電 力総研 水 力あれこれ(紀伊半島)
有田川(水発・開発) 日 高川 日置川 古座川
と はずがたりな掲示板(利 水スレ電 力スレ)
23.3.22大改造
20.9.27運開

有田川の水力発電!(23.3逍遙)

R360バイパス(海南市内) 野上電車 r19箕六越え 三田発電所 三 田発電所取水堰堤蘭(あらぎ)島 二川ダム(諸元) ??(跡?) 岩 倉発電所 川口発電所(跡) 修理川

1953年7月の紀 州大災害(七・一八水害)をきっかけに二川ダム(これ↓)が建設されたとのこと。

イイ感じでダムを擁する和歌山県の河川4兄弟の一人である。まあ私が勝手に4兄弟認定してるだけだけど。。
気付いたら本頁,デジカメの充電器,4車線道路,野上電鉄保存車輌と,水分が全くない絵面が続くので一発目にダム写真を入れて置いたw

逍遙しつつ現状を確認した後,開発を構想する♪

23.3,最近四国の那賀川辺りを纏めつつ,南海道どうし紀伊半島も似てるなと思いつき,恰度時間が出来たのでそぞろ神のものに憑きて心を狂はせ利水趣味 を始めて2年数ヶ月,最初の頃に纏めた侭放置となっていた有田川行き遂に決行ス!

途中一寸したハプニングが。久々の撮影行に充電しておこうとするとネットで購入した安物の充電器のミニUSB ポートがぽろっと取れてしまった…orz
特に拘りはなく今はキャノンのデジカメを使っているのであるが,バッテリーをカメラに入れたまま充電できないし,充電器はAC100V専用で使い辛いこと この上ない(上に5000円ぐらいする。高い。安い物はUSBで充電できて1000円程度である)。前のパナソニックのデジカメもそうだったがその上に バッテリーの持ちも悪かった。日本の家電産業が衰退して久しいが,こんなしょぼい商品しか作れないようでは負けても仕方がない。

純正品(左)とバッタもん(今回壊れたやつ) 右を分解してみたら基盤から金具が外れてしまっていた。。(マウスオーバー)

さて気を取り直して阪和道をぶっ飛ばしてあっという間に和歌山。朝だらだらしてて出発が10時を過ぎていたのに途中食事休憩などしつつも2時間もあれば和 歌山である。奈良県 生駒から大阪府経由で結構近い。
今日(23.3)の目標は有田川全部と日高川出来るだけ,である。
有田川の二川ダムの岩倉発電所の下も探りたいので下流から行くと最奥部まで行って又日高川を最下流からと往復ピストンを強いられかねない。最後は日高川か ら高野山の方へ抜けたいのである。先ずはいきなり有田川の深部に飛び込みたい。
ということでナビの提案する有田ICではなく,その手前,海南東IC流出を強行。インターを出た直後の交叉道路は旧道か?その一筋東側のR370に左折進 入する。と,立派な4車線道路である。
まあ製油所も製油を終えた(確か)し,寂れているとは云え海南港直結だしなと一寸古そうな4車線道路に納得だけど,するすると延びた4車線道路はどんどん 真新しく且つ交通も疎らになっていく。この二階の利権政治屋めが,と毒づきつつ野上町の方へ進んで行く。
長大なイメージだったが地図上の距離は大したことなく,此 処(木津北交叉点)から更に4車線道路を下記の様に鋭意建設中だったが,ゆうても和歌山の隣の海南市である。左折先もずっと4車線化して大和歌山 都市圏外廓環状道路として海南港から京奈和道紀ノ川IC迄4車線道路完備の大きな絵を描いて貰っても構わん位の交通罔が貧弱で一部の道路に集中して渋滞を 発生させてる地方都市に対する理解はある。
この道はガンガン東の方に,山の方に分け入って行くようであるが,最終的に何処迄4車線で何処で現道に取り付く心算なのかは一寸気になる。
23.3
ところが,もう一回折れてR424との僅かな重複区間を脱出するともう既にBP つくってあったんちゃうんけ!?となる,,私は基本的に4車線道路大好きだが行政の二重投資は大嫌いである。
どんなスキームを駆使してるのか知らんが,バイパス既に欲しがって造って貰ったんならこんなとこ後回しやろ~。

悪態を突きながらゴキゲンに貴志川沿いに遡上していく♪
貴志川は紀ノ川水系であり,海南には流れ込まないので調べて見ると海南の主要部は無名の亀ノ川流域で,木津北辺りが分水嶺だったよ うである。開発は地形への生々しい感覚も薄れてしまって知らん間に分水嶺も通り越してしまう。

さて貴志川沿いから暫く走ると紀美野町という気持ち悪い町名の自治体に入る。日方(海南)から延びてた野上電 鉄の走っていた質実剛健な野上(のかみ)町と 気持ち悪い町名の美里町とが合併して紀美野という名前になってしまったようだ。野上が勝ちきれなかったようだ。美 里[wiki]も1955年に下神野村・上神野村・国吉村・長谷毛原村・真国村が合併,発足した時に「神野」が勝ちきれなかったか?ゲートボール 発祥の町らしい。

というてる内に野 上電鉄(1994年廃止)[wiki]発見!

昨日は一寸自由だったので水分補給に有田川・日高川の発電所群を見て来た。二階の威光か道は良く整備 されてた。で,野上電車が保存されてた(此処は貴志川沿い)。廃止は1994年だという。1994年なんて我々おじさん世代にはほぼ現代のイメージだけど こんな前近代の遺物みたいなのが未だ走ってたのか! pic.twitter.com/5TVWuvTuTt

— とはずがたり (@tohazugatali1) March 22, 2023


寺社が独自の権勢を張り,林業で栄えた紀伊国。鉄道も南海貴志川線,野上電鉄,有田鉄道,御坊臨海鉄道と役者が揃っていたけどいずれも廃止になったり経営 母体が変わったりしている。代わって道路罔が盛んに形成されてるけど劣勢を跳ね返すには至っていないようである。

貴志川を渡る。水は割と満々と湛えられてて,この川でも発電を検討しなくては。。この辺で標 高60m弱と云った所。
貴志川沿いには支流の野田原川の山田ダムぐらいしか目立ったダムは無い。流域が狭いというのはありそう,,
またこの辺迄野上電鉄は延びていたようで終着駅は登山口と云った。どうも生石(おいし)高原への入口という事らしい。

さて海南ICから辿ってきたR370は北東に向かい紀伊丹生川の方へ出てから橋本でR371(大 阪橋本道路)やR25(京 奈和道)と接続する。
有田川は南である。どっかで一山越える必要があるが,地図で目星を付けた(のにどうしてもナビがこの経路に同意しなかった)のがr19美里龍神線である。
一本西側には生石高原経由のr180野上清水線があるが,有田川は三田発電所から一番下の岩倉発電所のその下流での発電の可能性を視認したくて有田市街迄 降りる予定だったので成るべく有田川の重複を減らしたかったのである。
r180は更に町道を経由して有田川のメインディッシュの二川ダムの近くに出るが,r19は三田発電所の近くに出るようである。
どっちにしても地図上で黄色い一般地方道のr180+白くで目立たない町道のルートより緑の主要地方道のr19の方が目立ったし自然とそっちを選択するこ とになった。
r180は生石高原から札立峠,r19は遠井(とい)辻峠である。

さて,その後真新しいR370を快走する。どうやら最近開通した美里2バイパスのようである。

国道370号(美里2バイパス)の供用について[和 歌山県
国道370号(美里2バイパス)の全線2.7km(今回供用延長1.4km)が完成し、令和5年3月5日(日)16時に供用します。
○ 今回、大角三尾川大橋を含む1.4km区間が完成し、これにより全線2.7kmの2車線整備が完了します。
出典:和 歌山県

このR370号,終点は奈良市で榛原迄R369と重複してそこからR24の外周をルート取りして起点の海南市へ至ってゐる。[wiki(R370)][wiki(R369)]
どうせなら柳生でR369と岐れ,北上,和束・宇治を経由して再びR24に重複(橋本から五條の間でもR24とR370は重複している)後,京都市内から R367と合併して全体を若番のR367として海南から小浜へのルートとすれば良い。どうせ交通流動とか考えてない滅茶苦茶な最近の国道だからこの位して もいいだらう。
更にR369の柳生からは奈良からR308にしてR308は名張辺りへ延ばせば良い。R369は榛原以北はR370(改めR367)とR308に譲ってそ の先はR165に重複して西は大阪から東は多気,更には伊勢に延ばして,そこからR42を奪って浜松迄伸ばそうw

閑話休題,クルマはr19の分岐を通り過ぎて巨大な平成大橋,多分農道,予算余りすぎやろ,を横目で見ながら右折するとr19へ繋がる2車線道路 である。r19とは書いていないが有田川という文字で自然と誘導された。

さっき曲がり損ねたr19も直ぐに合流する。こっちがメインルートになっているのであろう。ちゃんと指定を変更して欲しいものである。

箕六という変わった地名の谷を遡上していくと徐々に道が狭くなってきて妖しい雰囲気。

絶対離合不可の道幅の道路を急勾配で上がり,ナビが嫌がったのも無理は無いなあと納得する。(無理矢理この道路上に経由地を設定してこっち経由を表示させ た)
どの画像を出せば雰囲気伝わるのか解らないが例えばこ んな感じ[すとびゅう]こ の辺の細さ[す とびゅう]もお判り頂けるであろうか?若しくはこ こからの狭さ[すとびゅう]など。未整備の山道の県道も未だ未だ沢山あるようだ。。
二階さんの威光もまあこんな所迄は照らしてないようである。それでも人家は高所にぽつりぽつりある。十津川や四国で見る光景である。

登り詰めてやっとサミット。マウスオーバーで振り返り。

下りの方が勾配は緩やかに見えたが人家は無く,聚落跡らしい石垣がある程度。山を降りて行くと生石高原経由のr180が合流する。向こうの方がマシだった かも。。

そして直ぐにR480に合流。R480は海岸の有田市から有田川を遡上して高野山を経て,R370を交叉して笠田に出て,そこから北上して泉大津へ抜ける 道路である。R370とどっちか一つでええんちゃうのと云う気もしなくも無いが,r19の壮絶な山道を見せられるとまあ道路寄越せという主張は判らなくも 無い。
ということで経路がよく判らない国道指定が濫発された結果,更にR371やR424迄絡み合ってる。
道路改良予算は水力発電や風力発 電と絡めてメリハリを付けてやって欲しい所である。過疎化は道路建設なんかでは止まらないのである。

標識や看板

しかしこんな酷い道でも高速を有田まで乗るのとそれ程変わらない時間(10分程遅い程度)で三田発電所迄着くこと が出来た。
今回,有田行きを決意してから確認して気付いたのであるけど二川ダムの上流にも一箇所だけ発電所があった様である。
今は斜面の上のR370BPから下を覗き込んでいる形。脇には道の駅があって「あらぎのさと」[有 田町]とか看板が出ている。

脇には廃吊り橋が,その右手には現代風の大鉄橋が架かっていた。


関西電力(株) 三田発電所[水力
運開:1929.10[南海水力電氣(株)]
水路式・流込式
認可最大出力:536kW      常時出力:266kW[49.6%]
最大使用水量:4.69m3/s[0.21]
有効落差:17.27m
導水路:総延長894.7m
流域面積:224.0km2
取水:有田川222.00m
放水:有田川203.49m

正面入口付近

対岸からの眺め。水は出ていたので発電はしていた模様。ヨシ!

1929年だから戦前派の古い発電所で改修された様だ。川の弯曲を使った発電所である。最大使用水量は一寸少なめ。上流は220km2もあるのだそうだか ら22m3/s程使って欲しい所である。
上流に涸れ谷?っぽいのも散見する(箕 谷川高 野谷川)けど降雨が少ないのか滲透しやすい地質で表層水が少なかったりするのかね?

さて,ダムを探す。事前の調査では全 く道が無さそうで難航が予想された(マップルも荒すぎて参考にならない。ただあらぎ島とだけ書かれている。さっきの道の駅と云い平仮名であらぎっ て何やねん。。)。
現地に入ってみると巨大なR370のBP橋の下にも道はあり,人家も何軒も建っていた。google マップの方が正確であった。(と太字で煽って地理院の奮起を促していくスタイルw)

橋の下の道の脇には蕗の薹も。春である♪

狭くて進入しがたい道路が延びて居るが,進入はご遠慮下さいの看板まである。堰堤は茂みの向こうである。

クルマを置いて徒歩で接近する。
遂に三田発電所取水堰堤に到着。なんとか枯れ木の合間から接写♪

取水設備拡大

一寸上流側の斜面(こ こら)にはもう使って無さそうな取水口?が。西鹿島(阿蔵)や二俣(神田)辺りの天竜川 の農業用水の取水口を思い出す。
地図から見ると発電所の位置と直線的ではあるので発電所が前はこの辺から取水していたのかも知れないが現在の堰も十分に苔むしていて古そうなのでここが発 電所の施設の可能性は低そうな気はする。
階段が見えるのでどっかから近づけるのであろう。斜面の上にはR370の旧道があって辻堂という聚落もあるようだ。マウスオーバーで拡大。

で,あちこち上流なども見て帰ろうとしたその時,目に飛び込んできたのが この看板[すとびゅう]である。あらぎ島っ てのは展望すると良い眺めの名所?らしい。
ということで観光には殆ど興味のない私もそちらへ寄せて貰うことにした。
一寸坂を登ったがじきに到着

ということで着いてみると↓こんな感じであった。将に辻堂という聚落辺りからの眺めとなる。ここからな ら三田発電所堰堤も全体が見渡せた♪

あらぎ島とは川の弯曲を見事に利用した江戸時代の棚田の新田開発の跡であった。跡とは云っても現役でコメを造ってはいるらしい。
漢字も判明。蘭川(らんかわではなくあららぎがわ)と同じく蘭の字を使っ ている。蘭は一般に「あららぎ」と訓(よ)むが,此処では詰まって「あらぎ」になったようだ。

ここからなら邪魔されずに堰堤の全景も撮れたという訳か♪先程の進入禁止もこの棚田が観光客に荒らされない為 の ものだったようだ。まあ飛び石連休の火曜日とは云へ雨で誰も居なかったけどw

ピンぼけして写真からは読み取りがたいがこの上流に湯川と有田川の合流点があるのだが,その湯川の上流に上湯 用水の頭首工があってそこから水をあらぎ島の付け根ぐらいまで引っ張って来てるようだ。
湯川の方が標高も高いし湯川も渡らなくて済むし水量は少ないだろうが江戸時代とかに水を引っ張って来るには最適解なのであろう。


さて湯川の方へ行ったりして可成り時間を使った気がしたけどそれでも小一時間程。二川ダムに加えて日高川もそこそこ見れそうである。
早速南下してみる。直ぐにダムのバックウォーターが現れ,途中,境川バス停で県道を岐ける[場 所]。正確には境川は川の向こう側の聚落の様である。

更に進むと赤い吊り橋が[場 所]大字日物川の小字新在家に渡る橋という感じか?

程なくダム登場。

二川ダムの非洪水期の満水位が201mであり,三田発電所の放水位が203mだからほぼ連続していると云って良い。サーチャージ時には発電所の放水口も水 面下となるようである。有効貯水量は1,920万m3,流域面積228.8km2。頼もしい存在である。
利水標もしっかり♪


二川ダム[和 歌山県][便 覧
位置     和 歌山県有田郡有田川町二川(192m)
目的     FP
堤高     67.4m
流域面積/湛水面積     228.8km2 ( 全て直接流域 ) /86ha
総貯水容量/有効貯水容量     30100千m3/19200千m3
ダム事業者     和歌山県
着手/竣工     1959/1966
堤頂長     222.8メートル
堤体積     209,250立方メートル
非越流部標高     EL 204.40メートル
集水面積     228.8km2(直接のみ)
堪水面積     0.86平方キロメートル
総貯水容量     3,010万立米
有効貯水容量     1,920万立米
洪水調節容量     1,440万立米
発電用容量     1,670万立米

出典:和 歌山県

出典:和 歌山県
出典:和 歌山県
治水関係
放流設備     常用洪水吐     一定率一定量調節
(オリフィステンターゲート)     W8.60×H8.00×2門
非常用洪水吐     -
(クレストテンターゲート)     W11.90×H10.88×2門
河川維持流量放流管     主ゲート(φ300ジェットフローゲート)
副ゲート(φ400スルースバルブ)
計画高水流量     3,000立方メートル/秒
計画最大放流量     2,100立方メートル/秒
河川維持流量     0.7立方メートル/秒  導水管:L=68.5m

便覧に拠る と「ダム直下流の環境改善を目指し河川維持流量を放流するため、既設ダム堤体に穴を開け放流設備を設置。平成10年(1998年)に完成。既設ダム堤体の 穴あけは珍しかった。」とある。
この維持流量0.7m3/sを使って2016年には小水力発電も設置された。

堤体裏面

取水塔

現在ではサーチャージと いう訳の分からん単語を使ってるけど建設当時の用語なのか洪水満水位とある。これでええやんけ。

小ぶりで特徴のないダム管理棟。近年のちゃらちゃらした雰囲気は皆無で好感が持てる♪



有田川町営 二川小水力発電所
>有田川上流にある二川ダムでは、下流域の環境維持のため毎秒約0.7トンの放流が常に行われています。
>この未利用であったエネルギーを利用しようと有田川町が建設したのが、町営二川小水力発電所です。
とのこと。県営ダムだけど発電所は町営のようだ。

有田川町  二川小水力発電所[水 力][有 田町[wiki]
着工/運開  2014.9/2016.2
総事業費: 286,231,000円
ダム式・河川維持流量従属型流込式
出力: 最大使用水量時・・・199kW    常時使用水量時・・・160kW  最低出力…100kW
使用水量:    最大使用水量・・・0.70m3/s    常時使用水量・・・0.68m3/s
有効落差: 最大使用水量時・・・35.4m    常時使用水量時・・・30.9m
    流域面積:228.8平方キロメートル
    取水:有田川[二川ダム]
    放水:有田川

う~ん,撮ってないね,写真w

木々が邪魔をして堤体正面が撮れない。近くの細い橋の上から狙う。と敢えなく此処で電池切れ(冒頭の伏線,無事回収 (泣))。バッテリーのアイコンが急に赤くなって点滅を始めた。
また今日はこれからなのに,である。以後,タブレットのデジカメで代用とする。

下流の眺め。写真では見にくいけど逆調整池がある様だ。解りにくいので拡大してみた(ここをクリック)。

次の目標は岩倉発電所である。土地勘の無い初めての場所で考えつ調べつしながら走るのは大変なのでナビに指定して走る。とナビは道の奥を指し示すでは無い か??暫く進んで160度ぐらいのターンでひっくり返ると昼に通ったr19の遠井峠越え以上の細道に突っ込んでい く。川の向こう側に道有ったのかよとツッコミを入れたくなる程の気配の無さは伊達では無いのである(こ んな感じ[すとびゅう]こちらからは向こうの今走ってきた道路の気配はバンバン感じられる)。帰宅後調べて見るとなんとこっちこそが県道であっ た。r182境川金屋線と云い,先程の境川がなんと起点だった。色々繋がっている♪
逆調整池用の堰堤付近では人家も現れたが道は益々狭くなり,なんとか抜け出して下流から堰堤を激写。

さて流下を開始する。
途中,此処[す とびゅう][地 理院]に謎の廃堰堤跡らしきものあり。

謎である。

サコダさんによると「かっては数 か所水力発電所がありました。」とのことなのでここも発電所の跡かもしれない。水害でやられのかも。。


程なく岩倉発電所に到着する。


岩倉発電所[和 歌山県][水力
事業者:関西電力(株)(2005年迄和歌山県企業局)
最大認可出力:11,000kW 常時出力:3,800kW
最大使用水量:15.00m3/s
有効落差:最大90.30メートル
運開:1966.6一部運開・1967.3全面運開
ダム水路式・調整池式
水車:2台 総出力12020kW
導水路:総延長3.2km
取水:有田川[二川ダム]201.00m
放水:有 田川(100.0m)
流域面積:228.8km2

建屋と鉄管

放水口と思われる箇所から放水されてるようである♪発電はしているようであった。



[廃止]川口発電所(跡)サコダ
運開:1921(T10)年12月・南海水力電気(株)
廃止:1960(S35)年12月(水害の為)
出力:700kW
最大使用水量:5.84m3/s
有効落差:16mそこそこ
導水:1.1km
取水:有田川(川口)
放水:有田川

国道480号は此処川口付近から大きく東で迂回する川を離れ尾岩坂を使って金屋迄ショートカットする。ここから修理川の 分岐迄ちゃんとした道では繋がってないようである。

道の駅

道の駅は明恵ふるさと館という。あの鎌倉旧仏教の明恵上人の出生地の様だ。どんだけ人がいないねんとは思うけどwikiによれば「高倉上皇の武者所に伺候した平重国と紀 伊国の有力者であった湯浅宗重四女の子として紀伊国有田郡石垣庄吉原村(現:和歌山県有田川町歓喜寺中越)で生まれた(wiki)」そうな。お 母さんの実家で産まれた辺りは日本の母系社会が未だ残ってるって感じか。
父親の重国は何者だってことになって調べて見ると「伊勢平氏の家人。伊勢国の伊藤 党の武士。本姓は藤原氏。養父の平姓を名乗った。平七武者と号す。(wiki)」
明恵(法諱は高弁)そのものは高校の日本史でやったような気はするけどあの辺苦手でw
治承4年(1180年)(とは註:明恵の父の重国が仕えた高倉天皇 は安徳天皇に譲位して院政を開始,以仁王の令旨で源頼政などが挙兵・敗死した年である)、9歳(数え年。以下同様)にして両親を失い、翌年、高雄山神護寺に文覚の弟子で叔父の上覚 に師事(のち、文覚にも師事)、華厳五教章・倶舎頌を読んだ[1]。文治4年(1188年)に出家、東大寺で具足戒を受けた。
21歳のときに国家的法会への参加要請[注釈 2]を拒み、23歳で俗縁を絶って紀伊国有田郡 白上に遁世し、こののち約3年にわたって白上山で修行をかさねた
26歳のころ、高雄山の文覚の勧めで山城国栂尾(とがのお)に住み、華厳の教学を 講じたこともあったが、その年(26歳)の秋、10余名の弟子と ともにふたたび白上に移った。こののち、約8年間は筏立など紀伊国内を転々としながら主に紀伊に滞在し て修行と学問の生活を送った。
遁世僧となった明恵は、建永元年(1206年)、後鳥羽上皇から栂尾の地を下賜され て高山寺を開山し、華厳教学の研究などの学問や坐禅修行などの観行には げみ、戒律を重んじて顕密諸宗の復興に尽力した[5]。明恵は華厳の教えと密教との統一・融合をはかり、この教えはのちに華厳密教と称された。
高山寺の印象はあるけど,結構この辺にも滞在して修行したようで,どんだけ人がいないねんってのは失礼ですなwただ産まれたってだけではなくその後の修行 でも地元と関係が深かったようだ。

金屋変電所

この辺が金屋か。有田鉄道の終点が金屋口だったのを思い出す。この辺の中心が金屋で有田鉄道は金屋迄は到達出来なかったんだな。。
最初が野上電鉄だったの で最後が有田鉄道だと綺麗に纏まるんだけど色々伏線が改修できた今回の調査ではあるが其処迄巧くは行かなかったw

金屋大橋
此処でも明恵上人推しであるw

こ の辺[地理院]迄降りてきた。橋付近の川の標高は29m。既に30mを切ってゐる。その川の様子はこんな感じである。


此処で有田川調査は終了。そろそろ日高川へと転川することにする。ここ までR480を使ってきたが此処からはR424を使う。
R480が有田川を途中でショートカットして尾岩坂(現代ではトンネル)から金屋市街に進入したのに対して,日高川へ向かうR424はここから有田川を遡 り,岐れて更に支流の修理川を遡って日高川流域へ抜けて行く。
ということでレポも有田川を川口下流の修理川分岐迄遡るのでご注意されたし。

その途中,峡谷もやはり明恵峡w
修理は「しゅり」かと思ったら此処では「すり」と読むらしい。

どこらが明恵峡なのか判然としなかったが一寸した峡谷と廃橋脚


前 川橋[地理院]から上流の眺め。割と水量豊富に見える。この直上で修理川が有田川に合流する(EL.57.2m) のだが合流点は見えなかった。


~修理川~
一の瀬橋[地理院]
から上流を眺める。思った程水量無いなw


修理川の谷の奥にある長い白馬トンネルを抜けると日高川流域,越方発電 所の近くに出る。有田川の開発は別頁に纏めた。