電 力総研 水 力あれこれ(紀伊半島)
大台ヶ原
吉野川(紀 の川) 天ノ川(熊 野川) 北 山川・銚子川 宮川 櫛田川
と はずがたりな掲示板(利 水スレ電 力スレ)
天ノ川・十津川電源開発と逍遙 十津川第一発電所 十津川第二発電所 奥吉野発電所 熊野川
20.10.8運開

北山川の水力発電と尾鷲第一・第二発電所(21.9白川迄到達)

(源流)──源 流部開発(+8.9MW)──白川発電所──大峰山脈東部開発(+18.6MW)】──池原ダム(東ノ川[坂本ダム]※)─池原発電所───七色ダム七色発電所小森ダム小森発電所───(熊野川合流)[→熊野川


【前説】
大学時代,泉南出身のゼミの友人が,難波(ミナミ)の事を小さい頃なんであんな北にあるのにミナミやねんと思ったと云ってたけど,なんであんなミナミにあ んのに 北山やねンと突っ込みたい気分満々の北山川である。和歌山県には飛び地があることで有名だが,それこそが北山川の由来ともなったと思われる東牟婁郡北山村 (因みに和歌山県にあるのが東牟婁郡と西牟婁郡で三重県にあるのが北 牟婁郡と南牟婁郡である。牟婁郡は紀伊南部の宏大な地域だったようだ。似たようなのに東葛飾郡(千葉県),西葛飾郡(茨城県),南葛飾郡(東京都),北葛 飾郡(埼玉県),中葛飾郡(埼玉県)ってのがある(足立も本来大宮とか浦和である。)。嘗ては湿地で何も無かった葛飾も広すぎw)であるし,更に,奈良県 にも北山はあって,吉野郡上北山村と吉野郡下北山村で ある。葛飾が下総と武蔵に宏大に拡が る地名なのに対して北山は大和と紀伊に跨がってゐる地名のようだ。生駒には俵口と南田原と北田原が,四條畷には上田原と下田原と(新興住宅街の)田原台が ある。探せばあちこちに分断地名はありそうである(wikiに 寄ると元々葛飾は全体が下総で(恐らく江戸幕府による江戸の都市圏の拡張に伴い)江戸時代初期に西半分が武蔵に移されたとのこと。牟婁郡も元々紀伊国とし て一帯だったのが分割されてしまったが北山は郡どころか国を超えて拡がっていたということか?それとも加古川とは無関係の加東・加西[→加古川]みたいにたまたま?北山村も昔は吉野郡所属だったりしたのかも。[wiki] で調べたた寧ろ上北山村と下北山村が嘗て(古代)は牟婁郡所属でその後[いつだ?]吉野郡に編入されたとこのこと。また北山村は少なくとも近世は新宮藩領 だったそうな[wiki]。)。

閑話休題(それはさておき),思うにこれ(北っての)は材木の集散地新宮からみた地名であり,今でこそ本州の南の最果ての感じがしなくもない新宮であるけ ど当時は廻船で江戸にも大坂に も直結してた物流の重要拠点だった筈である。明治の県再編に際しても新宮の属する和歌山県の飛び地が発生する位であり,今よりは格段に求心力は高かったの であらう。

【新宮川水系開発】
>熊野川水系における河川開発計画は、1937年(昭和12年)に 当時河川行政を管轄していた内務省が全国64河 川を対象に河水統制事業の 調査河川の一つに選ばれたことより始まる。東京帝国大学教授・内務省土木試験所長であった物部長穂が提唱した「治水と利水を統合した、水系一貫の河川開 発」、すなわち河川総合開発事業が国策として推進されたことによるものである。熊野川は内務省大阪土木出張所が調査を行う河川として予備調査が開始された が、その後の太平洋戦争によって調査は進捗しなかった。[wiki]
>戦後壊滅に陥った日本経済の回復と、治水事業放置による水害の頻発に頭を悩ませていた経済安定本部[2]は中断していた河川総合開発事業の 再開を図り、1947年 (昭和22年)に24河川を対象とした調査が行われた。この際熊野川は建設省[3]と農林省[4]が共同で調査を開始した。農林省について は熊野川本流上流部を紀の川と連絡水路でつなぎ熊野川の水を紀の川へ分流させる計画[5]を立て(→猿谷ダム)、建設省はアメリカのTVA(テネシー川流 域開発公社)方式である多数の多目的ダムを熊野川本流および北山川に建設し、治水と灌漑、水力発電を行おうとした。[wiki]
>この「熊野川総合開発計画」は熊野川本流に三箇所[6]、北山川流域に五箇所の多目的ダムを建設する壮大なものであった。この内北山川には上流より前鬼口ダム、北 山ダム、大沼ダム、小松ダムの四ダムが計画され、北山川支流の東ノ川に大瀬ダムが 計画された。この中で最上流部に計画されていた前鬼口ダム(ぜんきぐちダム)が池原ダムの原点である。規模は高さ95.0メートル、総貯水容量2,950 万トンの重力式コンクリートダムであった。調査は1949年(昭和24年)に本格化したが、予測された総事業費約450億円(当時)に対して完成後の治 水、かんがい効果がわずかであることが判明。費用対効果のバランスが著しく欠けることで「熊野川総合開発計画」は1953年(昭和28年)をもって 中止され、上記のダム計画も全て中止された。…こうして建設省による「熊野川総合開発計画」は頓挫した[wiki]

>豊富な水量が流れる熊野川は水力発電の適地として古くから開発が計画されてきたが、開発に必要な道路の敷設を阻む急峻な地形や、流域が奈良県・三 重県・和歌山県という3県をまたぐ関係で水利権の取得や補償の手続きが困難で、さらに日本国指定名勝・天然記念物の瀞八丁を初めとする豊かな自然環境を保 護しなければならない、といった課題を抱えており、長らく実現を見なかった。…[wiki]

>1950年(昭和25年)に熊野川水系は国土総合開発法に基づき吉野熊野特定地域総合開発計画の対象区域となり…1952年(昭和27年)には電 源開発促進法の成立により公営企業である電源開発が誕生したが、電源開発は建設省が(1953年に熊野川綜合開発)計画を中止した後も水力発電単独で調査 を進めた。 [wiki]
>戦後の電力不足を重く見た日本政府は、1952年(昭和27年)第3回電源開発調整審議会(電調 審)で熊野川の開発を電源開発にあたらせることとした。先にアメリカ合衆国海外技術調査団 (OCI) が実施した調査を踏まえ、予備調査を実施し[た][wiki]
>調査終了後1954 年(昭和29年)7月に第15回電源開発調査審議会が開かれ、席上10地点の水力発電所からなる「熊野川開発全体計画」が策定さ れた。この計画では建設省が中止したダム計画八箇所のうち六箇所を引き継ぎ熊野川本流筋に風屋ダムと二津野ダム、北山川筋に池原(旧・前鬼口)、七色 (旧・北山)、奥瀞(旧・大沼)、大瀬の四ダムを建設。さらに大瀬ダムから流域変更を行って三重県尾鷲市を流れる銚子川の支流・又口川を経て熊野灘へ導 水、この間に二箇所の発電所を建設。熊野川本流に建設省が施工を進めていた猿谷ダムでは紀の川分水を利用して二箇所の発電所を建設するという壮大な計画で あった。 [wiki]
>候補10地点のうち十津川第一・第二発電所を含む4発電所(他は尾鷲第一・第二発電所)が着工準備地点に指定された。[wiki]
>この内熊野川本流筋の風屋・二津野ダム、及び紀の川分水に絡む西吉野第一・第二発電所、そして尾鷲分水に絡む東ノ川の大瀬ダム[7]がまず着手さ れ、続いて北山川筋の池原・七色・奥瀞三ダムからなる水力発電所群が着手されたのである。池原ダムはこれら「熊野川開発全体計画」における最大、中核の施 設として計画された。 [wiki]


【最奥部】
さて北山川の最上流は伯母峰・大台ヶ原・行者還岳一体である。
伯母峰はR169の改良が進み,吉野川源流の川上村側にはルー プが出来たりしてるが峠にには新伯母峰トンネルが穿たれ峠へ向かう旧道は大台ヶ原へ向かう県道(主要地方道r40大台ヶ原公園川上線)としてそのまま 使われてゐる。ただ峠付近の伯母峰隧道は本来の県 道のトンネルも並行して建設され(これは何故??)御母峰隧道は下の写真の様に廃 トンネルとして使われないまま壮絶な姿を道路脇に晒しており,また上北山村側旧国道は村道に格下げられながらも残っている。
21.5
この新伯母峰トンネルは今では狭隘な侭使われ続けている新天辻トンネル(猿谷 から西吉野への導水に平 行するR168のトンネル・改良工事着手済み)なんかよりもよっぽど広く完成形かと思いきや
>老朽化が進むとともに、建築限界未確保のために 大型車同士のすれ違いが困難で利便性・通行性の面で問題を有しています
出典:国交省
とされ直轄権限代行で長大なトンネルをぶち抜く計画らしい。どうせ大して大型トラックなど走ってない(まあ観光バスは走るが。。)のだし今でも改良が進み めっちゃ快適な国道なんやし後回しでもええやろとは思うけど2016年着手とのことで,その内着工され竣工してしまいそうである。どないなっとんねん。奈川渡ダム付近のR158とか狭くて仕方がないがあちらは観光バスなどガンガン走るし寧ろBP工事着 手は遅きに失した位である。
GW中に通りがかった時は猛烈なスコールと共に雹に降られてまあ気候が厳しい所ではありそうだった。。

行者還岳の方も伯母峰同様,一寸離れた所を国道であるR309が行者還トンネルで山をぶち抜いてゐる。R309は天ヶ瀬川と北山川の分岐(EL473m) 付近で分岐し行者還岳に取り付いていく。
山の向こうは熊野川の源流の天ノ川の更に源流の川迫(こうせ)川源流[電力総研]であ る。
こちらはR169とは打って変わって未改良の所謂"酷道"で,一寸前は林道(の国道としては未開通or山道を措定区間)だったのがいつのまにやら指定され ている。国道指定というのはマニアが国道なのに超酷い道だよと痛いこと云って喜ばせる為に指定されているのではなく,地元に改良しろと国へのゴネ得を許す という国からの許可なのである(詰まり改良された良い道を指定しても余り意味はないので酷い道なのがデフォなのだ。国道ウが良い道だってのは改良済・税金 投入済のやつしか見たこと無い奴なのである)が,幸い今の所具体的な改良計画は流石に無い模様である。

残る大台ヶ原方面へは直接の国道・県道は到達していないが,小橡川を遡るr226大台河合線と云う様に,上北山村の中心聚落河合(EL317m) から大台ヶ原迄,実は,至る県道(一般地方道)であり,しかも指 定は山道でちゃんとされてる[道路族]のだそうな。この県道は小 橡川が左又谷と右又谷の二又に岐る[地理院]ちょっと手前で橋を渡り右又谷を進むのであるが,左又谷を進むのが林道辻堂山線でありこれを通ればr40大台ヶ原公園川上線に出ることが出 来,クルマでの大台ヶ原到達を可能にしてくれている。
大台ヶ原は曽爾高原同様なかなか高原的にも名前的にも萌えるが,その観光地を道路が一生懸命目指しているのも萌える物がある。大台ヶ原を奈良県側から目指 す道路にはもう一つ本沢川を遡るr224大台大迫線もあり,こいつの点線は三重県境の大 台辻まで続いている[wiki] のに惜しむらくは三重県側に対応する道路がない(書類上だけでいいのに・・)ことである。三重県側にはその名もずばりのr53大台ヶ原線と云うのがあるが宮川流域[電力総研]であり,宮川第三発電所辺りが終点というか起点[wiki] なのだそうな。自然保護派としては大台ヶ原に車道ぶち抜き等許されざる行為だとは思うけどせめて三重県道r53と奈良県道r40を繋げて1本の県道に指定 して山道を書類上県道指定して1本に繋げて置いて欲しかった。行政の仕事って本来そういう(ロマンある)ものではなかろうか?(笑)

閑話休題(それはさておき),発電所の最奥は白川である。最奥と云っても放水は北山川318mでありこんなとこは既に池原ダム湖畔なのである。これ位で可 能になるなら他でも行けるであろう。いつか検討してみたい。→調べてみると意外になくて34km2ってのはなかなかの様だ。とは言え規模は小さい。

~白川又川~
山行が
>「一に池川(いけごう)、二に前鬼、三に白川又(しらこまた)、四は四の川」と古くから北山地方でいわれる池川(地図の池郷川)
との記述(『大峯の山と谷』からの引用)があってここ今は兎も角本来は「しらこまた」と呼ぶらしい。地理院の地図に振り仮名は振ってないし,発電所の名前 も「しらかわ」の様だし(三浦 ダムも「みうれ」とは呼ばない[雀]国鉄みたいな中央集権的な関電である),現在では廃れた呼び名かも知れぬ。


取水:488.77

直ぐ北側の小谷川からも引っ張って来れそうではあるけど狭い。。(3.8km2)


やる程のことはないか。。[→後に検討]


白川発電所[水力[訪問]
関西電力(株)
運開:1921.10[大和電気(株)]・1964.4:設備改修
水路式・流込み式
認可最大出力:2,900kW      常時出力:820kW
最大使用水量:2.20m3/s [64.9%]
有効落差:159.10m
流域面積:33.9km2
取水:白 川又川488.77
放水:北山川[池原ダム]318.00m

21.5

和 歌山県の資料に拠るとこのまさに白川谷辺りの大峰山脈あたりに3,000mm/年の島がある。白川の水は豊富なのであろう。
自然破潰にはくれぐれも気を付けたいけど,恐らくこの辺の雨は亜熱帯風にスコールみたいにざっと降って直ぐに山を駆け下ってしまうのではなかろうか?
調整池をつくって貯めて出力倍増とか出来ないかなぁとも思ったり。


 
【大峰山脈東部開発】

南側から西側にかけて一寸流域が拡がって居る。


[私案]大峰発電所
出力:18,600kW[+18.6MW]
水量:6.5m3/s[1.66]
落差:337m
流域:39.1km2
導水:本導水路:7.9km+前鬼支水路5.2km 13.1km2
取水:黒 谷前 鬼川[堰堤639m岩 屋谷火 吹谷水 晶谷中 ノ又谷大 黒構谷明 芽谷 650m
放水:北山川[池原ダム]309m

なんとこの辺にあるのが不 動七重の滝かっ!
大学時代,サークルの夏合宿の帰りにだったか有志でのドライブだったかクルマで立ち寄って対岸の道路からみただけだけど結構迫力あった

【北山川上流部開発】
さて上北山発電所に大部分の流域を取られてしまう白川発電所なので別途水源を探していく。

[フォローアップ案]白川発電所
水路式・流込み式
認可最大出力:11,800kW[+8.9MW] 
最大使用水量:8.8m3/s [+4.3m3/s+2.3m3/s(小橡川)]
有効落差:159.10m
流域面積:43.6km2+14.1km2(小橡川)
導水:8.5km増設
取水:白川又川・小 谷川泉 谷・北山川・小橡川[→源流開発]488.77
放水:北山川[池原ダム]318.00m

白川又の増強ばかりか懸案だったが距離があってなかなか巧い事行かなかった北山川源流の開発まで出来てしまった♪

【北山川・小橡川源流開発】
上の取水位に向けて200m程の落差で取水して見るも大した出力は得られ無かった。
小橡川からの導水へ切り換える。


流域:14.1km2 導水距離:3.4km 取水:小橡川[左又谷・右又谷]





~東ノ川~

廃村の無人地帯,東ノ川 [wiki]である。随分後迄簡易郵便局などは残っていたそうな。
上述のr266大台河合線と同様に,r228東川河合線指 定は山道でちゃんとされてる[道路族]のだそうな。
東ノ川は集合地名であり大字そのものは小橡なり河合なりに分割されていたようだが個々の聚落はダム建設が直接の契機となりいずれも廃村になっている様だ。
 またこの辺は新宮ではなく尾鷲の影響が強いようで尾鷲へ出て行った人が多かったそうな。今は尾鷲へは狭隘な道路がR425に指定されている (不通の時が多い)。
水も尾鷲に送られて発電に使用されている。

坂本(さかもと)ダム[水力
電源開発(株)
目的:発電
着手/竣工:1959/1962
堤高:103m、堤頂長:256.3m
総貯水容量:8,700.0万m3 /   有効貯水容量:6,800.0万m3
流域面積:101km2 /    湛水面積:2.59km2
取水:東 ノ川古 川西 ノ谷など
放水:尾鷲第一発電所21m3/s

坂本ダムは新宮川水系の東ノ川上のダムであるが,ダム直下は既に池原ダムとなっている様子は地図から も解るが,特に河川維持放流等は行って居らず池原ダムの渇水時には無水区間があらわれるのだそうな[ダムの風景]。完全に河川 がここで分断されていて,ここからは尾鷲第一・第二発電所を通じて又口川側と直結しているということらしい。
大台ヶ原を中心に流れ込む使い切れない程の豊富な水は新宮川水系からダムで堰き止め違う水系で有効活用すると云う姿勢は猿谷ダムと西吉野導水と似たものがある。
また太平洋直送という意味では宮川第一・第二発電所と被る。あちらは途中に調整 池すらない 直下型で松尾川第一・第二発電所に似ているがこちらは途中でもそれなりの調整池(V=690万m3)がある贅沢な造りである。
~又口川~
坂本ダムの6,800万m3を有効に使い切る為に流域101km2に対して21m3/sと高めの取水量である。
山の中を取水路が走り回っている(様に見える。慣れるとそんな多くはないことが解る。)
宮川銚子川含めて地図に記載するとこんな感じ。


尾鷲第一発電所[水力
電源開発(株)
運開:1962.4
ダム水路式・貯水池式
認可最大出力:40,000kW/常時出力:10,900kW
最大使用水量:21.00m3/s
有効落差:225.30m
 水車:フランシス・出力46500kW×1台
 導水路:総延長10723.4m
 放水路:総延長5.7m
流域面積:101.0km2(坂本ダムのみ・銚子川水系は含まず)
取水(387.5m):新宮川水系東ノ川[坂本ダム(古 川取水口)]、銚子川水系不 動谷(389m)古 和谷(441m)
放水:又口川[尾鷲第二]133.00m

こ の橋の上からの尾鷲第一発電所遠望。有効落差200m超は伊達じゃないな!
21.9

不動谷付近で銚子川第二発電所と交錯する。

クチスボダム[水力][場 所
電源開発(株)
着手/竣工:1959/1961
堤高:35m、堤頂長:98m
流域面積:131.0km2(直接・間接として坂本ダムから101km2や銚子川流域からも尾鷲1PSを介して流入)
総貯水容量:1,960.0万m3 /   有効貯水容量: 690.0万m3 /取水量:25m3/s (76h40m分)
流域面積:131.0km2     湛水面積: 0.21平方キロメートル







尾鷲第二発電所[水力
電源開発(株)
運開:1961.9
ダム水路式・調整池式
認可最大出力:25,000kW/ 常時出力:5,600kW
最大使用水量:25.00m3/s
有効落差:120.92m
設備
    水車:フランシス・出力27000kW×1台
    導水路:総延長2403.4m
    放水路:総延長1438.9m
取水:尾鷲第一発電所、又口川[クチスボダム](137.00m)
放水:中川水系中川(二級水系)(6.05m) →海!

ぐちゃぐちゃに入り組んだ尾鷲市近郊(市街地の外れと云った感じ)の山裾に尾鷲第二発電所はあった。


中川 発電所直下の様子。25m3/sがうねりながら海に流れてる感じでは無かった。やはりピーク電源用ということか。


直接流域は131.0km2のクチスボダムを尾鷲第一以外にも水源としているがその分の上乗せが4m3/sということか。
一寸少ないような。。

東ノ川上流部開発

上流部は多雨地帯である。
高度もそこそこあるので発電試みる。
EL.740mで 取ると8.3km2程。1.0m3/s程行けるであろう。
 

[私案]東ノ川第一発電所
出力:3,000kW
水量:1.0m3/s
落差:350m
面積:8.3km2
導水:4.5km
取水:東ノ川EL.740m
放水:東ノ川[坂本ダム]EL.387m

小さいのでもう一発上を追う。EL.1295mを狙うと6.4m3/s。


[私案]東ノ川第二発電所
出力:3,700kW
水量:0.8m3/s
落差:550m
面積:6.4km2
導水:4.5km
取水:東ノ川EL.1295m
放水:東ノ川EL.740m

併せて+6.7MWとなる。

この辺の道路も興味深い。例えばこ んな感じ[とは掲]。県道の未成線の地図はこ ちら[道路族]


池原(いけはら)ダム[水力]
電源開発(株)
目的:発電
着工/竣工:1962/1964
堤高:111m、堤頂長:459m(現地案内板)460m(ダム便覧)
容量
     総貯水容量:3億3,837.3万m3
    有効貯水容量:2億2,008.3万m3
標高
     堤頂標高:321.000m
    満水位標高:318.000m
    低水位標高:283.000m
面積   
    流域面積:300km2
    直接集水面積:277km2
    間接集水面積: 23km2
    湛水面積: 8.43km2

地図なんか見ても,もう巨大すぎて,水ばっか貯めてないでもっと発電所多くした方が良かったんちゃうのっていう印象を受けるw
ダムの活躍ぶりはこのブログのエントリー[台 風一過の池原ダム]がアツかった!奈良の人みたい。

~備後川~

池原ダムに流れ込む谷の一つである。一寸標高が高いので調べてみた。
474m水準で池原ダム315mにぶち込む。

縮尺の関係で広く見えるが兎に角狭いので集めまくった。大又川は熊野川流域だけど七色ダムで合流なので池原の水量増やせてるのもポイント。
28.8km2で3.5m3/s程確保。



从(じゅう)来型の発電効率85%と流域面積に対する水量に一寸強気の3.5m3/sで4,500kW。
新型の発電効率87%と近年の流域面積に対する多めの水量(+多雨地域補正)で4.0m3/sで5,200kWとなる♪

[私案]備後川発電所
出力:5.200kW[+5.2MW]
水量:3.5m3/s
落差:155m
導水:
取水:
放水:池原ダム



~池郷川~

池郷川の北山川の合流部(今は分断されてるので池原発電所の放流口のある所まで池郷川なのかもしれないけど,本来の北山川との合流部)にほど近い,小又川 (小又谷=地理院)が池郷川に合流する地点に小水力の小又川水力発電所があるらしい。
場所はこ こ(地理院)のようだ[山行が

~小又川~

小又川水力発電所[山行が][コープエナジーなら
最大出力:179.7kW(もともと98kW)
周波数:60Hz
最大使用水量:0.281m3/s
常時使用水量:0.100m3/s
有効落差:1.0m3/s
年間発生電力量:1,030MWh
運開:1993(~2018)村営・2019下北山村とコープで協定を締結・2020改修工事竣工
取水:小又谷[砂防堰堤(こ れかな?)]
放水:池郷川

えらい苦労したらしい。。

奈良県下北山村/再生可能エネルギーの導入と利活用~自家用水力発電への取り組み 「小又川発電所」~
掲載日:2014年4月14日[全国町村会

奈良県の山村に残された未利用水資源を活用して発電所を建設し、 そのエネルギーを地元で利用して地域活性化のための事業が出来ないかと、「奈良県小水力発電開発研究会」が発足したのは、いまから30年前の1984年7 月のことです。
奈良県及び県森林組合連合会、県下の7つの村と森林組合がこれに加わり、2箇所(後に3箇所)で河川流量データを得るための測水が始まりました。 そのうちの一箇所が小又川発電所(下北山村)です。
この計画に森林組合関係団体が加わったのは、長引く林業不況の中で、…林業活性化への期待があったからなのです。

(1985年の)12月、関西電力との間に第1回目の売電交渉が始まりました。
小水力発電に限らず発電事業は、発生した電力を蓄えられないので、 すべて自家消費するか、電力会社に全部買ってもらうか、或いは自家消費したうえで残りの余剰電力を買ってもらうことが前提になります。 
下北山村の場合、電源開発㈱の池原ダム建設時に下流に廃河川敷が残置として残りました。これを整備して作った「下北山スポーツ公園」があり、 この公園施設に自家供給・自家消費をし、余剰電力を関西電力に売電する方向で話し合いに入りました。 
売ろうとする方も、また、このような話を持ちかけられた電力会社も初めてのことで、お互い手探りの状態が続くこととなりました。 
何よりも技術的に大丈夫なのか、本当に発電所を作る気があるかという心配が電力会社にはあり、 小さな発電量のためスケールメリットも無いという状況のもとでは、「出来れば計画を断念してほしい」と言うのが偽らざる心境であったでしょう。 
この後、十数回におよぶ交渉や検討会でいろいろと買電のための条件を提示してきました。 
主な条件とは、電気の質を落とさないこと、配電線のつなぎ込みに要する費用の全額負担、安全確保のための設備増設、売電単価の上限設定などです。 
これには、発電機の機種変更、費用の負担承諾、補助金導入などで条件をクリアーすることとして交渉を進める一方、この間に、建設省・通産省等に事業認可、 農林水産省に補助対象事業としての認定についての陳情を始めました。 
そして、87年ある程度の具体的計画が煮詰まったのを待って、いよいよ水利権などの事前協議に入りました。 

水利用の壁
発 電出力の計算のためには、10ヶ年間の流量測定データが必要とされています。
ただし、近隣の測水所の過去の測水記録があれば実測データとの相関関係で補うことが可能です。このため、 電源開発株式会社の流量資料の提供を受けて取水量や発電出力を検討しました。 
一方発生した電力を自家消費して有効に活用するためにも、また余剰売電の承諾を得やすくするためにも売電単価を低く押さえることが必要となり、 経費をかけないで施設を完成させられないかという検討が大切です。 
鳥取県、広島県等の小水力発電所では、既設の堰堤を利用して取水、既設の農業用水路で導水して流れ込み式の発電をしておりました。 小又川発電所計画地点はこの条件にも当てはまっていました。 
上 流に砂防ダム及び副堰 堤があり、この副堰堤を利用しての取水が容易と思われたのです。また、この谷には、 取水予定地点から放水予定地点までの間に2つの滝があり落差が稼げること、他に水利の利用者が無いこと、取水地点も放水地点も同じ渓流であり、 環境への影響も少ないことなどいくつかの条件がそろっていました。

しかし、関係機関との協議や打ち合わせが進むにつれて、これは容易ならざる事業である、と認識せざるを得なくなってきました。 
建 設省(現、国土交通省)に副堰堤からの取水を申請するためには、出先機関の近畿地方建設局(当時=以後「近畿地建」という。)に事前協議を行います。 当時はこの程度の規模の計画ならば、近畿地建での技術審査により容易に国への許可申請が進むだろう。というようなお話があったと記憶しています。 
ところが、これは希望的観測にすぎませんでした。近 畿地建の出先機関の工事事務所を経由して提出した計画図書は、 近畿地建各課でさまざまな角度から検討が加えられて完成します。この書類や図面が国(建設省)に送られて、その後書類手続きだけですぐに許可が出るのかと 思いきや、 砂防施設の利用や取水施設の安定計算については、本省河川部砂防課が、維持流量の検討・水利権の申請については水政課が、などとそれぞれ専門部署にわたっ て詳しく内容を検討してくれるのです。 

そして小さな河川(谷) であっても一級河川に指定のうえで水利権を申請することになり、この河川指定の申請書類づくりに数ヶ月と、あっと言う間に一年が経ってしま います。 また、技術的 には本省砂防課の指示で「(財)砂防地すべり技術センター」の審査が条件となり現地調査や検討結果の報告会など業務が加わり何度も上京しま した。 

当 時は100キロワットを超える発電所になると、更に電源開発調整審議会(電調審)にかけなければならないと いうことでした。 これ以上いろいろな手続きが重なり計画が遅れることになると、事業を進める事に村議会が疑問を感じ中には撤退を提案されるということになりかねません。 そうなるとこれまでに投資した調整費や交渉などに要した費用、あるいは情報・知識までが無駄になってしまうだけでなく、今後このような、モデル的事業を立 ち上げる意欲まで失いかねません。 このような、実情を踏まえて98キロワットの出力で行こうと決まりました。 

現 在2013年には国土交通省も最大1000 kW未満の小水力発電については許可手続きの簡素化、円滑化を進める方針となり水利使用の許可権限が知事に移譲されましたが、 当時の感想としては、小さな発電所 にもかかわらず、土木施設も発電関係施設も、立派な物が完成しましたが、我国では、 100キロワット未満の発電所も30万キロワットクラスの発電も殆ど同じような手続きを必要とするのではないか、という感想を強く持ちました。

大変な条件をクリアーし奈良県の強力なバックアップ、多くの方々の力をいただいたお陰で、 小又川発電所は農林水産省により山村振興対策事業の特認事業として採択され総建設費約3億3千万円で国・県補助金約70%を受け1993年3月完成、同年 9月から発電を開始したのです。

小又川水力発電所(下北山村)のページ
コープエナジーなら
奈良県の最南端、下北山村で1993年より稼働中の村営小又川発電所を、下北山村とならコープの協定に基づき、コープエナジーならが事業主体となって出力 増強のために更新し、固定価格買取制度を活用した全量売電の発電所として運営し、収益の一部を下北山村の振興に活用します。

更新する理由
小又川発電所は1980年代に村や奈良県等が中心となって建設に向けた検討が重ねられ、多くの課題を乗り越えて運転を開始しました。当時の様々な制約条件 から、全量売電ではなく下北山スポーツ公園での電力の自家消費を発電事業の主たる目的とし、消費規模にみあった発電出力(98kW)の小水力発電所として 運営されていました。[詳細は上記

一方、本来の小又川の水量をフルに活用すると、倍近い発電出力を産み出せることが調査結果より判明し、固定価格買取制度を活用することにより、これまでの 発電所を継続して運転するよりもより多くの再生可能エネルギー由来電力と事業収益が得られる見通しがたった

発電所更新・継承の経緯

2016年より、小又川水力発電所の更新の可能性について下北山村とならコープグループとの間で協議を開始し、2017年度には国の補助金(平成29年度 水力発電の導入促進のための事業費補助金(水力発電事業性評価事業))を活用し、更新の実施可能性調査をコープエナジーならが行ったところ、更新計画が十 分な事業性をもつことがわかりました。
そこで、下北山村とならコープが「下北山村の村づくりに関する包括連携協定書」を締結し、現状の取水設備や発電所建屋等を村からコープエナジーならが借り 受けて、新たな水車発電機等による発電を行い、事業収益の一部を下北山村の地域振興に還元することとしました。

さて,これ以上池原の水を増やしてどうすんのと云われそうだが池郷川315m付近から池原に導水できる。23.1km2

741m地点に9.8km2の水源もあり。約1.2m3/sぐらいか?池郷315mに落とすと3,200kW。ありかも。

それやるなら隣の風屋ダムへの導水路がある滝川からも取水出来そうである。詳しくはこちらで検討

池原ダムへの導水であるが,下流に小又川発電所はあり面積僅少(5.9km2)ではあるもの上の池郷川池原ダム導水があれば1.5km程度の追加導水で池 原貯水池に水を持って行けはする。
寧ろ上流から取水してもう一発小水力発電した方が良いかもね。コープならと下北山村の試みは大事にしたい。



池原発電所[水 力]
電源開発(株)
運開:1964.9
ダム式・混合揚水式
認可最大出力:350,000kW
         72000kW×2台+103000kW×2台
      常時出力:14,000kW
最大使用水量:342.00m3/s
有効落差:120.50m
上部調整池:北山川[池原ダム]318.0mm
下部調整池:池郷川+北山川[七色ダム]190.0m

七色(なないろ)ダム[水 力]
電源開発(株)
目的:発電
竣工:1965
堤高:60m、堤頂長:200.763m
容量
     総貯水容量:6,130万m3
    有効貯水容量:1,070万m3
標高
    満水位標高:190.00m /    低水位標高:186.50m
流域面積:462km2 /    湛水面積:3.32km2

池原発電所の揚水の下部調整池でもあるし,逆調整池でもあり,七色発電所の調整池でもある。文字通り池原とセットで機能している。

七色発電所[水力
電源開発(株)
運開:1965.7
ダム水路式・調整池式
認可最大出力:82,000kW      常時出力:9,900kW
最大使用水量:140.00m3/s
有効落差:69.30m
河川維持水使用分
   最大使用水量:2.30立方メートル毎秒
    最小使用水量:0.23立方メートル毎秒
取水:北山川[七色ダム]
      取水位標高:190.000m(七色ダム満水位)
取水口呑口標高:178.000m(上向き呑口上端)
     水車中心標高:116.000m
放水:北山川(113.00m・小森ダム満水時118.0m)

小森(こもり)ダム[水力][便覧
電源開発(株)
目的:発電
堤高/堤頂長:34m/154m
流域面積/湛水面積:564km2 ( 全て直接流域 ) /113ha
総貯水容量/有効貯水容量:     970万m3/470万m3
着手/竣工:     1963/1965
満水位標高:118.00m

元々奥瀞ダムとして計画されたが国立公園内の開発であり,当時環境行政を担っていた厚生省の反対で自体は膠着,結局,当初地点より11km移転させて発電 規模も40MW減らしたのが小森ダムと小森発電所とのこと。そして小森ダムには瀞峡の景観保持という観点から河川維持放流を常時行うこととした。先駆的な 試みであった。[wiki

【発電】
小森ダムに向けて発電出来る。


[私案]葛川発電所
出力:7,000kW[+7.0MW]
水量:3.5m3/s
落差:235m
流域:22.8km2
導水:6.8km+4.8km=11.6km
取水:四 ノ川雨 谷葛 川熊 谷立 合川 360m
放水:北山川[小森ダム]118m

葛川からは小川堰堤(芦廻瀬川)経由で十津川第一へも送れそうで,そっちだと十津 川第一・第二と発電出来る強みはある。
こちらが有利っぽいのでこちらを優先する。




小森発電所[水力
電源開発(株)
所在地:三重県熊野市紀和町小森
運開:1965.8
ダム水路式・調整池式
認可最大出力:30,000kW  常時出力:12,000kW
最大使用水量:74.00m3/s  (常時水量:29.6m3/s程度か)
有効落差:49.0m
取水:北山川[小森ダム](118.0m)
放水:北 山川(65.43m)→地図上だと81.2mに見える。。実際の放流先はこ の辺(66.2m)か?→探してみたら矢張り弯曲をもう一つ超えた此 処にあった。

564km2に対して74m3/sもあるけど,多雨地帯であるのもそうだけど,池原ダムの膨大な貯水量を受け止めるべく最大使用量を確保している感じも強 い。小森ダム・七色ダムで受け止める感じであろう。

この下瀞峡の下と玉置川55mで取水して北山川36mぐらいで75m3/s使って発電したい。
落差15m,水量75m3/sで発電出力は9,300kW[+9.3MW]位にはなる。熊野川の項 と要調整である。