付知川の利水と発電の可能性
鱒渕用水・西股用水・付知川右岸用水・発電所及びダム建設検討・下流発電所検討
中津川・大井(恵那)から下呂に向かうと付知・加子母・竹原と川沿いに行くがその付知である。
水量豊富な御岳山南麓なのに矛盾しているが水不足に悩み江
戸時代より潅漑用水が多数開削されてきた。豊富な降水量で水量豊富な川は深い谷を刻んで河岸段丘上では水が不足する事になるのである。
KISSO
2018 Vol.108より ※:KISSOは1991年12月に創刊された木曽川下流河川事務所が発行する広報誌?のようである。
> 現在の中津川市付知町には、鱒淵用水、猪ノ谷用水、西股用水、宮沢用水、
川東用水(現在の荏薙用水)の五大用水が流れ、豊かな土地となっています。
ここでは、この五大用水を総称して『付知用水』と呼ぶこととし…紹介します。[KISSO
Vol.108]
ところが,付知は最奥部は3000mmを越す様な御岳山を中心とした多雨地帯に入っているのである。大雨が谷を深く刻み,山が開けた辺りでは既に豊富な水
は谷底にあって土木が未熟な頃は如何ともし難く,江戸時代ぐらいになってやっと用水を引ける様になった感じである。
出典:国
交省
本項では鱒渕用水,西俣用水に加えて付知西岸用水を取り扱う。そして潅漑の現状を踏まえた上でダム建設の可能性も検討したいと思う。豊富だけど使えて無い
水が多すぎる上に潅漑用水にも配慮が必要と条件は揃っていると思うのだけど。
(Ⅰ) 付知用水
同広報誌には付知町役場が纏めた?付知三大用水の経路図が載っていて五大用水の内,鱒
淵用水、西股用水、川東用水(現在の荏薙用水)を三大用水路としているのが判る。
出典:KISSO
Vol.108
>付知に開削された用水路については、平成三(一九九一)年に付知中学一年生が、用水路の取水口と経路を調べ、『付知の用水』としてまとめていま
す。彼らの調査によると、当時[いつ?1991年?]の付知村には用水路が三十三本あったとされており、その後三本が消失し、当時[いつ?1991年?]
も三十本の用水路を確認しています。[KISSO
Vol.108]
後ろの当時は1991年と取るのが順当で前の当時が付知村があった昔だと思われるが詳細不明。
兎に角付知用水に先行して政右衛門用水と荒井水が代表的用水としてあるらしい。
政右衛門用水
>文化二(一八〇四)年、曽利目の政右衛門は宇峠(現在の西股
用水取水口の西側)の谷から白谷まで約四㎞
を掘割りの用水路で水を引く計画を立て完成しましたが、測量の誤りで水は流れて来ませんでした。…工事資金に困るようになり工事を中止しました。政右衛門
は、家財道具も無くなった家に妻や子を残し、金策の旅に出たままついに付知には帰りませんでした。今も旧水路が、大起から屋敷岌間(現在の西股用水よりか
なり高い位置)に残っています。[KISSO
Vol.108]
これは悲惨な。。
荒井水
>下付知黒川谷(こ
れ)の支流袖谷(軸谷?)
を取水口とした荒井水は、寛政八(一七九六)年に修復されており、下付知で最も古く長い用水路でした。しかしこの用水路
は、急斜面に幅狭く掘割られ、上ヶ平中腹を一回りしており、晴天時には干上がっていました。
>そこで、荒井水頭の牧野丈右衛門は井仲間六人と、取り込み口(袖谷)付近から山を掘り抜いて若宮神社(こ
れ?)裏の宮沢まで約一〇五間(約一九〇m)の隧道
を掘削し、用水路の距離を約一/ 二十とする計画を立て費用を分担して、文化五(一
八〇八)年に隧道工事に取り掛かりました。
>この工事は、加地勇次郎が工事頭を務め…高さ五尺(一・五m)、横幅四尺(一・二m)、水路幅二・五尺(七十五㎝)の東濃で初の隧道を完成させま
した。
> 加地勇次郎は、明和二(一七六五)年に菓子上に生まれ、下付知の酒造屋に丁稚奉公後、四十代で用水工事技術者となりました。その後、荒井水を手
始めに、付知のほとんどの用水を造り、天保十三(一八四二)年に七十八歳で逝去しました。[KISSO
Vol.108]
加地勇次郎すげえ。ほぼ同じ時期なのに政右衛門との明暗も凄い。。ただこの加地勇次郎の登場で田口の五大用水完成の偉業を準備したのである。
>私財を投じ、難事業である鱒淵用水、猪ノ谷用水、西股用水、宮沢用水、川東用水の五大用水事業を完成させ、付知村に稲作普及の礎を築いたとされる
のが第十五代付知村の庄屋 田口慶郷です。[KISSO
Vol.108]
田口慶郷が関わった五大用水
出典:KISSO
Vol.108
(一)鱒渕用水
>鱒淵から取水する鱒淵用水[KISSO
Vol.108]
>現取水口は800m下流にある権四薙堰堤であり、「鱒淵」は堰堤による土砂堆積で埋没している。[KISSO
Vol.108]
権四薙堰堤はどこだ!?
>同様のもの(二重堰堤)として、この付知峡にある「権四薙瀑布」というものがありますが、これも二重堰堤(昭和31年完成)に懸かる滝と思われま
す。[滝を探して]
出典:滝を探して
この権四薙が同じ場所なら(流石に珍しい名前なので同じだろう),悪谷の合流地点なので解りそうなものだが,川の名前地図には名前どころか該当
しそうな川すら無い。。
橋の近くとなるとこ
の辺[ggl]・[地
理院]か。こ
れ[地理院]が鱒渕用水か。となると鱒渕は恐
らくこの辺[ggl]。
この用水,鱒渕ではなく権四薙から図の様に延々と流下していくように地図上で辿ることが出来る。
木曽川の向こう迄延々と続いているが途中から下で見る現代建設の付知川右岸用水に変
わるらしい。
(二)猪ノ谷用水・西股用水
> 文政十一(一八二八)年六月、大郷瀬の奥に住む喜六ら三人の発起で旧猪ノ谷井水に着手し、文政十二(一八二九)年四月に完成しましたが、文政十
三(天保元=一八三〇)年の大雨で破損してしまいました。
> そこで、田口慶郷を中心として、旧猪ノ谷井水に他の小井水等(白谷井水等[白
谷は多分これ])を合併して用水路とする新猪ノ谷用水の建設計画を立て、天保元(一八
三〇)年九月に着工し、天保二(一八三一)年三月に完成させました。[KISSO
Vol.108]
>
しかし、この用水路は水量が貧しく、維持費が嵩んだため、二十年後の嘉永三(一八五〇)年九月に水源を付知川西股とした新たな用水、西股用水に着工し、翌
年に完成させています。
これが570m
付近から始まる用水であろう。
この用水,こ
こら辺(477m)で見失うが7.5km程続いている。
(三)川東用水(現在の荏薙用水)
>田口慶郷は、嘉永三(一八五〇)年より翌年に掛けて、さらに宮沢用水・川東用水工事を相次いで行いました。
これは東岸に流れる用水っぽい。
(Ⅱ)付知川右岸用水
付知頭首工から岐れて延々と付知川左岸を下り,県営水路になり更に南下しついには木曽川を渡り西山地区に至るのが本経路である。
起点の付知頭首工は
出
典:農水省
である。
さて,これを上空から探すとあっ
た[ggl]。とうことで此
処[地理院]EL=429mである。
で,こ
れ[地理院]が水路橋の筈なんだけどど
う見ても歩道橋ぐらいにしか見えない[ggl]。。
水
道橋ならもっと分厚い筈。。もう鱒渕用水のなれの果てで水量も僅少になってるのか。
上の地図でロストしたと思ってた箇所だが,まさにここにあるのが付
知川右岸用水の円筒分水工で終点であった。
全体図は農
水省の資料に載ってた。
国営開拓事業「付知川地区」…1953年~1965年度にかけて,開拓及び付知頭首工,国営幹線水路を建設
県営開拓パイロット事業「西山地区」…1965~1977年度にかけて,開拓及び県営幹線水路を建設
付
知川右岸用水
https://www.pref.gifu.lg.jp/uploaded/attachment/8040.pdf
中津川市
の通称西山台地
は、農業に必要なかんがい用
水を、天然の降雨や地区内のごくわずかなため池に頼る極度の乾燥地
帯でした。
台地のすぐ近くに
は、木曽川がある
が、水面は130メートル下にあり利用できませんでした。昭和の中期、隣村の福岡町
においては、付知川を水源とする水路の建設が開始されました。
時
の市長間孔太郎は、「この時を逸し他に名案無し」と決意新たに県や国
へ再三陳情を行い、ついには、福岡町から木曽川に水管橋を架して西山地区まで水を導水することができました。
付知川の清流を
十数キロにわたり運ぶ水路の末端には、
苦労して得た水をできるだけ均等に分水するために、円筒分水工が設置されています。
これら用水の水流を安定させ発電への余力を捻り出す為にダム建設を検討する
先ずは付
知川(西股谷)EL
=582m付近でダムを建設すると流域は49,1km2となる。東俣谷からも導水すると21.9km2ある。合計71.0km2である。用水への
配分も加味して6.0m3/s程度を付知頭首工EL429mへ向けて発電できそう。導水路はダ
ムか
ら発電所迄9.5km程。
ダムは650m位を満水位とする。用水向け・維持流量の小水力を設けても良いだろう。有効落差は導水距離を加味して210m程。
[私案]付知川ダム
目的:PAN
堤高:80m 堤長:254m 堤長高:255m 最低水位:600m
湛水面積:27.7ha 推定有効貯水量:798.4
万m3
流域面積:71.0km2 (直接:49.1km2・間接:21.9km2)
ということで以下の発電所案を得た。ピーク用に水量を増やしている。導水距離を鑑みて有効落差は減らしている
[私案]付知川発電所
出力:12,500kW[+12.5MW]
水量:7.5m3/s
落差:200m
流域:71.0km2
導水:9.5km(東股谷導水を除く)
取水:付知川(西股谷)[[私案]付知川ダム]・東股谷 EL650m
放水:付知川[付知頭首工]EL429m
なかなかの規模である♪
ここで2m3/s弱程付知川用水に取られるが,上流からの新規流入水もある。
出典:国
交省
付知川用水というか水に懸ける西山台地の人達の
思いを敷衍すれば当然付知川右岸の開拓地,更
には付知地区の方々の水を簡単には取水出来なくなる。
当初考えた上流から取水して中流や木曽川本流へ持って行くのは取り合えず止め。更にダムがあれば降雨時に流れ去ってまともに使えない現状を変える事が出来
る。
寧ろ,深く谷を穿って簡単には使えなくなる地点で取水した方が良さそうである。
勿論,発電の為には成る可く上流で取水したい。付知頭首工への供給も配慮する必要がある。
と云う事で選んだのはこ
の410m地点。最初は600mから取ろうとしてたことを思うと随分低くなったが付知川頭首工から木曽川合流迄未だ
150m位の落差はある。
調べてみると115.0km2もある!更に横川谷から取水すると12.5km2ある。併せて127.5km2ある。
付知頭首工や維持流量で2m3/s程取水できないとしてもまあ10m3/s程度は行けそうで
ある。上流にダムを建設して流量を安定化させれば尚更である。
同じ付知地域の印象だが,一部は白川(加子母川)流域であって同じ木曽川水
系では
あるがそっちが飛騨川圏域(正式な名前ではなく今勝手に名付けた)である。
意外に賎母・坂下よりで,14.1km程で坂下の川上川で取水して落合ダム288mへ至る
付知川115.0km2 9.2m3/s
横川谷12.5km2 1.0m3/s
川上川29.6km2 2.3m3/s
外洞川7.6km2 0.6m3/s
全体 164.7km2 13.1m3/s
[私案]付知川発電所
出力:11,200kW[+11.2MW]
水量:13.1m3/s
落差:103m
導水:14.0km
取水:付知川・横川谷・川上川411m
放水:木曽川[落合ダム]290m
十分採算に合いそうである。恵那峡へぶち込むより落合の方が近いし,現状利用出来てない川上川の水を使える。
付知川や川上川の上流でも多少の追加の開発も検討しているけどまあ両立しそうではあ
る。更に賎母地点増強との絡みでトータルで開発検討するとこんな感じに