電 力総研 水 力あれこれ 天竜川中上流
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と はずがたりな掲示板(利 水スレ電 力スレ)
20.10.9運開

船明ダムと磐田用水

現況浜名用水 磐田用水 電源開発
21.8

船明ダムは電源開発(株)が開発した発電用ダムであるが,佐久間が豊川,秋葉が三方原の各用水の水源となったように,ここ船明も磐田・浜松地区の増大する 水需要に応える為に浜名用水と磐田用水の水甕となっている。

電源開発(株)船明ダム[水 力
目的:発電
着手/竣工:1972/1976
堤高:24.5m、堤頂長:220m
総貯水容量:1,090.0万m3    有効貯水容量: 360.0万m3
利用水深:2.2m
流域面積:4,895km2    湛水面積:1.90平方キロメートル 満水位:57.00m[船明発電所より]

船明発電所[水 力
電源開発(株)
運開:1977
ダム式・調整池式
認可最大出力:32,000kW    常時出力:11,400kW[35.6%]
最大使用水量:270.00m3/s
有効落差:14.50m
取水:天竜川[船明ダム]57.00m
放水:磐田用水、浜名用水、天竜川42.00m

船明ダム取水事業[国 交省資料
事業種類
事業名 取水量
関係市町村
その他
出典
国営農業水利事業※1
国営天竜下流
農業水利事業
潅漑期:37.977m3/s
非潅漑期:11.921m3/s
浜松市、磐田市、 袋井市、森町 潅漑面積:8,905ha 水利権更新に関わる
河川協議資料
広域水用道水※2
供給事業
遠州広域水用道水
供給事業
寺谷浄水場・於呂浄水場
121,300m3/日(1.404m3/s)
浜松市、磐田市、 袋井市、森町 開始:1979年8月 遠州広域水道用水供給事業 
静岡県企業局
都田浄水場
115,500m3/日(1.337m3/s)
浜松市、湖西市、 新居町 開始:1989年4月
工業水用水道事業※2 中遠工業用水道事業 175,000m3/日(2.028m3/s) 磐田市、袋井市 開始:1979年7月
静岡県 HP
【取水量合計】
潅漑期:42.746m3/s



浜名用水と磐田用水はこの国営農業水利事業に水供給を受けるという形らしい。

※1>>


※2>>

件名
遠州広域水道用水供給事業
中遠工業用水道事業
水利使用者名
静 岡県企業局
目的
上水道
工業用水
取水量 1・2月
2.002m3/s
3・4・12月
2.128m3/s
5・11月
2.253m3/s
6・10月
2.378m3/s
7・8月
2.503m3/s
9月
2.428m3/s
通年
0.932m3/s
給水区域
浜松・浜北・天竜・磐田・袋井・豊岡・豊田・ 森・竜洋・福田・浅羽・湖西・新居 磐田・袋井・豊岡・豊田・竜洋・福田・浅羽

磐田用水であるが,一旦船明発電所で発電してからその放流水をそのまま送水している様だ。船明ダムの直下の河床下に暗渠(左岸導水路)があるようだ。
最大40m3/sちょ いなのでまあ殆どは天竜川に放流されることになるが勿論フルタイムで270m3/sで発電している訳でもないだろう。
鹿島地点では 85m3/sは確保するように定められているので浜名・磐田両用水が最低でも2m3/sで90m3/s弱の常時水量(最大水量の33%)ではありそう。
これは発電所の常時発電 量の認可最大発電量に対する比率にほぼ一致している。
出典:ダム便覧
さて,浜名用水に関しては
【概要】旧浜名用 水路取水口は、一級河川天竜川に架かる鹿島橋のやや上 流の右岸に位置する施設で、昭和17年(1942)から昭和21年(1946)にかけて造成され、その後、昭和30年(1955)に上屋部分が増築されて います。[好 奇心いっぱいこころ旅
だそうで。どうやらこ れ(↓)らしい。

そして
船明(ふなぎら)ダムが完成したことにより、現在はその役割を終えてい ます。[好 奇心いっぱいこころ旅
と明記されていて,確かに入口が塞がれた様に見える取水口の写真が載せられている。

実はもう一つあって,というか先にこっ ち↓を見付けて,この先が磐田用水に繋がってるのは明らかなのに探しても見つからないし船明ダムが取水源だと書いてあるし多少 の混乱を来したのだが浜名用水同様,跡が残ってて地理院も消し忘れているのか,場合によっては機能は残して緊急時には使える様な準備位はしているのかも知 れない。

と思って調べてみたら,こんな動画が見つかった。こちらも廃墟らしい。 



磐田用水阿蔵取水口跡/ 神田取水口跡[水土][自然と歴史][youtube
元取水量:13.9m3/s?[国 交省(22p参照)]

上のは神田取水口と思われる。元々あったのが神田取水口で天竜川の河床低下で阿蔵に掘り直し,更に船明ダムという経緯のようだ。

近づけなかった…orz
たぶんこれが神田取水口跡。対岸からの遠写。
22.5

十津川第一以来,陸の王者,慶応ならぬ,国土地理院も地下水路は結構弱い 事を散々 見て来たが,今回は船明ダムの完成した1976直後ぐらいから延々と未修正に終わってる案件の発見となったのであろうか?

いずれにせよ船明ダムで発電した后,左岸に送水,その后しばし行方不明になって上野部付近で地上に現れることになる。上野部川と併走したりしてよく解りにくい。
川の名前地図には旧時代の天竜川から取水する形で載っていて船明ダムからの送水経路は不明のままである。。

上図(A)点の様子[地理院EL.38m]。磐田用水は蓋がされてて逆サイフォンで上野部川とその支流の合流点をくぐる感じかと思ったが,支流も磐田用水のように描かれている。実態は不明。

現地では磐田用水に平行する川の方が本流の様に見えた。上野部川上流部の合流部には砂防ダムのようなダムがあって磐田用水横の川の水が逆流しないようになっている様に見える。

その後は上野部川の左岸を暗渠で進むようである。暫くはっきりしない。
先程の上野部川上流部の合流の様な沢の合流がある[地理院]が暗渠の気配は無い。


この辺[地理院]からはっきりして来る。


22.8
この辺から上野部川と別れるが水門がある。



付近の上野部川[ここ
24.7

さて,この磐田用水,寺谷用水の名を良く耳にするのだがこんな感じの全体像らしい。一番上流の使用地域は 豊岡駅の向こう側らしい。こ の池(EL.31.7m)とかそうなんかな?
なかなかワイルドである。磐田原台地の西側を全て潤す様だ。
出典:寺谷用水土地改良区

寺谷用水は約400年前に徳川家康の家臣平野重定公が、農民福利の基盤は水利の安定にありとして現在の磐田市寺谷地 先に水源を求め、13kmの水路を開鑿したのが起源です。[寺谷用水土地改良区

年表[抜粋]
1588年(天正16年)         平野重定公 寺谷村地先に大圦樋(取入口)を建設
1590年(天正18年)         浜部村までの大井堀(用水路)完成
1909年(明治42年)    5月 寺谷用水引用水量に対する県の意見書(毎秒200立方尺[とは註:約5.5653m3/s])
1944年(昭和19年)    7月 磐田用水通水式(浜松市天竜区二俣町)
1959年(昭和34年)    1月 天竜川河状調査委員会発足
1963年(昭和38年)    8月 天竜川下流用水事業促進期成同盟会発足
1964年(昭和39年)    4月 国営天竜川下流用水事業採択
1966年(昭和41年)    3月 磐田用水幹線改良事業完了
                6月 天竜川水利調整協議会発足
1967年(昭和42年)  7月 天竜川下流用水事業推進協力会発足
1968年(昭和43年)    3月 国営天竜川下流用水事業計画決定
1969年(昭和44年)    4月 県営天竜川下流土地改良事業新規採択
1971年(昭和46年)    3月 県営寺谷用排水幹線改良事業完了
1972年(昭和47年)    11月 船明ダム着工
1979年(昭和54年)    7月 船明ダム通水式[肝心のここの年が1989になってたので修正]
(1979年以降      船明ダムから上野部(神田)まで引かれた導水管を通り、各分水口を経由して各地に通水しています。[い わた文化財だより 第139号])
1982年(昭和57年)     4月    天竜川下流農業水利事業水利使用許可



とのこと。寺谷地先が正確に何処なのかが気になる所だけど上の地図だと浄水場(これだ)と一緒の場所にあるようなので此 処らか?

どうも色々あったらしい。
移り変わった取水口

最初にあった寺谷の取水口付近は、今でも圦上(いりかみ)、圦下(いりした)の地名が 残っています(圦(いり)は水を調節する水門のこと→とはコメ:はこれ。名古屋にある杁中とか二ツ 杁の杁も同じ意味の漢字の様だ。)。
その後何か所かの取水口ができ、川の流れの状態によってどこから取 り入れるか決めていました。
掛下には一番圦がありましたが、今は右写真の一番圦橋という名前が当時をしのぶ唯一のものです。

今も残る神田取水口
上野部にある寺谷用水神田取水口。江戸時代から取水口に なったところですが、現在残っているのは
昭和18 年(1943)のもので、コンクリート製の本体に木製の樋が今でも残っています。上に樋の開閉をする役目の人がいたと伝わります。
写真のように今では天竜川の水位ははるかに下になっ ていて、取水することはできません。


今はどこから?
戦後は秋葉ダムや佐久間ダムなどができて、天竜川の 流れが安定すると同時に、水位はどんどん低くなっていきました。
右(とは註:下に引用写真はいまも残る阿蔵(あくら)取水口(昭和19 年(1944)、浜松市天竜区阿蔵)ですが、 ご覧のとおり今はここからも取水することはできません。

昭和54 年(1979)以降現在に至るまで、船明ダムから上野部(神田)まで引かれた導水管を通り、各分水口を経由して各地に通水しています。

い わた文化財だより 第139号]・各種強調はとはずがたり。

上で引用したこころ旅の浜名用水の取り入れ口の写真を見ても入口高っ,取水できんじゃんと確かに 思ったけえが,嘗ては堰き止めて水を入れてたけど堰を撤去してああなったのではなく,水位が下がって取水しようにも出来なくなったのか。
それにしても此処迄明瞭に下がるとは,砂浜も痩せ細る訳である。とはいえ,ダムのせいばかりではなく近代になって,若しくは古来より,堤防造って河道を固 定したからこそ,そこだけ削れて深くなっていく訳で,昔みたいに平野を洪水が起こる度に流路が変わる代わりに河道が下がらないし肥料も要らないからそっち にしろと云うのはナンセンスである。

先ず取り入れ口が段々奥へ奥へ上がっていってるのが見て取れる。
①1588~ 寺谷村地先に大圦樋(取入口)を建設 (磐 田市寺谷はこの辺)
②江戸時代~ 神田取水口 (神田はこ の辺)
③1944~ 磐田用水通水式(浜松市天竜区二俣町)
④1979~ 船明ダム通水


また現在ではターミナルとなっている神増分水工では以下の様になっているらしい。

天竜川の水に感謝②―神増分水工
https://arukunodaisuki.hamazo.tv/e7468313.html
寺谷用水 11.958立方m/秒
   農業用水・・・9.546立方m/秒
   上工水・・・2.412立方m/秒
磐田用水 11.891立方m/秒

神増(かんぞ)分水工はこ こで,ここから袋井方面には水路トンネルを穿って導水している。そちらを磐田用水とも云うようだがよくわからん。。

また太田川を差し措いて袋井も天竜川のお世話になっているらしい。原野谷川や逆川を差し措いて掛川は大井川の世話になっているからな~。

出典:いわた用水

いずれにせよ天竜川河口~横須賀辺り迄船明ダムのお世話になっている様だ。
また山が終わる野部辺りで発電しようとすると陸地は遥か高位であり天竜川で放水する所を用水に放水では可成り有効落差をロスしてしまう。ここは各種用水は 船明ダムに任せて余剰水で発電のみに徹するしかないであろう。

この辺を放水先にすると30m程。船明ダムの満水位が57.00mなので総落差27m程取れる。放 水をちょっと低めにして有効落差23m程度にして新規取水流域が,阿多古川(導水)・二俣川(導水)・気田川秋葉ダム(気田川)・久根ダム(水窪川・大千 瀬川・相川)辺りあるし,80m3/s程度確保して18,400kWである。まあまあの規模に出来そう。