ダム名 |
ダム湖名・河川・水系名 | 貯水量 | 有効貯水量 | その他・備考(ダム) | |
発電所名 |
認可最大出力 |
常時出力 |
形式 |
その他・備考(発電所) |
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黒部ダム(黒四ダム) |
黒部湖 | 1億9928.5万立米 | 1億4884.3万立米 | 関電 | |
関電:黒部川第四 | 335MW | 8.8MW | ダム水路式・貯水池式 | ||
仙人谷ダム(黒三ダム) |
68.2万立米 | 24.6万立米 | 関電・高熱隧道 | ||
関電:黒部川第三 | 81MW | 0MW | ダム水路式・調整池式 | 1940運開 |
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関電:新黒部川第三 | 107MW | 44MW | ダム水路式・調整池式 | 1963運開 |
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木屋平ダム |
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212.2万立米 | 50.5万立米 | 関電 | |
関電:黒部川第二 | 72MW | 5MW |
ダム水路式・調整池式 | 1936運開 |
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二見ダム |
黒薙川 |
取水堰・新柳河原(発)へ送水 |
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出し平ダム |
901万立米 | 165.7万立米 | 排砂ゲートを日本で初めて装備・関電 | ||
関電:新柳河原 | 41.2MW | 12.3MW | 水路式・調整池式 | 愛本へ送水・1993運開 | |
関電:音沢 | 124MW | 0MW | ダム水路式 | ||
関電:出し平 | 0.52MW | ─ | 河川維持流量式 | ||
宇奈月ダム |
2,470万立米 | 1,270万立米 | 出し平ダムと連系排砂・多目的ダム | ||
関電:宇奈月 | 20MW | 4.5MW | ダム式調整池式 | 102.165GWh/y・愛本新へ送水 | |
関電:愛本 | 30.7MW | 6.8MW | 新柳河原(発)宇奈月(発)より取水 | ||
愛本新用水土改区:愛本新 | 530kW | 170kW | 小水力式 | 1990運開・愛本(発)より取水 | |
■地区平面図 |
愛本床止
めは、黒部川13.2k+100m付近の愛本狭窄部直下流に位置しており、また、黒部川扇状地の扇頂部に位置することから、黒部川の改修事業上重要な構造
物です。1969(S44)年8月出水で大きな被害を受けた愛本農業
用水取水堰が上流に移設したのに伴い、旧施設の基礎部を1973年に富山県から建設省が譲り受けて補強を施し、愛本床止め工として維持管理してきました。施設は、床止めケーソン工、側壁、帯工、練り石張り被覆工、築堤護岸工があ
り、総称して愛本床止め工としています。 1982(S57)年7月出水により被災して1983年 から1987年にかけて修復されましたが、1997(H9)年5月出水で 再び被災し、側壁背面の空洞化、帯工、水叩き等常水路の磨耗、下立護岸前面の河床低下により機能が大きく低下したため1998年3月に大改修に着手し、 1999年4月に完成しました。 |
床止め・床固め(とこどめ・とこがため)
[東
北地方整備局] 河床の洗掘(せんくつ)を防いで河川の勾配(上流から下流に向かっての川底の勾配)を安定させるために、河川を横断して設けられる施設です。 床固めということもありますが、機能は同じです。床止めに落差がある場合、「落差工(らくさこう)」と呼び、落差がないかあるいは極めて小さい場合、「帯工(おびこう)」と呼びます。 |
\期間 区分\ |
1月1日から 2月末日迄 |
3月1日から 3月31日迄 |
4月1日から 4月10日迄 |
4月11日から 5月15日迄 |
5月16日から 7月25日迄 |
7月26日から 8月15日迄 |
8月16日から 9月15日迄 |
9月16日から 12月31日迄 |
右岸取水口 |
13.60m3/s |
18.30m3/s |
23.21m3/s |
51.273m3/s |
39.216m3/s |
37.660m3/s |
33.821m3/s |
23.21m3/s |
左岸取水口 |
5.926m3/s |
7.913m3/s |
9.638m3/s |
21.919m3/s |
16.470m3/s |
15.836m3/s |
14.264m3/s |
9.638m3/s |
出島取水口 |
0.204m3/s |
0.322m3/s |
0.402m3/s |
1.075m3/s |
1.126m3/s |
1.075m3/s |
0.946m3/s |
0.402m3/s |
計 |
19.730m3/s |
26.540m3/s |
33.250m3/s |
74.267m3/s |
56.812m3/s |
54.571m3/s |
49.031m3/s |
33.250m3/s |
黒部川の扇状地は,昔「黒部四十八ヶ瀬」と言われた如く,流水は自由奔
放,洪水毎に氾濫,移動を繰り返し,数多くの分岐・合流を形成し,いずれが本流か定
かでは無かった。 その本流は,往古,現在の黒西部を流れ石 田(現在は黒瀬川の河口)で海に出ていて,後に東流して墓ノ木古黒部(墓 ノ木は黒部川中流・古 黒部は入善の小川河口付近)に流れ,再び西に転じて現在の河道に移ったと謂われている。 これら氾濫による分岐・分流が綴り合わされ,少しづつ一つ一つの用水系統が作り出され,黒部川の治水工事も相俟ってその骨格が形成されたのが,徳川時代初 期から中期の時代と謂われている。 その後,明治初期に入り,用水区域も次第に明確になり,維持管理体制も整備されたのであるが,依然として黒部川の氾濫による各用水の取入口の流失で,修復 が絶え間なく繰り返され,これに多量の資材と夫役を投じ辛うじて取水口の維持管理がなされていた。 1917(T6)年,工場の自家用水力発電所構想より電力会社が設立され,これと黒部川筋農業用水の西側6用水口,東側7用水口を,それぞれ1箇所で取り 入れする用水事業と併せた事業が計画され,漸く1929(S4)年に着工を見るに至り,1932年にその愛本堰堤が築造された(竣工した,の意か。 1932年に1年だけで本体が建設された訳でもあるまい)。 その堰堤は,現在の位置よりも150m下流に設置されていたが,1931年・1934年(洪水量 3,000m3/s)・1944年・1952年(4,700m3/s)・1957年(3,600m3/s)と,工事中を含めて5回の洪水に遭遇し, その都度補強と改築を繰り返してきた。 |
区分 |
現在の堰堤(1972年完成) |
旧堰堤(1932年完成) |
計画洪水量 |
6,000m3/s |
3,600m3/s |
取水位 |
EL.131.176m |
130.948m |
堰長 |
101.0m |
61.8m |
洪水吐ゲート |
鋼製シェルタイプローラーゲート 3.0m×37.0m 1門 3.5m×37.0m 1門 |
鋼製ローリングゲート 3.3m×24.24m 1門 |
土砂吐ゲート |
ローラーゲート(欠板付) 4.2m×10.0m 1門 |
ストニーゲート 4.65m×7.27m 2門 |
洪水吐ゲート敷高 |
E.L.127.776m(右岸側) E.L.128.276m(左岸側) |
127.740m |
土砂吐敷高 | E.L.127.076m |
126.560m |
堰堤敷高 |
E.L.128.600m |
E.L.127.080m |