和歌山三区なう pic.twitter.com/J21iDwn3Np
— とはずがたり (@tohazugatali1) April 30, 2023
和歌山県道213号白浜久木線[wiki] 和歌山県道213号白浜久木線(わかやまけんどう213ごう しらはまひさぎせん)は、和歌山県西牟婁郡白浜町内を通る一般県道である。峠名は庄川越。 長らく未改良区間や不通区間があり改良工事に先立ち、昭和42年7月県道改修促進会が発足。昭和51(1976)年春に 当時の土木部長や二階俊 博等数百名が 来訪した[1]。それ以降計画が行き詰まっていた未改良区間や不通区間があったが、平成27年9月に和歌山県議会の定例会で改良工事が決定した[2]。 全線にかけて道が狭いが、生活道路として地元住民が利用している。庄川側は路肩部分が私有地である場合がある。私設看板に書かれてある通り私有地部分の関 係者は事故賠償などの負わないとされる[3]。土砂崩れが無ければ起点6.6km地点で自動車通行可能区間は終了となる。久木側は自動車通行不能の未舗装 道路で路肩が危険な箇所があったり、森の深くにいくにつれて道の轍が薄くなる。猟の区域で猟師が行き来する場合があり地元住民ではない人間が誤って本線か らそれ、道無き道に迷ってしまうと誤射の危険が伴うため注意が必要である。 白浜町庄川(しゃがわ)地区の東部から終点まで2011年現在、未開通である。迂回路として和歌山県道36号上富田すさみ線や和歌山県道220号岩田保呂 線がある。 |
すっかり忘れていたがここも山行がで も取り上げられていた区間であった!(福島県や山形県でここでも三島か!みたいによっきが声を上げる場面があるけど,ここでもよっきか!とこちらが声を上 げる番であるw) すっかり忘れてたけど結構衝撃の「(地元)関係者が(維持管理)作業を行ってきた(→山行が)」 区間である。地元民は大して欲しくもない癖に過疎の自治体首長が漫然と陳情に出かけて貴重な村の財源を東京に落として来て道だけ出来ても効果無く過疎が進 んでいく構造に私は腹立たしい思いを抱いているが,ここまで実際にされているとなれば本物だという感じはする。昔は実際に村人とが実際に賦役等を供出して 迄道路を欲しがったものであるが,現代はほっといても首長が勝手に中央に圧力かけて勝手に出来てしまって,そこまで道路が欲しいという感じが余りしない。 現代風に洗練されたんだといわれればそうなのかもしれないけれども陳情に上京して東京にカネを落とすことで予算が付くみたいな構造はどうみてもいびつであ る。陳情するカネと暇あるならその分のリソースで1mでも延伸した事実で予算が付くようになるべきではないか? |
和歌山県道213号 白浜久木線[第1回・第3回][山行が] 通 告!! これから先の県道は幅員二メートル(山中橋区間)(砂防堰堤工事に伴う付け替え道路部分は除く)で関係者が昭和五六年度地権者の寄附によって路盤の整備を 図り供用しておりますが、県 道としての供用開始の告示はされていない為、県による維持管理補修等はされておらず関係者がそれらの作業を行ってきました。 それ以外の道路幅員は、関係者が昭和五七年度及び昭和五八年度、平成八年度に地権者から道路用地として買収し拡幅工事等を行い通行の便益に供したものであ ります。 従って通行中の落石事故等による賠償責任は負えません。 尚、山中橋附近の残土は、県並びに地権者、関係機関と協議の上、昭和五九年度に県営事 業として採択され設けた残土処理場であります。 関係者 …左図(略)は昭和51(1976)年と平成9(1997)年に撮影された航空写真の比較である。 前者では、「山中橋」附近までは辛うじて道が見て取れるが、それより峠側には道が見あたらない。 対して後者では、峠までの道がはっきりと見えており、「山中橋」以下の道も、鮮明さを増している。これらは、「通告」に書かれていた経緯の通り、昭和56 (1981)年度から58年度および平成8年度に“関係者”が整備した路盤や、県が整備した“山中橋区間”なのだと思われる。 また、平成9(1997)年の航空写真では、私が「峠下の広場」と名付けた部分の谷側に、かなり大規模な土工の痕跡が見て取れることにも注目したい。 現地では気付かなかったが、「峠下の広場」の正体は、小さな谷を埋め立てて作った残土処分場の可能性が高いのではないか。 残土処分場についても「通告」に書かれていたが、昭和59年度に県営事業で設置したものらしい。これはおそらく、同じ県の事業として昭和60年度に完成し た【砂防ダム】の工事で発生した残土を、ここに運んで処分したのではないだろうか。 平成 28年2月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(秋月史成議員の質疑及び一般質問) ○秋月史成君 … まずは、県道白浜久木線改良計画についてお尋ねいたします。 大正時代、西牟婁郡一帯は県下有数の養蚕地帯へと発展を遂げ、現在の白浜町三舞地域である三舞村において、久木側から庄川に至る街道、現白浜久木線は繭 街道と呼ばれ、繭かごを担いだ人たちが盛んに往来した歴史のある道であります。… 昭和34年5月、和歌山県東牟婁郡古座川町三尾川を起点に、西牟婁郡白浜町富田に至る道路が県道として認定され、紀南の山村地域を結ぶ主要道路としてそ の使命を果たしつつ、逐次改良工事が行われ、現在に至っております。 この道路の通行不能区間について、昭和42年7月に県道改修促進会が発足し、昭和45年2月議会に当時の県道三尾川紀伊富田停車場線、現在の庄川─久木 間の改修拡幅について請願を行い、採択されました。このような経緯を踏まえて、昭和51年春に当時の土木部長、県議会建設副委員長・現二階俊博衆議院議 員、日置川町長、白浜町長、関係者100名余りが清流日置川側で昼食をとり、昼過ぎに久木を出発し、繭街道の歴史を語りながら歩き、庄川会館に到着したの は夕暮れ迫る時間だったと聞いております。 当時、この道を歩かれた青年もはや60歳代、働き盛りであった方々も80歳代、90歳代となられております。昭和50年に県議会初当選なされ、一緒に歩 かれた二階俊博衆議院議員も、先月2月17日、77歳となられました。今か今かとこの道路の開通を待ち焦がれていた方も、故人になられた方が多数となって しまいました。 昨年12月12日にお会いした促進協議会の方々からは、「冥途の土産に一度きれいになったあの道を通ってみたい」と、切実な思いを語っておられました。 しかし、長きにわたり紆余曲折はありましたが、促進協議会の方々の熱意は決して消えることはなく、懸命に献身的活動を続けてまいりました。 このような経緯を踏まえる中、一昨年、県当局の御英断により、平成26年8月13日に現地にて事業着工の報告会、11月2日に事業化を祝う会が行われ、 平成27年12月には現場で準備工事が発注され、引き続き本体工事も発注され、今、まさに工事が大きく前に一歩進もうとしております。この壇上をおかりい たしまして、御英断を下されました仁坂知事を初め、県当局の皆様、地元関係者の皆様に、そして今は亡き先人の皆様に深く感謝いたしますとともに、その長年 の御尽力に敬意を表します。 また、旧白浜町、日置川町の合併10周年記念式典において、工事の着工を仁坂知事、二階俊博衆議院議員御臨席のもと、地元の皆様と餅まきもし、大変喜ん だ次第であります。 …さて、現在の白浜久木線の状況は、県道日置川大塔線から枝分かれする箇所から約4.7キロが交通不可能な区間となっており、その先、庄川までの約3キ ロも通行困難な状況となっております。平成26年度から、白浜町久木側で地籍調査が完了している区間のうち2.7キロについて事業化がされております。こ の事業区間の西側、白浜町庄川側については、約2キロの通行不能区間が残ることになっております。つまり、3キロと2キロを足した5キロについて、事業化 がされていないことになります。通行不能か通行困難箇所となります。 現場の工事の状況を考えますと、白浜町久木側の日置川沿いからこの工事現場予定地を見る限り、私も土木技術、土木作業の素人ながら、かなりの難工事であ ると推測できます。 道路は、つながってこそ初めてその効果が発揮されるものであります。道路をつなぐために、その残りの通行区間の事業化がぜひ必要ではないでしょうか。現 在の工事区間を含め約7.7キロ、通常ならばかなりの歳月を要する工事になると思われますが、早期開通に向け、現在の白浜町久木側からの工事とあわせ、白 浜町庄川側からも工事を進めていくことが必要ではないでしょうか。 現在、地籍調査が進められている庄川側の区間については、平成29年度に地籍調査が完了いたします。現在の2.7キロの改良工事の後に続けて2キロの改 良をするのであれば、先ほど述べたとおり工事も大変だと思われますので、久木側からの片側工事では道路がつながるのがいつになるのかわかりません。ぜひ地 籍が終える平成29年度から、白浜町庄川側からも事業化ができないものかと思います。… … ○県土整備部長(野尻邦彦君) … 県としましては、庄川地区住民からの訴訟問題が解決したのを機に、平成26年度に通行不能区間4.7キロメートルのう ち地籍調査が完了した久木側の約2.7キロメートルの区間について事業化し、今年度、用地取得ができた久木橋付近の工事に着手したところでございます。 今後、この事業中区間の用地取得や工事を精力的に進めるとともに、残る通行不能区間についても、地籍調査が完了し次第、事業に着手できるよう準備を進 め、全体としての早期完成に向けて取り組んでまいります。 |
~城川~ ▲ 宇津木橋付近で日置川に合流する城川を遡上してみる(城川をすっ飛ばして上流方面へ進む場合はこちらへ)。 ここは川沿いにr36 上富田すさみ線[wiki]が周参見東部の江住迄南下している。実際には(我々の現地訪問時には)江住から北上してきた。 ここも和歌山県道三尾川紀伊富田停車場線の経路と思われる。 こ こら[地理院・G 空撮]に小さな取水堰があってささやかに農業用水を取水しているようであった。慣行水利権であろう。 ささやかとはいえ魚道も付いてる本格派である。 とはいえ水路はこんなもので,上流での発電用取水を妨げるものでは無いであろう。 その後道路をくぐりゆるゆると民家の裏手に流れて行っていた。 此 処らの僅かな水田を潤してるっぽい。 一寸上流にあがると小川(こがわ)の聚落。唐突に看板が現れるが撮った写真はピンぼけだったのです とびゅうで代替。 地 理院で確認して見ると小川が字名で小字としては中村平と云った感じである。 その中 村平とその上流にある上村の間(EL.51.8m)で川に沿って県道は曲がるが如何にも未成道っぽい道路が対岸の上村に向かって直進していた。 写真でみると直進では無く弯曲してるし伝えにくいが(;´Д`) ス トビュウの方が解る?? 兎に角,橋。脇に小さく「この先行き止まり」とある。標柱には「こうだにいちごうばし」とあった 橋を渡ると上流とは反対側にちょっと曲がった所で末端となった(細い道は続いている)ス トビュウの方が未成道末端部の感じが解るなあ。。 私の写真ではアングルの高度が足りないのか。(マウスオーバーで一寸拡大) 地理院ではこ んな感じ。「こうだに」は合谷であって,城川に合流する谷って意味の地名であろう。 この道がr36のBPだとすると方向がズレるしわざわざ山をぶち抜く長大なトンネルが必要になる。。恐らく違うであろう。 コエ峠(越え峠?)を抜けて安居の方迄町道でも造ろうとしたのか?太間川へ抜ければr222の未開通区間の建設扱いには出来そう。 合谷1号 橋ってことは今後も合谷を遡上して何度か川を渡る気満々な気もする。予算(税金)が余りまくってる様に見える農道でも造る心算だったのかも しれない。 この辺の様子をあれこれ調べてると引っ掛かった将軍川流域に忽然と現れた高 規格林道(末 端部・高 架部)との関連も疑われる。 兎も角,この合 谷(地名としては小字名としては上村)の一寸上流付近の眺め。上で提起した計画ではこの辺で取 水 したい(大字名の小川,河川名の城川)と思って居る。(計画はこちらで取扱) 川はゆったり流れているように見える。 この直上にも堰があった。上の画像で見える城川左岸の水田への水を引っ張って来ている様だ。 上流側 城聚落でr222城すさみ線が合流してきた(分岐している)筈だが気付かなかった。ス トビュウにはこんな感じで写ってて橋の向こう迄もクルマで行けそうであった(がグーグルカーは此処で引き返している)。 この先すさみ町域となる。 古びた橋の袂(EL.111m) に気になる未舗装道路が。。
更に上流に向かうと小附(EL.163m)と 云う聚落があって,その上流には大附(EL.218m) がある。 ここで道は二手に岐れる。主要地方道側の,恐らく三尾川紀伊富田停車場線に指定されていた方が法師峠経由で佐本の栗垣内川上流に繋がってる。車道としては行き止まりだそうである。地図で 見ると車道の行き止まりまで直ぐだったので行ってみれば良かった。 水発趣味をこじらせたら昔のこじらせてた道路趣味の分断 県道ウオッチ迄再燃しそうである。。良くない兆候だなぁ(;´Д`)
分岐付近から下流の眺め。 23.4 橋から上流の眺め 23.4 こちら(r225及び城川)の谷の峠(無名?)の向こう側は周参見川である。この辺りの全体像も先程の地図で確認されたい。 |
ダム名 |
河川 |
目的 |
堤高 |
満水位 |
流域面積 |
有効貯水量 |
流域比貯水量 |
その他 |
七川ダム |
古座川 |
発電・洪水 |
58.5m |
116.00m(F期:106.5m) |
102km2 |
2,540.0万m3 | 24.90 |
佐田発電所(7.2MW・16m3/s) |
二川ダム |
有田川 |
発電・洪水 |
67.4m |
201.0m |
228.8km2 |
1,920.0万m3(P:1,670万m3) | 8.39 |
岩倉発電所(11.0MW・15.0m3/s) |
殿山ダム(合川ダム) |
日置川 |
発電 |
64.5m |
125.0m | 294km2 | 1,379.5万m3 | 4.69 |
殿山発電所(15.0MW・26.0m3/s) |
椿山(つばやま)ダム |
日高川 |
発電・洪水・不特定利水 |
56.5m |
206.5m |
396.5km2 | 3,950.0万m3 |
9.96 |
美山発電所(114.0MW・30.0m3/s) |