電 力総研 水 力あれこれ(東北)
と はずがたりな掲示板(利 水スレ電 力スレ)
21.6.21着手
北上川の利水と治水

東北開発とは北上川開発であった(byとはずがたり)。勿論言い過ぎであるw
我々は酒田や八戸や小名浜や仙塩と云った臨海工業地帯形成の試み(と或いはその失敗)を知っているし,ややもすると観光と結びつけられがちな十和田や磐梯 や田沢湖と云った地名もしっかりと地元の鉱産資源や自然エネルギーを使って重化学工業の立地が図られたのである。

とはいえ1950年に制定された国土総合開発計画の枠組みの中で,。北上川については岩手県・宮城県の複数県にまたがり、 北上川水系のみならず隣接する鳴瀬川水系を含めた形で「北上特定地域総合開発計画」が定められた訳だが,その鳴瀬川の河口には明治期に明治政府が野蒜築港 の建設を企図するも失敗して抛棄[wiki], 中下流域の 和賀川には東北新興事業の一環で日本重化学工業が大荒沢ダムと旧和賀川発電所を建設[よっきが和賀で見た水関係の古いもんはこの頃のものと 思われる],中上流の紫波郡は明治期以降,水争いがあって戦後直ぐに山王海ダムの建設が薦められ,上流の松尾鉱山の経営は1911年以降本格化した[wiki] のである。稲作(その背景の冷害),築港,鉱山など東北を特徴付ける要素が広い流域にひろがっているのである。

さて,その開発が体系立つのは1930年後半からである。

北上川五大ダム計画(1938年~)

1930年代後半,「秋田県出身で東京帝国大学教授・内 務省土木試験所所長の職に就いていた物部長穂は日本におけるその後の河川開発に重大な影響をあたえた論文を1926年(大正15年)に発表した。…水系を 基準として本流・支流の区別なく上流から下流まで一貫して開発し(水系一貫開発)、それまで多種多様な 事業者が別個に実施していた治水・利水事業を統合させて総合的かつ効率的に行うという趣旨のものであった。これは河水統制計画案と呼ばれ、その根幹事業と して天然の湖沼および大貯水池を有するダムの建設が洪水調節としては有利であると主張した」[wiki (/北上特定地域総合開発計画)]。この水系単位の河川管理は戦後の河川法の水系一貫管理へと繋がっていくことになる。

[ここにおいて多目的ダムという概念が登場するが、物部のこうした主張はパナマ運河建設に日本人で唯一参加し、大河津分水や荒川放水路の建設・改修に 携わった内務技監・青山士(あおやま・あきら)によって採用され、1937年(昭和12年)に予算が付いて正式な国家プロジェクトとして利根川など全国 64河川で調査された。北上川もその中に入っており調査の結果翌1938年(昭和13年)に「北上川上流改修計画」としてまとめられた。][wiki (/北上特定地域総合開発計画)

「計画の中で、今までの北上川による水害で最も洪水の被害が大きい一関市狐禅寺(こぜんじ)が計画高水流量の基準点と定められ、毎秒7,700トンの洪水 を 2,100トンカットし毎秒5,600トンとする治水計画が決定した。このカット分を主にダムと遊水池によって賄うこととなり、一関市に遊水地(後の一関 遊水地)を計画、さらに北上川本流を始め岩手県内の主な支流である雫石川(しずくいしがわ)・猿ヶ石 川(さるがいしがわ)・和賀川(わがかわ)・胆沢川(いさわがわ)の五河 川に治水ダムを建設する計画を立てた。これが後年北上特定地域総合開発計画の根幹事業となる、いわゆる「北上川五大ダム計画」の出発点で ある。その第一弾として猿ヶ石川へのダム計画が進められて1941年(昭和16年)7月、国直轄ダムとしては日本で最初の例となった猿ヶ 石堰堤(さるがいしえんてい)、後の田瀬ダムが高さ76.5メートルの重力式コンクリートダムとして着工された。」[wiki (/北上特定地域総合開発計画)・強調はとはずがたり]

「ところが着工したこの年に太平洋戦争が始まり、…政府は1944年(昭和19年)8月に…「決戦非常措置要 領」を発令した。これに伴い田瀬ダムの建設資材が極端に欠乏して施工の継続が困難となり、「要領」発令と同時にダム事業は中止を余儀無くされ「五大ダム計 画」も一旦頓挫する形になった。 」[wiki (/北上特定地域総合開発計画)

国営農業水利事業(1947年~)とカスリーン・アイオン両台風(1947・1948年)

敗戦後の日本において最も懸念された問題は極端な食糧不足であった。…連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は…全国各地で農地の新規開墾を行うことで食 糧増産を図り、国民の不満を逸らそうとした。
1947年(昭和22年)より農林省 (現・農林水産省)は大井川(静岡県)・九頭竜川(福井県)・野洲川(滋賀県)・加古川(兵庫県)の四河川で「国営 農業水利事業」を展開した。農地開墾の水源を開発することでかんがい用水を供給し、食糧増産を軌道に乗せるというのが目的である。北上川水 系においては内務省が「北上川五大ダム計画」を一部変更して田瀬ダムを放置したまま、胆 沢川の石淵ダム(い しぶちダム)を優先的に建設 させる方針を採り、 1945年(昭和20年)秋より建設に着手した。これ は石淵ダムの建設が、田瀬ダムに比べかんが い効果が大きいという理由による。一方農林 省は紫波郡で北上川に合流する滝 名川に農林省直轄 ダムを建設する計画を立てた。山 王海ダム(さんのうかいダム)で ある。wiki (/北上特定地域総合開発計画)・強調はとはずがたり]

「北上川本流は豊富な水 量 を有していながら、農業用水や飲み水としては全く使うことの出来ない河川であった。これは源流部にあり硫黄を産出する松尾鉱山から 流れ出る坑内水が原因である。…(その結果)流域各地で水争 いが頻発した。特に紫波郡では「志和の水喧嘩」と呼ばれるほど激しく…。大正時代には稗貫郡・和賀郡でも平賀千代吉によって農業用ダム建設促進決議が採択 されるなど、かんがい専用ダム建設は地元の悲願でもあった。」[wiki (/北上特定地域総合開発計画)・強調はとはずがたり]

「農林省は滝名川に当時「東洋一」の規模を有する山王海ダムを1953年(昭和28 年)に完成させ、長きにわたって懸案であった紫波郡へのかんがい用水供給が図られ水喧嘩はこれにより撲滅された。また石淵ダムも同 年(1953年)に完成し、胆沢扇状地は肥沃な農地として生まれ変わり「胆沢平野 小唄」にも伸びる胆沢の底力と地域住民にも称えられた。こうしたかんがい整備とダムの効用は、治水重視であった「北上川上流改修計画」を転換させる一つの ポイントにもなった。」[wiki (/北上特定地域総合開発計画)・強調はとはずがたり]

こうした側面もあって「北上川上流改修計画」はかんがい重視の方向に事業が進められた。ところが北上川流域は…大洪 水 を、しかも連続して被る非常事態なった。1947年(昭和22年)9月のカスリーン台風1948年(昭和23年)9月のアイオン台風という、二つの雨 台風である。→とは註:北上 川の開発計画は早くも1945年秋に石淵の着工にされた石淵・山王海両ダムによる潅漑中心の方策がその1953年の完成前に早くも疑問を突きつけられたの である。

カスリーン台風は1947年9月15日に房総半島をかすめ利根川を決壊させ首都・東京を水没させたことで有名であるが、北上川流域では台風によって秋雨前 線が刺激されて各地に大雨をもたらし、北は盛岡市から南は石巻市に至る北上川沿岸で堤防決壊による浸水被害が多発した。1948年9月16日房総半島に上 陸したアイオン台風ではカスリーン台風ほどの浸水被害はもたらさなかったものの、一関市で二日間に403.2ミリという猛烈な豪雨を観測。狭窄部、また流 木によって多数の橋が堰き止められて市内に流木が乱入、結果台風全体の死傷者の三分の一を占める473人の死者・行方不明者を出す大災害となった。…[wiki (/北上特定地域総合開発計画)

<河川改修改訂計画案(1949年)>

こうした大災害は戦中の森林乱伐に加え戦争による治水工事の中断、カスリーン台風の復旧作業がままならぬうちにアイオン台風が襲来したという要因、そして 何よりも「北上川上流改修計画」で定めた(ばかりの)計画高水流 量を毎秒約 2,000トンも上回る洪水が襲ったことが一関市を始めとする北上川流域に致命的な被害を与えた。この当時は同様の要因で全国の河川は大洪 水をもたらしており、水害による国土荒廃が戦後経済復興の最大阻害要因になると危機感を抱いた経済安定本部は、諮問機関である治水調査会に命じて抜本的な 河川改修案を作成するように命じた。[wiki (/北上特定地域総合開発計画)

治水調査会は1949 年(昭和24年)、経済安定本部に河川改修案をまとめて答申した。これは「河川改訂改修計画案」と 呼ばれ、北上川を始め信濃川・最上川・利根川など全国12水系を 対象として総合的な治水整備を実施する内容であった。特に北上川、江合川・鳴瀬川、利根 川、木曽川、淀川、吉野川、筑後川の六水系七河川については「河水統制事業」に沿った形で本流及び主要な支流に多目的ダムを数多く建設して、洪水調節を実 施するという内容のものであった。これにより「改修計画」は大幅に変更され、北上川の計画高水流量はアイオン台風の洪水を基準とした毎秒 9,000トンに改められ差分をダムや遊水地、堤防建設などで賄うとした。これが「北上川上流改訂改修計画」であり、中断していた「北上川五大ダム」の一 つである田瀬ダムの建 設が再開され、残り三ダムについても早急な調査 と着工を求められた。また、現在の一関第二・第三遊水地の原型でもある「舞川遊水地計画」も計画された。wiki (/北上特定地域総合開発計画)・強調はとはずがたり]



こうして新たな治水計画である「北上川上流改訂改修計画」が定められたが、北上川下流の迫川や江合川は宮城県によって独自に河川開発が進められており、上 流との整合性が求められた。また先述した食糧不足解消のためのかんがい整備による農地開墾、さらに戦時中の電力施設空襲による打ち続く電力不足の解消を図 るための水力発電開発が必要となり、これらを効率的に組み合わせて地域経済の発展を加速化させるには、物部長穂が提唱した「水系一貫開発」が合理的である との考えが政府や経済安定本部、建設省(河川事業管掌。現・国土交通省)、農林省(かんがい事業管掌)、商工省(電力事業管掌。現・経済産業省)で支配的 となった。[wiki (/北上特定地域総合開発計画)]斯くしてアメリカのTVA的な綜合開発がここ北上川流域でも行われたのである。

< 国土総合開発法(1950年)>

これらの政策は法律の裏付けを得て協力に推進されることになる。
「1950年(昭和25年)第2次吉田内閣は「国土総合開発法案」の制定を閣議決定し、国会にて可決・成立させ国土総合開発法が成立した。「国土を総合的 に 利用し、開発し、及び促進し、並びに産業立地の適正化を図る」(第一条)を最終目的としている。この中で第二条第一項では「水その他の天然資源の利用に関 する事項」を、さらに第二項では「水害、風害その他の災害の防除に関する事項」を定めた。これは河川開発を念頭に置いたものであり、第十条第一項における 「地域指定の理由」の中で選定された地域は、そのほとんどが日本における重要な水系と一致した地域開発となっている。従って国土総合開発法では、より強力 な河川開発を推進することが産業育成の要であると考えられた。…

最終的に二十二箇所の地域が対象地域として選定され…ここに特定地域総合開発 計画が決定した。…北上川については岩手県・宮城県の複数県にまたがり、 北上川水系のみならず隣接する鳴瀬川水系を含めた形で「北上特定地域総合開発計画」が定められた。ここにおいて、治水と農地かんがい、そして水力発電を目 的とした大規模な河川総合開発事業がスタートした。 [wiki (/北上特定地域総合開発計画)

と云う事で現在も北 上川と五大ダム[四十四田ダム・御所ダム・田瀬ダム・湯田ダム・胆沢ダム]とは行政の中にも尚,生きていて,基本的な構造は勿論,一関以南の狭窄 部の解消が困難な以上,今も生きているのである。

北上川は岩手県岩手町の御堂観音境内の湧水(弓弭の泉)を水源とし、岩手県 のほぼ中央部を、北から南へ流れる東北最大の河川です。

一関遊水地の上流でゆるやかになり川幅も広くなって南流します。

ところが一関市の狐 禅寺のあたりにくるとそれまで250mもあった川幅が100m位になり、狭い谷が28kmも続きます(図中○部分)。宮城県の柳津にく ると川は二又に分かれます。一方の北上川はまっすぐ流れてから大きく左へ曲がり追波湾に注ぎます。もう一方の旧北上川は右に流れをかえ、迫川、江合川を合 流して石巻湾に注ぎます。

そこで、洪水による被害の軽減を図るため、北上川の治水計画では、堤 防とダム・遊水地の貯留施設により調節することにしています。具体的には、ダムと遊水地がない場合、県境付近の狐禅寺地点で13,000m3/sが流下す ると想定されていますが、そのうち4,500m3/sをダムと遊水地で調節(昭和48年[1973年]3月計画)する計画です。この計画に基づき北上川五大ダムは、(1953)年に竣功した石淵ダムをはじめ、田瀬ダム、湯田ダム、四十四田ダムが順次竣功しその後1981年に御所ダムが竣功しました。なお、四十四田ダムは、昭和28年計画に基づき建設されました。その後、石淵ダムの再開発として胆沢ダムが完成(2014.3)しています。



出典:国交省


調べてみると一関市郊外(その狐禅寺)で北上川の標高は僅かEL.10m!?
温暖化したら北上川が運河になって一関が巨大貿易港になれるレベル。
一関から外へ出るに結構山越えが必要な印象あるけど北上川が削った量はんぱねえ。



■右岸支流


■本流

■左岸支流

~一方井川~

一方井ダム




(北上川源 流)

[沼宮内市街]


[好摩市街]




  
 





~松川~[→こちら参照

~赤川~
松尾鉱山

廃鉱山より毎分18m3(0.3m3/s)の強酸性水の湧出













~雫石川 ~

御所ダム[便覧] [国交省
河川    北上川水系雫石川
目的/型式    FNWP/重力式コンクリート・フィル複合
堤高/堤頂長/堤体積    52.5m/327m/1200千m3
流域面積/湛水面積    635km2 ( 全て直接流域 ) /640ha
総貯水容量/有効貯水容量    65000千m3/45000千m3
ダム事業者    東北地方建設局
着手/竣工    1967/1981





四十四田 (しじゅうしだ)ダ ム[便覧] [国交省
河川    北上川水系北上川
目的/型式    FP/重力式コンクリート・フィル複合
堤高/堤頂長/堤体積    50m/480m/382千m3
流域面積/湛水面積    1196km2 ( 全て直接流域 ) /390ha(再開発後:430ha)
総貯水容量/有効貯水容量    47100千m3/35500千m3
再開発後予定:総貯水容量/有効貯水容量    54600千m3/43000千m3
ダム事業者    東北地方建設局
着手/竣工    1960/1968
再開発着手/再開発竣工 2019/







[盛岡市街]

~米内川 ~


~外山川 ~

外山(そとやま)ダム[便覧
河川    北上川水系外山川
目的/型式    P/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積    33m/121m/27千m3
流域面積/湛水面積    32.7km2 ( 全て直接流域 ) /49ha
総貯水容量/有効貯水容量    3751千m3/3233千m3
ダム事業者    東北電力(株)
着手/竣工    1941/1943



東北電力(株) 米内発電所[水力
岩手県盛岡市下米内佐倉
運開:1942.12[東北振興電力(株)]
水路式・流込式
 認可最大出力:4,300kW    常時出力:0kW
    最大使用水量:3.50m3/s
    有効落差:148.70m
    水車:横軸フランシス水車 出力5200kW×1台
    導水路:総延長9131.1m
    流域面積:120.3km2
    取水:中津川、米内川、外山川[外山ダム]308.06m
    放水:米内川148.38m


~中津川 ~

綱取ダム[便覧
河川     北上川水系中津川
目的/型式     FNW/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積     59m/247m/201千m3
流域面積/湛水面積     83km2 ( 全て直接流域 ) /79ha
総貯水容量/有効貯水容量     15000千m3/13300千m3
ダム事業者     岩手県
着手/竣工     1972/1982




 









~黒沢 川・滝名川~
山王海ダム[便覧(再)] [便覧(旧)] [土地改良区
河川    北上川水系滝名川
目的/型式    A/ロックフィル
堤高/堤頂長/堤体積    61.5m/241.6m/1290千m3
流域面積/湛水面積    53.7km2 ( 直接:37.7km2 間接:16km2 ) /230ha
総貯水容量/有効貯水容量    38400千m3/37600千m3
ダム事業者    東北農政局
着手/竣工/再開発着手/再開発竣工   1945/1952/1990/2001



[紫波郡]

~稗貫川 ~

早池峰ダム(旧称・落合ダム)[便覧
河川    北上川水系稗貫川
目的/型式    FNWIP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積    73.5m/333m/333千m3
流域面積/湛水面積    75.1km2 ( 全て直接流域 ) /86ha
総貯水容量/有効貯水容量    17250千m3/15750千m3
ダム事業者    岩手県
着手/竣工    1982/2000

岩手県企業局 早池峰発電所[水力
岩手県花巻市大迫町内川目
着工:1997.8 運開:2000.6
ダム式・貯水池式
    認可最大出力:1,400kW   常時出力:160kW
    年間発生可能電力量:7684MWH(768万4千キロワット時)
    最大使用水量:3.50m3/s    常時使用水量:0.87m3/s
    最大有効落差:50.01m    常時有効落差:42.22m
    水車:横軸フランシス水車 出力1480kW×1台
      取水位標高:302.000m(ダム常時満水位時)
      取水位標高:282.500m(ダム最低水位時)
    流域面積:75.1平方キロメートル
    取水:稗貫(ひえぬき)川[早池峰ダム]
    放水:稗貫川252.22m[DB]



 








~葛丸川 ~
葛丸ダム[便覧
河川    北上川水系葛丸川
目的/型式    A/ロックフィル
堤高/堤頂長/堤体積    51.7m/220m/670千m3
流域面積/湛水面積    22.5km2 ( 全て直接流域 ) /39ha
総貯水容量/有効貯水容量    5000千m3/4650千m3
ダム事業者    東北農政局
着手/竣工    1978/1991








[花巻市 街]・イギリス海岸
(猿ヶ石川・合流) 

~猿ヶ石 川~
~豊沢川 ~

豊沢(とよさわ)ダム[便覧
河川     北上川水系豊沢川
目的/型式     A/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積     59.1m/150m/130千m3
流域面積/湛水面積     60km2 ( 全て直接流域 ) /136ha
総貯水容量/有効貯水容量     23356千m3/23257千m3
ダム事業者     東北農政局
着手/竣工     /1961


東北電力(株) 猿ヶ石発電所[水力
岩手県花巻市東十二丁目第19地割
運開:1930.2[盛岡電気工業(株)]
水路式・流込式
    認可最大出力:3100kW      常時出力:2100kW
    最大使用水量:16.70立方メートル毎秒
    有効落差:22.73m
    水車:立軸フランシス水車×2台 総出力3240kW
    導水路:総延長2027.7m /    放水路:総延長1049.6m
    流域面積:964.3平方キロメートル
    取水:猿ヶ石川88.82m
    放水:北上川64.32m

猿ヶ石発 電所取水堰
取水:猿ヶ石川88.82m
送水:猿ヶ石発電所16.70m3/s

<25.83m落差空きあり>






電源開発(株) 東和発電所[水力
岩手県花巻市東和町谷内
    昭和29(1954)年12月10日:運用開始
ダム水路式・貯水池式
    認可最大出力:27000kW      常時出力:10100kW
    最大使用水量:35.00立方メートル毎秒
    有効落差:91.60m
    水車:立軸フランシス水車×2台 総出力33000kW
    導水路:総延長2624.7m
    流域面積:740.0平方キロメートル
    取水:猿ヶ石川[田瀬ダム]215.00m
    放水:猿ヶ石川114.65m
~和賀川 ~(こちら参照)

湯田ダム[国 交省][便 覧
河川    北上川水系和賀川
目的/型式    FAP/重力式アーチ
堤高/堤頂長/堤体積    89.5m/265m/379千m3
流域面積/湛水面積    583km2 ( 全て直接流域 ) /630ha
総貯水容量/有効貯水容量    114160千m3/93710千m3
ダム事業者    東北地方建設局
着手/竣工    1953/1964





石羽根ダム[便覧
河川    北上川水系和賀川
目的/型式    P/重力式コンクリート・フィル複合
堤高/堤頂長/堤体積    20.5m/283m/38千m3
流域面積/湛水面積    725km2 ( 全て直接流域 ) /51ha
総貯水容量/有効貯水容量    4050千m3/1580千m3
ダム事業者    東北水力地熱(株)
本体施工者    西松建設
着手/竣工    1952/1953





田瀬ダム(猿ヶ石堰堤)[国交省] [便覧][場 所
河川     北上川水系猿ヶ石川
目的/型式     FAP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積     81.5m/320m/420千m3
流域面積/湛水面積     740km2 ( 全て直接流域 ) /600ha
総貯水容量/有効貯水容量     146500千m3/101800千m3
ダム事業者     東北地方建設局
着手:1938/着工:1941/工事中断:1944.3/工事再開:1950.10/竣工:1954
給水:東和発電所(35.0m3/s)・稗和東部地区用水[こ れ



<有効落差88m程あり>








入畑ダム [便覧
河川    北上川水系夏油川
目的/型式    FNWIP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積    80m/233m/293千m3
流域面積/湛水面積    38km2 ( 全て直接流域 ) /63ha
総貯水容量/有効貯水容量    15400千m3/13900千m3
ダム事業者    岩手県
着手/竣工    1974/1990











入首川

~胆沢川 ~

旧石淵ダム[国 交省


胆沢ダム


















衣川




[一関市街]


(一関遊 水池)





[狭窄部]







~北上川~



~旧北上川 ~

(河 口:追波湾)
~追川~










~江合川 ~(こちら参照)




[石巻市街]


(河口:石 巻湾)