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21.07.07運開
穴内(あなない)川[吉野川水系]・ 新改(国分)川[二級河川・高知県]の利水(穴内川篇)(24.7訪問)

【樫谷・穴内川ダム・r268蟹越繁藤線】【繁藤・繁藤堰堤・河ノ川】【角茂谷・角茂谷川】【土佐北川・久寿軒川】【甫喜ヶ峰・】【平山・新改・休場・平 山発電所・休場ダム・新改発電所】

早明浦ダムの下流で吉野川に流れ込むのが穴内川である。
徳島県へ流れて行く吉野川の上流域の高知県山岳部から高知県の平野部への導水をしての発電は鏡川へ 流れ込む天神発電所仁淀川へ流れ込む分水第一~第四発電所と此処の計3箇所もある。愛媛県も似た様に分 水が三箇所ほどある。香川も香川用水が命の水甕となっており,四国全県の水源となっている吉野川である。

さて現在一番上流にある発電施設の穴内川ダムの満水位は419mである。此処へ流し込む発電所 を検討する。
名 無し名 無し穴 内川EL599mから6.96km導水すると穴 打川ダム419mに至る。実際は395m位に放水出来そうだけど180mとしてみる。約10.5km2。1m3/s取れるとすると1,500kW 程度。一寸キツいな,,


650m取水にしてみる。下図の様になる。
穴内川水域以外からも取水して面積と水量を確保。11.0km2。小さいな。。マウスオーバーで山野目橋や樫谷にある沢の上流も取ると 追加で3.2km2で合計13.2km2。
多雨地帯に近年の資本財価格の低下を背景にした強気に2.0m3/s取れると仮定して3,900kWと惜しくも4.0MWならず。。穴内川水域外からの導 水をどう評価するかにも関わってきそうではある。

先ずは一寸異例な水の流れを見て行きたいと思う。

この穴内川には穴内川ダ ム穴内川発 電所が建設され ,更にその逆調整池の機能も果たすと思われる繁藤堰堤を下部調整池として混合揚水が行われている。この繁 藤,ダム便覧にも載っていない15m未満の非ハイダムで貯水量は34.8万m3しかない(→現地で貯留量確認。もっと少量の19.8万m3であった。。)。
扨(さて),趣味開始直後の私は混合揚水と云えば高根畑薙馬瀬辺りの下池も結構大きな(本格的な?)混合揚水ばかり見知っていて。でこんな小さい下部調整池でどないすんねんと疑問を呈していた私であるが,三尾発電所を調べている中で,詳細が判明!日立が出している『日立評 論』1964.11が揚水発電所特集で,穴内発電 所も載っていたのである。

>余剰電力時に繁藤調整池より穴内川貯水池に揚水運転する。また豊水期に繁藤調整池より穴内川貯水池に揚水して繁雌調整池のあふれを救済する。
のだそうな。豊水期に取水するのは実は三尾PSと 同じで昭和30年代の混合揚水は昨今の巨大純揚水とは設計思想が違っていて,小さめの下部調整池が溢れそうになった時に大きめの上部調整池に溜め込むと云 う運用をしていたらしい。(繁藤は堰堤そのものが小さいけど大きな木曽ダムを前にして放取水口と発電所をもっと地下深くに造るという発想は無かった様だ。)
これも経済的に揚水が補助的な発電所では水深を浅くする方が効率的ということらしい。詳しくは以下で。
廃止されてしまったが小口川の祐延ダムでも混合揚水も下池に殆ど貯留量なさそうで沢水を汲み上げるタイプの様であった。
更に調べて行くと新豊根が佐久間ダムの溢れを毎夜救済してるっぽいが 佐久間ダ ムと新豊根も建設は古く規模は巨大だが設計思想は似ているのかも知れない。

さて,この水域には24.7(の2回目)に始めて足を踏み入れた。
R32で東豊永・太田口と攻め上がった

~沿川風景~
太田口の西側に分岐点はある。
交通上はこちらがR32が併走し近くに高知道も走るメインルートで吉野川沿いを併走するのはr262である。


久 寿軒谷川
くすのき[楠木??]と読むのか??

ここは土佐北川駅から入って行く。
10代の私が一番読み込んだシリーズの一冊である『国鉄全駅各駅停車 山陽・四国670駅』(1983)に拠ると北川聚落は数キロ奥にあるようで,本来は久壽軒駅となっても可怪しくはなかったのかも。
土佐北川は1960年に開業。更に隣に大王信号場が1964年に開業。
『駅』はこの時代の出版で土佐北川駅は築堤上の棒線の駅だったようである。(その頃 の写真発見・郵便車と荷物車併結かっけー♪→年金 爺さん)
>土佐北川駅は北川林道と久寿軒谷川に挟まれた築堤の上に有り ました
>開設当時から無人駅で待合所も無い短いホームだけの駅でした
この辺に駅があって右岸沿いを走っていたようだ。
その後,1986年には防災のため土讃線の路線変更に伴い、大王信号場と統合する形で現在地に移転,今のような第三穴内川橋梁に内包される形の行き違い可 能な駅となった[wiki]。
改良を重ねて単線非電化ながらそれなりに筋肉質な線区になってるという個人的な印象はあったのだがその一つの源がこの土佐北川駅改良であったのは確かであ る。

久壽軒川側に出入り口があると思ってたけどなんと穴内川を挟んで反対側にも出入り口があって阪神武庫川みたい川の両側から駅へ行ける構造だった。
ただどち らからもホームまでは遠かったのでホームまでは辿りつけなかった。。

穴内川方

久壽軒川方

久寿軒川方の駅前はちょっと広くなっていて,ふるさと林道北川線の看板が立っていた。

全く川の撮影ポイントがないまま取水堰より奥へ来てしまい,むなしく引き返してきた。ゼロ回答や,,
引き返した場所より更に一寸行った先に郵便局迄あったようだが,その郵便局名は久寿軒簡易郵便局とその辺でも未だ地名は久寿軒らしい。北川はその奥で相当奥まった場所であり,改めて北川という駅名の無理矢理感を実感した次第。

北川駅前での久壽軒川の穴内川への合流


久寿軒谷川堰堤(仮称)
流域:15.8km2[推計]
取水位:349.4m[推定]





角 茂谷川
角茂谷は繁藤同様その名の国鉄(JRだけどw)の駅がある。此処が一番狭い。
r266角茂谷停車場線とともにR32から角茂谷へ進入する。


入り口・赤い背の低いトラス橋が印象的。穴内川の流れ。取水されまくってるせいか水量は多くはないように見える。

逆に角茂谷から見た穴内川との合流点方面

県道は残念ながら路線名に忠実に踏切を渡ると谷遡上ルートを岐けて路線名の角茂谷停車場線の通り,角茂谷駅へ向かう。
棒線の角茂谷駅と天坪ふれあい休憩所。今はただの小駅だが,1930年に高知線として建設され土佐山田から延伸された現在の土讃線の終点になった こともあったらしい,
早くも2年後の1932年には大杉駅迄伸びて中間駅となり,三縄迄伸びてきた徳島本線とつながって改めて予算本線の支線と併せて土讃線となっ たのは1935年のことだそうな。
一時は終着駅になったと云うことは転車台の跡ぐらい残ってたのかもしれない。
空 撮を見る限りなんかありそうな感じはしないけどクルマを下車してホームから構内を見回す位の事はしても佳かったか。棒線の小駅と侮ってたw

あわよくばこのまま河ノ川へ抜けられないかと奥へ進んだがこのさき車両の通り抜けできません!大豊町の看板に阻止された。。
ス トビュウも同じ所で引き返してるけど21.6時点と配色は同じなのに字体がなんか細くなってる。


さて,肝腎の取水設備の方だけど,なんか下の方に水路橋っぽい構造物っぽいものがチラ見えしてた。
が,それ以上近づけないようで,取水堰堤も更にそれより上 流っぽいしで諦めて引き返してきた。





河 ノ川
凄い名前だw
かわのかわと呼ぶのかな??
割と面積が広い感じ

河ノ川堰堤(仮称)
流域:17.2km2[推計]
取水位:346m[推定]


入り口は繁藤の手前付近である。橋を渡ったところの極 細道[ストビュウ]が先程の看板(→ この時)の先の到着先の様だが,現地では余り意識せず通過してしまった。
こんな脇道の車輌末端迄見出したら到底本来の計画を達成できなくなるとは云え,知りたいことは知りたい。G社の奮起を期待したいところである。

さて一寸走ると何やら怪しげな(ピンとくる)橋が。

渡りながら下を覗くと何やらバルブのようなものが突き出してるしただの端ではなさそう。

草木に邪魔されて全然見えない写真で恐縮だが肉眼では橋の下に水管様のものが走っており,水路橋で確定である,といって佳かろう。

対岸に渡ると斜面の上に水の合流施設があった。斜面の上と云う事で判る様に,さっきの水路橋はサイホンを通している様だ。

水は力強く流れていた。

さて此処迄二沢不発だったのが施設確認出来て上機嫌で上流へ。
早速堰堤発見!

横顔

堰堤上流。池と云うより埋まって河原化した感じであった。


取水設備に接近してみる。
橋を渡ろうとすると衝撃の事実が。川の名前,河ノ川川というらしいw立川川とか横川川とかいっぱいあるこの辺(この辺参照)だけど遂に河ノ川川迄現れたw



【繁藤】→繁藤災害繁藤堰堤利水標穴内川発電所       
さて今回(24.7②)のメインコンテンツと考えていた繁藤堰堤とそれへの引水3河川である。

88箇所に拠ると
>四国に台風襲来の際には必ずといってよいほどニュースで雨量が報道される ここ繁藤地区。昔は『天坪(あまつぼ)』という地名であった。天から降ってくる雨が坪のように集まる場所・・・なんとも言いえて妙な地名である。
>それほどこのあたりの豪雨はすさまじく、堰堤脇を走る基幹国道32号線に も一定量以上の雨を観測すると自動的に通行止め表示が出る機械が設置されているほどである。
>また1972年の夏にはおりからの集中豪雨で繁藤駅に停車中の機関車が駅 舎ごと土石流に飲みこまれてしまい、多数の犠牲者を出した。世に言う「繁藤災害」であり、線路沿いに流れる穴内川の対岸まで流された機関車はいまだに掘り 出しが不可能である。
まあ集中豪雨時に道路が通行止めになるのは珍しくもなんともないが雨が多い地区であるのは確かであろう。
繁藤堰堤近傍には僅かながらも聚落があってダムで水没させるに忍びないとするなら河ノ川久寿軒谷辺りに洪水対策込みで発電用調整池設けて もええんちゃうか。多雨を有効活用出来る様に成るのはデカい♪

>また1972年の夏にはおりからの集中豪雨で繁藤駅に停車中の機関車が駅 舎ごと土石流に飲みこまれてしまい、
この部分は繁藤災害[いさぼうねっと] [wiki] [香美市] [高知新聞] [テレビ高知] というらしい。鉄道も大きな被害を受けたのに『670駅』にも記述がなくて知らなかった。。川関係の災害だと飛 騨川のバス転落事故を思い出すが,こちらは山体崩壊という規模の大きさがある,,
>昭和47年(1972)7月5日の豪雨によって、高知県香美市(旧土佐山 田町)繁藤、通称追廻山の山崩れは、同日早朝の山崩れによる家屋の土砂排除などの作業中に埋没した一人の消防団員の救出中に起こった二次災害で、消防団員 や一般協力者など、60名の尊い犠牲者を出しました。
>1972年(昭和47年)7月4日から5日にかけて、暖かく湿った空気が 舌状に大量に流れ込む「湿舌」が四国山地にぶつかったことにより大雨をもたらし、土佐山田町繁藤では1時間降雨量95.5mm(5日6時)、24時間の降 雨量が742mm(4日9時〜5日9時)という激しい集中豪雨に見舞われた。
>(一次災害後の翌5日)10時55分、ついに大崩壊が起きた。山腹に大きな亀裂が発生し、雷が落ちたかのような音とともに、約10万m3の土砂が 一瞬のうちに、駅前付近の集落を押し流して、60名が行方不明となり、一次災害とあわせ、60名の尊い命が奪われた。
>10万m³もの大量の土砂が駅周辺の民家のほか、駅および 駅構内3番線に停車中だった高知発高松行き224列車(機関車DF50 45号機牽引、客車4両)を直撃した。突如発生した大崩壊による土石流は、家屋12棟や機関車1両と客車1両を一気に飲み込み、現場付近で救助活動を行っ ていた町職員や消防団員、その活動を見守っていた周辺住民や列車の乗務員、乗客らを巻き込んだ後、駅背後を流れる20m下の穴内川まで流れ落ち川を埋め尽 くした。中でも機関車は川の対岸まで飛ばされるほどに土砂に押し流され、1両目の客車が機関車の上に乗りかかるように埋没、2両目が崩れ残った路盤に宙吊 りとなり、辛うじて3両目と4両目の客車が被災を免れた。

>大崩落した山腹にはくっきりと痕跡が残り、押し流された鉄道のレールは川 に沈んだまま。
出典:高知新聞
>繁藤災害の土砂災害は、深層崩壊という、規模の大きな崩壊現象でした。山 の表面だけでなく深層の地盤まで崩れ落ち、土砂の流れるスピードが速く、広範囲に被害が及ぶ現象です。繁藤災害を振り返る上で最も重要なポイントは、『大 崩落は雨が弱まってから発生した』ということです。これまで降り続いた大量の雨が土の中に溜まり、山はこれ以上水分を含むことができない状況となっていま した。テレビ高知

こ れ[地理院]が崩壊の痕であったか。現地では全く災害を意識しなかったが犠牲者に黙祷を捧げたい。

繁藤駅


堰堤はもう少し行った場所にあった。

ハイダムではないとはいえ存在感は十分。

天端のクルマでの通行も可能だった♪対岸にある建物が管理棟。

天端の直ぐ脇に利水票もゲット。管理棟側に引水路の放水口や平山発電所の取水口があるのに,利水票は国道に向けて掲げ られてるって訳だ。
取水量21.5m3/sってのは平山の唯一の直接取水先なので既知。有効貯水量が不明だったが19.8万m3の様である。


湖面の様子
堤体脇から見る(左)と狭いかなという感じだけど天端からみれば(右)結構広々してる。

上の写真に写る久寿軒川等からの放水口(左)と平山発電所への取水口(右)

甫喜ヶ峰用水の取水口はこ こ(地理院)こ れ(すとびゅう)のようだ。

繁藤堰堤[88箇所]『日立評論』      
竣工:?
形式:重力型越流ダム 目的:P
取水位:346.4m
取水:穴内川[穴内川発電所]・導水[久 寿軒谷川→(角 茂谷川→)→(河 ノ川→)→繁藤堰堤]
送水:平山発電所・(旧平山発電所=こ れ?)
堤高:9.9m(88箇所) 11.7m(日立)  堤頂長:95.7m
総貯水容量:34.8万m3(88箇所=死水容量込みのもの?平山発電所のもの?) 有効貯水量:19.3万m3(日立・揚水用のものか?それとも平山発電所の容量込みか?)→現状は19.8万m3の 様だった
 利用水深2.0m(日立=穴内川PSのものか?三尾PSの木曽Dの利用水深も1.5mであった)
流域:102.3km2(直接:62.9km2 間接:39.4km2)

>地表のEL.352.650に対して, 水車中心はEL.338.900に設置された半地下式の発電所
>本揚水発電所の設計においては,上部穴内川貯水池の季節的調整 方法を電力系統経費が最小になるよう規則化し穴内川貯水池,繁藤調整池のあふれ,国分川の最大,最小流量制限などの条件を加味し,水力および火力余剰電力 の使用規則などをまとめて計数形電子計算機のプログラムを作成した。
>過去10年間の毎日の流量および将来の電力需要を想定したものをもとにし て,毎日を昼間,夜間,ピーク時の三つに分け,純発電,複合揚水(ダムあふれ救済,余剰電力時にのみ揚水する),日調整揚水(毎日夜間に揚水する)の三つ の場合について,運転のシュミレーション計算を行なった。

だそうな。繁藤堰堤溢れ救済とあるので,平山発電所を止めて揚水すると云うよりは平山発電所21.5m3/sで使い切れない程の流入量があり且つ穴内川ダ ムに余裕がある場合に平山PSで発電しつつ穴内川PSの発電を止めて揚水すると云う運用の様である。

>運転面より考えると,全変落差範囲を通じて,水中最大水量は一定であるこ とが好ましいので,有効落差69.5mより45mまでの水車最大水量は22.0m3/s一定とし,最低落差29.0mでも水車最大水量は17.0m3/s 流せるように選定されている。
>穴内川発電所のように発電に重点がおかれ,水系を経済的 に運用するために 付随的にポンプ運転を行なう場合には,それぞれの揚程に対する揚水量を制限することにより,吸出 高を浅くすることができる。経済計算結果に基づいて,吸出 高は-5mと,高落差カプラン水車,斜流水車と同じ程蔭に選定され,回転数ほ360rpl-1と水車専用機のものに近い値が採用されている。このためポン プ最大揚水量は13.1m3/sと水車最大流量の約半分に制限されている。

ともある。まあ繁藤堰堤の規模が極めて小さいので喞筒最大揚水量が小さくなるのは合理的なのであろう。


四国電力(株) 穴内川発電所[水力] 『日 立評論』       
所在地:高知県香美市土佐山田町繁藤
運開:1964.7
ダム水路式・混合揚水式
認可最大出力:12,500kW   常時出力:1,400kW(計画時は1,600kWか?『日立』)
年間発電量:24,677MWh  (2,467.7万kWh)
使用水量:発電最大22.0m3/s 発電常時4.35m3/s 揚水最大14.3m3/s
有効落差:発電最高69.5m 常時52.25m 最低29.0m 揚水最高75m 最低33.0m
水車:立軸斜流ポンプ水車 最大出力13500kW×1台 (可動翼斜流ポンプ水車)
導水路:圧力トンネル延長1178.3m
流域面積:52.7km2
上部貯水池:穴内川[穴内川ダム]418.0m (満水位) 利用水深:40m
下部貯水池:穴内川[繁藤堰堤] 利用水深:2.0m (久寿軒谷川[田 村谷(tw)]→角茂谷川[田 村谷(tw)]→河ノ川→穴内川[繁藤堰堤])344.5m



繁藤からは最後の吉野川水系北滝本川沿いに南下をして根引峠を超え,いよいよ太平洋側?に出る(吉野川は何側やろか。。)

~新改川(国分川)~[以後こちらでレポ]

【平山・新改】

四国電力(株) 平山発電所[水力] [→新改川
所在地:高知県香美市土佐山田町平山
運開:1963.4  運開(旧平山発電所):1909.2
ダム水路式・貯水池式
    認可最大出力:41,500kW     常時出力:6,100kW
    最大使用水量:21.50m3/s
    有効落差:230.40m
    水車:立軸フランシス水車 最大出力43200kW×1台
    導水路:総延長8197.2m
    流域面積:102.3km2
    取水:吉野川水系 穴内川[繁藤堰堤]346.5m
    放水:新改川(国分川)[休 場ダム]108.0m



休場(やすば)ダム[便覧][→新改川
河川     国分川水系国分川
目的/型式     P(→新改 発電所16.50m3/s)/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積     18m/64.2m/5千m3
流域面積/湛水面積     110km2 (直接7.3km2 ・ 間接102.3km2 →便覧には全て直接流域となってるけど穴内川を図々しくも直接流域にカウントしてる様に見える) /9ha
総貯水容量/有効貯水容量     29.2万m3/25.4万m3
ダム事業者     四国電力(株)
着手/竣工     1961/1963

小さめのダムである。平山発電所からの放流水が殆どで国分川そのものの流量は殆ど期待出来ないと云っても良さそう。
今,平山発電所から21.5m3/s流れ込んで新開発電所で16.5m3/s使用するので差の5.0m3/sが流れ込む水量となる。14時間でいっぱいに なる計算となる。平山が頑張る尖頭需要発電のバッファー用としては十分な量という訳か。



四国電力(株) 新改発電所[水力] [→新改川
所在地:高知県香美市土佐山田町大法寺
運開:1963.4 (旧新改発電所:運開:1919[高知県]810kW・1.25m3/s・有効90.0m)
ダム水路式・貯水池式(水路式・流込式:旧新改発電所)
    認可最大出力:8,700kW      常時出力:1,200kW
    最大使用水量:16.50m3/s
    有効落差:69.20m
    水車:立軸フランシス水車(1号機)、横軸フランシス水車(2号機) 総出力9390kW
    導水路:総延長1452.5m
    流域面積:110.0平方キロメートル
    取水:穴内川[繁藤堰堤]→平山発電所→新改川(国分川)[休場ダム]110.30m
    放水:灌漑水路、新改川(国分川)35.7m




【樫谷】    
繁藤堰堤,穴内川発電所を見学した後にr268蟹越繁藤線で 坂を登っていく。程なく樫谷の聚落に着き,もう一登りすると穴内川ダムである。穴内は元々穴内川と吉野川の合流点辺りの地名であるっぽくて土佐穴内駅もそ こらにある,
やはり此処は樫谷ダムでええやんと思ってた所,更に上流に上 穴内という聚落があるようだ。まあそちらは穴内川という名前が先にあってなのかもしれないが。上穴内聚落付近でr268からr267上穴内本山線が北へ分岐して早明浦ダムの方へつながっている。
r268はそのまま穴内川に沿って西へ向かい桑ノ川聚落付近で狭隘化,更に山道化してr33南国伊野線迄 車道は復活しない分断県道の様である。接続先のr33も狭隘区間があるが別ルートで迂回出来るようになってるようだ。wikiにこれらの項目は立てられて もなく[wiki (高知県道)],過疎地の過疎県道の苦悩を勝手に感じることが出来るw
我らがr268未供用区間の踏破レポは発見した(かなり詳しくで高評価♪)[→茶凡遊山記

穴内川ダム(旧称:樫谷ダム)[便覧]『日立評論』     
河川     吉野川水系穴内川
目的/型式     P/中空重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積     66.6m/251.9m/219千m3
流域面積/湛水面積     52.7km2 ( 揚水流域:49.6km2) /195ha
総貯水容量/有効貯水容量     4,626.0万m3/4,330.0万m3
ダム事業者     四国電力(株)
着手/竣工     1961/1963
満水位:418.0m / 利用水深:40m

>穴内川のダム計画は戦後打ち続く水害に対処するために経済安定本部が策定した「吉野川総合開発計画」によって持ち上がった。…この計画において現在の地点が有力な ダム建設地点として選定され、高さ65.0メートル・総貯水容量4千800万トンの比較的規模の大きいダムが計画された。計画当初は建設地点の大字を採り 「樫谷ダム」または「樫ノ谷ダム」と呼ばれた。経済安定本部案や電源開発案でもその規模は変わらなかったが、現在のダム計画と最も異なるのは多目的ダムと して計画されたことである。当初の予定では洪水調節と水力発電を目的としており、ダム地点において毎秒400トンの洪水を全て貯め込み、下流への放流量を ゼロにするという計画であった。 [wiki (穴内川ダム)

[計画変更]樫谷ダム(樫ノ谷ダム)
高さ(堤高?)65.0m(▲1.5m?)  総貯水量:4,800万m3(▲174万m3)
計画高水カット量:400m3/s

なんと,元々の予定がほぼそのままの規模で実現してますやん。運用方法次第で治水も出来そう,,梅雨明けの7月下旬というのに満水になっていなかった[→湖面]し余裕はありそうだ。


ダム堤体


銘板。穴内川「堰堤」(・∀・)イイ!!


案内板…邪魔してるバンはこの辺の道路の補修を受託しまくってる香川建設のものであった。しゃーないw


このダムの一つの特徴は中空!なんと堤体内部が空洞になってるようだ。


利水票


湖面


穴内川ダムは,経済安定本部 と建設省、四国電力、1952年(昭和27年)より加わった電源開発及 び四国四県の関係する機関・自治体からなり吉野川水系の河川総合開発事業について協議・検討する「四国地方総合開発審議会」が紛糾し,議 論の収束点が見えないことに業を煮やした四電が離脱を宣言,高知県と協定を結んでとっとと発電用ダムを建設してしまったものである。[→吉野川開発史辺りを参照
これによって穴内川の治水計画が消滅したとwiki (小歩危ダム)にも書かれており,抜け駆けした四電の行動はいかがなものかという感じがしなくもないが,「当時全国の電力会社は競って水力発電計 画を推進しており、この流れに乗り遅れることを危惧した四国電力は遅々として進まない総合開発計画に見切りを付け」たともあり(wiki 大森川ダム),元々穴内川のダムの直接流域は52.7km2しかなく[→諸元],それ ほど治水へのダメージも大きくなかったのかも。更には52.7km2しかない割にはどでかい4,300万m3の有効貯水量。そもそも上流の水はがっちり ガード出来そうである。
利水面でも
>通常は発電にしか使用されない貯水池であるが、穴内川ダム建設時に四国電力は徳島県と渇水時利水協定を結んでおり、ダムの計画容量4,660万トンに 対し、760万トンの水量を緊急放水用として常時保持し、徳島県の要求があれば毎秒2.0トンの水量を放水することになっている。[wiki (穴内川ダム)
とあり,約一ヶ月半に渡って2.0m3/sの水を徳島県に供給出来る様だ。実質的な多目的ダムである。

また高知平野方面への分水は年間2,1億トン程度の様である。穴内川ダムと下流の3河川からの繁藤堰堤への流入量の和であるが内訳などは不明である。当然穴内川ダムはがっちり水を堰き止めていると思われるが沢の方はそれなりにがばがばであろう。
出典:吉野川歴史探訪(四国整備局)