水力あれこれ
20.10.20運開
飛騨川水系電源開発(20.11.7逍遙)(23.2.11訪問)
水系総扉 飛 騨川(下流)第四次水力調査 飛騨川(上流)(…益田川を 含めた飛騨川としては精々中流) 益田川(飛騨川) 益 田川(飛騨川源流) 馬瀬川 小坂川

本来の飛騨川は益田川と馬瀬川の合流後であった。今,本流筋の益田川も含めて全部飛騨川にされてしまった。
馴染みのない新宮川は熊野川に戻され,ブランド価値の低い渡川は四万十川に戻されてしまった様だが飛騨ブランドの前に益田(ました)も消えつつあるようで ある。
その本来の意味での飛騨川を此処では扱う。

大船渡はその合流点の直上にあって厳密には私の云うところの,そして本来的な呼び方では,益田川にある。
しかし,益田川方面の下原発電所,馬瀬川方面の馬瀬川第二発電所からの放水を受け,本頁の起点に相応しい施設である。

この大船渡ダムに集まった水は現在,直下の大船渡発電所64m3/sで発電されるか少し離れた新七宗95m3/sで発電されている。
引き続き2重ルートとなっていて庄川木曽川と 似ている。古く(戦前)から開発されて戦後増強された共通点が存在している。
上 流側
在来ルート
新ルート
大 船渡ダム(41.2万m3・ 受:193m3/s・送:159.0m3/s)
(益田川・馬瀬川合流点)
大船渡発電所(64.0m3/s・6.4MW・0.1)
七宗ダム(312万m3)
七宗発電所(50.0m3/s・6.2MW・ 0.124)



新七宗発電所(95m3/s・20.0MW・ 0.21)
名 倉ダム(382万m3・受:145m3/s・送: 168.5m3/s[EL198.5m])
名倉発電所(80m3/s)
上麻生ダム(251 万m3→木曽用水9.54m3/s) [EL.157.67m]
細尾谷 (ほそびだに)ダム1.7万m3
上麻生発電所(62.5m3/s・27.0MW・放99.95m)



新上麻生発電所(88.5m3/s・61.4MW・放93.7m)
(飛水峡)
川辺ダム(172万m3・94m・受:151.0m3・送:155m3/s)
川辺発電所(30.0MW・ 155m3/s・ 放69.5m)
(木曽川・飛騨川合流点)
美濃川合発電所 (23.4MW・220m3/s・取70.5m)
今渡発電所(20.0MW・200m3/s・取:70.5m)
太 平洋側

中部電力(株) 名倉(なぐら)ダム[場 所][水 力][水辺遍路] [訪 問記][→飛騨(上流)]  
目的:発電
場所:高山本線下油井駅南側
堤高:13.5m
形式:取水堰
有効貯水量:38.2万m3[概要(新エネ財団)
取水位:198.50m
取水:飛騨川[新七宗発電所95m3/s・七 宗発電所50m3/s]・佐見川
送水:名倉発電所(80m3/s)・新上麻生発電所(80m3/s) (導水路は地図では見当たらず。)

大船渡ダム読書ダム木曽ダム的 に重要(=2ルートに分かれるジャンクション的)なダムなのに貯留量も不明。新上麻生の取水方法も不明。と云う事で矢も盾も堪らず現地へ行って来た (20.11)。

先ずは堰堤の様子。良くある発電専用の堰堤で多少の落差を稼ぎつつ水を取水するもので,莫大な水量を溜め込むものではない。戦前の名倉発電所用に建設され た堰堤である。

と,調査を終えて,対岸のR41を疾走してたその時,,新たな取水口発見!?(;´Д`)
20.11

20年11月のこの日は4,5日前から計画を練っていたが前日に息子の予防接種の予定が入っている事が判明して生駒を出立したのが昼の12時ぐらい。既に 3時を廻り冬至 に向かって日がどんどん短くなる11月に加えて雨天 も相俟って夕闇が迫ってきたので大回りして戻ることをせず七宗ダムに向かったのだが,グー グルの航空写真にもバッチリと移ってる此れ?。
後から新設された新上麻生P/Sにはここから送水しているとしか 思えないんだけど,こっち岸だと何処かで飛騨川を渡る必要がある筈なんだけどそれが見当たらないんだよね。。謎だ。
→木曽発電所・読書発電所4号機・下小鳥発電所などなど高度成長期に建設された地下発電所を見慣れてくるとまあここから一気に地下で送るんだなとは思えて くる。木曽や下小鳥など地理院は割と地下発電所の扱いが苦手で放水路の位置推定に苦労させられたりする・・このサイトを始めた一つのきっかけに十津川第一発電所の地理院の地図が可怪しい(のとあと栗平ダムの土砂ダムすげえ)ってのも あった。

で,更に考えたら此処に利水標識あったのかも…orz ス トビューではそれらしい気配無かったのがせめてもの救いだけど。。
また通りがかった際には見に行く必要がありそう。。
いや,なかなか通りがからないんだけど。。木曽郡と益田郡は高速道路罔に見放されてつらい。その為の濃飛連絡道 路に権兵衛峠道路なのかもしれないけど。南木曽向けに神坂PAをIC付きのJctにして三留野辺り迄木曽中央道(仮称)を伸ばして欲しいし川辺から北へ R41BPを白川口付近まで整備して欲しくもなる。

なんだかんだでしっかり見れず終いのまま時は流れ,23.2.11,祝日と土曜日が重なって息子の塾がお休みとなり,久々に土曜日がオフとなって訪問決 行。
ス トビューではそれらしい気配無かったのがせめてもの救いだけどとか書いたのが赤っ恥晒す事態にwなんとバーンと利水標があっただけではなく,スト ビュウにも見返すとしっかり写って居るでは無いかwあの時点で切歯扼腕しなくてはなかないところであったww
さてご覧頂こう。

風景

近景

アップ

この辺は高速道路罔(もう)からだいぶ離れていて結構走って舂く上に,奥深い飛騨路は未だ未だこれからの美濃加茂の最奥部。毎度浮き足だつのか今回も写真 だけ撮ってそそくさと後にしたのだが,帰宅後写真を見て驚愕することになる。
先ずは田代沢川からも取水している事が判明!
なんと,どこやねん,と調べて見ると田代沢川はこれ[川の名前を調べる 地図]。白川の中心街付近で飛騨川の支流白川に流入している川の様だ。名倉ダムの取水位は200m弱の様であるが,確かにこ こ(EL.209m)に堰らしき表記[地理院]がある。グーグルの空 撮で確認してみるが森に阻まれてか見えない[G空]。ヘアピンカーブの突き当たりに見える堰は砂防ダムだろう(→その様である[G すとびゅう])。

いずれにせよ,現地へ行ってみたくもあるが,メインの80m3/sを供給するのは飛騨川であり,田代沢川からの給水の効果は」微補給に止まるであろう。こ こで取水するなら葛 牧から見代への谷(名称不明らしい)からも取水できないのかな。。

とまあ此処迄は良い。問題はどうみても(田代沢川の位置もそうだが最大80m3/sの取水量から明らかだが)これは新しい取水口の対象と思われる新しい (1987.6運開)地下式の新上麻生発電所ではなく,古色蒼然たる名倉ダムの脇の古い取水口が相手とする(戦前の1926,東邦電力の手による)名倉発 電所の水利標識だということである。
なんでこっちに名倉発電所の利水標が置いてあって,しかも新上麻生発電所の水利標がないのか!?まさか規模も大きいこちらに名倉発電所の取水口を付け替え て,小さめに見える古い取水設備を新上麻生発電所取水口として活用している!?
名倉発電所の地下水路が老朽化でもして掘り直したとかでもない限りなかなか考えづらいのだが,導水路の距離はそちらのほうが短く出来るのは事実である。ま あ看板を置くに際し,敷地の広い方に置いただけかなー。。
まあこの辺は継続調査である。


さて,1965年,中電は飛騨川筋開発を発表した。"飛騨川150万キロ構想"と呼んでいたそうな。

飛騨川筋電源一覧表(『飛騨川』p502)
この表がいつの時点かよく解らんが昭和40年の計画の一覧表の様であ る。
関連する所を抜き出すと以下の如し。
発電所名
最大使用水量
有効落差
発電力
ダム高さ
有効容量
とは記入備考
新七宗
150.0m3/s
28.8m
36,800kW
既設大船渡ダム利用
新七宗として実現(最大使用水量95m3/s・有効落差24.57m・ 最大出力20,000kW)
新名倉
150.0m3/s
84.8m
108,500kW
23.5m
450,000m3
新上麻生として実現(最大使用水量62.50m3/s・有効落差 51.3m・ダムは既存名倉ダムを利用)
佐見川
100.0m3/s
175.6m
150,000kW
98.0m
35,000,000m3
実現せず

新七宗も新名倉も規模を縮小して実現しているようなのに佐見川だけ実現しなかったのである。惜しい。
新名倉ダムはこ の辺にダムを建設する予定だったように見える。

現在,ほ ぼ同じ場所で新上麻生発電所の地下水路管がサイフォンで飛騨川を潜っている様である。此処にダムを作って既設名倉ダムを包摂する形でダムを建設し 水量を確保するのは諦めて既設の名倉ダムを供用する形にした様だ。

銘板には導水路サイフォン・導水路2号・3号トンネルとある。


ここまで整理してみる。今こんな感じで確認出来ていた。

当然,新名倉発電所改め新上麻生発電所として実現した新発電所の地下水路は,地下水路に苦手な弱点を持つ国土地理院の例に此処でも漏れずに記載できてない が,恐らく以下の様な経路で水路が走っていると思われる。うむ,矛盾はない。

ところが,である。何故か新上麻生PSの取水口付近に名倉PSの水利標識が立っていたのである!
態々クロスなどさせる新しく見える取水施設が古い名倉発電所で,古く見える取水施設が新しい新上麻生発電所の可能性も出て来て(例えば取水管の老朽化で取 水設備だけ新麻生に流用とか可能性がなくもない)頭を抱えている。
現時点(23.2)で未解明である。
新しく見える取水施設の方が古い名倉発電所で,古く見える取水施設の方がより新しい新上麻生ダムのものらしいという判断はしている。多分新上麻生建設後, 割と最近に名倉の取水口の更新時期が来たのであろう。

中部電力(株) 名倉発電所[水力][場 所
水利権:飛弾川第一地点(出力12,420kW)の下半分   
高山本線白川口駅付近
運開:1936.11[東邦電力(株)]
ダム水路式・調整池式
認可最大出力:22,200kW  常時出力: 9,200kW
最大使用水量:80.00m3/s
有効落差:34.12m
水車:2台 総出力26250kW
導水路:圧力トンネル 総延長4726.4m
流域面積:1685.7平方キロメートル
取水:飛騨川[名倉ダム]、田代沢川 198.50m
放水:飛騨川[ほぼ上麻生ダム]157.90m

いつも高速で通過してしまい近寄ったことがない。。(ダムは凄い存在感なのに発電所は記憶に無いw)


中部電力(株) 上麻生(かみあそう)ダム[水力] [新エネ財団
目的:発電
竣工:1926
種類:取水堰
大きさ:堤高:13.18m、堤頂長:74.54m
貯留量:25.1万m3[概要(新エネ財団)
取水:飛騨川[名倉ダム]・白川
送水:上麻生発電所(細尾谷ダム経由・80.0m3/s)・木曽川用水白川取水口(9.54m3/s・ス トビュー地 理院) ダム湖面標高…地図読みでEL.154m



23.2
天端

利水標


上麻生ダム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
戦後全国の河川は治水整備の遅滞と森林の無計画な伐採によって台風や豪雨の度に深刻な水害を招いていた。内閣経済安定本部は…1949年(昭和24年)に 「河川改訂改修計画」を木曽川を含む全国12水系で計画した。木曽川においては1951年国土総合開発法によって木曽特定地域総合開発計画が策定、この中 で飛騨川に大規模な多目的ダムを建設する計画を立てた。洪水調節と発電を目的にした高さ60.0メートル、総貯水容量7,900万立方メートルの大規模ダ ム・久田見ダムである。このダムが完成すれば直上流にある上麻生ダムが水没し上麻生発電所の機能が停止するため、久田見ダムを水源として最大6万 2,000キロワットを発電する「新上麻生発電所」が建設省中部地方建設局[注 7]によって計画された。だが久田見ダム計画は立ち消えとなった[5]。

その後前述の理由で再度計画が浮上し、新上麻生発電所は1987年(昭和62年)6月24日に運転を開始した。最大6万1,400キロワットを発生させ る。上麻生発電所に隣接して建設されたが、取水元は「上麻生」の名こそ付いているが上麻生ダムではなく、上麻生ダムの直上流に建設されている名倉発電所の 取水元・名倉ダム[注 8](高さ13.5メートル・重力式)である。この新上麻生発電所運転開始により、飛 騨川流域一貫開発計画はその役目を事実上終えている。

木曽川用水白川取水口
23.2
木曽特定地域総合開発計画によって愛知用水が建設され知多半島に水が供給されるようになった後、農林省[注 9]は木曽川用水の 建設を1964年(昭和39年)に計画。木曽川上流部と下流部の二区域に分けて広域の農地にかんがい用水を供給する構想としたが 1965年(昭和40年)、水資源開発促進法による水資源開発水系に木曽川水系が指定されたことで事業は水資源開発公団が継承。以後公団が事業を施工し た。

公団は木曽川用水上流部の水源として益田郡金山町[注 11]に岩屋ダム(馬瀬川)を建設、そこから放流された水を下流受益地に送水するための調整池として上麻生ダムの貯水池を選定、中部電力との協議により発 電に影響を及ぼさない範囲での利用許可を取り付け、貯水池右岸(JR高山本線側・とは註:北岸・国道から見える)に2門のゲートを持つ取水口(白川取水口)を1974年(昭和49年)3 月に完成させた。ここから最大で毎秒9.54立方メートルの水を取水し、 延長9.9キロメートルの白川導水路を経て美濃加茂市の蜂屋調整池と加茂郡八百津 町にある上飯田調整池で再度貯水されたあと用水路によって各所に送られる。

水 資源機構
木曽川用水上流部の水道用水供給地域

水道用水供給地域マップ

取水施設 白川取水施設
用途別 最大取水量 受益県 受益地域 不参加都市
農業用水 7.00m3/s 岐阜県      2市5町 約3,390ha
美濃加茂市、関市、七宗町、川辺町、
八百津町、坂祝町、富加町
可児・御嵩
水道用水 0.99m3/s 岐阜県 2市4町
美濃加茂市、可児市、川辺町、
坂祝町、富加町、御嵩町
関・八百津・七宗
工業用水 1.20m3/s 岐阜県 3市5町
美濃加茂市、関市、可児市、川辺町、
八百津町、坂祝町、富加町 、御嵩町
七宗
全体
9.19m3/s

3市6町





美濃加茂市:蜂屋調整池(こ れか?・134m)
上麻生ダムが157mだから概ね20m超程の落差と9.54m3/sの水量はあるが。。

加茂郡八百津町:上飯田調整池(こ れか?・133m)
どこで飛騨川を渡っているのか?


地図みっけた。


出典:水資源機構

二手に別れる上に標高も配水の為に高い場所にあって小水力発電とはなかなか行かないか。。

中部電力(株) 細尾谷(ほそびだに)ダム[水力
目的:発電 竣工:1926 種類:取水堰
堤高:22.4m、堤頂長:59.1m
取水:飛騨川[上麻生ダム]
送水:上麻生発電所(80.0m3/s・EL.157.67m~
     総貯水容量:71,000立方メートル
    有効貯水容量:17,000立方メートル
    流域面積:2021.2km2[間接含む]    湛水面積:  1ha


中部電力(株)上麻生発電所[水力] [電力絵葉書
水利権:飛騨川第二地点(20,600kW)
運開:1926.11[岐阜興業(株)→岐阜電力(株)→東邦電力(株)]
ダム水路式・調整池式
認可最大出力:27000kW      常時出力:16300kW
最大使用水量:62.50立方メートル毎秒
有効落差:51.30m
水車:3台 総出力28770kW
導水路:総延長5693.2m
流域面積:2021.2平方キロメートル
取水:飛騨川[上麻生ダム]細尾谷[細尾谷ダム](157.67m)
放水:飛騨川(99.95m)

嘗て神渕川に発電所があったが廃止されてしまった。
~神渕川~

[廃止]神渕 川発電所[『飛騨川』中電(1979)]
上麻生村本郷字渡合
運開:1920.8[神渕川水力]・譲渡:1921.8[東邦電力]  
出力:160kW
水量:0.70m3/s
落差:32.12m
休止?:1967年 廃止:1668年


[第四次水力 調査]では上麻生発電所に神渕川から上麻生へ導水路が描かれている。

第四次水力調査地点(飛騨川本流関係抜粋・現況追加)
発電所名
分類
出力
水量
落差
その他
七宗
既設
6,200kW
50.0m3/s
15.57m
新七宗
新設
118,000kW
220.0m3/s
61.1m

新七宗
実現




名倉 既設
22,200kW
80.00m3/s
34.12m

新名倉
新設
65,100kW
208.00m3/s
37.2m
→実質的に新上麻生として実現。大巾に使用水量は減ったな。。
上麻生
既設
27,000kW
62.55m3/s
51.30m

大柿
新設
45,500kW
232.0m3/s
23.3m
→実質的に新上麻生として実現。大巾に使用水量は減ったな。。
中麻生
新設
44,500kW
130.0m3/s
39.7m
→実質的に新上麻生として実現。大巾に使用水量は減ったな。。
新上麻生
実現
61,400kW
80.0m3/s
88.5m

川辺
既設
30,000kW
155.0m3/s
24.20m


大柿と中麻生の位置関係がイマイチ不明で,中麻生は上麻生の放流水で発電するような描かれ方をしてるけど多分不可能で,上麻生発電所の放水位99.95mと川辺発電所の取水 位94.0mに差は殆ど無くてとてもじゃないが40m近い有効落差をねじ込める筈がない。

[推定]大柿発電所
取水:飛騨川[上麻生ダム]159m程
放水:飛騨川[こ の辺]135m程

[推定]中麻生発電所
取水:飛騨川[こ の辺]135m程
放水:飛騨川[川辺ダム]94m

てな感じかと思われる。詰まり,図とは違って取水は北岸で行い,ここで川を渡って南岸に移るのではないか?

とはいえ,なんでここでこんなに使用水量が半減するのかは判らない。飛水峡の甌穴群への配慮とかあるのかね?
また一旦発電して水を中継するならこ の辺[EL130m程]の方が良さそうなのにねぇ。。

新久々野構想小坂川開発佐見川開発を受けてここも強化可能になるのではないか。白川と併せると良さそう。
一方で名倉PSの縮小や若しくは小川の導水(6.44km2)みたいな涙ぐましい努力の必要性なんかも視野に入るのかも知れない。上麻生も神渕川から導水 したりして水量増やしたい所。こちらはそこそこ面積ある。


新上麻生発電所[水力] [鉄子][DB
昭和62(1987)年6月:運用開始
ダム水路式・調整池式
認可最大出力:61,400kW   常時出力:0kW
最大使用水量:80.00m3/s
有効落差:88.5m (▲16.3m) 総落差:104.8m
水車:出力63000kW×1台
導水路:総延長10907.6m  放水路:総延長1582,86m[DB](延長1,554.857m[鉄子(現地銘板)])
    流域面積:1683.0平方キロメートル
    取水:飛騨川[名倉ダム此 処?]198.50m
    放水:飛騨川[川辺ダム・此 処?]93.70m

謎多き発電所。取水口は1.6km程下流にあるらしい。途中にサイフォンもある[DB] ようだが。。

洞野横坑・牧横坑・廣島横坑[勝手な記録]があるら しい。広島はこ こ。結構目撃されてる。。[TW] [4trabel]。DBに拠るとサイ フォンもあるそうだが,先ずは地下サイフォンで川を渡って広島辺りに出る(地上には出ないが。。)らしい。また牧横坑,見付けた!こ こだ。
上の地図にはなんとなく判ったとこだけ描いて置いた。

それにしても20.11訪問の木曽路同様飛騨路もなかなか遠路であった。国道そのものは2車線平面ながら割りと快 速ではあるんだけどそうは云っても平面処理の国道なんでスピードには限度ってもんがある(R19の方は木曽高速なんて渾名もあったようだがw)。
それぞれ中央西線・高山本線を擁しながら中央高速,東海北陸道に見放された感じも似ている。中京・関西と信越を結ぶR19の方が国土幹線としての重要度は 高そうな感じもするが,中央道には中津川から塩尻まで一つも市が無いのに対して,こちらは美濃加茂から下呂市・高山市・飛騨市を経て富山市と合併が進まな かった長野県に対して合併が進んだ岐阜県って事もあって市が並び,地域幹線としての重要度はこちらの方が高そうである。その為か周囲の高速道路から地域高 規格道路で接続しようとする動きは強く,先ずはR41そのものも美濃加茂BPが立体交叉で川辺町迄伸びている。そして高山にはR158のBPが一寸高山寄 りの経路を取った東海北陸に直結している上に,安房峠道路等と連携して松本方面とも結ぼうとしている。
さてそれに対して下呂には濃 飛横断自動車道が郡上と中津川から伸びようとしている。と云うか実際に馬瀬川の前後には供用済みである。これに拠って郡上八幡ICから下呂への ルートが開けたとも云いたい所なのであるが,和良から郡上には多 連ヘアピンの峠が残存して可成りの隘路となっている。濃飛横断道は和良の入 間付近から郡上八幡の初 納付近へトンネルをぶち抜いて狭い敷地に無理矢理設置した様な郡 上八幡ICに 取り付く様だが未だ調査中の段階だそうで,ものごっつい道路を開通させた効果が全く出て無くてクルマも通ってなかった。地方の無駄な道路寄こせに対しては 徹底的に批判的な俺ではあるが,下呂~中津川の一部区間がリニア建設に呼応して進むのに対して高速道路罔から取り残された下呂を救う為にも八幡~和良の直 結(今のヘアピンでは直結とはとても云いがたい)を速やかに進めるべきである。
なんなら美並ICの方と直結出来たらいいんだけど,こちらも道は悪そう。。羽佐古トンネルとか可能性を秘めてる感じがしなくも無いけど一寸ズレてる。

まあなかなか訪れる機会がないとは良いながら21.5に再訪してしまったw
下呂から川辺の中山七里のだらだら感が耐えられなかったので少ヶ 野の交叉点を直進してみた。
ナビでは15分程余分に掛かるような表示であったが,R257で舞台峠を越えて加子母(中 津川市域!)に出てR256とr52の白川街道で白川でR41に 合流するルートは車も少なく勾配も大したことは無く道路も整備されていて非常に快適であった。

高速交通罔から取り残されてる益田・下呂ではあるが,濃飛横断道以外にもR41も川の蛇行に付き合わずトンネルでぶち抜く等の短絡と一部追い抜き車線の設 置などを考えても良さそうな気はする。それにしても20.11には殆ど水利標識の収穫がなかったのに今回は収穫が多かった。


川辺(かわべ)ダム[便覧
河川     木曾川水系飛騨川
目的 /堤高/堤頂長 発電P/ 27m/178m
流域面積/湛水面積     2159km2 ( 全て直接流域 ) /120ha
総貯水容量/有効貯水容量     14492千m3/1724千m3
ダム事業者     中部電力(株)
着手/竣工     1935/1936
取水:飛騨川[新上麻生PS・上麻生PS]94.0m
放水:川辺発電所(155.0m3/s)

中部電力(株) 川辺発電所[水力
岐 阜県加茂郡川辺町西栃井
運開:1937.12
水路式・調整池式 →ダム式でもダム水路式でもないんか!?
    認可最大出力:30000kW      常時出力: 7200kW
    最大使用水量:155.00立方メートル毎秒
    有効落差:24.20m
    水車:立軸フランシス水車×3台 総出力21600kW
    流域面積:2159.0平方キロメートル
    取水:飛騨川[川辺ダム]94.0m
    放水:飛騨川[今渡ダム(木曽川)]69.5m


~木曽川~
(木曽川合流)
今渡ダム[wiki
ダムとしては木曽川最下流にあり、上流での水力発電によって変化した 河川流量を自然の状態に戻して下流へ放流する逆調整の機能を担う。
完成は1939年(昭和14年)。電力会社管理ダムであり、建設時は木曽川開発を手掛けた大同電力と飛騨川開発を手掛けた東邦電力が共同出資する、愛岐水 力株式会社という電力会社が管理した。

1924年8月、完成した大井ダムが貯水を始めると、木曽川ではある問題が発生する。当時、大井ダムの下流側には木津用水・宮田用水・佐屋川用水の3つの 農業用水があった(1929年羽島用水が完成し4つとなる)が、渇水期にこれら農業用水での取水が困難になったのである[7]。これは、深夜など発電が不 要な時間帯にダムへと貯水し、発電時にダムから放流する、というダムの流量調節に伴いダム下流側において毎日の流量変化が大きくなったことにより生じた [7]。特に大量の取水をする宮田用水への影響が大きく、同用水の下流地帯では水不足を原因とする水争いが頻発したという[7]。
その後も灌漑期の水位変動や工事費の負担をめぐる用水組合と大同電力とのトラブルは続き、1930年(昭和5年)には木津・宮田両用水における工事費の負 担を大同電力が拒否したため、2つの用水組合と会社側の紛争が再燃、組合側がダムの流量調節の停止を命令するよう政府などへ陳情する事態となった[8]。 愛知県が調停役とする用水組合と大同電力との協議の結果、費用負担は従前通りとすること、灌漑期間中は常に水位調節に腐心すべきこと、という組合側の主張 を会社側が認め、この紛争は沈静化した[8](→昭和29年、木曽川総合開発の一環として宮田、木津、対岸の羽島用水の取水口を統合する犬山頭首工の建設 にいたる[水土])

上流ダムによる流量調節の結果生じる下流への影響を抑えるために大同電力が計画したのが、河川流量を自然の状態となるよう放水する逆調整ダムの建設である [9]。逆調整発電所の建設は、木津・宮田両用水組合も1933年(昭和8年)に国や県へ陳情するなどその実現を求めていた[10]。

昭和のはじめ、大同電力は飛騨川合流点直前における逆調整発電所「今渡第二発電所」を計画し、その建設許可を申請した[11]。一方、当時飛騨川開発を手 がけていた東邦電力(名古屋電灯の後身)は木曽川・飛騨川合流点直上の飛騨川方に逆調整発電所「森山第二発電所」を計画し、その建設許可を取得した [11]。かくして木曽川・飛騨川合流点付近に2つの逆調整発電所が計画されたが、どちらも不況による電力の過剰から計画中止状態となっていた[11]。

停滞する逆調整発電所計画に対し、大同電力と用水組合の対立が続く中でその対策を講ずる必要に迫られた内務省と岐阜県当局は、2つの逆調整発電所計画を合 同するよう両社に慫慂した[11]。これを受けて大同電力・東邦電力は協議を進め、大同からは今渡第二発電所、東邦からは森山第二発電所の水利権をそれぞ れ提供し、新会社を共同で設立した上で木曽川・飛騨川合流点直下にダムを築造し共同逆調整発電所「今渡発電所」を建設することとなった[11]。1933 年5月、今渡発電所の水利使用許可を申請し、1935年(昭和10年)4月にその許可を取得した[11]。

水利権の許可取得後の1935年7月20日、資本金500万円、大同電力・東邦電力の折半出資にて「愛岐水力株式会社」が設立された[11]。初代社長に は東邦電力社長の松永安左エ門が就任し、以降は1年ごとに大同側・東邦側交代で務めることとなった[11]。また発電所の完成後は発生電力を2分割し両社 同一条件にて受電すると定めた[11]

着工準備ができた今渡発電所(今渡ダム)であったが、今度は舟運・流筏・玉石採取・漁業などの業者から生活を脅かすとして猛烈な反対運動が発生し、用水組 合からも逆調整に疑念を抱くとして了解が得られなかった[11]。岐阜県・愛知県当局の調停により1936年(昭和11年)6月着工に漕ぎ着ける [11]。工事中の洪水被害や、日中戦争による人的・物的影響が工事の障害となるも、1938年(昭和13年)12月末をもって工事は終結した[12]。 土木工事請負業者は間組である[13]。

今渡ダム工事中の1936年、大井ダムとの中間に笠置ダム(笠置発電所)が建設された。これに伴い大同電力は1937年4月、灌漑期間中は笠置ダムの水量 調節を停止し、ダムに達する全水量を均等に放流することとしたため、以後用水組合に対する寄付(施設改良工事費の負担)を打ち切るという旨を通告した [10]。この一件で大同電力に対する特に宮田用水組合の不信が強まり、今渡ダムが完成して仮貯水を始める段階になると、同組合は愛知県に対しダム操作規 定に組合の主張が反映されなければダムの操業を拒否するよう要望している[14]

宮田用水組合と電力会社の対立はダム完成後も続いたが、1942年(昭和17年)5月、内務省名古屋土木出張所の仲介によりダム操作規定について両者が了 解点に達し、加えて電力会社側(後述の通りこの時点では愛岐水力ではなく日本発送電)が宮田用水組合に10万円を寄付してこの問題は解決した[15]。こ の問題以外にも、砂鉱業権や下流船運などの問題があったが、買収または補償などの方法で処理されている[16]。

天端部分は基礎岩盤から33.4メートルの高さにあり、その標高83.3メートルに対し、満水位は70.5メートルに達する。

ダムによって形成される調整池の総貯水容量は947万200立方メートル。うち利用水深3メートル以内の有効貯水容量は392万2200立方メートルであ る。また湛水面積は1.5平方キロメートルに及ぶ(数字は2008年3月末時点[1])。なお竣工当初の総容量は677万2900立方メートルであった [13]。

今渡ダム右岸に位置する関西電力美濃川合発電所は、ゲートから放流するため発電に用いていなかった水量(年間180日程度のゲート放流が生じていた)を活 用すべく計画された発電所で[24]、1995年(平成7年)5月24日に運転を開始した[19]。ダム式発電所であり最大出力は2万3400キロワット (23.4MW) で運転されている[19]。

関西電力(株) 美濃川合発電所[水力]  …対岸には今渡発電所がある。
運開:1995.5.24
ダム式・調整池式
認可最大出力:23,400kW      常時出力: 7,900kW
    最大使用水量:220.0m3/s
    有効落差:12.36m
    水車:横軸プロペラ水車 出力24200kW×1台
    流域面積:4632.3平方キロメートル
    取水:木曽川[今渡ダム]70.50m
    放水:木曽川57.94m

今渡発電所側から見た今渡ダムと美濃川合発電所。
23.2
川の両岸に別々の発電所を作るという事でとんでもなく広い川巾を想像していたらそうでもなかったw

川合発電所アップ。水はゆったり,たっぷりである。


今渡ダムの裏側と太多線橋梁。


湖面。飛騨川・木曽川上流方面を眺める。

美濃川合発電所建屋近景


犬山頭首工


木曽川大堰
取水:木曽川用水[水源は岩屋ダム