信州遠山郷 秘境の旅[遠山.com] 昭和18年、第二次世界大戦のさなか。 日本発送電株式会社 は、政府から緊急の電源開発を命じられ、翌19年に飯島発電所の建設工事に着手しました。同年に来村した作業員1500名の中には、朝鮮半島や中国大陸で 徴用された労働者が多く含まれていました。彼らの給料は日本人労働者の半分にも満たず、監視つきの小屋で寝泊りをしながら、過酷な労働を強いられたといい ます。 同じ時期に建設が進んでいた下流の平岡ダムでも、同様の状況でした。満島には捕虜収容所や飯場が立ち並び、建設中の事故や病気で多くの外国人労働者や連合 国捕虜が命を落としました。 飯島発電所は終戦後の昭和22年に完成し、現在でも最大認可出力12,700kwで発電をおこなっています。 遠山川での電力事業は、水利権の補償金や村税として、南信濃村の経済と切っても切り離せない存在です。 平成3年に北又渡発電所が完成したこともあり、現在の村税収入の半分以上は、中部電力からのものです。 (執筆当時) 自然環境をめぐって、脱ダム論議が盛んになっている現在。その一方でわたしたちの生活が、外国人労働者たちの過酷な犠牲の上に成り立っている事実も、忘れ てはならないことなのではないでしょうか。 |
~天竜川~ 平岡(ひらおか)ダム[→天竜川中上流] 取水:天竜川(・遠山川・和知野川・万古川) 着工/竣工:1940.5(1938?)/1952.1(1951?) 堤高:62.500m←戦前に建設・計画された天竜川水系のダムの中では最大[wiki] 貯留量:260.1万m3(2000-12時点[水力])・ 482.9万m3(建設時[1952か?]時点・利 水標より)(→まあ貯水規模は大し てデカくない。。)堆砂率は、平成15年(2003 年)12月31日現在84.8%で、総貯水容量500万トン以上のダムの中で最も高い[wiki] 目的/型式 P(→平岡発電所)/ 重力式コンクリート 堤高/堤頂長/堤体積 62.5m/258m/252千m3 流域面積/湛水面積 3,650km2 ( 全て直接流域 ) /258ha 総貯水容量 4,242.5万m3 満水位:308.0m ダム事業者 中部電力(株)(←日本発送電←矢作電力系天竜川電力) (天竜川・遠山川合流[平岡ダム付近]) 22.10
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発電所名 |
取水 |
運開 |
出力 |
常時(率) |
取水位 |
放水位 |
落差 |
水量[面積比] |
流域面積 |
水源 |
貯留量 |
早木戸 |
早
木戸川 |
1985 |
11,200kW |
1,190kW[10.6%] |
596.5m |
262.0m |
325.6m |
4.20m3/s |
33.5km2 |
早木戸ダム |
なし |
平 岡 | 天竜川 | 1952 | 101,000kW | 23,900kW[23.7%] | 308.0m | 259.6m | 45.65m | 256.0m3/s[70.1] | 3,650.0km2 | 平 岡ダム | 4,242.5万m3 |
飯島 |
遠山川 |
1947 |
12,700kW |
2,000kW[15.7%] |
490.0m |
324.61m |
153.7m |
9.87m3/s[41.0] |
241.0km2 |
飯島堰堤 |
なし |
和知野 |
和知
野川 |
1939 |
6,300kW |
2,000kW[31.7%] |
397.0m | 320.17m |
72.25m | 10.50m3/s[63.6] |
165.0km2 | 和知野ダム |
なし |
泰 阜 | 天竜川 | 1936 | 52,500kW | 12,900kW[24.5%] | 355.0m | 316.51m | 36.86m | 178.0864m3/s[59.7] | 2,980.0km2 | 泰 阜ダム |
~上村l川~ 上町付近。もう少しで赤石林道と小川路峠の分岐。この辺もなかなか道路的に興味深いシーン[山行が]が存 在する。 23.4 |
2020年版の山と高原の地図43『塩見・赤石・聖岳』に拠ると,遠山
川沿いの林道は2018,19の台風被害に拠り芝
沢ゲートから奥はクルマの通行が不可となっているそうだ。 易老渡を経て便ヶ島迄は車道の表記となっているけど。。易老沢の取水口のは元々道路も無いとこの様だけど易老沢発電所や便ヶ島の取水施設とかの巡視も徒歩 になったのか? あと,国土地理院では林道を経て繋がってる兎洞の調整池だけど上記の山の地図だとこ の辺迄しか描かれていない。奥地の開発は兎も角その維持はなかなか大変そうである。 |