益田川中・上流はこちら。 東上田ダム(小坂ダム) 下呂市小坂町[場所]・中部電力(株)・発電 集水:飛騨川・小坂発電所 送水:東上田発電所・中呂発電所 堤高:18m 流域面積/湛水面積: 770km2 ( 全て直接流域 ) /21ha 総貯水容量/有効貯水容量 1065千m3/561千m3 着手/竣工 1952/1954 送水:中呂発電所(20m3/s)・東上田発電所(40m3/s) 本当は東上田ダムだけど国土地理院 にも小坂ダムと書かれちゃってる東上田ダム。此処から中呂発電所を通じて益田川の水を馬瀬川へも送り込む重 要なダムで ある。 21.5.21現地視察。前回はもう真っ暗でどうしても見つからなかったのだがあっさり発見。とは いえ内容は残念な結果でなんと東上田ダムからの放水は 水量が重複していて合計 で40m3/sしか無いようだった。詰まり中呂に20m3/s送ってる時は東上田には20m3/sしか送れず,東上田に40m3/s送って る時は中呂には給水出来ない(しない)容量の様だ。 ![]() 益田川流域 最大の隘路に急浮上である。。 小坂ダム(小坂堰堤)と東上田ダム(小坂ダム)の流域面積の差から270km2程増えていて(=20m3/s以上は水を追加的に確保出来そうで),その上 で久々野発電所の最大使用量44.70m3/sなので60m3/s程度は恰度良い水量かと思っていたのに,東上田ダムが40m3/sしか供給出来んのはだ ちか ん。 ゲートと取水部。 ![]() 中呂(ちゅうろ)発電所[水力] 下呂市中呂・中部電力(株)・発電 出力:13,300kW 常時:0kW 最大使用水量:20m3/s 有効落差: 立軸フランシス水車 出力13800kW×1台 受水:東上田ダム 送水:岩屋ダム・飛騨川 此処から中呂・馬瀬第一・馬瀬第二と徹底して常時0kWである。ピーク時以外は動かさないぞと云う感じである。 益田川を跨ぐ導水管はこんな感じ。あの山の向こう側迄,或る程度の下り勾配付けて水を送るのにこの低さで大丈夫かと思うけど結構南下するとこの高さが岩屋 ダム湖の湖面になるのだ。 実際に馬瀬川の流域は南北に長く,R41を南に向かって走っていると何度も右折馬瀬の 青看板が出てくる。 ![]() 東上田発電所[水力] 所有:中部電力株式会社[運開] 昭和29(1954)年12月:運用開始 水路式・調整池式 認可最大出力:35000kW 常時出力:16400kW 最大使用水量:40.00立方メートル毎秒 有効落差:104.53m 水車:立軸フランシス水車20000kW×2台 導水路:総延長12807.0m 流域面積:770.0平方キロメートル 取水:飛騨川[東上田ダム]504.00m 放水:飛騨川382.18m ピーク時には20m3/sを中呂に奪われてしまう東上田PS。ちゃんと対応はされてて水量低下に弱いフランシス水車が2台用意されてて定格が20m3/s ×2で,40m3/sで動かさない時は一台だけ動かせば恰度20m3/sで動かすのが最適なようになっているということか。 まあ中呂発電所設置の前からこの2台体制なんであろうけど。。 瀬戸ダム |
瀬戸第一発電所 認可最大出力:28200kW 最大使用水量:32.00m3/s 有効落差:101.69m 導水路:総延長12381.2m 流域面積:924.7平方キロメートル 取水:益田川[瀬戸ダム] 放水:益田川(269.85m) 瀬戸第二発電所(→こちら参照) 認可最大出力:21000kW 最大使用水量:15.50m3/s 有効落差:156.60m 水車:出力10800kW?×2台 流域面積:222.4平方キロメートル 取水:弓掛川、床鍋谷、他→馬瀬川[西村ダム]450.00m 放水:益田川[ほぼ下原ダム]271.51m ![]() |
下原ダム 河川: 木曾川水系飛騨川 事業者:中部電力(株) 目的:発電 堤高:23.9m 流域面積/湛水面積 1147km2 ( 全て直接流域 ) /35ha(0.35km2) 総貯水容量/有効貯水容量 2936千m3/684千m3 着手/竣工 1933/1938 取水:益田川(瀬戸第一32m3/s・瀬戸第二15.5m3/s・竹原川2.5m3/sなど) 放水:下原発電所(80m3/s) ![]() 上流の発電所から少なくとも50m3/sの水量がある。とは言え流域面積1147km2 から見ると目安となる110m3/sの半分以下である。。馬瀬の方で最大113.00m3/s使うし,まあこんなものなのかも。 下原発電所 中部電力株式会社 所在地:岐阜県下呂市金山町中切 運開:1938.12(日本発送電) ダム水路式・調整池式 認可最大出力:22,200kW 常時出力: 3,800kW 最大使用水量:80.00m3/s 有効落差:34.55m 水車:2台 総出力26250kW 取水位標高:268.30m 放水位標高:230.80m 流域面積:1563.7平方キロメートル 取水:飛騨川[下原ダム]、馬瀬川[馬瀬川取水堰](268.30m) 放水:飛騨川(230.80m) ![]() ここでもう一つ燃料投下: 【岩屋ダム建設の結果】 ▲ 中部電力はその後朝日ダムを皮 切りに飛騨川流域一貫開発計画による大規模水力発電計画を進めていったが、下原ダムはこの計画によって大幅な電力発生量の減 少を余儀無くされた。1976年(昭和51年)馬瀬川に岩屋ダムと馬瀬川第二ダムが完成し揚水発電の馬瀬川第一発電所が運転開始、二年後の1978年(昭 和53年)には中呂(ちゅうろ)発電所が運転開始して馬瀬川からの取水量が減少したことにより、完 成当時は年間発生電力量が約1億 3,076万キロワット時だった(下原発電所の発電電力量は)…両 発電所の運用開始に伴い年間 1,800万キロワット時と、約9分の1近くに減少したのである [10]。[wiki (下原ダム)] 馬瀬ルート運開以降,下原発電所の発電量が1/9になったかのように書いてあるが減少分が1/9(≒11.1%)近くであり,実際は10%以上発電量は減 少した(8/9程度になった)ということの様である。中呂への送水を通じた益田川の減少分と広瀬堰堤と西村ダムを通じた馬瀬川の放流減を通じた減少分があ ると思われるがこれくらいならまあそれ程減少幅は大きくないような感じもする。 更に以下の様な記述もある。 下原ダムに付設された下原発電 所は当初の計画では1万6,500キロワットの発電を行う計画であった。その後1936年(昭和11年)12月10日には1 万9,451キロワットに出力を増強させる計画に変更、さらに完成直前の1938年11月17日には現在の2万2,000キロワットによる出力となり、現 在に至っている。…使 用する水量の割合は飛騨川分と馬瀬川分を5対1の比で取水する。[wiki (下原ダム)] 益田川:馬瀬川=5:1で使ってた馬瀬川の水がa %に減ったら発電量は8/9になった(水量が8/9になった)。aを求めよという問題である。 益田川からの取水量をX,馬瀬川からの嘗ての取水量をY,嘗ての水量を基準化して1として方程式が3本出来れば良い。 X+Y=1 X:Y=5:1 X+aY=8/9 綺麗に解けて a=1/3 下原発電所 の取水出来る馬瀬川の水は岩屋ダムの建設の結果1/3になったようだ。 下原ダム地点での益田川方面の流域面積が 1147km2 で馬瀬川方面の流域は1,563.7(下原発電所流 域)-1,147(下原ダム流域)=416.7km2となる。 馬瀬川第二ダムの直接流域は279km2であり,流域から見ても岩屋ダム建設で下原 発電所に取って馬瀬川の流域は279/416.7=66.9%とほぼ1/3になったことが流域面積からも確かめられる。 馬瀬川第二放水口 大船渡堰堤 ここから水は2ルートに岐れて併走する。中呂から2ルートに分かれてたのであるけど。 堰堤 新七宗取水口 大船渡からも新七宗へ分岐しており2ルートは上麻生まで続いている。 |