

| ~久
寿軒谷川(gsi)~ ▲ くすのき[楠木??]と読むのか?? 久寿軒谷の入口には土佐北川の駅がある。穴内川に掛かる橋の上に交換駅がある事で有名であるが,近年(^ではないな1980年代後半。)の改良によるもの である。 久寿軒川方の駅前はちょっと広くなっていて,ふるさと林道北川線の看板が立って いた。 この日後からもういっぽんふるさと林道をみることになる[→甫喜ヶ峰(平山 公園線)] ![]()
全く川の撮影ポイントがないまま取水堰より奥へ来てしまい,むなしく引き返してきた。ゼロ回答や,, 引き返した場所(こんな光景だっ た)より更に一寸行った先に郵 便局迄あったようだが,その郵便局名は久寿軒簡易郵便局とその辺でも未だ地名は久寿軒らしい。 北川は更にその奥で相当 奥まった場所であり,改めて北川という駅名の無理矢理感を実感した次第。但し林道が北川線と云うようにこの北川という聚落,それなりに重要な様だ。 嘗ては林業などで栄えた聚落なのかも知れぬ。 北川駅前での久壽軒川の穴内川への合流 ![]() 久寿軒谷川堰堤(仮称) 流域:15.8km2[推計] 取水位:349.4m[推定] ![]() 谷は深く堰堤はよく解らなかった。。 |
| ~角 茂谷川(gsi)~ ▲ 角茂谷は繁藤同様その名の国鉄(JRだけどw)の駅がある。此処が一番狭い。久壽軒谷への取水の途中に 拠った感じ。 r266角茂谷停車場線とともにR32から角茂谷へ進入する。 ![]() 入り口・赤い背の低いトラス橋が印象的。穴内川の流れ。取水されまくってるせいか水量は多くはないように見える。 ![]() 逆に角茂谷から見た穴内川との合流点方面 ![]() 県道は残念ながら路線名に忠実に踏切を渡ると谷遡上ルートを岐けて路線名の角茂谷停車場線の通り,角茂谷駅へ向かう。 棒線の角茂谷駅と天坪ふれあい休憩所。今はただの小駅だが,1930年に高知線として建設され土佐山田から延伸された現在の土讃本線の終点になった こともあったらしい, 早くも2年後の1932年には大杉駅迄伸びて中間駅となり,三縄迄伸びてきた徳島本線とつながって改めて予算本線の支線と併せて土讃線となっ たのは1935年のことだそうな。 一時は終着駅になったと云うことは転車台の跡ぐらい残ってたのかもしれない。 空 撮を見る限りなんかありそうな感じはしないけどクルマを下車してホームから構内を見回す位の事はしても佳かったか。棒線の小駅と侮ってたw ![]() あわよくばこのまま河ノ川へ抜けられないかと奥へ進んだがこのさき車両の通り抜けできません!大豊町の看板に阻止された。。 ス トビュウも同じ所で引き返してるけど21.6時点と配色は同じなのに字体がなんか細くなってる。 ![]() さて,肝腎の取水設備の方だけど,なんか下の方に水路橋っぽい構造物っぽいものがチラ見えしてた。 が,それ以上近づけないようで,取水堰堤も更にそれより上 流っぽいしで諦めて引き返してきた。 ![]() |
| ~河
ノ川(gsi)~ ▲ 上八川川を筆頭に立川川とかくどい名前が多い土佐国だが,究極が現れたw 河ノ川,凄い名前だw かわのかわと呼ぶのかな?? 割と面積が広い感じ 河ノ川堰堤(仮称) 流域:17.2km2[推計] 取水位:346m[推定] ![]() 入り口は繁藤の手前付近である。橋を渡ったところの極 細道[ストビュウ]が先程の看板(→ この時)の先の到着先の様だが,現地では余り意識せず通過してしまった。 こんな脇道の車輌末端迄見出したら到底本来の計画を達成できなくなるとは云え,知りたいことは知りたい。G社の奮起を期待したいところである。 さて一寸走ると何やら怪しげな(ピンとくる)橋が。 ![]() 渡りながら下を覗くと何やらバルブのようなものが突き出してるしただの端ではなさそう。 ![]() 草木に邪魔されて全然見えない写真で恐縮だが肉眼では橋の下に水管様のものが走っており,水路橋で確定である,といって佳かろう。 ![]() 対岸に渡ると斜面の上に水の合流施設があった。斜面の上と云う事で判る様に,さっきの水路橋はサイホンを通している様だ。★★ ![]() ![]() 水は力強く流れていた。 さて此処迄二沢不発だったのが施設確認出来て上機嫌で上流へ。 早速堰堤発見! ![]() 横顔 ![]() 堰堤上流。池と云うより埋まって河原化した感じであった。 ![]() 取水設備に接近してみる。 橋を渡ろうとすると衝撃の事実が。川の名前,河ノ川川というらしいw立川川とか横川川とかいっぱいあるこの辺(この辺参照)だけど遂に河ノ川川迄現れたw ![]() |
88箇所に拠る と >四国に台風襲来の際には必ずといってよいほどニュースで雨量 が報道される ここ繁藤地区。昔は『天坪(あまつぼ)』という地名であった。天から降ってくる雨が坪のように集まる場所・・・なんとも言いえて妙な地名である。 >それほどこのあたりの豪雨はすさまじく、堰堤脇を走る基幹国 道32号線に も一定量以上の雨を観測すると自動的に通行止め表示が出る機械が設置されているほどである。 >また1972年の夏にはおりからの集中 豪雨で繁藤駅に停車中の機関車が駅 舎ごと土石流に飲みこまれてしまい、多数の犠牲者を出した。世に言う「繁藤災害」であり、線路沿いに流れる穴内川の対岸まで流された機関車 はいまだに掘り 出しが不可能である。 まあ集中豪雨時に道路が通行止めになるのは珍しくもなんともないが雨が多い地区であるのは確かであろう。 繁藤堰堤近傍には僅かながらも聚落があってダムで水没させるに忍びないとするなら河ノ川や久寿軒谷辺りに洪水対策込みで発電用調整池設けて もええんちゃうか。多雨を有効活用出来る様に成るのはデカい♪ >また1972年の夏にはおりからの集中豪雨で繁藤駅に停車中の機関車が駅 舎ごと土石流に飲みこまれてしまい、 この部分は繁藤災害[いさぼうねっと] [wiki] [香美市] [高知新聞] [テレビ高知] というらしい。 私の日本全国の地誌情報の多くを若き頃に夢中になって読み込んだ『国鉄全線全駅各駅停車』シリーズに拠っているのだけれど,この災害では鉄道も大きな被害 を受けたのにシリーズの『山陽・四国670駅』にも記述がなくて知らなかった。。 川関係の災害だと飛 騨川のバス転落事故を思い出すが,こちらは山体崩壊という規模の大きさがある,, >昭和47年(1972)7月5日の豪雨によって、高知県香美市(旧土佐山 田町)繁藤、通称追廻山の山崩れは、同日早朝の山崩れによる家屋の土砂排除などの作業中に埋没した一人の消防団員の救出中に起こった二次災害で、消防団員 や一般協力者など、60名の尊い犠牲者を出しました。 >1972年(昭和47年)7月4日から5日にかけて、暖かく 湿った空気が 舌状に大量に流れ込む「湿舌」が四国山地にぶつかったことにより大雨をもたらし、土佐山田町繁藤では1時間降雨量95.5mm(5日6時)、24時間の降 雨量が742mm(4日9時〜5日9時)という激しい集中豪雨に見舞われた。 >(一次災害後の翌5日)10時55分、ついに大崩壊が起きた。山腹に大きな亀裂が発生し、雷が落ちたかのような音とともに、約10万m3の土砂が 一瞬のうちに、駅前付近の集落を押し流して、60名が行方不明となり、一次災害とあわせ、60名の尊い命が奪われた。 >10万m³もの大量の土砂が駅周辺の民家のほ か、駅および 駅構内3番線に停車中だった高知発高松行き224列車(機関車DF50 45号機牽引、客車4両)を直撃した。突如発生した大崩壊による土石流は、家屋12棟や機関車1両と客車1両を一気に飲み込み、現場付近で救助活動を行っ ていた町職員や消防団員、その活動を見守っていた周辺住民や列車の乗務員、乗客らを巻き込んだ後、駅背後を流れる20m下の穴内川まで流れ落ち川を埋め尽 くした。中でも機関車は川の対岸まで飛ばされるほどに土砂に押し流され、1両目の客車が機関車の上に乗りかかるように埋没、2両目が崩れ残った路盤に宙吊 りとなり、辛うじて3両目と4両目の客車が被災を免れた。 >大崩落した山腹にはくっきりと痕跡が残り、押し流された鉄道 のレールは川 に沈んだまま。 出典:高知新聞>繁藤災害の土砂災害は、深層崩壊という、規模の大きな崩壊現 象でした。山 の表面だけでなく深層の地盤まで崩れ落ち、土砂の流れるスピードが速く、広範囲に被害が及ぶ現象です。繁藤災害を振り返る上で最も重要なポイントは、『大 崩落は雨が弱まってから発生した』ということです。これまで降り続いた大量の雨が土の中に溜まり、山はこれ以上水分を含むことができない状況となっていま した。 [テレビ高知] こ れ[地理院]が崩壊の痕であったか。現地では全く災害を意識しなかったが犠牲者に黙祷を捧げたい。 繁藤駅 ![]() |







| ~新改川(国分川)~[以後こちらでレポ] 【平山・新改】 四国電力(株) 平山発電所 [→新改川] 所在地:高知県香美市土佐山田町平山 運開:1963.4 運開(旧平山発電所):1909.2 ダム水路式・貯水池式 認可最大出力:41,500kW 常時出力:6,100kW 最大使用水量:21.50m3/s 有効落差:230.40m 水車:立軸フランシス水車 最大出力43200kW×1台 導水路:総延長8197.2m /放水路:670.4m 流域面積:102.3km2 取水:吉野川水系 穴内川[繁藤堰堤]346.5m 放水:新改川(国分川)[休 場ダム]108.0m ![]() 休場(やすば)ダム[便覧][→新改川] 河川 国分川水系国分川 目的/型式 P(→新改 発電所16.50m3/s)/重力式コンクリート 堤高/堤頂長/堤体積 18m/64.2m/5千m3 流域面積/湛水面積 110km2 (直接7.3km2 ・ 間接102.3km2 →便覧には全て直接流域となってるけど穴内川を図々しくも直接流域にカウントしてる様に見える) /9ha 総貯水容量/有効貯水容量 29.2万m3/25.4万m3 ダム事業者 四国電力(株) 着手/竣工 1961/1963 小さめのダムである。平山発電所からの放流水が殆どで国分川そのものの流量は殆ど期待出来ないと云っても良さそう。 今,平山発電所から21.5m3/s流れ込んで新開発電所で16.5m3/s使用するので差の5.0m3/sが流れ込む水量となる。14時間でいっぱいに なる計算となる。平山が頑張る尖頭需要発電のバッファー用としては十分な量という訳か。 ![]() 四国電力(株) 新改発電所[水力] [→新改川] 所在地:高知県香美市土佐山田町大法寺 運開:1963.4 (旧新改発電所:運開:1919[高知県]810kW・1.25m3/s・有効90.0m) ダム水路式・貯水池式(水路式・流込式:旧新改発電所) 認可最大出力:8,700kW 常時出力:1,200kW 最大使用水量:16.50m3/s 有効落差:69.20m 水車:立軸フランシス水車(1号機)、横軸フランシス水車(2号機) 総出力9390kW 導水路:総延長1452.5m 流域面積:110.0平方キロメートル 取水:穴内川[繁藤堰堤]→平山発電所→新改川(国分川)[休場ダム]110.30m 放水:灌漑水路、新改川(国分川)35.7m ![]() |






出
典:吉
野川歴史探訪(四国整備局)