電 力総研 水 力あれこれ
と はずがたりな掲示板(利 水スレ電 力スレ)
23.08.20運開

裏磐梯・戸ノ口堰・その他の水力発電

阿賀野川(中下流) 阿賀川(上流・大川)  日橋川・磐梯地区(→阿 武隈川) 只見川(下流) 只見川(上流) 只見川(支流) 伊 南川
1.猪苗代湖・日橋川[→別頁] 2. 安積疎水[→別頁] 3.その他[裏磐梯戸ノ口堰湯川

3-1:裏磐梯

裏磐梯の成り立ち
>明治21年(1888年)7月15日の磐梯山大爆発により裏磐梯が位置する北側は荒々しい火口壁を見せ、また、この時に流下した岩なだれによる川 のせき止めで、桧原湖や五色沼をはじめとする裏磐梯の湖沼群が誕生しました。戊辰戦争よりも20年もあとのことです。
>エリア最大の湖、桧原湖も川がせき止められてできたもの。噴火後約2年の歳月をかけて、今の大きな湖となりました。[裏磐梯

>1888年の磐梯山噴火(1888ねんのばんだいさんふんか)は、1888年(明治21年)7月15日に発生した磐梯山の噴火である。噴火に伴い 山体崩壊が発生し、磐梯山を構成する成層火山の峰の一つであった小磐梯は全面的に崩壊し消滅した。そ して北麓に岩屑なだれが流れ下り3つの集落が埋没した。その後、岩屑なだれは水分を含み泥流化して長瀬川流域に大きな被害を出した。更に磐梯山東麓を襲っ た火砕サージによる爆風、土石流によっても被害が出た。この噴火によって477名が死亡したとされ、これは明治以降の近代日本において最も多い犠牲者が発 生した火山災害である。
>磐梯山は他の成層火山と比べて山体の大きさに対して標高が高い特徴があり、全体的に急峻な地形となっている。
>磐梯山は成層火山ではあるが、単一の火山体ではなく、前述の大磐梯、櫛ケ峰、赤埴山、そして1888年に消滅した小磐梯の合計4つの成層火山が重 なり合っていた。これら4つの成層火山は比較的近接しており、各成層火山の形成とともに、山体崩壊を繰り返すことによって現在の磐梯山が形作られていった と考えられている。
>磐梯山の火山活動の特徴として、これまで山体崩壊を頻繁に引き起こしてきたことが挙げられている[12]。磐梯山の山麓からは15層もの山体崩壊 に伴う岩屑なだれの堆積物層が確認されている。磐梯火山の形成史の中でこれまで多くの山体崩壊が発生してきたのには、何らかの原因があったものと考えられ ている。 [wiki]

>磐梯山の1888年噴火は関谷・菊池(1888)以降,長い間「前兆無き,激しい水蒸気爆発」と言われてきたが,近年多様な前兆的現象の存在を肯 定する見解が出され(菊池1984,1986,廣井1988,八島1988など),また磐梯山が抜けるという風説が噴火を予言していたとする話を信
じる人が多くなった。前兆や予言があったとする見解が増えた一因は井上靖の小説「小磐梯」にあるが,筆者は一次資料を検討し,資料として小説を用いるのは 妥当ではないことを明らかにした。最も信頼性の高い「磐梯山噴火口供進達之義二付上申」の検討の結果,地震以外に前兆らしき確実な変事が無かったという点 で23人全員の証言がほぼ一致していた。[東 北地理1990]


~長瀬川~


(桧原湖)


【桧原湖発電】
満水位EL822mの桧原湖に対して小野原湖はEL.797m程度の様だ。
こ こに水路も建設されている様[自 然の水路はこれ?]だし桧原湖から小野原湖への通水を利用して発電が出来るかも。
小野川発電所地点ですら63.50m3/sも使えてるのであるから桧原湖でも30~40m3/sは使えるのではないか?

[私案]桧原発電所
出力:8,300kW[+8.3MW]
水量:40m3/s
有効落差:22m
取水:桧原湖822m
放水:小野原湖797m


(小野原湖)

東京電力 小野川発電所[水力
 運開:1937.12[東京電灯(株)]
水路式・貯水池式
認可最大出力:34,200kW     常時出力: 1,400kW[4.1%]
    最大使用水量:63.50m3/s
    有効落差:62.00m
    水車:立軸フランシス水車×2台 総出力36200kW
    導水路:総延長946.1m
    流域面積:164.5km2
    取水:雄国沼→槍原湖、中津川、小野川湖 797.72m
    放水:秋元湖(長瀬川)735.92m

(秋元湖)

東京電力RP(株) 秋元発電所[水力
運開:1940.2[東京電燈(株)]
水路式・貯水池式
    認可最大出力:107,500kW  常時出力: 7,200kW[6.7%]
    最大使用水量:76.85立方メートル毎秒
    有効落差:161.91m
    水車:立軸フランシス水車×3台 総出力119800kW
    導水路:総延長4561.8m
    放水路:総延長1038.1m
    取水位標高:735.92m
    放水位標高:561.65m
    流域面積:250.2km2
取水:秋元湖(長瀬川)735.92m
放水:長瀬川[沼ノ倉発電所]561.65m

東京電力RP(株) 沼ノ倉発電所[水 力][場 所
運開:1946.5[日本発送電(株)]
水路式・流込式
    認可最大出力:18,900kW    常時出力: 200kW[1.1%]←常時ちいせえw
    最大使用水量:76.85m3/s
    有効落差:27.75m
    水車:立軸フランシス水車×2台 総出力19569kW
    発電機:立軸三相交流同期発電機×2台
    導水路:総延長2106.4m     放水路:総延長780.7m
    流域面積:289.3km2(+49.1km2)
    取水:長瀬川[秋元発電所] 561.74m
    放水:長瀬川 539.80m

【沼ノ倉増強】
沼ノ倉の下を追っていて馬鹿でかい面積がある事が発覚。沼ノ倉発電所も常時出力2%なんかに甘んじてい る場合では無い。
秋元発電所に対して50km2弱しか流域が増えてないのは可怪しいと詳しく見て見ると,酸川・沼尻高原方面から取水してない様であった

今の酷い沼ノ倉の常時出力は改善されるであろう。

更に酸川の上流からの取水も行けそうである。EL.680mでH=110m程とれそう。調べて見ると70km2程である。

余り雨が降らない土地のようであるのが残念か。。
出典:阿 賀野川河川事務所

その上でもう一箇所発電所を検討するも面積が足りない様だ。
発電所は一箇所として680mの取水点をEL738mに上げてもう一寸落差を追う。
60m程落差が上がるが流域は大して減少せず65.7km2。この位は欲しい。



[私案]小田酸川発電所
出力:6,600kW[+6.6MW]
水量: 4.7m3/s
落差:166m
流域:65.7km2
導水:
取水:高 森川・硫黄川出合(酸川?)小 酸川中 ノ沢川達 沢川・赤留川出合・小田川[支 流支 流小 田川支 流]計8箇所 740m
放水:酸川(小田川出合)[沼ノ倉発電所]562m






【最下流発電】
猪苗代湖までなお28m程残余落差あり。
常時出力が小さいのが気になる(発電電力量が少ない可能性がある)が,まあ開発してみる。

調べて見ると沼ノ倉発電所放水地点で新規に取水出来る流域は150km2近い。極小の常時水量に甘んじ ている沼ノ倉PSももっと取水出来る筈だ。


[私案]猪苗代発電所
出力:12,700kW[+12.7MW]
水量:60m3/s
落差:25m
取水:長瀬川[沼ノ倉発電所]
放水:猪苗代湖

0.猪苗代湖

(猪苗代湖)EL.511m


1.小浜ヶ水門・日橋川[→こちら]

2.安積疎水[→こちら]

3-2.戸ノ内堰
戸ノ口堰地区の沿革[水土里](とはずが たりが適宜加筆)
<第一期>
 戸ノ口堰は…1623 年に八田野村(現在の河沼郡河東町八田野八 田はここら])の肝煎、内蔵之助という人が、村の周辺に広がる広大な原野に猪苗代湖から水を引いて開墾したいと考え、時の藩主・蒲生忠郷公に 願いでて、藩公が奉行・志賀庄兵衛に命じて開削に取りかかったというのが起源です。
 それから2年くらいは藩の方で工事が行われましたが、財政難のため中止せざるを得ませんでした。その後、内蔵之助は工事の中止を憂い、自分の資材を投げ 打ち2万人くらいの人夫を使い、途中の蟻塚まで開削しまし た。しかし…資金がどうしても続かずに途中で中止せざるを得なくなりました。それでも開拓の志はどうしても捨てきれず、再び当時の藩主・加藤明成公に願いでて、また藩の方から工事の再開を認められました。

 それにより、約15年 かけて八田分水[どこ?]まで水を引くことが出来ました。その後、その時の功労を認められて、この内蔵之助…は八田堰の堰守に任じられ、そ の土地の用水堰は「八田 野堰」と名付けられました。
<第二期>
それからも引き続き開削が進められ、1638年には鍋沼ま で到達し、それから3年ほ どかけて河東町の八田野 まで支川として戸ノ口の水路を造り、その時に7つの新しい村が出来ました。
<第三期>
 河沼郡槻橋村(今の河 東町槻木[こ こか])の花積弥市という人が、長原多 分此処]の新田を開拓したいということで、鍋沼から一箕こ れか?]の方を回った水路を造りました。
<第四期>
 1693年に 北滝沢村(今の一箕町北 滝沢[こ の辺])の肝煎の惣治右衛門という人が、自分の近くの滝沢付近までいつも 水を持ってきたいということで開拓しました。長原新田から滝沢峠[こ こら?]を通り、不 動川の上を渡し[こ れか]、飯盛山の脇の水路を通って今の慶山[こ こら]の方まで持ってきたといわれています。(この工事で)当時の水路は猪苗代湖から会津若松まで(繋がり,その間の距離は)約31kmあり、1693年には八田 野堰から戸ノ口堰に改名さ れました。
 当時、雁堰からの水を会津若松のお城、生活用水、防火用水等に使っていましたが、雁堰は湯川の水を入れているので日照り等があると渇水になりました。そ のため、会津藩としてはどうしても会津若松まで水を持ってきて、安定した水が欲しいという願いがありました。
<大改修>
 それから約140年以上経った1832年(天保3年)、時の藩主・松平容敬公 が普請奉公を佐藤豊助に任命して、会津藩から5万5000人を集めて戸ノ口堰の大改修が行われました。1623年以降212年経過しており、山間部を通っ てくるため、土砂崩れなどにより常時通水が出来なくなるということで、堰幅、深さを広げました。飯盛山の山裾にある水路も崩れがひどいため、3年程かけて 洞窟約150mを掘りました。慶応4年の会津戊辰戦争の時に戸ノ口原の戦いに敗れた白虎隊が逃げ帰ってきて、この洞窟を通って飯盛山に登り、自害したとい う有名な話があります。
<安積開拓事業>
 明治15年、失業武士を救済するための安積開拓事業に伴い、十六橋水門の工事を行いました。オランダの土木技師ファン・ドールンを招いて、十六橋に水門 をつくり、湖の水位を高くして安積平野に水を引きました。十六橋水門は安積疏水土地改良区の管理ですが、近年は福島県が治水管理を行っています。戸ノ口堰 土地改良区はもともと既存の水利として十六橋の箇所を持っていたため、現在は十六橋水門の一門と二門が戸ノ口堰 の取水口となっています。

戸ノ口堰用水の歴史[水 土里][戸ノ口堰小水力発電(株)]
1623年(元和9年)     八田野堰開削
1693年(元禄6年)     第4期工事開始 若松まで通水。堰名を戸ノ口堰と改名
1832年(天保3年) 会津藩士佐藤豊助の藩命により、戸ノ口堰のうち飯盛山の山腹役150m区間が延べ55,000人もの人夫の手でトンネル化されま した。これにより会津の水田約2,500haに猪苗代の水が供されるようになりました。
1891年(明治24年)     水利組合法により「戸ノ口堰用水普通水利組合」を創立
1929年(昭和4年)     若松市上水道滝沢浄水場完成
1952年(昭和27年)     土地改良法の制定により「戸ノ口堰土地改良区」に組織を変更
1973年(昭和48年)     戸ノ口堰地区県営かんがい排水事業着工
1983年(昭和58年)     県営ため池等整備事業着手。強清水・金堀地区

出典:水土里


鍋沼[会津観光ナビ
>発電所の調整池としての役目を持つこの沼

東京電力RP(株) 戸の口堰(戸ノ口堰)第一発電所[水 力
会津若松市一 箕町八幡八百山
運開:1927.2[会津電力(株)]
水路式・調整池式
    認可最大出力:2,080kW      常時出力:1,270kW
    最大使用水量:2.73m3/s
    有効落差:102.40m
    水車:横軸フランシス水車 出力2200kW×1台
    導水路:総延長898.4m
    流域面積:820.2km2
    取水:猪苗代湖・日橋川[戸ノ口堰] 504.85m
    放水:金山川[戸ノ口堰第二発電所]398.98m

東京電力RP(株) 戸の口堰(戸ノ口堰)第二発電所[水 力
会津若松市一 箕町八幡八百山
運開:1919.6[会津電力(株)] 改修:2023[時事]
水路式・調整池式
    認可最大出力:850kW   常時出力: 540kW
    最大使用水量:2.73m3/s
    有効落差:43.06m
    水車:横軸フランシス水車 出力895kW×1台
    導水路:総延長480.6m
    流域面積:817.0km2
    取水:金山川[戸ノ口堰第一発電所]398.95m
    放水:金山川[戸ノ口堰第三発電所]353.43m


東京電力RP(株) 戸の口堰(戸ノ口堰)第三発電所[水 力
運開:1926.12[会津電力(株)]
水路式・流込式
   認可最大出力:1,400kW     常時出力: 790kW[56.4%]
    最大使用水量:2.45m3/s
    有効落差:72.40m
    水車:立軸フランシス水車 出力1430kW×1台
    導水路:総延長1800.1m    放水路:総延長542.9m
    流域面積:817.0km2
    取水:金山川[戸ノ口堰第二発電所]353.16m
    放水:戸ノ口堰等 277.43m

会津電力(株) 戸ノ口堰小水力発電所[会津電力①] [会津電力②
稼働:2018.12① 運開:2019.4②
出力:31.4kW→小せえ
水量:0.236m3/s
落差:19.5m
導水:163.1m
水車:38kW
取水:戸ノ口堰(戸ノ口堰土地改良区が管理する農業用水路)
放水:戸ノ口堰

(湯川に合流)


~湯川~   

東山ダム[便覧] [ふ くしまインフラツーリズム][wiki
河川     阿賀野川水系湯川
目的/型式     FNW/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積     70m/275m/260千m3
流域面積/湛水面積     40.5km2 ( 全て直接流域 ) /58ha
総貯水容量/有効貯水容量     12500千m3/11500千m3
ダム事業者     福島県
着手/竣工     1970/1982
発電:700kW(最大使用水量:2.0m3/s)

>ダム施設の使用電力を賄うために毎秒最大2.0立方メートルの放流水を利用して最大出力700kWの水力発電を行っており、余剰電力を東北電力へ 売電している[3]。

東北電力株式会社 東山発電所[水力
運開:1901.11[会津電力株式会社]
水路式・流込式
   認可最大出力:280kW      常時出力: 99kW
    最大使用水量:1.40m3/s 
    有効落差:27.00m
    水車:横軸フランシス水車 出力358kW×1台
    導水路:総延長282.0m
    流域面積:50.8km2
    取水:湯川281.76m
    放水:湯川253.69m


(会津若松市街)・戸ノ口堰堤合流


(旧 湯川分流)209m[→旧湯川は溷川経由で日橋川に合 流(173m)する]

[湯川放水路]

~大川(阿賀川)~
(湯 川放水路はこの辺で阿 賀川[大川]合流)195m=なんか堰有り[→大川]

(日橋川が阿賀川に合流170m)

(旧宮川合流)

(只見川[→只見川]合流)[→阿賀野川の大電源地帯へ