電 力総研 水 力あれこれ
と はずがたりな掲示板(利 水スレ電 力スレ)
王滝川 木曽川上流 木曽川中流 愛知用 水等 黒川・西野川 伊奈川  柿其 阿寺 与川 蘭川 阿木川
小坂川・秋神川(飛騨川圏域) 加子母川(飛騨川圏域) 付知川 竹 原川(飛騨川圏域)
21.5.23分離独立
王滝川の利水と増強[源流部開発・三浦ダム篇]

王滝川開発と大同電力略史・御岳発電所略史・
(源流)電源開発と林道
(+7.0MW)[→別頁]】三浦ダム三浦発電所滝越発電所導水王滝川ダム(V=20.9万m3) ─(鰔川開発[+7.4MW])─牧尾ダム[→別頁]【導水開発】御岳発電所[→別頁](68.6MW)─(西野川)常盤ダム常盤発電所三尾発電所木曽ダム[→別頁]─(木 曽川合流)

【大同電力(株)と王滝川・木曽川開発略史】
木曽川流域全体の流量の安定の為に,三浦ダムは計画され建設された。
賤母発電所・大桑発電所を継承して1921年に発足した大同電力は引き継いだ水利権の内,木曽川を優先させる方針をとった。
>木曽川開発にあたり同社は「一河川一会社主義」を標榜、木曽川の水力を余す所なく有効適切に利用開発する、とうたった。
>具体的には、水量・落差ともに豊富な上流部には水路式発電所を連関的に建設、次いで水量は多いものの落差が少ない中流部にはダム式発電所を設置して尖頭負荷(電力ピーク)の増大に対応、最下流には逆調整用発電所を構えて河水を自然流量に戻し、一方で最上流部(支流王滝川)には貯水池を起こして全発電所の水量調整に当てるという開発計画である。
これらの計画が推進された結果,大正末期までに水力発電所5か所(須原・桃山・読書[建設当時は水路式]・大井[ダム式に変更]・落合)を建設した。大正末期の落合発電所の建設で大同電力の自社発電所は一段落となった。

1930年1月の金解禁は日本経済に大打撃を与え,1931年12月には再び停止され,円安が進行,世界恐慌を脱し景気回復に向かうことになるが解禁時点での100円49ドル(1ドル2円)から1年間で100円20ドル(1ドル5円)程度に大暴落した。急速な円安は輸出の伸長や重化学工業の発展をもたらしたが、恐慌前に多額の外債を発行していた電力会社にとっては大打撃となった。
>為替差損を圧縮するには、外債を自社で買い入れて外債総額を減少するほかなくなり、多額の資金を捻出するため、外債以外の債務整理、傍系会社の整理、営業の拡大などからなる会社更生計画を策定せざるを得なくなった。 [wiki]

この会社更生計画の一環で自社発電所の建設再開に踏み切り…1932年には王滝川における貯水池(三浦貯水池)の建設も許可されており…自社電源開発再開の後、木曽川では1939年(昭和14年)までに笠置発電所・寝覚発電所および傍系会社の手による今渡発電所が完成し、三浦貯水池も着工された。
工事にあたり、電源として下流側の木曽福島から28キロメートルの工事用送電線が架設され、セメントや骨材の運搬用には岐阜県側の下呂から三浦まで14.8キロメートルの索道が架設された。また重量物や従業員などの輸送には上松駅から伸びる既設森林鉄道が活用された。1939年(昭和14年)4月、未完成のまま工事は日本発送電へと引き継がれる。この段階では堤体コンクリートの打設作業が始まったところであった。工事は電源送電線の故障続出が原因で停滞したが、岐阜県側の竹原川発電所から送電線を架設するという電源二重化の対策をとると円滑になり、1941年度には1日1,200立方メートルの速さで打設作業が進んだ。その結果、工期は予定より3か月短縮され、三浦ダムは1942年(昭和17年)10月8日湛水開始に至った。[wik『日本発送電社史』技術編71-74頁i]

斯くして最下流から最上流までの一環開発が目処がつけれたのである。
大同電力は,その後電力国家管 理時代を迎え、解散,日本発送電(株)がこれを引継ぎ1942年に竣工させたのが三浦ダム,1945年に完成させたのが三浦発電所及び御岳発電所である。
その後,戦後になって三浦発電所と御岳発電所王滝川ダムの間の未利用落差を埋めるべく新設されたのが滝越発電所と云う事になる。[wiki][新エ ネ財団

上流部開発→王滝発電所(案)(+7.0MW)


三浦(みうら・みうれ)ダム(三浦湖)[便覧][水 力][夜雀] [wiki] [マニア
関西電力(株)
河川     木曾川水系王滝川
目的/型式     P/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積     83.2m/290m/507千m3
流域面積/湛水面積     73.4km2 ( 直接:69.4km2 間接:4km2 ) /280ha
総貯水容量    6,221.57万m3 / 有効貯水容量    6,160.0万m3
利用水深:47.0m
ダム事業者     関西電力(株)
着手/着工/竣工(湛水開始)     1932/1935/1942
運用:毎年12月から発電を行いつつ水位を下げ始め、翌年3月半ばに水位を0メートルとし、そこから雪解けの出水を貯留していく
間接流域:白谷川・枝川[河 川DS][水 力][地 理院]

三浦発電所[wiki][場 所(1250m)][水 力]
関西電力(株)
ダム式・調整池式
出力:7,700kW (1953年出力引き上げ) 常時:0kW[0%]
最大使用水量:17.50m3/s [238%]
取水:三浦ダム(73.4km2・V=6,160万m3)

三浦と書いて「みうれ」と読むらしいが,夜雀さんに拠ると
>「ああ…味噌川ダムの資料館でそういう記載をされているらしいですね。それでそういう風にわざわざ言いなおしてくださる方もいらっしゃいますが当 社では“みうら”ダムです 」
だそうで,恐らく態々何もないとこからそんな変わった名前が出てくる筈は無いから地名としては「みうれ」なので,関電が,苅田(かんだ)を「かりた」と読 ませたり,三宮(西宮)を「三ノ宮(西ノ宮)」と書かせたした国鉄のような中央集権的権威主義を此処でも発揮してみうらダムとしてしまったのであろう。
本総研としては敢えて「みうれ」ダムと読んであげたいと思う。

またダムマニアさんに拠ると
>このダムまでの道のりは至って険しい。7.4km手前から車両通行止めなので、徒歩で散策するしかない。
>通行止めゲートから歩くこと約2時間、左手に三浦ダムが現れる。ハイキング気分で訪れたいダムだ。
とのこと。インドア派の水発マニア(+22年夏現在未だ相棒してくれてる小6の息子)としてはまあ諦めるしかないw

22.7に現地を走り回った時は,滝越発電所の脇にある林道のゲート迄行って写真だけ撮り,秘境の三浦ダムを思っ て遙拝だけした事にした。(場 所)
22.7

また国土地理院の道路の表記と現状が真逆の此 処から上がれそう(上黒沢林道とのこと[G]) だけど分岐して山の上を三浦ダムへ通じる未舗装の林道を辿ってもどこかで閉鎖されているのであろう。(ス トビュウも入ってないので判らない。)
22.7

この道,(土石流でも警戒しているのか)上黒沢を渡る為に前後に勾配を付けて渡ってるのか,築堤になってて道 路同士の立体交叉迄ある一寸ハイスペック!?な林道である。元々林鉄絡みの何かであろうか?

この下を直進しても早晩チェーン封鎖である。ただ林道王滝線と云う風格 在る名前の様だ。[G]

滝越発電所[wiki][場 所(1056.8m)][水 力]           
関西電力(株)
最大出力:28,900kW (2002リプレース。出力増強+1,500kW) 常時出力:0kW[0%]
最大使用水量:17.50m3/s
運開:1951.11.20
取水:三浦発電所(1245.83m)
導水路:総延長4,677.0m
水路式・流込式
    有効落差:185.50m
    水車:立軸フランシス水車ラ2台 総出力29740kW
    流域面積:73.5平方キロメートル
    取水:王滝川[三浦ダム・三浦発電所17.50m3/s]1,245.83m
    放水:王滝川[→王滝川ダム1044m]1,051.92m

【導水開発】
滝越発電所は三浦ダムの放水に依存して常時は0kwである。取水位EL.1250mで別水源を探す。幸い白川がある。3.7kmで3箇所(沢1沢2白川)から取水出来そう。8.9km2。在 来ルートからも蜂渕?で取水可能っぽい。



建屋の前に行くには白川付知林道から右折す れば良い。程なくして(そこそこうねうね森の中を走るが)発電所の正面に着く。鉄管も見える。
22.7
ここからは此処迄の様だが,林道側(ゲートの手前付近)からも見ることが出来る。川の対岸になるし草も生えてる しでよく見えるとは言い難いけど。。
22.7

これによる水量安定化の図表はこんな感じである。

木曽川(というか三浦発電所・三浦ダム地点で)のデュレーションカーブ(Flow duration curve for Kiso River)


durationとは持続[継続・存続](時間[期間])(出典:英辞郎)である。要するに降った水が一気に流れずどんだけダムを含む山の中に持ち堪えら れるかって話しの様である。
73.5km2・17.5m3/sってのは三浦ダムから三浦発電 所の地点で測ってる様である。
最大流量を超えて下流に無駄に流れる日数も,水量が少なくて(3.5m3/s以下)設備が遊んでしまってる日数も減らせていることが読み取れる。
また250日以降は水量が小さいとは云へ渇水期の11月〜3月の土日祝正月等も考えると寧ろ絞りたい日に絞れてる可能性すら有る。

牧尾ダム…6,800.0万m3
三浦ダム…6,160.0万m3
両ダムは乾期の冬期に貯留量を使い果たして下流の利水に使っている事になる。

1億2,960万m3。約1.3億トンである。12月から3月迄の5カ月で使い果たすとすると一ヶ月2,600万トンである。
一日平均約86万トンであるから平均すると約10m3/sとなる。結構デカいなぁ〜♪
味噌川ダム・牧尾ダムはまあ一定に流す必要があるのかも知れないけど,土日を減らして夜間も減らす等の工夫をすれば更に増やせそうである。平均して冬の間 中20m3/sぐらいできひん??
更に味噌川ダムを含めると15m3/s程度になる感じかな??この安定感,激萌えである(;エД`)

味噌川ダム:5,500万m3・55.1km2
三浦ダム:  6,160万m3・69.4 km2
王滝川ダム:   20.9万m3
牧尾ダム:  6,800万m3・73km2(直接)
常盤ダム:    66.4万m3
木曽ダム:  184.4万m3
伊奈川ダム:  50.5万m3
読書ダム:  267.7万m3
山口ダム:  126.4万m3
落合ダム:  100.0万m3
阿木川ダム:
大井ダム:

各所に設けられたダムが木曽川の水流を均しトータルで豊かな資源に変えていく。徳山ダムや奥只見・田子倉ダム,御母衣ダムなど億トン級の巨大ダムがある水 系(徳山は木曽川水系という突っ込みは却下w)とは異なり,余り巨大な貯水量はないが味噌川・三浦・牧尾で1億8000万mとなりそれらにやっと比肩する ことになる。味噌川も牧尾もない時代に三浦ダ ムを建設した意義の大きさが判ろうかというものである。
また木曽・読書・山口・落合の中流域の諸ダムは一桁,王滝川・常盤・伊奈川は二桁小さい。
なかなか巨大ダムを設置出来る世の中ではなくなってきたが,ダムでフォローされてない流域は未だ結構あるので中規模のダムをこまめに設置していきたい所。

以下,御岳発電所牧尾ダム源流部開発へ続く。