電 力総研 水 力あれこれ
有田川 日高川 日置川(現況下流開発上流) 古 座川
三尾川紀伊富田停車場線将軍川線大瀬矢野口線・宮城川線
と はずがたりな掲示板(利 水スレ電 力スレ国 道県道スレ)
22.1.15大加筆
20.9.27完成
20.9.21運開

日置川の水力発電(23.4逍遙)

日高川に続いて南紀第二段,日置(ひき)川の電力開発。
此処は合川ダム殿山発電所のタッグの一枚 看板である。

1.現 況
(r37日置川大塔線日置大橋・市街・安宅橋・紀伊日置駅・安居・田野井・中島・久木橋[r213]・宇都木橋[r36/城川]・市鹿野・殿山[殿山発電所]・三川[殿山ダム(合川ダム)]
2.三尾川紀伊富田停車場線[→全体(予想)図] (r213白浜久 木線[久木部分]r36上富田すさみ線[城川][大附])/将軍川線大瀬矢野口線・宮城川線
3. 新規電源開発[下流部篇(別頁)]・[上流部篇(別頁)



1.現状      


23.4末,息子の友人が急遽,すさみ町内に引っ越したとのことですさみ町に行ってみたいと云いだした。すさみ町の近くということで日置川の殿山ダム・殿 山発電 所と古座川の七川ダムと佐田発電所を行程に組み込む事にした。
これで勝手に4兄弟扱いしていた有田川・日高川・日置川・古座川を全て漸く訪問できることになった。4兄弟のうち最後の訪問となった。ダムも発電所もない ので5兄弟にはしなかったけど,残る似たような位置づけ(電源開発出来そうなのにされてない)の川として富田川がある。
現実はこの辺(括りとしては南紀か)の三大河川は熊野太郎,古座次郎,日置三郎らしい。個人的に熊野川は一寸別格で紀ノ川とかと同じ上の格式な感じがある が, 公式にも熊野川一つ上の格式として紀の川と同じ一級河川と云う事でお墨付きが付いているとは云える。残りは二級河川である。

1.殿山発電所 2. 殿山ダム(合川ダム)  3.漁業

7時過ぎに出て9時過ぎには日置川ICを出て日置川端に到達。いつも思うが近い。学生の頃には延々と国道42号線を走らないと到達し得ない場所であるが,高速 も出来て,大人にもなって高速代も出せるようになって,隔世の感有りである。

先ずは時間的に前後する(実際に通ったのは三舞山辺り迄遡った後になる)が河口付近。日置大橋がある。よっきがレポしている。旧道が併走し てたり色々香ばしい感じがするが当日は割愛した。

この右岸橋詰から川沿いにr37日置川大塔線を遡って行く。合川ダム迄日置川とともに遡って行き古座川の方から遡上してくるR371(串本から龍神高野スカイライン経由で大阪に至る国道)に合流する県道である。

安宅橋付近[場 所
23.4
向こう側(東岸)が安宅(あたぎ)であり,熊野水軍の安宅一族の本拠地だったようである。

紀伊日置駅      
近くには紀伊日置駅があるので覗いてみた。昔,『国鉄全線各駅停車』シリーズの『⑧近畿800駅』で見た記憶があって懐かしい。
日置川町は2006年に白浜町と合併して現在の白浜町(新設)となった。日置川町そのものは1956年に川添村・三舞 村・日置町が合併して発足[wiki
日置町は海岸沿いに広がっており,紀伊日置駅(1935開業)は一寸奥まった所にあって不便である。日置町内ではあったが三舞村に近い場所に置かれた様 だ。
紀勢本線は紀伊田辺から周参見までは割と山の中を,周参見から串本までは割と海沿いを走っている。

駅本屋


田野井        
何か水門が有ると色めき立つ。排水機場のようである。

関電の広報車が通り過ぎた。殿山ダムが9:20にゲートより放水を開始したとのこと。本日雨だった。

安居      
もう一寸奥に行くと安居(あご)であり,此処には熊野古道の安居の渡しがあった場所だそうである。周参見川の方から水を引っ張って来てここらで発電を考えたので周参見川の項で扱う。


この辺で見かけたのが二階氏のポスター…ではなく(こんなものは選挙区中に貼られている),Vサインにウサギの二階さんのマーク♪

和歌山三区なう pic.twitter.com/J21iDwn3Np

— とはずがたり (@tohazugatali1) April 30, 2023

三舞山・中島
現状,殿山発電所でしか発電していないがその前後で発電をしたいと思って居る。
その場合,殿山発電所の下部で取水して適当な場所で放水して発電する事が考えられるが,その候補地がこの辺である。三舞山の直ぐ下辺りである。
日置川には発電所が一箇所しか無いので普段は発電所とダムを駆けずり回ってその過程で撮れた写真で妄想計画の補足に供するのであるが,今回は予め計画に 沿って写真も撮ってきた。
その為城川も経路に組み込み,一方で市鹿野は可能取水量が少なさそうだったので割愛した。
未通区間を含めて以下では複数の県道と絡み合うので県道も明記して発電所の現況(青)と妄想(橙)も書き込んでみた。
r36上富田すさみ線・r37日置川大塔線・r216白浜久木線・r221市鹿野鮎川線・r222城すさみ線・r225大附見老津停車場線辺りが関係する県道達である。あと林道将軍川線も名前だけ書き込んでおいた。r36・r225辺りの拡大はこちら参照

三舞山は上で述べたように今は白浜町のこの辺が2000年代の合併(平成の大合併)前は日置 川町であったが,その日置川町を1950年代に合併(昭和の大合併)で形成する時の三つの自治体の内の一つ,三舞村の由来となった山である。

久木橋付近でr213白浜久木線が分岐するが,庄川(しゃがわ)越の山道で日置川側は全くの未 開通区間(車道としては)の様である…が。。

和歌山県道213号白浜久木線[wiki
和歌山県道213号白浜久木線(わかやまけんどう213ごう しらはまひさぎせん)は、和歌山県西牟婁郡白浜町内を通る一般県道である。峠名は庄川越。
長らく未改良区間や不通区間があり改良工事に先立ち、昭和42年7月県道改修促進会が発足。昭和51(1976)年春に 当時の土木部長や二階俊 博等数百名が 来訪した[1]。それ以降計画が行き詰まっていた未改良区間や不通区間があったが、平成27年9月に和歌山県議会の定例会で改良工事が決定した[2]。

全線にかけて道が狭いが、生活道路として地元住民が利用している。庄川側は路肩部分が私有地である場合がある。私設看板に書かれてある通り私有地部分の関 係者は事故賠償などの負わないとされる[3]。土砂崩れが無ければ起点6.6km地点で自動車通行可能区間は終了となる。久木側は自動車通行不能の未舗装 道路で路肩が危険な箇所があったり、森の深くにいくにつれて道の轍が薄くなる。猟の区域で猟師が行き来する場合があり地元住民ではない人間が誤って本線か らそれ、道無き道に迷ってしまうと誤射の危険が伴うため注意が必要である。

白浜町庄川(しゃがわ)地区の東部から終点まで2011年現在、未開通である。迂回路として和歌山県道36号上富田すさみ線や和歌山県道220号岩田保呂 線がある。


すっかり忘れていたがここも山行がで も取り上げられていた区間であった!(福島県や山形県でここでも三島か!みたいによっきが声を上げる場面があるけど,ここでもよっきか!とこちらが声を上 げる番であるw)
すっかり忘れてたけど結構衝撃の「(地元)関係者が(維持管理)作業を行ってきた(→山行が)」 区間である。地元民は大して欲しくもない癖に過疎の自治体首長が漫然と陳情に出かけて貴重な村の財源を東京に落として来て道だけ出来ても効果無く過疎が進 んでいく構造に私は腹立たしい思いを抱いているが,ここまで実際にされているとなれば本物だという感じはする。昔は実際に村人とが実際に賦役等を供出して 迄道路を欲しがったものであるが,現代はほっといても首長が勝手に中央に圧力かけて勝手に出来てしまって,そこまで道路が欲しいという感じが余りしない。 現代風に洗練されたんだといわれればそうなのかもしれないけれども陳情に上京して東京にカネを落とすことで予算が付くみたいな構造はどうみてもいびつであ る。陳情するカネと暇あるならその分のリソースで1mでも延伸した事実で予算が付くようになるべきではないか?


和歌山県道213号 白浜久木線第1回第3回][山行が]

通 告!!
これから先の県道は幅員二メートル(山中橋区間)(砂防堰堤工事に伴う付け替え道路部分は除く)で関係者が昭和五六年度地権者の寄附によって路盤の整備を 図り供用しておりますが、県 道としての供用開始の告示はされていない為、県による維持管理補修等はされておらず関係者がそれらの作業を行ってきました。
それ以外の道路幅員は、関係者が昭和五七年度及び昭和五八年度、平成八年度に地権者から道路用地として買収し拡幅工事等を行い通行の便益に供したものであ ります。 従って通行中の落石事故等による賠償責任は負えません。 尚、山中橋附近の残土は、県並びに地権者、関係機関と協議の上、昭和五九年度に県営事 業として採択され設けた残土処理場であります。
関係者

…左図(略)は昭和51(1976)年と平成9(1997)年に撮影された航空写真の比較である。

前者では、「山中橋」附近までは辛うじて道が見て取れるが、それより峠側には道が見あたらない。
対して後者では、峠までの道がはっきりと見えており、「山中橋」以下の道も、鮮明さを増している。これらは、「通告」に書かれていた経緯の通り、昭和56 (1981)年度から58年度および平成8年度に“関係者”が整備した路盤や、県が整備した“山中橋区間”なのだと思われる。

また、平成9(1997)年の航空写真では、私が「峠下の広場」と名付けた部分の谷側に、かなり大規模な土工の痕跡が見て取れることにも注目したい。
現地では気付かなかったが、「峠下の広場」の正体は、小さな谷を埋め立てて作った残土処分場の可能性が高いのではないか。

残土処分場についても「通告」に書かれていたが、昭和59年度に県営事業で設置したものらしい。これはおそらく、同じ県の事業として昭和60年度に完成し た【砂防ダム】の工事で発生した残土を、ここに運んで処分したのではないだろうか。

平成 28年2月 和歌山県議会定例会会議録 第4号(秋月史成議員の質疑及び一般質問)
○秋月史成君

 まずは、県道白浜久木線改良計画についてお尋ねいたします。
 大正時代、西牟婁郡一帯は県下有数の養蚕地帯へと発展を遂げ、現在の白浜町三舞地域である三舞村において、久木側から庄川に至る街道、現白浜久木線は繭 街道と呼ばれ、繭かごを担いだ人たちが盛んに往来した歴史のある道であります。…
 昭和34年5月、和歌山県東牟婁郡古座川町三尾川を起点に、西牟婁郡白浜町富田に至る道路が県道として認定され、紀南の山村地域を結ぶ主要道路としてそ の使命を果たしつつ、逐次改良工事が行われ、現在に至っております。
 この道路の通行不能区間について、昭和42年7月に県道改修促進会が発足し、昭和45年2月議会に当時の県道三尾川紀伊富田停車場線、現在の庄川─久木 間の改修拡幅について請願を行い、採択されました。このような経緯を踏まえて、昭和51年春に当時の土木部長、県議会建設副委員長・現二階俊博衆議院議 員、日置川町長、白浜町長、関係者100名余りが清流日置川側で昼食をとり、昼過ぎに久木を出発し、繭街道の歴史を語りながら歩き、庄川会館に到着したの は夕暮れ迫る時間だったと聞いております。
 当時、この道を歩かれた青年もはや60歳代、働き盛りであった方々も80歳代、90歳代となられております。昭和50年に県議会初当選なされ、一緒に歩 かれた二階俊博衆議院議員も、先月2月17日、77歳となられました。今か今かとこの道路の開通を待ち焦がれていた方も、故人になられた方が多数となって しまいました。
 昨年12月12日にお会いした促進協議会の方々からは、「冥途の土産に一度きれいになったあの道を通ってみたい」と、切実な思いを語っておられました。 しかし、長きにわたり紆余曲折はありましたが、促進協議会の方々の熱意は決して消えることはなく、懸命に献身的活動を続けてまいりました。
 このような経緯を踏まえる中、一昨年、県当局の御英断により、平成26年8月13日に現地にて事業着工の報告会、11月2日に事業化を祝う会が行われ、 平成27年12月には現場で準備工事が発注され、引き続き本体工事も発注され、今、まさに工事が大きく前に一歩進もうとしております。この壇上をおかりい たしまして、御英断を下されました仁坂知事を初め、県当局の皆様、地元関係者の皆様に、そして今は亡き先人の皆様に深く感謝いたしますとともに、その長年 の御尽力に敬意を表します。
 また、旧白浜町、日置川町の合併10周年記念式典において、工事の着工を仁坂知事、二階俊博衆議院議員御臨席のもと、地元の皆様と餅まきもし、大変喜ん だ次第であります。

 …さて、現在の白浜久木線の状況は、県道日置川大塔線から枝分かれする箇所から約4.7キロが交通不可能な区間となっており、その先、庄川までの約3キ ロも通行困難な状況となっております。平成26年度から、白浜町久木側で地籍調査が完了している区間のうち2.7キロについて事業化がされております。こ の事業区間の西側、白浜町庄川側については、約2キロの通行不能区間が残ることになっております。つまり、3キロと2キロを足した5キロについて、事業化 がされていないことになります。通行不能か通行困難箇所となります。
 現場の工事の状況を考えますと、白浜町久木側の日置川沿いからこの工事現場予定地を見る限り、私も土木技術、土木作業の素人ながら、かなりの難工事であ ると推測できます。
 道路は、つながってこそ初めてその効果が発揮されるものであります。道路をつなぐために、その残りの通行区間の事業化がぜひ必要ではないでしょうか。現 在の工事区間を含め約7.7キロ、通常ならばかなりの歳月を要する工事になると思われますが、早期開通に向け、現在の白浜町久木側からの工事とあわせ、白 浜町庄川側からも工事を進めていくことが必要ではないでしょうか。
 現在、地籍調査が進められている庄川側の区間については、平成29年度に地籍調査が完了いたします。現在の2.7キロの改良工事の後に続けて2キロの改 良をするのであれば、先ほど述べたとおり工事も大変だと思われますので、久木側からの片側工事では道路がつながるのがいつになるのかわかりません。ぜひ地 籍が終える平成29年度から、白浜町庄川側からも事業化ができないものかと思います。…



○県土整備部長(野尻邦彦君) … 県としましては、庄川地区住民からの訴訟問題が解決したのを機に、平成26年度に通行不能区間4.7キロメートルのう ち地籍調査が完了した久木側の約2.7キロメートルの区間について事業化し、今年度、用地取得ができた久木橋付近の工事に着手したところでございます。
 今後、この事業中区間の用地取得や工事を精力的に進めるとともに、残る通行不能区間についても、地籍調査が完了し次第、事業に着手できるよう準備を進 め、全体としての早期完成に向けて取り組んでまいります。
またドン谷の支流は林野庁or和歌山県的には鍋津呂小谷という名前を把握している(山行がくるまみちグー グルも把握している様子 ドン谷方面には耕作地跡石垣なんての迄記入されてる)が河川局的には?この谷の名前を把握してない らしく当然河川局の息が掛かってると思われる川の名前を調べる地図では名称不明となっているし国 土地理院図にも名称の表記はない。国土地理院は全河川名を記入する訳ではないけど河川局と林野庁or和歌山県の省庁間で情報共有が出来ていない感 じではある。

また首長や自治体がだらだらとアリバイつくり的に道路建設期成同盟つくって東京にカネを落とすだけの陳情に出て自民党政権のばらまき予算が付くという構造 を最大限に嫌悪しているが,ここに限っては,地元が「県道白浜久木線改修促進委員会」を結成して,部分的に砂防ダムや残土置き場と併せて県道を整備し,謎 の「関係者」が残る道路を造り,土砂崩れや路肩崩壊を応急補修しつつ(あんま直ってないw),すれ違い設備建設に付いた予算を勝手に(違法!)建設準備工 事に流用したりと死力を尽くしている点が全く違っており,これぞ明治以来,戦前の政友会及び戦後の自民党が根城にした地方の保守地盤の心からの道路建設要 望を感じとらざるを得ず,本路線の建設には賛同を禁じ得ないのである。戦前はおカネがなくて村人が実際に労務・役務を提供して(提供させられて?)道路を つくったのである。その気概が生き残って居るではないか!
ということで,地元の道路渇望とその実現という物語を紡いだ所に山行がの「白浜久木線」篇の凄みと価値 があると思って居る(よっきはレポの後半で日本最短県道墜道の方に力点が入っちゃってるけどおまけでしょ,あんなもん)。

ということで祝着工である。着工区間は2.7kmとのことで久木側の未整備区間2.8km(ヨッキ)と一致する。道路は構造令を無視した私道がある区間は未着工(つまり未開通扱い)の侭残るけど最低限の通行性を確保すればクルマで通り抜け が出来る!

こんなアツい内容を現地ではすっかり忘れていたけど,古そうな久木橋の袂に急に現れた工事現場にバイパスにしてはなんか変だなと思いつつ(向きも違うし道 幅もわざわざBPつくったにしてはやや狭いと思ったけどr37の旧道はこちらがわを通ってた様だ。ヨッキも探索を匂わせながら未だレポ にはなってない。)私は1枚だけ写真を撮っていた。

こ の辺迄建設出来れば繋がるし,ヨッ キが見付けた未成道っぽいやつ(こ れ)がこの県道新設でちゃんと活用されるのか否かも注目である。活用してもらわないと税金の無駄遣いであるし,無駄遣いしないと地域振興にならん (=じもとにかねがおちん,と読む)やろとなるのかも知れぬが,長期に計画が頓挫してた場合,設計思想なのが現代的に変わってしまって何十年も前に整備さ れた道路準備構造物が利用出来ないことも ありそうである。。


宇津木橋付近で城川が日置川に合流(r36上富田すさみ線も合流)。r36とr37の重複区間となる。宇都木橋は1962(S37)年5月竣工とのことなので殿山ダム(1957竣工)は とっくに出来ている時点での建設である。よっきが想像したように殿山ダム の建設資材の運搬は深 谷隧道経由(r221)だったのであろうか?その場合,セメント等の資材の最寄り駅は紀伊日置ではなく朝来となるが,朝来駅と云えば住友セ メントの専用線のあった 駅である!まさかの繋がりと思いかけたが手許の専用線一覧では1957(S32)年版にも1951(S26)年版にも朝来駅に専用線の記載はな い。。
勿論 貨物側線を利用しててダム資材を荷揚げしててその一環でセメントサイロも建設し,その設備を活用して後に住セがSSを設置したという可能性も考えられ得る が。。(因みに残念ながら鉄道貨物は廃止されてしまって久しいがSS(サービスステー ション)は健在[住友大阪C]の様であり喜ばしい。トラックの人材不足は著しいのでこの辺に再びCT(セメントターミナル)でも設 置して各社の輸送を集約できないものか?住友大阪セメントの樽見鉄道でのセメント輸送も復活したいみたいな噂話レベルの話しは聞いたことがある。本巣から 南松本・西浜松とあと北陸・南紀・飛騨辺りにはこべないものか?南紀だと現在だと赤穂から船舶で運んでいるのであろうけど。。)

合流点付近をカメラに納めた筈がまるで写ってないww
辛うじて橋の上から撮った一枚

拡大


~城川~       

宇津木橋付近で日置川に合流する城川を遡上してみる(城川をすっ飛ばして上流方面へ進む場合はこちらへ)。
ここは川沿いにr36 上富田すさみ線[wiki]が周参見東部の江住迄南下している。実際には(我々の現地訪問時には)江住から北上してきた。
ここも和歌山県道三尾川紀伊富田停車場線の経路と思われる。

こ こら[地理院G 空撮]に小さな取水堰があってささやかに農業用水を取水しているようであった。慣行水利権であろう。

ささやかとはいえ魚道も付いてる本格派である。
とはいえ水路はこんなもので,上流での発電用取水を妨げるものでは無いであろう。

その後道路をくぐりゆるゆると民家の裏手に流れて行っていた。

此 処らの僅かな水田を潤してるっぽい。

一寸上流にあがると小川(こがわ)の聚落。唐突に看板が現れるが撮った写真はピンぼけだったのです とびゅうで代替。
地 理院で確認して見ると小川が字名で小字としては中村平と云った感じである。
その中 村平とその上流にある上村の間(EL.51.8m)で川に沿って県道は曲がるが如何にも未成道っぽい道路が対岸の上村に向かって直進していた。
写真でみると直進では無く弯曲してるし伝えにくいが(;´Д`) ス トビュウの方が解る??

兎に角,橋。脇に小さく「この先行き止まり」とある。標柱には「こうだにいちごうばし」とあった

橋を渡ると上流とは反対側にちょっと曲がった所で末端となった(細い道は続いている)ス トビュウの方が未成道末端部の感じが解るなあ。。
私の写真ではアングルの高度が足りないのか。(マウスオーバーで一寸拡大)

地理院ではこ んな感じ。「こうだに」は合谷であって,城川に合流する谷って意味の地名であろう。
この道がr36のBPだとすると方向がズレるしわざわざ山をぶち抜く長大なトンネルが必要になる。。恐らく違うであろう。
コエ峠(越え峠?)を抜けて安居の方迄町道でも造ろうとしたのか?太間川へ抜ければr222の未開通区間の建設扱いには出来そう。
合谷1号 橋ってことは今後も合谷を遡上して何度か川を渡る気満々な気もする。予算(税金)が余りまくってる様に見える農道でも造る心算だったのかも しれない。
この辺の様子をあれこれ調べてると引っ掛かった将軍川流域に忽然と現れた高 規格林道(末 端部高 架部)との関連も疑われる。

兎も角,この合 谷(地名としては小字名としては上村)の一寸上流付近の眺め。上で提起した計画ではこの辺で取 水 したい(大字名の小川,河川名の城川)と思って居る。(計画はこちらで取扱)
川はゆったり流れているように見える。


この直上にも堰があった。上の画像で見える城川左岸の水田への水を引っ張って来ている様だ。

上流側


城聚落でr222城すさみ線が合流してきた(分岐している)筈だが気付かなかった。ス トビュウにはこんな感じで写ってて橋の向こう迄もクルマで行けそうであった(がグーグルカーは此処で引き返している)。

この先すさみ町域となる。

古びた橋の袂(EL.111m) に気になる未舗装道路が。。


~矢ヶ谷~            
こんな所迄チェック入れてたらキリ無いのだけど進入してみる。ナビには矢ヶ谷と地名が記入されていて廃村でも見れるかも知れない。
未舗装は当然としてガードレールどころか駒止めも無し。開けて明るくなって聚落(跡)を予感させる場所の入口には育ったツツジが歓迎してくれる…と思うか 所在なげに独り咲いていると思うかで印象は変わる。

忘れ去られたかのような鉄橋

川は一寸離れて狭い平地(広場程度?)が広がっている様子。その先で川を渡り上流の方へ道は続いている。


広場は産廃保管場になって埋め立てられていた。


橋は宮の上橋と名付けられていた(ピンぼけなので写真は無し)。
その直ぐ向こう側で道は塞がれていた。。「この先崩土のため通行不可 すさみ町」とのこ とであった。


谷のどん詰まりの峠の向こうは槇尾谷という名前で合川ダムの集水流域である。槇尾谷は宮城川となって大瀬に出る。
大瀬からは将軍川になって合川へ流れ込むが,道は無く(更にその向こう側にはR371が寄沿う前ノ川もあるが道は無し)日置川沿いだが合川ダムより下流の 市鹿野へ山を越えて直接出るか,もっと上流の将軍川を延々と遡上すると古座川の
方へ出る。

地理院だと二本線の道路(上の未舗装道路もそうである)を辿ると槇尾谷から大瀬には向かわずに(細い道はあるようだ),後述の法師峠の向こう側に出るよう だ。

大学時代にサークル内サークルとして林道部を主宰していた自分としては色々走破しまくりたいが,もうそんなやんちゃをする歳でもないしそもそも崩土で通行 不可(通行禁止では無いのがミソか!?w)であるが,税金の無駄を歎いている者としては半永久的に災害を放置する自治体の姿は好ましくもある。

色々思念は刹那に浮かぶが大人しく引き返すことにする。帰宅後調べて見ると流石村影さんの聚落紀行である,ちゃんと矢ヶ 谷のレポがあった,
また地図から判断するにこの先は宮城川の奥部を経て佐本の栗垣内川上 流に繋がってるようだ。またこの先は林道大瀬矢野口線と いうらしい。youtbeに動画あった[つ るぎパス]。2012年の動画であるが,前半はこの林道の通行止めの先であり,途中で路肩崩壊と倒木でうp主さんも撤退している。もうずっと荒れ てるんだなw
ど くりんごとジムニーの日々さんの地図が解りやすい。(→TWで もフォローさせて貰ってる方だったw)

こちらも地理院に林道大瀬矢野口線と宮城川線を描いてみた。



更に上流に向かうと小附(EL.163m)と 云う聚落があって,その上流には大附(EL.218m) がある。
ここで道は二手に岐れる。主要地方道側の,恐らく三尾川紀伊富田停車場線に指定されていた方が法師峠経由で佐本の栗垣内川上流に繋がってる。車道としては行き止まりだそうである。地図で 見ると車道の行き止まりまで直ぐだったので行ってみれば良かった。
水発趣味をこじらせたら昔のこじらせてた道路趣味の分断 県道ウオッチ迄再燃しそうである。。良くない兆候だなぁ(;´Д`)


分岐付近から下流の眺め。
23.4
橋から上流の眺め
23.4

こちら(r225及び城川)の谷の峠(無名?)の向こう側は周参見川である。この辺りの全体像も先程の地図で確認されたい。


さて宇都木橋から日置川の遡上を再開する。この区間はr36上富田すさみ線r37日置川大塔線の重複区間となる。
そして直ぐに川原谷川でr36は上富田方の方へ遡って行く。我らがr37はヘアピンカーブでr36と岐れ日置川を再び遡上を始める。

正確な場所は忘れたが宇津木橋の手前付近か。安宅橋など下流では「放流されてません」だった看板が上流は全部ゲートから放流中に悉く変わっていた。手動で凄い。
ちゃんと鍵も掛かっていて悪戯は出来ないように成っている。下流で関電のダム広報車とすれ違ったけど係員さんが放送がてらひっくり返して移動しているのか も知れない。


市鹿野分岐付近。
地図に拠っては市鹿野聚落中心にr221市鹿野鮎川線が延びて居るものもあるが,青看板にはr221の記号は印されていなかった。
道路脇にヘキサが立っているかどうか は確認しなかった。実際はマウスオーバーのような感じでは無いかとおもうのだが,,
23.4
更に,このr221の先は林道将軍川線となって上露聚落等を経由して,最終的にはr38すさみ古座線の古座川と周参見川の分水嶺東側(古座側・添野川七川ダム付近)に至ってい る。

分岐を過ぎてr37とr221の重複区間となる。

殿山発電所が近づいてくる。上で見た様にこの辺りで堰止めて殿山放水位迄嵩上げして取水したいと思って居 る。
木があって見通しが利かぬが,水は殿山ダムからの放水もあって割と滔々たる流れである。


古びた吊り橋があった。通行禁止らしいがAバリはそっぽを向けられている。

電源交付金的な何かで元々修復したようだ。

修繕工事は延期になったらしい。。また通行止めは通行止めで橋の名前は里谷橋というらしい。
流石俺のATOK,里と変換しようとして狭戸と出たwこっちの方が適切かも知れない。合川から狭くなった峡谷が一寸広がる辺りにある谷である。

とはいえ橋のお陰で眺望は利く。下流方面と上流方面である。


下流からそこそこ遡るとやっと殿山である。山の中の雰囲気は雰囲気であるが,とはいえ標高は未だ50mか そ こらである。

殿山発電所[水 力.com]        
事業者名:関西電力(株)
運開:1957
ダム水路式・調整池式
認可最大出力:15,000kW  常時出力:4,300kW
最大使用水量:26.00m3/s
有効落差:69.050m
水車:出力17000kW×1台
取水位標高:[殿山ダム]125.00m
放水位標高:日置川51.75m

全景。狭い谷底にあるので眺望は利かない。道も狭いが此処も引き続きr37である。


放水路を上から


その後,殿山ダム(合川ダム)を眺望できるお立ち台に到着。


2.殿山ダム(別名:合川(ごうがわ)ダム)[水 力.com][ダム便覧][和歌 山県]     
河川    日置川水系日置川
目的/堤高/堤頂長 発電P(殿山P・26m3/s)/ 64.5m/128.7m
流域面積/湛水面積    294km2 ( 全て直接流域 ) /137ha
総貯水容量/有効貯水容量    2,544.6万m3/1,379.5万m3
ダム事業者    関西電力(株)
着手/竣工    1955/1957
標高
 天端標高:127.500m
 満水位標高:125.000m
 低水位標高:112.000m
 基礎標高: 63.000m

有効貯水量・流域面積比較  
発電専用ダムの容量の小ささを感じてほしい所。貯水量と流域の比率が七川と比べて6倍かよと思ったが七川が特別にデカい様ではあった。
ダム名
河川
目的
堤高
満水位
流域面積
有効貯水量
流域比貯水量
その他
七川ダム
古座川
発電・洪水
58.5m
116.00m(F期:106.5m)
102km2
2,540.0万m3 24.90
佐田発電所(7.2MW・16m3/s)
二川ダム
有田川
発電・洪水
67.4m
201.0m
228.8km2
1,920.0万m3(P:1,670万m3) 8.39
岩倉発電所(11.0MW・15.0m3/s)
殿山ダム(合川ダム)
日置川
発電
64.5m
125.0m 294km2 1,379.5万m3 4.69
殿山発電所(15.0MW・26.0m3/s)
椿山(つばやま)ダム
日高川
発電・洪水・不特定利水
56.5m
206.5m
396.5km2 3,950.0万m3
9.96
美山発電所(114.0MW30.0m3/s)


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