使用水量(m3/s) |
最大出力 |
||
発電所 |
最大 |
常時 |
(kW) |
中津川第一 |
(11.94) 36.44 |
(4.84) 5.11 |
(31,500) 127,000 |
中津川第二 |
13.91 |
(5.96) 6.44 |
18,000 |
まず最初の謎は,何故野反ダムから渋沢ダム迄 500mも下げるのに発電をしないんだって事である。集水面積が 16.56km2しかないからまあ精々1.6m3/s程度だから?と思ったけど雀さんによると最大 6.00m3/sも取水してるようだ!(中津川第一のピーク化に伴う措置らしい) 上信越高原国立公園内で開発許可が下りなかったのか?地下に造るとか色 々あるだろうに。普段からそんなに持続的に貯めてる訳でもなくピーク時に使うと云う運用だからってのもあるのであろう。 また大高沢・中高沢からも取水出来そう。 まあ面積は極小で3.4km2しかない。0.3m3/sが精々である。 しかし併せて20km2となると云う事で2.0m3/s程度を設定するだけで6.9MWにもなる。 [妄想]渋沢発電所or奥中津川発電所 ▲ 出力:13,800kW[+13.8MW] 水量:2.0m3/s 落差:417m ピーク用に水量を2倍にすれば13.8MW位にはなりそう♪ |
中津川水系での発電事業は、明治末に設立された地元資本による魚沼水電が最も古かったが、同社が大正2年(1913年)に獲得した中津川の水利権は、神戸の資本を中心に
設立された中津川水電によって大正5年(1916年)に買収され、この会社が中津川水系での発電計画を大幅に拡大し、第一・第二発電所からなる後の計画の骨子を作った。
だがそれから間もない大正8年(1919年)7月28日に、東京電燈の子会社である信越電力が、中津川水電を吸収合併するのである。 …(信越電力による中津川水電の)吸収合併直前の大正8年(1919年)6月に中 津川水電が第一・第二発電所の工事に使用する電動力供給を目的とした補助発電所(第三発電所)の建設に着手した…。…信越電力…は、中津川水電が途中まで 進めていた補助発電所工事を引き継いで大正10年(1921年)5月18日にこれを完成させ、同社としては最初の電力供給事業を地元に対して小規模に開始している。 [山行が『中津川発電所工事用電気軌道机上調査編』] >母に聞いたら「私が嫁に来た頃にはあった気がする」と言っていました。 >調べてみると、その中津川第3発電所はなんと、私が生まれた年に廃止され、代わりに現在の下船渡発電所が出来たのだそうです。 [大好き!津南] |