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23.5.24運開
跡津川(あとつがわ)【現況篇】(23.7訪問)
1.流域の年降水量 2.神通川(神一~神三) 3. 高原川(跡津川金木戸川有峰引水) 4.宮 川 5. 井田川流域久婦須川万波高原   6.牛ヶ首・大 久保用水 7.熊野川  8.長棟川
1.跡津川貯 水池の計画 2.現況(2-1.新猪谷ダム土第 二発電所土第一発電所跡津発電所大多和峠 2-2.ダム予定地[→別項]) 3.開発 3-1:跡津発電所増 強 3-2:跡津川ダムリバイバ ル(+42.0MW)

神通川は電源地帯として近辺の黒部川・早月川・常願寺川・庄川等と並んで重要な存在である。
そのメインは神通川・宮川・高原川に位置し。それぞれ神三左岸~神一,蟹寺~角川・下小鳥,猪谷~中崎,跡津川・金木戸・池の尾等からなり容量は約 700MWに及ぶ。
こいつらの弱点は巨大な貯水池が宮川方面上流の下小鳥ダムV=0.94億トンのみであり,下小鳥の水を利用出来る容量は425MWと可成り少なくなる。特に高原川側がお寒い限り。一定規模以上のダムは新猪谷ダム(V=120.3万m3)と浅井田ダム(V=32.8万m3)しかないの だ。
本頁では現況をレポする。

2.【現状】   



~沿川風景~
下流から遡上していく。起点は高原川最下流の新猪谷ダムである。

~高原川~

新猪谷(しんいのたに)ダム[→高原川
有効貯水容量:125.5万m3
堤頂標高:279.00m
常時満水位標高:278.00m
最低水位標高:272.20m
越流頂標高:265.80m
集水面積:762.00平方キロメートル
送水:猪谷発電所・新猪谷発電所・猪谷ダム発電所(→神一ダム)
受水:高原川・跡津川(牧発電所・土第二発電所)


神岡鉱業(株) 土第二発電所[水力]   
 1935年:竣工?    1936年2月:運開
水路式・流込式
認可最大出力:1,000kW   常時出力: 680kW[68.0%]
最大使用水量:4.00m3/s[0.38]
有効落差:34.52m
流域面積:104.4km2
取水:跡津川[土第一発電所]314,0m
放水:高原川[新猪谷ダム(満水位278m)]274.3m

国 道沿いに現れる通行止めの道路と土第二の上部水槽
23.7
斜面下にある建屋。なんだかおもちゃみたいな建物である。


(跡津川合流EL.280m)

~跡津川~
さて川沿いの道に進入して上流に向かう。荒れた川原が荒々しく出迎えてくれる。

上の写真の欄干に取り付けられてるのは水位観測所の機器の様で,橋の袂には本体が設置されていた。牧土橋というのはさっきの橋の名前か?地名は土(ど)と いう一文字地名である。


此処迄も散々快適な国道だったが建設中のBPが更に上を跨ごうとしていて,道路好きの私としても怒りを感 じさせる。
こんなのに無駄金遣ってるから日本は成長出来ないねん。鉄道好きながらローカル線廃止賛成なので整合性は取れている筈。

直ぐに土第一発電所の建屋と土第二発電所の取水施設が見えてくる。

利水標。4.0m3/s。異常なし。

一寸やすっぽい堰。旧一電と比較して神岡鉱業(株)という純民間企業がやってて,嘗ての国鉄と地方私鉄の差の様な物を感じる。
発電所側へ渡る橋の上からの眺め。

振り返ると此処で取水した水と土第一の放流水を併せて土第二へ送る施設が。

取水口と橋



神岡鉱業(株) 土第一発電所[水力][記念碑]←跡津貯水池計 画に於ける跡津川発電所付近?
1919(T8)年:竣工?    1920(T9)年2月:運開[三井鉱山・800kW]
水路式・流込式
認可最大出力:1,912kW(←1,650kW)   常時出力:680kW(1,650kW時のデータ)
最大使用水量:3.20m3/s
有効落差:61.50m
流域面積:99.3km2
取水:跡津川[跡津発電所]391.13m
放水:跡津川[土第二発電所]316.15m

建屋

建屋脇の放水口のトンネル。上の写真にも写ってるが拡大。人が誤って落ちない様に何か木の扉の様なもので塞いであって何か興醒めだが,坑口は煉瓦造りのレ トロで重厚な造りである。

記念碑

建屋正面


さて奥に進む。なんと公共事業で道路拡幅をしようとしている様だ。まあこんな人口稀薄地帯に税金の無駄遣 いだとは思うが発電所もあるしなぁ。。年間の発電 確保のためにも災害に強い道路を確保して欲しい



さて,半年以上経った24.4。再び跡津川に手を入れようとして色々調べて見ると全容が判明。さっきの謎の高架も含めて市道跡津川線で,しかもこれはスーパーカミオカンデへの入口ということで予算が付 いたらしい。

出典:岐 阜県

過疎地域に於ける基幹的な市長村道扱いだそうな。こんなのにカネばら撒いている余裕は無いと思うんだけど。水力発電に被せた投資に変えて行くべし。

因みにカミオカンデ建設に際するエピソードも発見。なかなか熱い!

神岡鉱山からカミオカンデを見ると
https://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DKankoub/Publish_db/2003neutrino/04/040100.html

東京大学総合研究博物館 田賀井 篤平

それにしても無駄金使ってこんな立派な道路造るなら大多和峠迄で行き止まりになってる有峰林道(有料)と繋げるぐらいの大きな絵は持っとんやろーねぇ!?



川の様子。相変わらずの岩ごろごろである。

と,そこへ「跡津川砂防堰堤工事」の看板がっ!
又も公共工事かよと,三連発げんなりだが,まあ大事な発電所を土石流から護ると思えば我慢…もとい積極的に評価も出来はする。

道路工事用の道路としては年期が入っていて元々林道だったのか川の方へ下っていく道が今は工事用道路として通行止めになっていた。


その内に有効落差330m超を誇る跡津発電所の優美な(=利用水量に増強の余地のある,である。優美は褒め言葉ではないでぇ~)水圧鉄管が見えてくる。

   
神岡鉱業(株) 跡津発電所[水力] [北陸電気事業百年史※][DB
運開:1925.2(1924.12※)[神岡水電株(株)]・所有社変更:1951.5[神岡鉱業]
水路式・流込式
認可最大出力:11,850kW      常時出力: 4,000kW[33.8%]
最大使用水量:4.50m3/s[0.62]
有効落差:331.77m
水車:ペルトン式 3,730kW*2 発電機:4,500kVA*2 ※ 運開時と思われる
流域面積:72.7km2
取水:打 保谷川741.24m
放水:跡津川[土第一発電所]399.30m

チラ見えする建屋はなんだか安っぽくて優美では無い。これも旧一電ではない三井鉱山から継承する神岡鉱業の経営する当発電所の私鉄的な安っぽさなのかもし れないけど,寧ろ土石流で全部流されたのを立て直しただけなのかも 知れぬ。


調べて見ると更新工事はしたっぽいな。。

出典:(一 社)環境パートナー会議

上手から発電所を眺める。全体が見えるとそれなりに纏まった良い感じの現代的な建屋である。


上流には砂防ダムの巨大な堤体が見えていた。


この先,有峰林道が峠迄続いていた大多和峠には通行不可なのは判明している。工事でがちゃちゃしてたし,もう夕刻の富山岐阜県境付近だが日帰りで奈良迄帰 る必要もあったので深追いはせず引き返してきた。

砂防ダムは23年度中に完成する様である。

跡津川上流砂防堰堤の現地調査を行いました。
掲載日:2023/07/27
https://www.hrr.mlit.go.jp/jintsu/sabodb/news/2023/230727.html

7月25日に跡津川上流砂防堰堤の現地調査を行いました。
本工事は跡津川下流域を土砂災害から保全するために平成27年6月に工事着手し、約9年の工事期間を経て、今年中に完成する予定です。
今年の7月20日に最後のコンクリート打設を完了しております。


なお,跡津川発電所の取水口も跡津川ダム構想も跡津川の上流大多和峠方面では無く分岐する支流打保谷上にある。更に道路はここからそちらには通じていな い。どちらも孤立した全くの山の中である。。

(打保谷川分岐)

大多和峠[wiki
>標高は1307m。富山県側からは有峰林道を通ってアクセスできるが、岐阜県側は長期車両通行止めとなっており通り抜けが出来ない。
>街道はこの峠を通って岐阜県大多和集落へと続いていた。有峰から大多和へ向かう道は、買い物道として一番容易なものだった。大多和峠が「タワ(峠 の意)」「入出タワ」と呼ばれたことから
>また、毎年初午には「チョウハイ」[1]という習わしがあり、女衆が土産を携えて現飛騨市山の村地区[3]の大多和や佐古、跡津川といった岐阜県側の集落に泊 まり(→泊まりがけで遊びに行くのでは無くお嫁さんの里帰りということの様だ)、初午ダンゴ[2]などを持ち帰っ た。それらの集落は有峰の枝村であったといわれる。女たちは大多和峠まで有峰村の男たちに付き添われ、向かう集落の男たち が峠で出迎えたと伝えられる。


[1]金沢では里帰りすることを「チョウハイ」とか「チョウハイガエリ」などと言う[https://www.kanazawa-museum.jp/minzoku/kanazawa/01event.html

[2]初午(はつうま)とは、2月最初の午(うま)の日。 お稲荷さんの総本山である京都の伏見稲荷大社に農耕を司る神様が舞い降りた日とされています。 [https://wakuwakuwork.jp/blog-japan-20220205/

[3]飛騨市山之村地区(跡津川上流の盆地に広がる森茂~下之本辺りの様だ)[google


~打保谷川~

跡津発電所取水堰(跡津取水口)[
場所:伊西川合流点
水量:4.5m3/s
流域面積:

道路も近く迄は通じて無くもうどうやって造ったのか解らない。
1924.2運開(大正時代)である。
戦後日本の命運を懸けた大事業の佐久間ダム(1956竣 工)は,実は重機を日本で本格的に使った初めての(成功)例全面採用された初は 木曽川の丸山ダム1945年竣工だそうであるがダンプの稼働率は半分程度であったそうだったそうである(詰まり堤高 50mの泰阜ダム1935年竣工も堤高62.5mの平岡ダム1951年竣工も重機は少なくとも本格的には使われなかったのである。俄には信じがた い。。)。
閑話休題,佐久間ダムや丸山ダムより30年程前に建設され,巨大な堰堤もない跡津の取水堰は人夫(死語?差別用語扱いされてるみたいだけど。。)がセメン トや鶴嘴を担いで山道を現場迄向かったのであろう。
空 撮[G]だとこ こら[地理院]に空き地があって山道が通じてそうである。四国は貞光川の切越発電所の取水口があると 思われる内山谷入口の光景を思い出 す。



3.【開 発】         
3-1.跡津発電所増強 3-2.跡津ダム建設(→別 項)

3-1.跡津発電所増強:  
現状で流域面積72.7km2に対して 最大使用水量4.50m3/sで指数は0.62である。
有効落差331.77mと大落差なので,水量は現状より倍ぐらいは欲しい。
一方で,上流のダム建設(とそれによる新発電所建設)を視野に入れると流域面積を拡げたくもなる。

跡津発電所は流域の大きい打保谷川方面から取水している。もし増強するなら跡津川本流方面ががら空きとなってるのでそっちから取れるであろう。

跡津川方面 取水位EL.745m程度 14.8km2
伊西川方面 取水位EL.742m程度 13.9km2
打保谷川方面 取水位EL.742m程度 58.8km2

全部併せると87.5km2となる。雨は余り多くないけど(→雨量), 有効落差が300m超の強気の取水が可能である。上流のダムや発電所を考えないとして12m3/s程度ガメって見るw

[増強私案]跡津発電所
出力:33,500kW[+21.2MW]
水量:12.0m3/s[+7.5m3/s]
落差:331.77m
流域:87.5km2
取水:打 保谷川741.24m
放水:跡津川[土第一発電所(既設)・新跡津発電所(私案)]399.30m

[新設案]新跡津発電所
出力:6,800kW[+6.8MW] ~9,700kW[+8.6~7.6MW]
水量:7.0m3/s or 10.0m3/s
落差:115m
流域:98.8km2(直接流域:26.1km2 間接流域(跡津発電所取水域):72.7km2)
取水:跡津川[跡津発電所(既設)]399.30m
放水:高原川[新猪谷ダム]278m

現行跡津発電所取水堰以下の流域は26.6km2ある(土第一の流域面積から跡津のそれを引けば良い・下図は私の手動計測によるもの。まあ良い線行ってる な♪)。
跡津発電所放水口地点で全体で99.3km2程。土第一に3.2m3/sは流すとしてこちらは 7.0m3/s程取れるのではないか?(標高差は120m程度なのでそれ程強気は無理かも知れない)
効率的な新鋭の発電所を設置すると考えると土1・2は廃止しても引き合いそうである。土第二は増強したばかりではあるから併存が現実策か。