電 力総研 水 力あれこれ
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23.08.20運開

日橋川・猪苗代湖・安積疎水(磐梯)の水力発電

阿賀野川(中下流) 阿賀川(上流・大川)  日橋川・磐梯地区(→阿 武隈川) 只見川(下流) 只見川(上流) 只見川(支流) 伊 南川
1.猪苗代湖・日橋川 2.安積疎水 3.その 他[→別頁:裏磐梯・戸ノ口堰]
出 典:東 電

1.猪苗代湖

(猪苗代湖)

十六橋水門[wiki
>福島県耶麻郡猪苗代町と会津若松市の境界[こ の辺か?]にある阿賀野川水系の一級河川である日橋川の水門である。日橋川が猪苗代湖から流出する地点に程近い場所にある。
>水門のある猪苗代湖北西部の戸ノ口(とのくち)地区は、日橋川への吐き出しに当たり、古来より軍事および交通、特に舟運(しゅううん)の要所であ り、1880年(明治13年)に安積疏水事業の一環として猪苗代湖ダム化のために整備された。
>その後は水力発電用に改築され、さらに後者(水発?)の機能を1941年(昭和16年)に完成した小石ヶ浜水門に譲って、現在は湖面の水位調節が 主な目的である。

小石ヶ浜水門[安積疎水見聞録
>大正時代に猪苗代湖の水の利用を巡って郡山電気会社と猪苗代水力電気会社が対立しました。沼上発電 所を運営する郡山電気会社は安積疏水を使って東へ、猪苗代第一第二発電所を運営する猪苗代水力電気会社は十六橋水門から日橋川を利用し西へ流す水利権争いで す。
>その後、郡山電気会社は茨城電力を合併し東部電力となり、猪苗代水力電気会社は東京電燈に吸収合併されました。昭和15年以降は戦時下で国家統制 となり、東京電燈に「猪苗代の水の引用および水路開鑿並付属工作物の臨時設置」許可がおり、猪苗代湖の利用水深を96cm(3尺2寸)から3.24m (10尺7寸)までとする「湖面低下工事」が開始されます。これに伴い、1941年(昭和16年)から工事期間3ヶ年計画で猪苗代第一発電 所の取入口に直接取水する工事がはじまり、翌年1月に「小石ヶ浜水門」が完成しています。取入口まで、開渠およびトンネル延長1,530メートルを建設し ました。
>※「湖面低下工 事」によって安積疏水は自然流下による取水が困難になるため、山潟取入口に取水ポンプ(電気揚水機)が1941年(昭和16年)1月に設置 されています。
>戸ノ口堰第一発電所での水力発電用として、最大毎秒2.730立方メートルの取水量が認められています。また、戸ノ口堰土地改良区の灌漑用水と、 会津若松市の上水道用水・滝沢浄水場、河東町の上水道用水についても記載されています。

戸ノ口堰[こ れ][→戸ノ口堰

東京電力RP(株)  猪苗代第一発電所[水 力
運開:1914.10[猪苗代水力電氣(株)]
水路式・貯水池式
    認可最大出力:62,400kW      常時出力:13,000kW
    最大使用水量:67.50m3/s
    有効落差:105.67m
    水車:立軸フランシス水車×4台 総出力68600kW
    導水路:総延長2364.0m
    流域面積:820.2平方キロメートル
    取水:猪苗代湖[小石ヶ浜水門]・日橋川 511.18m
    放水:日橋川[猪苗代第二発電所] 400.23m

>大正3年に使用開始された発電所です。国内初の特別高圧長距離送電発祥の地として首都圏への送電を行った、日本における電力開発の歴史的な重要ス ポットとなっています。[会津若松観光ナビ
>日本では明治時代後半、ようやく長距離高圧送電に関する技術的な目途がつくようになり、関東地方に近く水量が豊富な猪苗代湖の湖水を利用した電源 の開発が模索されるようになった。1899年(明治36年)の安積疏水を利用した沼上発電所完成に続き、1914年(大正3年)には猪苗代水力電気株式会 社の手により関東地方への送電を視野においた猪苗代第一発電所が完成した。運用開始時の出力37,500kWは当時東洋一の規模であり、初の115kV送電は 日本の産業、経済を長らく支えることとなった。[wiki]

同様に送電の画期となる駒 橋発電所が出力15MW・55kV送電・1907年運開なのに対して猪苗代第一発電所は出力37.5MW・115kV送電・1914年運開と,僅 か7年間の間の発展は目覚ましい。


東京電力RP(株)  猪苗代第二発電所[水 力]
    所有:猪苗代水力電氣株式会社[運開]
    大正 7(1918)年6月  :運用開始
水路式・流込式
   認可最大出力:37500kW      常時出力: 7900kW
    最大使用水量:67.50立方メートル毎秒
    有効落差:68.19m
    水車:横軸フランシス水車×5台 総出力40000kW
    導水路:総延長1193.3m
    流域面積:849.0平方キロメートル
    取水:日橋川[猪苗代第一発電所] 400.12m
    放水:日橋川[猪苗代第三発電所] 328.49m


東京電力RP(株)  猪苗代第三発電所[水 力
   所有:猪苗代水力電氣株式会社→東京電灯(株)
    大正15(1926)年12月  :運用開始
水路式・調整池式[こ れ
    認可最大出力:23,200kW     常時出力: 4,600kW[]
    最大使用水量:65.69m3/s
    有効落差:40.62m
    水車:立軸フランシス水車×3台 総出力23640kW
    導水路:総延長1435.0m    放水路:総延長418.6m
    流域面積:851.6平方キロメートル
    取水:日橋川[猪苗代第二発電所] 328.48m
    放水:日橋川[日橋川発電所]284.63m

東京電力RP(株)  日橋川発電所[水 力][東 電][東京エネシス] [TW
東長原駅(昭和電工)近傍[こ こ]→完全連檐してて運開時記も似た時期(一寸早め)で水量も似た量だけど猪苗代水力電気では無い様だ
運開:1912.4 更新:2021.7.5
水路式・流込式
    認可最大出力:11,000kW(旧設備10,600kW)      常時出力: 1,900kW(旧設備でのデータ)
    最大使用水量:65.69m3/s
    有効落差:19.16m
    水車:立軸カプラン/立軸フランシス水車 計3台 総出力11780kW→全撤去・新水車も3台体制
    導水路:総延長730.0m
    流域面積:851.6km2
    取水:日橋川[猪苗代第三発電所]284.60m
    放水:日橋川[猪苗代第四発電所]263.50m


東京電力RP(株)  猪苗代第四発電所[水 力
合併:1923[猪苗代水力電氣(株)→東京電灯(株)]
運開:1926.11
水路式・流込式(調整池式?)
    認可最大出力:37,100kW    常時出力: 6,500kW[17.5%]
    最大使用水量:67.33m3/s
    有効落差:61.82m
    水車:立軸フランシス水車×3台 総出力38071kW
    導水路:総延長3163.6m
    流域面積:901.7平方キロメートル
    取水:日橋川[日橋川発電所]・大深沢調整池[場 所]263,49m
    放水:日橋川[狐堰]196.99m

東京電力RP(株)  金川発電所[水 力
喜多方市塩川町金橋道上[此 処か?
計画:1912(M45).7.18[喜多方水力電気により計画]
運開:1919(T8).10[東北電化(株)]
水路式・流込式
認可最大出力:6,500kW  常時出力: 600kW[9.23%]
最大使用水量:64.74m3/s
有効落差:12.57m
水車:立軸カプラン水車 出力7000kW×1台
導水路:総延長376.6m    放水路:総延長414.25m
流域面積:950.6km2
取水:日橋川[狐堰]196.90m
放水:狐堰用水182.65m

溷(せせなぎ)川合 流(173m)(溷川には旧湯川[→湯川]が合流している)

(阿 賀川(大川) 合流EL.170,4m)[→大川


2.安積疎水

安積疎水[wiki]
>明治維新の最中、各地で士族の反乱が起こり、その対策として安積原野開拓が脚光を浴びるようになる。そこで、1878年(明治11年)にお雇い外 国人のオランダ人技師ファン・ドールンを現地に派遣し、猪苗代湖から安積野原野一帯の調査を行い、その調査の結果、安積疏水の開削を政府に決断させた。 1879年(明治12年)、国直轄の農業水利事業第1号地区として着工され、日本海への流量を調整して水位を保 持する十六橋水門、安積地方へ取水する山潟水門が建設され…130kmに及ぶ水路工事が僅か3年で完成した。
灌漑区域面積は約 9,000haと広大で、当地を一大穀倉地帯に変えた。なお、郡山市は、平成の大合併により市域を広げた新潟市が誕生する前は、米穀生産量日本一の市で あった。
>1898年(明治31年)には疏水に水力発電所が設置され、その電力を利用した製糸業が発達した。
>猪苗代湖と安積疏水の落差を利用した沼上発電所が建設され…その他に竹ノ内発電所、及び丸守発電所の計3つの発電所があった。[更に]2004年 9月には逢瀬町多田野で、落差90m、最大出力2230kWの疏水管理用発電所が稼動を開始した。

山潟水門[こ こ?

上戸(じょうこ)頭首工[安積疎水見聞録][場 所
>その後、山潟水門には湖面低下に伴い、揚水機場が東京電力の補償工事によって建設され、1941年(昭和16年)運転を開始しました。
>戦後、食糧増産の政策を目的とした1,500ha開田のための新安積疏水は、安積疏水からの分水方式に計画変更されました。そのため、安定した用 水供給・維持管理を総合的に判断し、老朽化が激しい山潟水路から志田 浜地区内に新取水口(上戸頭首工:じょうことうしゅこう)が新設され、取水後すべてトンネルで通水されました。
>安積疏水の沼 上・竹之内・丸守発電所は取水が期間限定なので、大きな違いがあります。[安積疎水見聞録


<安積疎水>

東京電力RP(株)  沼上発電所[水 力
郡山市熱海町安 子島
    所有:郡山絹糸紡績株式会社[運開]→郡山電気会社
    明治32(1899)年6月  :運用開始
水路式・流込式
   認可最大出力:2,100kW     常時出力: 0kW
    最大使用水量:8.04m3/s
    有効落差:37.68m
    水車:横軸フランシス水車×2台 総出力2250kW
    流域面積:820.2km2(←猪苗代湖の流域面積)
    取水:猪苗代湖[上戸頭首工]→安積疏水512,55m
    放水:安積疏水[竹之内発電所]・阿武隈川水系沼上川(五百川)470.12m


東京電力RP(株)  竹之内(竹ノ内)発電所[水 力
郡山市熱海町安 子島竹ノ内
    所有:郡山絹糸紡績株式会社[運開]
    大正 8(1919)年7月  :運用開始
水路式・流込式
    認可最大出力:3,700kW      常時出力: 0kW
    最大使用水量:7.20m3/s
    有効落差:68.12m
    水車:横軸フランシス水車×2台 総出力4000kW
    導水路:総延長1637.5m
    流域面積:822.2km2(農閑期は2.0km2)
    取水:竹之内発電所、安積疏水、阿武隈川水系五百川 470.12m
    放水:丸守発電所、安積疏水、阿武隈川水系五百川 399.59m

東京電力RP(株)  丸守発電所[水 力
郡山市熱海町安 子島大峯
    所有:郡山電氣株式会社(大峰発電所)[運開]
大正10(1921)年10月  :運用開始
水路式・流込式
    認可最大出力:5,900kW     常時出力: 61kW←0kWじゃない!安積疎水の取水が停まる時期(しかも乾期)は狭小自己流域32.3km2から涙ぐましい努力で発電してるので あろう。
    最大使用水量:8.18m3/s  推定常時水量:0.084m3/s程度??
    有効落差:87.36m
    水車:横軸フランシス水車×3台 総出力6150kW
    流域面積:852.5km2(農閑期は32.3km2)
    取水:竹之内発電所、安積疏水、阿武隈川水系(五百川、歳ノ沢川、日沢川)399.59m
    放水:安積疏水、阿武隈川水系五百川308.20m

(五 百川・阿武隈川合流)EL.204.9m


<新安積疎水>

農林水産省東北農政局 安積疏水管理用発電所[水 力]
郡山市逢瀬町多田野[(す とびゅう空 撮)・こ の辺(EL.412m)か?]
管理委託:安積疏水土地改良区
運開:2004.4
水路式・流込式
認可最大出力:2230kW      常時出力: 230kW
    年間発生電力量:約8740MWH(874万キロワット時)
    最大使用水量:3.20立方メートル毎秒
     総落差:89.8 m
    有効落差:87.34m
    水車:横軸二輪単流渦巻両掛フランシス水車×1台 総出力3340kW(片側1170kW×2)
    導水路:総延長12735.0m
    取水:猪苗代湖[上戸頭首工]→新安積幹線用水路(新安積疏水)496.10m
    放水:新安積幹線用水路(新安積疏水)406.30m

深田調整池