20.10.8運開
阿賀野川の水力発電と奥只見綜合開発(目次と概況)
概況:縦断面図・降水量・奥只見綜
合開発経緯(図1・図3・電発案・政府案・図4)・流況
阿賀野川(阿賀川・大川)流域: 阿賀野川(中下流) 阿賀野川(中下流支流) (早出川(+4.7MW)・常浪川(+27.6MW)) 阿賀野川(上流・大川) (濁川+19.5MW) 磐梯周辺(含:阿武隈川
水系安積疎水)
只見川圏域: 只見
川(下流) 只見川(上流)[只見
発電所(+50MW)・只見ダ
ム・田子倉発電所・
田子倉ダム・大島
発電所・大島ダム・奥只見発電所・奥只見ダム・大津岐発電所・大津岐ダム] 只見
川(支流) ( 滝谷川 (+14.4MW)・ 野尻川(+16.5MW)・
伊南
川[+42.3MW] )
信濃川水系魚野川圏域 黒又川(←田子倉[嘗て送水案])・ 佐梨川(←奥只見[嘗て送水案])
【縦断面図】
莫大な水量を誇る奥只見ダムが流れ込む阿賀野川も莫大な水量で発電している。
中流域の支流でも幾つか発電をしているししていない地域でも可能性がありそうな支流がある。見ていく。
対象領域では下の図には早出川だけ出ている。
出
典:北陸地
方整備医局
また特に中流域北側は水量が豊富である。峠を越えた向こう(加治川や胎内川方面,玉川もちょい。)が一番
凄い様だけど。。
出典:阿
賀野川河川事務所
奥只見綜合開発経緯 ▲
出
典:仁昌寺正一(1993)「復興期における只見川電源帰属問題と東北開発」・wiki
「只見特定地域総合開発計画」より
~経緯~
<調査開始と本流案と分流案>
宮下発電所(1946運開・図-1の
⑪)の建設を進めていた日本発送電東北支店(当時は阿賀野川に5箇所の発電所があるのみ)は、1946年に只見川・阿賀野川の総合的な水力発電計画を企図し政府の指示を得ずに自主的な調査を開始した。
1947年(昭和22年)には商工省が只見川・尾瀬原・利根川総合開発計画を策定し只見川流域の調査を(日本発送電に)委託した。
1948年(昭和23年)10月には(商工省が)「東北地方電力復興計画案」をまとめ,特に只見川は復興計画にある水力発電計画の87パーセントに及ぶ約
247万キロワットを新規に開発できると報告した。
この間只見川の水力発電計画の骨子として1947年3月に「只見川筋水力開発計画概要」が発表された。この案は後に「只見川本流案」となる。「本流案」(→図-1)は只見川・尾瀬原・利根川総合開発計画案を審議する「只見川・尾瀬沼・利根川総合開発調査審議会」に
1948年提示されたが、同時期新潟県は只見川の豊富な水量を信濃川水系に導水して灌漑(かんがい)に役立てようと考え、「只見川分流案」(→図-3)を引っさげ、福
島県と対立した。
<OCIの調査と本流案の本命化>
1951年 2月に公益事業委員会によって,只見川上流域の主要電源開発地点を奥只見地点と田子倉地点とする方針が発表される。
福島県と新潟県の対立を受けて。 日本政府は, 公益事業委員会を通じて,アメリカのOCI(海外技術調査団)に「本流案と分流案の両案に対して技術的に検討する審判役」 を委嘱した。
OCIは1947年に日本の賠償能力を調査することを目的としてアメりカ政府のパックアップでつくられた機関であり,その調査力には定評があった。
この機関による調査は, 1951年9月初旬から開始され,結論としては 「只見川-阿賀野川の水は本流のみで使用すべきである」 と し,全面的に “本流案" を支持,他方“分流案"を工事技術上,実施困難であるとした。
<電発案作成>
政府としては,新潟県に対して一定の譲歩をしつつ“本流案"を推進するプランを作成する作業に取りかからねばならなかった。この作業は, 52年に設立された,政府出資の企業である電源開発(株)にまかされた。
電源開発は,通産省,経済審議庁の協力も得て次のような案を作成し,「三社協定」締結に先立つて行われた「三社会談 」において,東京電力側と東北電力側に提示したのである(「電発案」)。
電発案は本流案を基本として分流に関しては以下の計画を含んでいた。
④ 信濃川本流下流部の潅漑用水補給のために別途に黒又川に貯水池を計画し貯水量約5,300万トン,発電力約77MWを建設する(結局黒又川にはV=3,062.7万m3の黒又川第二ダム・V=5,000.0万m3の黒又川第一ダム,61.5MWの黒又川第一発電所・17.0MWの黒又川第二発電所が建設された。)。
⑤
田子倉貯水池からトンネルで、黒又川貯水池へ導水し信濃川地域の旱魃に備える(奥只見ダムから佐梨川への分水は取りやめ田子倉ダム-黒又川流域ダム聞にト
ンネルを水平に堀り,「旱魃の時には因子倉から只見の水を流すようにするが,もし新潟県で余るときには因子倉へ逆流させる」
とされていた。即ち分水は非常時に限るという事・田子倉ダムの満水位は510m(→諸元)で建設された。破間川ダム(満水位459.5m→諸元))を満水位510m程度で建設する形を想定してた様子。)
<新潟県の電発案への反対と政府案>
新潟県は「電発案」に大反撥,もし政府がこの案の採用を最終決定した場合には,①東北電力側の管轄区から離脱する,②議長会も東北
7県ブロックから脱退する,③自県出身の自由党全員が脱党する,と云う強硬姿勢を打ち出した為,政府は電発案を諦め電発案から一ヶ月後(という机上の鉛筆
舐め舐めで)「政府案(図-4)」を提示した。
② 信濃川流域に対しては,奥只見貯水池から最大10トン,年間約7千300万トン,平均2.5トンの水を,直径2.4メートル,長さ
6.0KWのトンネルで流し, 1万1千KWの分水発電所を通じて黒又川に分水し,黒又川より信濃川に至る聞に新設 5,増設
l発電所を作り合計12万1千KWの増加発電を行う(出典:仁昌寺)。
③河川の有効利用の見地から,豊水期は黒又川の余剰水量年間 3千万トンを奥只見貯水池に揚水して,本流筋の各発電所の出力増加を図る。
wikiでは多少のずれがあり,「黒又川に黒又川第一ダム・黒又川第二ダムを始め合計4箇所の水力発電所を建設」とある(「黒又川分水案」)。
<新潟県の受諾と分水中止>
1953年(7月28日、吉田首相が首相官邸に大竹福島県知事と岡田正平新潟県知事を招いて「黒又川分水」による妥協案に同意するよう求めた。これに対し
大竹福島県知事は県幹部・県議会議員と協議をして緒方竹虎副総理に了解の旨を伝え、岡田新潟県知事もこれ以上の反対は却って分流案に不利になるとして即座
に同意。8月5日に「黒又川分水」を含めた奥只見・田子倉発電所の着工が決定した。
岡田知事は1955年に選挙で敗れ引退[wiki=
実現しなかったのに「信濃川水系黒又川への分流を実現した」と書いてあるw]。1959年に狭心症で死去。
1959年以降,奥只見地点から黒又川への分水工事は全く行われることなく,
1961年11月に電源開発側と新潟県との聞でこの計画廃止に関する覚え書きが作成され,正式廃止となった。
図-1 "本流案"に於ける新設・既設発電所の分布
只見川本流案とは、日発東北支店が1947年に発表した「只見川筋水力開発計画概要」が基礎となっており、日発東北支店及びその地盤を継承した東北電力と
福島県が推した計画案である。 [wiki]
原典:『福島県史14巻 近代資料4』
地点名(①~⑤は多目的ダム建設地点):①尾瀬原● ②奥只見● ③前沢● ④田子倉● ⑤内川● ⑥辰巳山● ⑦滝● ⑧本名● ⑨上田● ⑩沼沢沼●
⑪宮下● ⑫柳津● ⑬片門● ⑭新郷 ⑮山郷 ⑯上野尻● ⑰豊実 ⑱鹿瀬 ⑲揚川 (●:新設予定)
図-3 "分流案"による新潟県側への分水計画
原典:『福島県史14巻 近代資料4』
(註)①②は貯水機能のみ。③~⑦は発電 / 図では割愛されているが伊南川の計画は残されていたとのこと。
"電発案"(1953.6.17)
電源開発が,通産省・経済審議庁の協力も得て作成し,東京電力(株)と東北電力(株)との「三社協定」締結に先立って行われた「三社会談」に於いて提示さ
れた案
① 只見川に既設分を加え22の発電所,出力合計191万8千KWを建設する →"本流案"に新たに伊南川地域
の3箇所の発電所計画が盛り込まれた
② 只見川中・下流の既設及び工事中の9発電所は十分なし貯水施設を有しない為上流開発により貯水する。
③ 田子倉及び奥只見の2地点を着工する。これは貯水量約9億3千万トン,発電力52万5千KWである。
④ 信濃川本流下流部の潅漑用水補給の為に別途に黒又川に貯水池を計画し貯水量約5千3百万トン,発電力約7万7千KWを建設する。(→とは註:実現した
黒川第二ダムは総貯水容量6,000万トン・黒川第一ダムは同じく3,000万トンで破間川ダム1,500万トンを加えて計1億トンを越えるものだった)
⑤ 田子倉貯水池からトンネルで黒又川貯水池へ導水し信濃川地域の干魃に備える。
"政府案"(1953.7.22)
① 尾瀬原・奥只見・田子倉・内川の4地区に有効貯水量合計13億7千万トンの大貯水池を作り,本流沿いに新設発電所11箇所,既設発電所10カ地点を増
力して年間141万7千KWの増力を得る
② 信濃川流域に対しては奥只見貯水池から最大10トン,年間約7千300万トン,平均2.5トンの水を,直径2.4m,長さ6.0kmのトンネルで流
し,1万1千KWの分水発電所を通じて黒又川に分水し,黒又川より信濃川に至る間に新設5,増設1(薮神)発電所を作り合計12万1千KWの増加発電を行う。
③ 河川有効活用の見地から,豊水期は黒又川の余剰水量年間3千万トンを奥只見貯水池に揚水して,本流筋の各発電所の出力増加を図る。
④ 1953年度に着工又は準備を行う工事は,奥只見のダム式発電所建設(発電量22万5千KW),田子倉のダム式発電所建設(同15万KW),黒又川流
域の一連のダム式発電所建設(同6万1千500KW)とそのための奥只見より黒又川への分水トンネル建設とする
図-4 「政府案」による分水計画(黒又川分水案)[→黒又川] ▲
出典:『福島県史14巻 近代資料4』
①~④:黒又川第一~第四発電所ある
「黒又川分水」計画は下流より黒又川第一(6万1,500キロワット)・黒又川第二(1万3,500キロワット)・黒又川第三(1万3,700キロワッ
ト)・黒又川第四(1万1,000キロワット)の四発電所を建設、奥只見ダムから全長6キロメートルのトンネルを通じて黒又川第四発電所に分水して発電し
た後、黒又川第一ダムと黒又川第二ダムにおいて貯水。発電に利用後灌漑用水として放流し越後平野に供給を行うことになった。また黒又川第二発電所と黒又川
第四発電所は揚水発電とすることも計画に盛り込まれた※1。下流の水力発電所出力も増強させることで合計12万1,000キロワットの出力が確保される。
[wiki]
ここでの黒俣川分水案は机上の大急ぎで作成した空論に近いもので,分水案で政治資源を投入してきた新潟側のメンツをどうやって保つかと云う視点からのもの
であったと仁昌寺氏や氏の引用する松阪清作編著『電力県ふくしま』1973は指摘している。
(信濃川)─(魚野川)─(破間川)─薮神発電所─黒又川第一(61.5MW)─黒又川第一ダム─黒又川第二(13.5MW→17.0MW)─黒又川第二ダム(V=1,000万m3→V=4,000万m3へ拡張・混合揚水→揚水廃止)─黒又川第三(13.7MW)=中止─黒又川第四(11.0MW)=中止─(導水=中止)──奥只見ダム
[中止]黒又川第四発電所
出力:11,000kW
落差:(①より150m程度?…②)(③より130m程度?…④)
水量:計画では導水は最大10m3/s・平均2.5m3/s…③(②より8.8m3/s程度?・)
導水:6km
取水:只見川[奥只見ダム]750.00m
放水:黒又川(この辺(泣沢出合)か?EL.596m…①)
※1:やや表現に疑問が残る。黒又川第二発電所が貯水池黒又川第一ダムからの揚水機能,第四が奥只見ダムへの揚水機能を持っているのは当然だが,その場合
第二ダムの貯水量が少なくて揚水の機能が不十分である。規模の小さい戦後初期の似たような揚水発電の穴内川ダム・発電所の上池,穴内川ダム(→諸元) の貯水量は4,300万m3である。
計画では第二~第四迄全て揚水機能を持たせて「豊水期は黒又川の余剰水量年間3千万トンを奥只見貯水池に揚水して,本流筋の各発電所の出力増加を図る(→政府案)」可能性もあり得るが,穴内川発電所や初期の小口川第三発電所(現在では揚水機能は廃止→諸元)みたいに下池は単なる取水堰堤で流下水を汲み上げるだけを第四が想定していた可能性も十分あり得るので判断は出来無い。年間三千万トンというのが貯水無しで行ける量なのかどうか。泣沢出合付近で流域30km2弱である。
また結局,黒又川第二ダムが拡張されて黒又川第二発電所が増強されて,黒又川第三発電所が中止となっている。黒又川第二発電所と第三発電所の両計画が統合されたと判断することも出来るかもしれない。
この年間7,300万トンは奥只見の年間貯留量の5.6%とのこと。年間13億トンの水を奥只見ダムでは扱うと云う計算になりそう。
1959の分水案を発案・推進した岡田新潟県知事の死去以後,工事は全く行われず,1961年に計画の廃止に関する覚え書きが新潟県と電発の間で締結され
たとのこと。
OCIに依って技術的に困難と指摘された時点でそれを全面に出して新潟県の我が儘を潰すべだったであろう。そうは動けないのが政治力学であるが。。
【流況】
出典:国
交省
片門で年間70億m3とのこと。すごいね~♪
ただ片門の流域面積は2,765km2であり,2億5000万トン/100km2と云う感じである。天竜川辺りで推計した3億トン/100km2は過剰っぽい??田子倉の数字で
も確認出来たと思ったのにな。。またおいおい修正入れて行かねば。。
さて只見川の流れは2月を底に増えだして3月には250m3/sを突破。4月にピークを迎えて380~390m3/sを窺い,6月に200m3/sを切る
位迄減少していく。
3~5月に平均して(250+380+300)/3=310m3/s(平均)と云う値となる。約24億トン(年間の34%),8億トン/月の流量である。
ピークの4月は380m3/sとすると1ケ月に9億8,400万トン(年間の14%)って感じである。
それに対して,只見川奥地の貯留量は田子倉ダムV=3億7,000.0
万m3,奥只見ダムV=4億5,800.0万m3の8億2,800万
トンしかない(←w)滝ダムV=1,030.0万m3入れても8億3,800万トン。
一ヶ月分は貯められないけど滝・只見・田
子倉・大鳥・奥只見とそれぞれ最大使用水量(月最大可能使用水量)が300m3/s
(7億7700万トン),375.00m3/s(9億7千万トン),420m3/s,427.00m3/s(11億トン),389.75m3/sと下流へ
の送水能力はかなりのものであるから無駄に漏らすということも無さそうである。滝ダムの送水能力が足りないので4月は6000万トン程貯水が積み増される
ことになる。雪どけ期前迄に利用して3~5月の積み増し分を空けておく必要があるが,三ヶ月で24億トン流れて滝時点で3カ月に23億3000万トン発電
しながら流下可能なので只見川系統に関しては余裕をもって水運用出来そうだ。
問題はその下の最弱本名ダム・発電所の隘路の260m3/sであり,月間最大発電流下量は
6億7000万トンしかない。三ヶ月で20億1000万トンである。
しかも滝ダムからは伊南川の水量も加わってくる。流域面積が816.3km2の田子倉時点で年間25億トンである。2,142km2の本名ダム地点では年
間65億トン程が見込まれる。ピーク時の4月が年間の14%とすると9億1000万トン程本名を通過するものと思われる。ピーク時の3~5月では年間の
34%が通過する様なので,22億トンである。本名の3カ月間の可能処理水量6.7億*3=21.1億トンなのでフル稼働すればなんとかと云う感じであ
る。(こっちの勝手な憶測の計算ではあるが)巧く出来てるなぁw
また上記の図は各ダムをフル稼働して平準化した結果の流量である(筈である)。新規のダム建設によって4月の過剰な分を10月の底期に持ってきたりは出来
る様になる筈である。
現在,日本の問題点は(太陽光偏重で夏ピークには対応が出来てるので)冬ピーク対策が急務である。4月の水を貯めておいて1~2月の底上げに使いたいが1
年も億トン級の水を貯めておくのはなかなか大変ではある。内川ダム(V=2億2,100万
m3)構想[→この辺参照]が出来ていればなあと思わざるを得ない。。