事業種類 |
事業名 | 取水量 |
関係市町村 |
その他 |
出典 |
国営農業水利事業※1 |
国営天竜下流 農業水利事業 |
潅漑期:37.977m3/s 非潅漑期:11.921m3/s |
浜松市、磐田市、 袋井市、森町 | 潅漑面積:8,905ha | 水利権更新に関わる 河川協議資料 |
広域水用道水※2 供給事業 |
遠州広域水用道水 供給事業 |
寺谷浄水場・於呂浄水場 121,300m3/日(1.404m3/s) |
浜松市、磐田市、 袋井市、森町 | 開始:1979年8月 | 遠州広域水道用水供給事業 静岡県企業局 |
都田浄水場 115,500m3/日(1.337m3/s) |
浜松市、湖西市、 新居町 | 開始:1989年4月 | 〃 |
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工業水用水道事業※2 | 中遠工業用水道事業 | 175,000m3/日(2.028m3/s) | 磐田市、袋井市 | 開始:1979年7月 |
静岡県 HP |
【取水量合計】 | 潅漑期:42.746m3/s |
件名 |
遠州広域水道用水供給事業 |
中遠工業用水道事業 |
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水利使用者名 |
静
岡県企業局 |
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目的 |
上水道 |
工業用水 |
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取水量 | 1・2月 2.002m3/s |
3・4・12月 2.128m3/s |
5・11月 2.253m3/s |
6・10月 2.378m3/s |
7・8月 2.503m3/s |
9月 2.428m3/s |
通年 0.932m3/s |
給水区域 |
浜松・浜北・天竜・磐田・袋井・豊岡・豊田・ 森・竜洋・福田・浅羽・湖西・新居 | 磐田・袋井・豊岡・豊田・竜洋・福田・浅羽 |
【概要】旧浜名用 水路取水口は、一級河川天竜川に架かる鹿島橋のやや上 流の右岸に位置する施設で、昭和17年(1942)から昭和21年(1946)にかけて造成され、その後、昭和30年(1955)に上屋部分が増築されて います。[好 奇心いっぱいこころ旅] |
船明(ふなぎら)ダムが完成したことにより、現在はその役割を終えてい ます。[好 奇心いっぱいこころ旅] |
出典:寺谷用水土地改良区 寺谷用水は約400年前に徳川家康の家臣平野重定公が、農民福利の基盤は水利の安定にありとして現在の磐田市寺谷地 先に水源を求め、13kmの水路を開鑿したのが起源です。[寺谷用水土地改良区] 年表[抜粋] 1588年(天正16年) 平野重定公 寺谷村地先に大圦樋(取入口)を建設 1590年(天正18年) 浜部村までの大井堀(用水路)完成 1909年(明治42年) 5月 寺谷用水引用水量に対する県の意見書(毎秒200立方尺[とは註:約5.5653m3/s]) 1944年(昭和19年) 7月 磐田用水通水式(浜松市天竜区二俣町) 1959年(昭和34年) 1月 天竜川河状調査委員会発足 1963年(昭和38年) 8月 天竜川下流用水事業促進期成同盟会発足 1964年(昭和39年) 4月 国営天竜川下流用水事業採択 1966年(昭和41年) 3月 磐田用水幹線改良事業完了 6月 天竜川水利調整協議会発足 1967年(昭和42年) 7月 天竜川下流用水事業推進協力会発足 1968年(昭和43年) 3月 国営天竜川下流用水事業計画決定 1969年(昭和44年) 4月 県営天竜川下流土地改良事業新規採択 1971年(昭和46年) 3月 県営寺谷用排水幹線改良事業完了 1972年(昭和47年) 11月 船明ダム着工 1979年(昭和54年) 7月 船明ダム通水式[肝心のここの年が1989になってたので修正] (1979年以降 船明ダムから上野部(神田)まで引かれた導水管を通り、各分水口を経由して各地に通水しています。[い わた文化財だより 第139号]) 1982年(昭和57年) 4月 天竜川下流農業水利事業水利使用許可 |
移り変わった取水口 最初にあった寺谷の取水口付近は、今でも圦上(いりかみ)、圦下(いりした)の地名が 残っています(圦(いり)は水を調節する水門のこと→とはコメ:圦はこれ。名古屋にある杁中とか二ツ 杁の杁も同じ意味の漢字の様だ。)。 その後何か所かの取水口ができ、川の流れの状態によってどこから取 り入れるか決めていました。 掛下には一番圦がありましたが、今は右写真の一番圦橋という名前が当時をしのぶ唯一のものです。 今も残る神田取水口 上野部にある寺谷用水神田取水口。江戸時代から取水口に なったところですが、現在残っているのは 昭和18 年(1943)のもので、コンクリート製の本体に木製の樋が今でも残っています。上に樋の開閉をする役目の人がいたと伝わります。 写真のように今では天竜川の水位ははるかに下になっ ていて、取水することはできません。 今はどこから? 戦後は秋葉ダムや佐久間ダムなどができて、天竜川の 流れが安定すると同時に、水位はどんどん低くなっていきました。 右(とは註:下に引用写真はいまも残る阿蔵(あくら)取水口(昭和19 年(1944)、浜松市天竜区阿蔵)ですが、 ご覧のとおり今はここからも取水することはできません。 昭和54 年(1979)以降現在に至るまで、船明ダムから上野部(神田)まで引かれた導水管を通り、各分水口を経由して各地に通水しています。 [い わた文化財だより 第139号]・各種強調はとはずがたり。 |