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20.9.28運開

馬瀬川関連発電所(20.11彷徨)(23.2再訪)

飛騨川水系電源開発: 飛騨川 益田川 益田川(源流) 馬瀬川(1.水路図・2.現況[岩屋ダ ム馬瀬第一発電所馬瀬第二ダム馬瀬第二発電所3.馬 瀬川上流(3-1.瀬戸第二関連3-2. 開発構想史) 4.上流開発(4-1.和 良川開 発 4-2.馬瀬川 上流開発)

水路図
出典:水資源機構(pdf)
ダム式なので馬瀬川第一発電所・岩屋ダム両者の施設は一体である。
更に揚水発電なので馬瀬第二ダム湖とも機能上一体である。ネット上に画像が落ちていた[ダムの風景]ので何処に何 があるかは判明しており,各種資料・数値とも整合的である。
馬瀬第二発電所もダム式なので馬瀬第二ダムと一体である。但しどういう仕組みになっているのかイマイチ不明であった。ダム式だからダム直下に発電所がある のは確定しているが,国土地理院の地図が 馬 瀬川第二発電所の放水路っぽいのがダム直下に描かれていないのだ。次ぎに一 寸下部(268m程度・祖師野付近)に下原発電所(下原ダムの取水位268.30m)に送水するかの様な水路が描かれている。これによって一旦ダ ム直下で放水して ここから下原へ送水してんのちゃうかという想定を水力発電ウオッチ趣味を始めたばかりの20年秋当時の私は想定した。
しかし,新しい癖に馬瀬第二ダム直下(EL.278m) と一寸下部(EL.268m)の祖師野との間無駄な落差を作るのも解せない。恐らく祖師野の下原発電所取水口近くに放水口があるのであろうと20年秋の素 人の私は更に想定した。

色々整合的でないので態々現地視認もしてきたがダム直下に放水口らしきものはなく,下原への水路の入口(広瀬堰堤or祖師野堰堤)の現地には放水口っぽい施設も利水標もなく不明であった(野性の鹿は いた)。

まあ放水位とかもっとちゃんとみればより正確な想像は出来た筈なんだけど。。地理院地図も地下の構造物は時々間違えるし(十津川第一とか。)21.5の既に多数の発電所や地理院の地図の矛盾を見てきた今の私が見れ ば課題は簡単で,木曽発電所・読書第二発電所・下小鳥発電所な ど高度成長期謹製の地下発電所も沢山見てきた。この手の発電所は結構遠方に排水口があって,馬瀬第二も地下式で放水管を益田川大船度堰堤のダム湖付近迄伸ばして放 水 している様である。馬瀬川の堰堤は下原発電所のもので馬瀬第二発電所は無関係だったのである。やれやれ。(馬瀬川パズルは解決したが未解決の頃の記述はこちらに保存してある。中津川パズル(穴藤パズル)は未だ現地 が遠くて訪問できず解けていない)


<利水状況>
岩 屋ダムには間接流域がある様で調べてみるとなんと飛騨川の小坂にある東上田ダム, 国土地理院だと何故か小坂ダムと表記されている,から中呂発電所を介して 水を引っ張って来ている様である。更に馬瀬川の上流から瀬戸第二に送水しているようで色々絡み合っている。因みに東上田ダムには小坂発電所から放水を受けてお り,その小坂発電所に給水する小坂ダムは久々野にある。電力用ダムは地名で はなく給水先の発電所の名前を付けるという慣例がややこしくしてる気もするが, 電力の現場では一体に運用されてるダムと発電所の名前を分離したら逆に混乱するのであろう。御安全に。概略図は此処に示した。一体的な流れを堪能して欲しい(笑)

<馬瀬川開発前史>[3-1][3-2][3-3]
さ て,馬瀬川開発である。もともと馬瀬川には1938年には日本電力によって西村ダム(高さ19.5メートル・重力式)が建設され,益田(飛騨)川に導水さ れて瀬戸発電所(現在の瀬戸第二発電所)が設置されていたが、戦後になって最上流部の益田郡馬瀬村小原地点と中流の益田郡金山町岩屋地点が有力なダム・発 電所建設地点として着目されていた。特に岩屋地点は有効貯水容量を多く持つことができるため、注目度が高かった。

1950年(昭和25年)には国土総合開発法によって木曽川水系 は木曽特定地域総合開発計画が策定され、馬瀬川流域に二つの多目的ダムを建設して治水と水力発電に対処する方針を建設省中部地方建設局が中心となって遂行しようとした。計画 では馬瀬川の岩屋地点に高さ70.0メート ル・総貯水容量2,400万トンの「岩屋ダム」を、ダム直下で馬瀬川 に合流する和良川岩瀬地点に高 さ50.0メートル・総貯水容量1,750万トンの「岩瀬ダム」を建 設し、朝日ダム秋神ダム(秋神川)のように相互に貯水を融通することで最大 9,500kW(9.5MW)の発電を行う計画とされ ていた。この「岩瀬ダム」計画が馬瀬川第二ダムの源流と考えられる。

さ て一方で,飛騨川流域の水力発電事業を継承した中部電力は、日本発送電が調査していた朝日発電所とダム工事に着手する。当時,頻繁な停電を伴う深刻な電力 不足に陥っていた。このため大規模な貯水池を有する水力発電所を建設することで年間を通じ安定した電力供給を行い、当時石炭不足で稼働率の低かった火力発 電所に代わる主力設備として大規模なダムを擁する水力発電所の建 設が日本各地で盛んに行われるようになった。更に 流域間で効率的な水の利用を行うことで既に運転している水力発電所の出力や年間発生電力量を増加させることも電力供給上重要となった。この ため飛騨川流域でも戦前とは異なり流域全体で水力発電開発計画を進める必要が生じ、朝日発電所の建設などを経て(中部電力は)1962年流域全体の大規模水力開発計画を立てた。これが飛 騨川流域一貫開発計画である。

飛 騨川流域一貫開発計画は、1960年代になって従来の一般水力発電所から大規模な揚水発電計画を行う方向性にシフトしていった。飛騨川では1963年(昭 和38年)から高根第一ダム・高根第二ダム(飛騨川)による高根第一発電所が着手された。中部電力が次に手をつけたのは飛騨川流域最大の支流・馬瀬川で あった。
その(中部電力の)計画では「岩屋ダム」を単独での発電専用とし、飛騨川本流に導水し最大で12万8,000kW(128MW)を発生させる「焼 石発電所」を計画しており、建設省と中部電力の間には大きな乖離(かいり)があった。その後木曽特定地域総合開発計画による岩屋・岩瀬両ダ ム計画は立ち消えとなり、馬瀬川の電力開発は再検討された。

1963 年、「岩屋ダム」計画は農林省[3]による国営濃尾第二用水農業水利事業の水源として計画され、中部電力の発電事業と共同で実施される方向になった。さら に建設省は木曽川水系工事実施基本計画によって治水事業に「岩屋ダム」の活用を求め、最終的に1966年(昭和41年)の第43回電源開発調整審議会で関 連する四省庁[4]で調整が図られ、中部電力の「馬瀬川水力発電計画」を優先して事業を進めることで合意した。この時点で岩屋ダムは現行約1億 8,000万トンの貯水規模 を持つ巨大ダムとなったことで、下流への影響を最小限に抑え、かつ夏季のピーク時電力需要に対応できる水力発電計画を立てた。そして岩屋ダ ム下流3.8キロメートル地点に逆調整池を兼ねた下部調整池を建設することになった。これが馬瀬川第二ダムである。

参考文献
水力.com:[1-1]馬瀬川第一発電所・[1-2]馬瀬川第二発電所・[1 -3]大船渡発電所・[1-4]下原発電所・[1-5]瀬戸第一発電所・瀬戸第二 発電所・[1-6]東上田発電所・[1-7]中呂発電所・[1-8]小坂発電所・[1-9]久々野発電所
ダム便覧:[2-1]岩 屋ダム・[2-2]馬瀬川第二ダム・[2-3]西村ダム・[2-4]東上田ダム
Wikipedia:[3-1]岩 屋ダム・[3-2]馬 瀬川第二ダム・[3-3]飛 騨川流域一貫開発計画
ダムの訪問記:[4-1]小 坂堰堤(小坂ダム)

またごちゃごちゃ判りにくいので判りやすい図を見付けたので掲げる。
岩屋ダムに含まれてない下原が描かれてないので馬瀬川ダムの下流にある下原の馬瀬川(事実上和良川)の取水が不明でこれまで混乱することになった。
出典:岩屋ダム
瀬戸第二発電所の西村ダムでの取水量は15.5m3/sであり,瀬戸第二の取水量も15.5m3/sであるからこの日は西村ダムだけでこれくらいは確保出 来てる感 じである。
現地へ行った時も割と滔々と自由越流しており,また利水標から西村ダムだけで全量確保出来る取水量となっていた。



2022年2月21日の状況表。
終日ほぼ放流量0だが16:00~18:00迄突如として85m3/s程度の放流をしていることが判る。日没と夕方の電力需要に対応した感じであろうか?

最大使用水量300m3/s超の馬瀬第一に取って100m3/s内外を2,3時間動かすぐらいなら軽い運動であろう。発電と方向は逆だが揚水だって5時間 程持つ規模感のダムなのである。発電用有効貯水量は1億トンなので5,500万トンは渇水期の冬期だからか半分ちょいって所である。

また流入量もゼロの時間帯があって川停まってんの?って感じであるが1時間ずっと停まってる訳でも無く10分とか20分程度である。極めて水が少ない時間 も水位変動の中で起きうるという感じか?




兎も角,先ずは手許に集まった情報を上流側から。二手に別れてクロスしたのちに合流する。なかなかダイナミカルだ。

[馬瀬川源流[~(弓 掛川取水口→)西 村ダム(→厚 谷取水口瀬 戸第二発電所)~下原ダム→下原発電所~大船渡ダム→[飛騨川]

[益田川源流]~東上田ダム[飛騨川]→中呂発電所→)岩 屋ダム・馬瀬川第一発電所~馬瀬川第二ダム・馬瀬川第二発電所~[和良川合流]~?取水堰(→下原発電所)~大船渡ダム[飛騨川合流]→

まあテキストで書いても解りにくいし図にするとこうなる。全体図は画像をクリックして欲しい。

さて馬瀬川関連は益田川側の東上田ダム辺りから始まる。この辺から絡み合うのだ。


東上田ダム(小坂ダム)
下呂市小坂町[場所]・中部電力(株)・発電
集水:飛騨川・小坂発電所
送水:東上田発電所・中呂発電所
堤高:18m
流域面積/湛水面積: 770km2 ( 全て直接流域 ) /21ha
総貯水容量/有効貯水容量     1065千m3/561千m3
着手/竣工     1952/1954
送水:中呂発電所(20m3/s)・東上田発電所(40m3/s)

本当は東上田ダムだけど国土地理院 にも小坂ダムと書かれちゃってる東上田ダム。此処から中呂発電所を通じて益田川の水を馬瀬川へも送り込む重 要なダムで ある。

21.5.21現地視察。前回はもう真っ暗でどうしても見つからなかったのだがあっさり発見。とは いえ内容は残念な結果でなんと東上田ダムからの放水は 水量が重複していて合計 で40m3/sしか無いようだった。詰まり中呂に20m3/s送ってる時は東上田には20m3/sしか送れず,東上田に40m3/s送って る時は中呂には給水出来ない(しない)容量の様だ。

益田川流域 最大の隘路に急浮上である。。
小坂ダム(小坂堰堤)と東上田ダム(小坂ダム)の流域面積の差から270km2程増えていて(=20m3/s以上は水を追加的に確保出来そうで),その上 で久々野発電所の最大使用量44.70m3/sなので60m3/s程度は恰度良い水量かと思っていたのに,東上田ダムが40m3/sしか供給出来んのはだ ちか ん。

ゲートと取水部。


中呂(ちゅうろ)発電所[水力
下呂市中呂・中部電力(株)・発電
出力:13,300kW 常時:0kW
最大使用水量:20m3/s
有効落差:
立軸フランシス水車 出力13800kW×1台
受水:東上田ダム
送水:岩屋ダム・飛騨川

此処から中呂・馬瀬第一・馬瀬第二と徹底して常時0kWである。ピーク時以外は動かさないぞと云う感じである。

益田川を跨ぐ導水管はこんな感じ。あの山の向こう側迄,或る程度の下り勾配付けて水を送るのにこの低さで大丈夫かと思うけど結構南下するとこの高さが岩屋 ダム湖の湖面になるのだ。 実際に馬瀬川の流域は南北に長く,R41を南に向かって走っていると何度も右折馬瀬の 青看板が出てくる。



東上田発電所[水力
    所有:中部電力株式会社[運開]
    昭和29(1954)年12月:運用開始
水路式・調整池式
認可最大出力:35000kW      常時出力:16400kW
 最大使用水量:40.00立方メートル毎秒
    有効落差:104.53m
    水車:立軸フランシス水車20000kW×2台 
    導水路:総延長12807.0m
    流域面積:770.0平方キロメートル
    取水:飛騨川[東上田ダム]504.00m
    放水:飛騨川382.18m

ピーク時には20m3/sを中呂に奪われてしまう東上田PS。ちゃんと対応はされてて水量低下に弱いフランシス水車が2台用意されてて定格が20m3/s ×2で,40m3/sで動かさない時は一台だけ動かせば恰度20m3/sで動かすのが最適なようになっているということか。
まあ中呂発電所設置の前からこの2台体制なんであろうけど。。

瀬戸ダム




弓掛堰堤(→こちら参照)


西村ダム(→こちら参照)
場所:下呂市馬瀬西村[場所]・中部電力(株)・発電
堤高:19.5m
流域面積/湛水面積     217.3km2 ( 直接:163.3km2 間接:54km2 ) /5ha
総貯水容量/有効貯水容量     276千m3/200千m3
着手/竣工     1933/1938
受水:馬瀬川・弓掛川
送水:瀬戸第二発電所[飛騨川]




瀬戸第一発電所
認可最大出力:28200kW
最大使用水量:32.00m3/s
有効落差:101.69m
導水路:総延長12381.2m
流域面積:924.7平方キロメートル
取水:益田川[瀬戸ダム]
放水:益田川(269.85m)

瀬戸第二発電所(→こちら参照)
認可最大出力:21000kW
最大使用水量:15.50m3/s
有効落差:156.60m
水車:出力10800kW?×2台
流域面積:222.4平方キロメートル
取水:弓掛川、床鍋谷、他→馬瀬川[西村ダム]450.00m
放水:益田川[ほぼ下原ダム]271.51m








水資源機構の前身水資源開発公団が建設した多目的ダムである。発電の他,農業用水,工業用水,上水道用水,治水 などを目的として巨大ダムが建設された。

岩屋ダム[水力][便覧]
場所:
事業者:(独法)水資源機構管轄
目的:治水・潅漑・上水道・工業用水・発電
堤高:127.5m
流域面積:
[1-1] 1,034.9km2( 直接:264.9km2  間接:770km2 )
[2-1] 1,804.9km2( 直接:1034.9km2  間接: 770.0km2)
[3-1] 1,734.9km2
湛水面積:426ha(4.26km2)
着手/竣工    1966/1976
容量
      総貯水容量:1億7,350万立方メートル
     有効貯水容量:1億5000万立方メートル
        治水容量: 5,000万立方メートル(有効貯水容量の内)
     発電、利水容量:1億立方メートル(有効貯水容量の内)
     (内、利水容量: 6,190万立方メートル)
    堆砂、死水容量: 2,350万立方メートル
標高
         堤頂標高:427.500m
     洪水時満水位標高:424.000m(サーチャージ)
      常時満水位標高:411.000m
        低水位標高:366.000m
      取水口中心標高:352.000m
    放水口側満水位標高:314.500m(馬瀬川第二ダム湖面)
         河床標高:306.000m
    放水口側低水位標高:303.500m(馬瀬川第二ダム湖面)
       基礎岩盤標高:300.000m

潅 漑:岩屋ダムによって貯えられた水は加茂郡白川町に建設された上麻生ダム(中部電力)の貯水池に設けられた白川取水口より取水され、トンネルを通じて美濃 加茂市の蜂屋調整池・上飯田調整池で一時貯留された後に美濃加茂市・関市・八百津町などの木曽川右岸地域約4,000ヘクタールへ新規農業用水を供給す る。

馬瀬川第一発電所 中部電力(株)[水力][便覧]
運開:1976.6(1号機)・1976.7(2号機)
種別:揚水式水力
ダム式・混合揚水式
認可最大出力:288,000kW  常時出力:0kW
最大使用水量:335.00m3/s
有効落差:99.60m
立軸斜流可変翼(デリア)ポンプ水車×2台 最大出力149000kW(発電時)、最大入力160000kW(揚水時)
水車中心標高:265.000m→?そんな低いのか!馬瀬川第二ダムからも水を引き込む必要があるから??
上部貯水池(取水):馬瀬川[岩屋ダム]406.0m
下部貯水池(放水):馬瀬川[馬瀬川第二ダム]303.5m

馬瀬川第二ダム[水力][便覧
岐阜県下呂市金山町
中部電力(株)
目的:発電
流域面積/湛水面積    1049km2 ( 直接:279km2 間接:770km2[中呂導水] ) /70ha
総貯水容量/有効貯水容量    9736千m3/6100千m3
着手/竣工    1966/1976

馬瀬川第二発電所[水力
馬瀬川第二ダム湖は巨大ダムである岩屋ダムの逆調整池であり,また揚水発電所としての馬瀬第一発電所の下部調整池も兼ねている。
下 部調整池である第二ダム湖は、第一発電所が五時間連続して揚水発電を行う運転に耐え られるだけの有効貯水容量を持つ。また①馬瀬川第 二発電所は第二ダムの下流、約100メートル先の右岸に地下式として建設され、ピーク時発電に対応するため常時発電は行わず、電力需要が増 大する夏季に最大6万6,000キロワットを発電する。②発電さ れた水は延長5.5キロメートルの放水管を通じて飛騨川本流の大船渡ダム湖上流端で放流される。

馬瀬川第二発電所
中部電力(株)
所在地:岐阜県下呂市金山町岩瀬[場所]
運開:1976.6
一般水力・①ダム式・調整池式
認可最大出力:66,400kW  常時出力:0kW
最大使用水量:113.00m3/s
有効落差:69.55m
水車:立軸フランシス水車 出力68000kW×1台
流域面積:1,049.0km2
取水(位標高):馬瀬川[馬瀬川第二ダム](309.00m)
放水(位標高):②飛騨川(230.5m)

特に新しい情報もない場所に限って設置してある水利使用標識。まあ目新しい情報としては飛騨川が記載されてることぐらいか。これは中呂発電所を経由して送 られてくる分である。馬瀬川第二も飛騨川の水を使っているという事になっているんだな。

この放水場所が不明である。ネットで見つかる情報もこのぶっとい水圧鉄管と左手の変電設備ぐらいしかない。
hietsu/wara10.jpg
1147km2 1147km2
ダム式より,ダムの堰堤体の直近に発電所は存在する。しかしここから水路で地下を延々と飛騨川迄送られて吐水口は近くにはない。様々な記述から広瀬堰堤を馬瀬第二の飛騨川への送水口だと思いこんでその水路を探し回ってしまったw
→時は流れて23.2,放水口の上(推定・地 理院G 空撮)に立ったが,それを示す看板の類は何もなかったのでもしかしたら違うとかあるかもしれない。。

『日立評 論』(1977)に格好いい図を見付けた♪
図1 馬瀬川第一発電所水路縦断面図(2号機)

上部貯水池より下部貯水池に至る水路の詳細を示す。放水路は長さは200mにもか かわらず,サージタンクは省略されている。

上池の岩屋ダムの常時満水位(H.W.L.)はEL.411.0m,非常時のサーチャージ水位はEL424m。最低水位はEL.366.0mらしい。
一方の下池の馬瀬川第二ダムの常時満水位はEL.314m,最低水位はEL.303.5mとある。

表1 斜流ポンプ水車仕様

最高落差/最低落差比及び最高揚程/最低揚程比が2という非常に大きな変落差であ ることと,比速度のおおきな発電所である。





増強であるが,直ぐ脇を流れるのに何故か利用されてない和良川(ネタあかしをするとちょいちょい本 項の記述でも顔を出してる広瀬堰堤で取水して下原発電所 に送られている)
下原発電所は中部電力でこちらも中部電力なので水の融通は簡単であろう。取水をして欲しい所。下で検討する。

下原発電所・広瀬(祖師野)堰堤[場 所
取水:馬瀬川・和良川270m …馬瀬川からはほぼなし。
取水量:?
流域面積:137.7km2 (416.7km2)※計算は下記(3)及び(5)の結果より

下原発電所流域面積 1563.7km2…(1)←馬瀬川+益田川
 下原ダム流域面積  1147km2…(2)←益田川のみ
従って祖師野堰堤流域面積  416.7km2…(3)=(1)-(2)←馬瀬川のみ
 馬瀬第二ダム流域面積 279km2…(4)←益田川[大船渡ダム]放水
従って狭義の祖師野堰堤流域面積 137.7km2(5)=(3)-(4)


どうやら此処の名前は広瀬堰堤若しくは祖師野堰堤というらしい。また正式には下原発電所馬瀬川堰堤と云うらしい。

薄暮と降りしきる雨とデジカメ忘れてタブレットのカメラに下手な腕前と4重苦揃った拙い写真で大変恐縮だけどこん な感じ。
馬瀬川堰堤としたけど馬瀬川の水は馬瀬第二で益田川(飛騨川)方へ送られるので大宗は和良川の水である。
20.11
対岸への取水口近くへは中電が設置したと思われる吊り橋でアプローチ

上流を眺める。水は満々と貯まっていてこれは和良川の水である。
無人の物寂しい雰囲気で熊鈴を付けての渡河であるが,河原の叢でばさばさっと大きな音がしてビビるが,鹿が下流の方へ草を掻き分け駆けていった。

取水施設近景。此処にも利水標識は無し(怒)
しかし怒ってる場合ではなく,しとしと雨の降る夕暮れ時の濃飛の山あいで,設備が1976年開設の馬瀬川開発の頃のものと云う寄りはもっと古く下原発電所 の1938年開設の古さにきづくべきであった。この辺の顛末はこちらに引っ越した。
   


下原ダム
河川:  木曾川水系飛騨川
事業者:中部電力(株)
目的:発電
堤高:23.9m
流域面積/湛水面積     1147km2 ( 全て直接流域 ) /35ha(0.35km2)
総貯水容量/有効貯水容量     2936千m3/684千m3
着手/竣工     1933/1938
取水:益田川(瀬戸第一32m3/s・瀬戸第二15.5m3/s・竹原川2.5m3/sなど)
放水:下原発電所(80m3/s)
23.2
上流の発電所から少なくとも50m3/sの水量がある。とは言え流域面積1147km2 から見ると目安となる110m3/sの半分以下である。。馬瀬の方で最大113.00m3/s使うし,まあこんなものなのかも。

下原発電所
中部電力株式会社
所在地:岐阜県下呂市金山町中切
運開:1938.12(日本発送電)
 ダム水路式・調整池式
認可最大出力:22200kW      常時出力: 3800kW
最大使用水量:80.00m3/s
有効落差:34.55m
水車:2台 総出力26250kW
取水位標高:268.30m
放水位標高:230.80m
流域面積:1563.7平方キロメートル
取水:飛騨川[下原ダム]、馬瀬川[馬瀬川取水堰](268.30m)
放水:飛騨川(230.80m)

23.2

ここでもう一つ燃料投下:

中部電力はその後朝日ダムを皮切りに飛騨川流域一貫開発計画による大規模水力発電計画を進めていったが、下原ダムはこの計画によって大幅な電力発生量の減 少を余儀無くされた。1976年(昭和51年)馬瀬川に岩屋ダムと馬瀬川第二ダムが完成し揚水発電の馬瀬川第一発電所が運転開始、二年後の1978年(昭 和53年)には中呂(ちゅうろ)発電所が運転開始して馬瀬川からの取水量が減少したことにより、完成当時は年間発生電力量が約1億 3,076万キロワット時だった(下原発電所の発電電力量は)両発電所の運用開始に伴い年間 1,800万キロワット時と、約9分の1近くに減少したのである [10]。[wiki (下原ダム)]

馬瀬ルート運開以降,下原発電所の発電量が1/9になったかのように書いてあるが減少分が1/9(≒11.1%)近くであり,実際は10%以上発電量は減 少した(8/9程度になった)ということの様である。中呂への送水を通じた益田川の減少分と広瀬堰堤と西村ダムを通じた馬瀬川の放流減を通じた減少分があ ると思われるがこれくらいならまあそれ程減少幅は大きくないような感じもする。

馬瀬川第二放水口



大船渡堰堤
ここから水は2ルートに岐れて併走する。中呂から2ルートに分かれてたのであるけど。

堰堤


新七宗取水口


大船渡からも新七宗へ分岐しており2ルートは上麻生まで続いている。




以下馬瀬川開発で検討してみる。