高83.3メートルに対し、満水位は70.5メートルに達する。 ダムによって形成される調整池の総貯水容量は947万200立方メートル。うち利用水深3メートル以内の有効貯水容量は392万2200立方メートルであ る。また湛水面積は1.5平方キロメートルに及ぶ(数字は2008年3月末時点[1])。なお竣工当初の総容量は677万2900立方メートルであった [13]。 今渡ダム右岸に位置する関西電力美濃川合発電所は、ゲートから放流するため発電に用いていなかった水量(年間180日程度のゲート放流が生じていた)を活 用すべく計画された発電所で[24]、1995年(平成7年)5月24日に運転を開始した[19]。ダム式発電所であり最大出力は2万3400キロワット (23.4MW) で運転されている[19]。 |
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