●有峰ダム和 田川右岸在来 ルート[水量小]:有峰ダム→和田川第一6.80● (和田川放水)→亀谷6.12→中地山6.12●→(牛首川取水→小見11.91→)─ [小口川渡河] →松ノ木17.59→上滝17.59─(和田川第2ルートと合流)→常西用水 ●有峰ダム和田川右岸新ルート [水量中]:有峰引水→有峰ダム→【発電所配置の謎】・和田川第二32.20→ 新中地山ダム→新中地山33.00→ (有峰ダム左岸ルートと合流)小俣ダム▲V=58.7 万m3→小俣30.00─ (和田川第1ルートと合流)→常西用水・和田川新ルート増強案 ●有峰ダム有 峰ルート(和田川左 岸ルート)[水量大](本 頁):有峰ダム【有峰開発】→有 峰 第一74.00m3/s→有峰第 二 74.00m3/s→小口川ダムV=146.9万m3▲→有峰第三26.00m3/s→(有峰ダム右岸和田第二 ルートと合流)小俣ダムV=58.7万m3▲→ 小 俣ダム発電所30.00m3/s→小俣30.00m3/s─ (和田川第1ルートと合流)上滝発電所放水池→常西用水 【開発案】 第一期増強案:新小俣ダム・新小俣発電所(+44.7MW)開発 第二期増強案:横江堰堤・横江発電所[+20.8MW] (案) 松ノ木堰堤・新松ノ木発電所[+9.7MW](案) 比較較検討 小口川ダムの有効活用 有峰増強・和田川増強・統合案[+21.4MW] |
有峰ダ
ム[便覧]
[水
力][水力]
[wiki]
[→和田川ルート・有峰湖]
▲ 目的 P 堤高 140m 流域面積/湛水面積 219.9km2 ( 直接:49.9km2 間接:170km2 ) /512ha 総貯水容量/有効貯水容量 2億2,200.0万m3/2億400.0万m3 ダム事業者 北陸電力(株) 着手/竣工 1956/1959 堤頂標高:1089.00m 設計洪水位標高:1088.00m(サーチャージ) 常時満水位標高:1088.00m(1964年竣工の水位嵩上げ工事前迄は1,087m) 越流頂標高:1081.30m 有峰第一発電所取水口標高:1040.00m付近 最低水位標高:1015.00m 和田川第一、第二発電所取水口標高:1004.00m 基礎標高: 949 m 取水:神通川水系金木戸川[有峰引水]・真川[折立、折立増設発電所]・和田川 放水:和田川第一発電所6.8m3/s(1959.6)・真川発電所(8.35m3/s・1927)・和田川第二発電所32.20m3/s (1959.6)・有峰第一発電所(1981)74.00m3/s・有峰ダム発電所(2011)0.17m3/s 折立の手前の展望台より 23.7 【有峰電源開発計画】 ▲ 1980年代に建設されたルートを扱う本項とは時期的には前後するが,戦後北陸電力が最初に建 設した際の文書をネットで発掘。その全体図を掲げる。 これは初期計画なので有峰ルートは載っていない他,真川からの取水方法が当初と事なり一箇所である。 実際には折立発電所への導水と岩井谷・スゴ谷からの導水は水色の線の様に分離された。(マウスオーバー)。その後岩井谷・スゴ谷方面からの水にも折立(増 設)発電所が設置された(青い四角)という経緯 のようである。 出典:土木学会 下の方に定規図が載ってるが,既設コンクリートとある。wikiに よると,戦前に富山県が県営で有峰にダムを建設しようとして実際に有峰盆地を買収し,建設も進んだが(ここも)戦争で中止の憂き目をみたとのことである。 ここは泰阜ダムと同じく中止され,王滝川発電所や上松発電所なんかは続行されたという訳か。 >1920年(大 正9年)、富山県は常願寺川の支流・和田川上流に位置する有峰盆地一帯を買収。 将来のダム建設を見据えての行動で、住民は補償金23万円(当時)をもって集団離村した。 >有峰盆地を県有地に置いた富山県は、1923年(大正12年)に富山県営電気事業計画をまとめ…1934年(昭和9年)の水害をきっかけに、1935年(昭和10年)、ついに 富山県議会はダム建設を議決した。 >工事は1937 年(昭和12年)6月に開始され、1938年(昭和13年)に本格的な着工を見せた。しかし、1937年(昭和12年)の日中戦争により戦 争への道を歩み始めた日本は…1942年(昭和17年)、有峰ダ ム建設事業を日本発送電に引き継がせた。その後も太平洋戦争は激化の一途をたどり、…ついに1943年(昭和18年)9月、全 工事は中止され、1945年末までに工事用機械器具や仮設備などが撤去された。基礎掘削は20万立方メートル中16万3,000立方メート ルが完了しており、ダム建設で打設するコンクリートの総量70万立方メートル中その20パーセントである13万8,000立方メートルが打設済みで、発電 所の土木工事も有峰発電所47%、大品山発電所27%、真川発電所40%(とは註:富 山県電気局が1930に運開させている真川発電所とは別物?それとも大品山発電所の放流を受けて発電する真川発電所の拡張工事?)を終えたことろ での中止となった。 この最後の部分,打設済の13万8000m3のコンクリートが上の既設コンクリートEL.984.7m迄基礎として出来てた様だ。全く同じ場所に造ったん だな。 また別の論文には >当時の(とは註:戦前に着手された)計画はJ.A.P.(とは註:常願寺ー有峰計画)にくらべてダムの高さは30m低く,発電力も約 1/4にすぎなかつた。[土 木学会] とある。 この文章は有峰ルート(和田川左岸ルート)が1980年代に完成する遙か前のことなので左岸ルートは勿論,小俣ダム発電所もない段階であるが,折立・和田 川第一・第二・新中地山・小俣・常願寺第一で261.4MWしかなく,その1/4なので65MW程度の計画だったか。 以下の様な文章も発見。当時の熱心な富山県電気局の意慾は私も感じているところであった。 >小口川第三の祐延ダムは重力式ダム,小口川第二の真立ダム及び真川発電所の調整池ダムは扶壁式ダムで当時東大教授物部博士の設計計算によって作 られたといわれて いる。 当時,富山県電気局は水力開発の意欲が旺盛で,伊藤令二,中村光四郎,の電力土木の経験者を技術顧問として招へい し,中地山,松 ノ木,上滝,称名川,真川,小見等 の発電所の建設と並行して大正12年よ り有峰ダムの開発計画を行い,昭和12年 に有峰ダム高 さ110m,4発電所 50,000KWの開発に着工 した。[JSTAGE] 65MWところか50MWだったようだ ダムが30m嵩上げされたとあるが,水力さんの有峰ダムレポでは満水位迄1.5mの写真もみた。戦争での中断を奇貨に戦後仕切り直すことでより貯水量に余 裕が出来たのはてとても良かった♪ 結果的に戦後に巨大水力発電所としてより巨大化して建設できて良かったが戦前からの富山県の息の長い準備もあっての実現だと云う事も忘れてはなるまい。建 設が途中で中止された有峰発電所,大品山発電所,真川発電所がそれぞれどれかは知りたい所。真川は現在の真川発電所なのかな??1930年運開であり,開設者は富山県電気局である。 大増強する感じだったのかな。大品山は真川発電所と有峰ダムの中間付近にある山である。更に別の計画も判明! >昭和31年(とは註:1956年)北陸電力により,ようやく再開の機運に恵まれることと なつたのである。再開に際し計画は徹底的に検討された。最 初に問題になったのは有峰貯水池のすぐ裏側にある跡津貯水池計画(→こちらも参照)との 関連である。この跡津貯水池も日本発送電により有望な貯水池地点として計画されていた が実現しなかつた。有 峰,跡津および金木戸川の余剰水利用を連携することによつて揚水式発電を加味したのが約270 000 kWのいわゆるA.A.P.(有峰,跡津計画)である。この計画は着工直前,常願寺川用水組合の反対と跡津貯水池地点の鉱業権補償の難航の 二つの理由で, 現在のJ.A.P.計画に変更されたが,跡津貯水池計画は将来の開発地点としてのこされたのである。[土 木学会] 今日に至るまで神通川水系の高原川流域に貯水池がないのは禍根を残しているとも云える。跡津川は多少下流寄りではあるのでこれによって安定化する流域が限 られてるのは残念だが,水流の安定化と発電量の増加に大いに資するであろう。 また運用に関して以下の様な文章を発見。 >有峰貯水池の機能は,豊水期と渇水期との調節であり,大体.4月,5月,6月, 7月および10月, 11月の豊水期流量を貯留し,夏季は8月, 9月の渇水期,冬季は12月, 1月, 2月, 3月の渇水期に放流し,発電量の季節的調節をはかると同時に,潅漑用水における夏季渇水期 の不足を補充することである[JSTAGE/水利科学] 跡津川と絡めた巨大開発は農民の反対で実現しなかったが,夏期渇水期の懸念が大きかったという事か。 ダム諸元によると >有峰第一発電所取水口標高:1040.00m付近 最低水位標高:1015.00m 和田川第一、第二発電所取水口標高:1004.00m 基礎標高: 949 m とのことである。ピーク電源の有峰ルートであるが最低取水位が1015mと和田第一第二取水位に比べてだいぶ高い。その分出力もデカいのだが,膨大な水量 の有峰湖も渇水した場合は第一・第二からのみの取水となるようだ・・ 左岸ルート・有峰ルートの取水塔。後付けで堰堤から離れた場所に設置されている。 23.7 上の給水塔の陸地側の建物に水利標識が貼り付けられていた 拡大。 |
~小口川~ 北陸電力株式会社 有峰第二発電所[水力] ▲ 所在地:富山県富山市水須 運開:1981.7 水路式・流込式 認可最大出力:120,000kW 常時出力:0kW 最大使用水量:74.00m3/s 有効落差:189.00m 水車: 出力123000kW×1台 導水路:総延長5858.0m 流域面積:220.0平方キロメートル 取水:有峰第一発電所(和田川沿い) 637.00m 放水:小口川[小口川ダム]424m 信号待ちのあるトンネルを何本か抜けると見えてくる有峰第二。古い発電所は地形に沿って水圧鉄管が山の斜面を降りてくるけど此処は恐らく流体力学上最適化 された勾配で駆け下りて来るのであろう。途中で浮き上がって方向変えたりしててちょっと気持ち悪い。 23.7 湖面はこんな感じ。割と低貯水率の様に見受けられた。梅雨の水を貯めたりはしないのか? 23.7 小口川(おぐちがわ)ダム[便覧] ▲ 北陸電力(株)目的:発電 堤高/堤頂長:72m/245m 流域面積/湛水面積:251.1km2 ( 直接:31.1km2 間接:220km2 ) /11ha 総貯水容量/有効貯水容量:271.8万m3/146.9万m3 着手/竣工:1977/1981 受水:有峰第二74.00m3/s 424.0m 送水:有峰第三26.00m3/s 429.0m 上流から有峰第二74m3/sが小口川ダムに流れ込み,小口川ダムで貯水。 小口川ダムからは有峰第三が26.00m3/sで取水して小俣ダムに放水 よくあるピーク電源と通常電源の使用時間差の緩衝用ダムである。 最大出力時に48m3/sがダムに貯留。有効貯水容量は146.9万m3。 ダムが空の状態から満水になるのに8.5時間。まあピークとしては十分な量か。 角張った印象の小口川ダムである。谷を塞ぐ威圧感が強い♪ (この規模の貯水量にしては堤頂長は長めの245mもある。) 23.7 近接 なんかの部品 裏側。割と水位は低めのようだ。 さて,二回目はまさかの冬季通行止(もうじき6月にならんとする5月末)を喰らった有峰林道小口川線だが,満を持して挑戦の23.7末は無事通行出来た。 有峰のコンテンツは基本的に有峰ダムを起点に上流から下って記述しているので沿川レポと通行順が逆になってしまって当日のテンションをお伝えし難いが,念 願の小口川線進入直後にいきなり信号付きの狭小トンネル登場でテンション爆上がりである。 この直後に角張った格好いい小口川ダムを拝めるという演出である。 有峰第三発電所[水力] ▲ 北陸電力(株) 運開:1981.5 ダム式・調整池式 最大出力:20,000kW 常時:0kW 最大使用水量:26.00m3/s 有効落差:92.00m 水車:20700kW×1台 流域面積:251.1平方キロメートル 取水:小口川[小口川ダム]429.00m 放水:小口川[放水工・小俣ダム]330.30m 21.7 今回(21.7)は林道の有料区間は入らないと云うコンセプトでの訪問だった。橋の向こうの小さな建物が有峰林道小口川線の入口の料金所である。 小口川ダム直下の有峰第三は見れないかと思ってたけど,地下式の有峰第三,入口 が有料区間前の料金所の脇にあって写真が撮れた。熊野川を下流側から訪 問・探訪して山の 中を彷徨ったらひょっこり此処に出て来たのもこの時である。 別の時(23.5末)は,今回は林道攻めるぞと勇躍此処に到着するも冬季(!?)通行止めでしかも小口川線は7月から(小見線は6月から)と掲示されてお り,呆然と看板を見たのも此処である。このときは急遽神通川に 進路を取った。 【小俣(おまた)ダム】 小見・小口同様小俣の小も「お」訓(よ)みである。 ただ地名としては才覚寺(左岸)や中地山(右岸)であり,小俣に造られた小俣発電所へ導水する為のダムな ので遙か離れた場所にあって小俣無関係なのに小俣ダム(→諸元)と名付けられてしまった。 更に小俣ダムと小俣発電所の未利用落差を使い切るために小俣ダム発電所も挿入されてこの辺の小俣アピー ルが強い。せめて小俣ダム発電所は才覚寺発電所としてほしかった。 またこの小俣ダム,有効貯留量は60万トン弱と小ぶりながら,有峰第三電発所(→有峰ルート [本稿])と小口川第一(→小口川ルート)と新 中地山(→和田川新ルート)の放流先となっており,重要なジャンクションを形成している。 またダム堤体のちょっと下の方を,直接絡まないが,中地山発電所と小見発電所の合流の水路橋が走っている。 有峰第三発電所放流口(小俣ダム)[→有峰第三発電所] 更にダム湖上流部ではお隣り左岸ルートの有峰第三からの 放流水も小俣ダムに合流する。凄い量の濁流(多分 最大使用水量26m3/s)を流していた(26m3/sでこの迫力だと74m3/sとかだとどんな感じになるのかよく解らない。危なくてこの距離では見れ ない感じ)。 濁流なので爽やかさみたいなのは全くなかったけど漂う冷気で辺りはひんやりと涼しかった。 小俣ダムの満水位(=小俣ダム発電所の取水位)=有峰第三の放水位なので満水位だとこの取水口が隠れる位の水でダム湖が一杯になる様だ。 小口川ダムで有峰からの75m3/sの放流は停まるがもし此処迄75m3/sで流すとこの3倍超の水が噴き出してくると云うことになるんだな。 どうみても放流水みたいな仕事終わった感じでは無く未だ水車とかガンガン回して発電出来そうなパワーは漲らせてる感じである。満水とか色々考えるとこうな るのであろう。。 21.7 23.5に再訪時は放水してなかった。めっちゃ穏やかで印象が全く異なる。 23.5 23.7三訪時にも放水はしてなかった。 その下流には新中地山発電所と小口川第一という異なる発電所が同一の建屋に入っている発電所がある。 21.7 小俣ダムは和田川右岸ルートの建設に伴い1960年に竣工。以降は有峰ルートと云うよりは和田川新ルート共用区間である。 和田川ルートの新中地発電所・祐延ルートの小口川第一発電所・有峰ルートの有峰第三が流れ混み,そして小俣発電所と上野用水へ給水する。 こうして小俣ダムはジャンクションとして機能しているのである。 小 俣(おまた)ダム[→和田川新ルート] 北陸電力(株) 目的:発電 堤高/堤頂長:37m/131.5m 流域面積/湛水面積:274.6km2 ( 直接:36.6km2 間接:238km2 ) /7ha →7ha=7万m2で有効貯水量は58.7万m3だと平均利用水深(?)は約8.3mって感じか。 総貯水容量/有効貯水容量:76.1万m3/58.7万m3 着手/竣工:1958/1960 取水:小口川[小口川第一1924・2.61m3/s・ EL.328.1m・新中地山発電所1959・33m3/s・ EL.326.24m・有峰第三1981・26.00m3/s・EL.330.30m(・有峰第二 [48m3/s])]←放水位は3発電所で微妙に異なる。これが何を意味するのか。。 送水:小俣ダム発電所(30m3/s)[EL.330m]・上野用水 小俣ダム(EL=320m)には本項で扱っている有峰ルートの有峰第三26.00m3/sの他,祐延 ルートの小口川第一2.61m3/s・和田川新ルートの新中地山33.0m3/sの合計 61.61m3/sが流れ込 む。 有峰ルートの逆調整池は有峰第三の小口川ダムであるので,ここは祐延ルートと和田川新ルートの逆調整池となる。 小口川ダムと小俣ダムを併せて有峰からの尖頭電力用水力を均して小俣ダム・小俣発電所を経て常西用水へ流している。 21.7 ダム直下の様子。左手(左岸)に蓋がされた水路が見えるが小俣発電所行き30m3/sではなく模式図の(慣)上野用水がこれなのであろう。 21.7 21.7行った日は梅雨の合間の晴の日で,前日も大雨だったのであろう。茶色の濁流でワイルドなダムという印象を残した。 小俣発電所・小俣ダム発電所への取水口は多分これ。 21.7 どれも古いなあという印象。(小俣ダムの竣工は1960) 余り水深深くすると新中地山と小口第一の発電に支障を来すけど更新工事兼ねて貯留量あげられないのかねえ。。 この後,水は小俣ダム発電所・小俣発電所を経て常願寺川沿岸用水土地改良区の合口用水(放 水位EL188m)へ注がれる。
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