電力総研 揖保川水系電力 開発
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揖保川逍遙(その3)引原篇(20.10.03)(22.2.5)
   
揖保川流域概説はこちら。揖保川電源開発はこ ちら

【逍遙篇】:揖保川宍粟橋伊沢川山崎町生谷付近(妄想・山崎発電所新設想定地)梯川畳の堰堤)・三津井堰・よいたいトンネル付近・白谷川・高尾川神野発電所岡城川染河内川安 積発電所引原川[谷川取水口[安積P]西谷取水口[安積P]・水谷川・上野発電所・広路川・上野発電所取水堰野尻 発電所野尻発電所堰堤原発電所音水引水引原ダム諸元]・旧戸倉隧道]・三方川[深河谷川三方川取 水ダム福知川草 木川(草木ダム)・高野川(透過型砂防ダム)・阿闍梨川公文川揖保川井ノ田 橋(草木発電所)]
【開発篇】:安積発電所(+10.2MW) 引原川(+16.4MW) 三方川上流方面(草木川・福知川)(+9.3MW)

引原川側上流には3つの発電所と安積発電所の西谷取水口を初めとする幾 つかの取 水口,そして最後に引原ダムがある。引原ダムに加えて発電所はいずれも兵庫県が開発したが経緯があって今では発電所は関電が所管している。水力発電のリス クを行政が取る一つの形態か。一方で既存の施設の効率的な運用は私企業がやった方が良いのかも知れない。日本全国に再び電発みたいな巨大開発公社的な存在 の企業設立してガンガンカネ注ぎ込みたい。

さて一回目のアタック(20.9)では引原は最後時間 切れ 夕闇ドローというか敗北となった。二回目は戸倉峠と鳥取側の水発[八東川な ど](20.10)を攻める序でに引原に再アタックを 試みた。その後(22.2)に雪の戸倉の前にざっと残りの発電所を見学してきた。

安積発電所[こちら
8.9m3/s,5.6MW


[谷川]0.22m3/s


西谷取水口[引原川]
堤高:  堤頂長:
目的:P(安積発電所)
取水量:3.95m3/s
流域:
取水:引原川[上野発電所



魚道と取り入れ口


上野発電所・野尻発電所・原発電所があるが二回とも先を急ぎすっ飛ばした。3回目の逍遙があれば追記したい。→22.2.5に来訪,追記した。

関西電力(株) 上野発電所[水力]            
運開:1928.2[兵庫県]/現行施設運開:1990.8
水路式・流込式
    認可最大出力:780kW      常時出力:223kW[28.5%]
    最大使用水量:3.144m3/s[0.28] (113立尺? 111ft3?)
    有効落差:30.90m
    水車:横軸フランシス水車 出力830kW×1台
    導水路:総延長2,209.0m[0.35]
    流域面積:111.1km2
    取水:引原川[野尻発電所]280.9m
    放水:引原川[安積発電所西谷取水口

西谷取水口の直ぐ上流にある。

建屋
係員が1人ないか作業をしていた。土曜日なのにお疲れ様です。ご安全に。
22.2

看板
6.6kVで波賀町内に送電との事。約300軒の家に電気を送れるとの事。また設置は兵庫県だったとのこと。


上野発電所取水堰
堤高:3.94m / 堤頂長:31.80m
目的:P(上野発電所3.144m3/s)
取水量:
取水:引原川[野尻発電所2.50m3/s]

この日は北陸に大雪の報道が出た日で戸倉も雪であり,水量も決して低くは無かったと思うが発電はしていなかった。[場 所
22.2

建物遠景
近づこうとしたら雪に足が沈んで無理だったw [場 所


利水標のアップ



関西電力(株) 野尻発電所[水力]      
兵庫県宍粟市波賀町野尻
運開:1927.10[兵庫県] 出力増加:1990.8(1160kW)
水路式・流込式
    認可最大出力:1,160kW   ←出力ちっさ!  常時出力: 286kW[24.6%]
    最大使用水量:2.50m3/s[0.25]
    有効落差:57.57m
    水車:横軸フランシス水車 出力1230kW×1台
    導水路:総延長3.393.5m[0.34]無圧トンネル、蓋渠、サイフォン、伏越 ←出力導水延長比ひっく!
    流域面積:97.9km2
   取水:引原川[野尻堰堤(仮称)]345.77m
    放水:引原川[上野堰堤(仮称)

建屋[場 所
1990年の出力増強の時に新設でもされたのかな?白いのは雪。こちらは発電してるようだった。
22.2
この橋。関電が整備したものらしい。但し老朽化で渡るなとなっていた。

看板
6.6kVで波賀町内に送電との事。約400軒の家に電気を送れるとの事。また設置は兵庫県だったとのこと。

建屋正面


野尻発電所取水堰
目的 :発電(野尻発電所)
堤高:3.33m / 堤頂長:34.60m
取水量:
流域:

雪で近づけなかったが途中,中小発電所には珍しく川 を渡るポイントもある様なので,雪の無い季節に見に行きたい。結構,距離短縮する為に渡河するのもありなんかな?


関西電力(株) 原発電所[水力]    
兵庫県宍粟市波賀町原
運開:1958.4[兵庫県企業庁]・所有社変更:2010.4.1
ダム水路式・貯水池式
認可最大出力:5,000kW     常時出力:2,600kW (52%)←結構高め。常時2.5m3/s程度は流れてるってことなんじゃないかと思うんだけど野尻や上野は何をサボってんだ?!
    最大使用水量:5.50立方メートル毎秒
    有効落差:109.90m
    水車:立軸フランシス水車×2台 総出力5300kW
    導水路:総延長1921.3m
    流域面積:57.7km2
    取水:音水川→引原川[引原ダム]472.00m
    放水:引原川[野尻堰堤]357.25m

建屋



[仮名]音水川取水堰 取水量:不明

20.10に2週間前に引き続き再訪。前回は見逃した音水川を調べた(一部20.9の画像あり。)
此 処から音水川に沿って林道っぽい道を上がっていく。

数件の聚落があって広場がある。
20.10
因みに,昔,音水渓谷には鉄山があったそうな。此処は兵庫県の宍粟郡だから播磨国とは云え山陰の踏鞴(たたら)製鉄の影響を感じる。
音水鉄山跡
この地域において宝永年間(一七〇四)から明治三十二年(一八九九)までの間に鉄山の経営がなされていました。当時は約六〇戸の世帯があり鉄山で働いて生 活をしていました。
金山神社(カナイゴサン)は慶応四年に当地鉄山の守護神として祀る(滝山・廣地・鍵掛・久保原山の各鉄山を十年から三十年毎に移動し最後に音水に祀り現在 に至る)
波賀町教育委員会
と看板にはあった。

音水渓谷


音水川取水施設
暫く上がって見逃したかなと不安になる頃,取水設備が見えてくる


此処迄が舗装路の様だ。

此の穴から水はダムへ送られる様だ。意外に小さめ。



取水口付近


貯留量はないようだが,大雨の時の雨量を少々貯めといても良いのではないか。
このぐらいの小ぶりな堰でも設置したらどうか?(もっと谷を堰き止めるデカイやつでも良い。今のままでは取水口で余らせた水はそのまま排水されてしまう仕 様に成ってゐる様子。)


なお見たかったのは利水標だったけど見当たらなかった。。
十津川にはしっかりあったのにねえ。。

さて此処迄来るとダムはもうすぐである。
1回目,20.9の到着時にはもう薄暗くなっていた。2回目,20.10の再訪時にはピンぼけしていた。。ということであんままともな写真が撮れていない。。

引原ダム[便覧
目的/型式     FNIP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積     66m/184.4m/180千m3
流域面積/湛水面積     57.5km2 ( 直接:48.2km2 間接:9km2 )→私的拡張構想あり(+17.0km2) /88ha
総貯水容量/有効貯水容量     21950千m3/18400千m3
ダム事業者     兵庫県
着手/竣工     1953/1957

引原ダム
20.9

取 水施設(原発電所へ送水)
20.9

2週間後に再訪。
もっと堰堤を写したつもりだったけど写真って難しい。ピントも完全に手前の樹の枝に合わさってるw
20.10

新旧の引原トンネル
戸倉や馬返し(九頭竜川),天辻トンネルと同じ様な狭さ。戸倉は一寸レベルが高いけど経路も直ぐ横。天辻だけ現役w
とは云え酷い写真で失敬。。

裏側の出口付近。奥まっていて現道からは見えない。廃屋もあってあれた雰囲気。
トンネルは巻立てがしてあって劣化してるのかも知れないけど車道としては狭いってだけで未だ未だしっかりした印象なんだけど。


引原ダム再生事業[兵庫県

事業内容
①堤体嵩上げ(2m)
②放流設備の新設
③放流設備の改造※ ※嵩上げに伴う規模拡大及び更新
④国道付替(300m)、管理用道路付替 (100m)
⑤管理所移設
【負担割合】国 55%、県 45%

・堤体嵩上げ、予備放流の拡大による洪水調節容量の拡大
・放流設備新設による放流能力の増大
・嵩上げに伴う規模拡大及び更新による放流設備の改造



2m嵩上げでも国道嵩上げ(付替)も必要になるんだな。


おまけ

戸倉隧道兵庫側
入口は[場 所]。此処からあからさまに狭くされて入りにくい印象にされている旧国道へ。直ぐに道幅は復活する。が,また半分になる。どうもヘアピンカーブ部 のみ旧来の道幅を残した様だ。

廃道化処理されて道幅が半分になった旧29号線。旧中央分離帯の黄線が路側帯の白線みたいになっている。土砂が貯まったのではなく,明らかにわざわざ土砂 を詰んで狭くした感じである。

20.10
暫く行くと広場になっていて行き止まり。
よく見ると廃道化の土盛りが此処では道半分ではなく全面的に施されてる様だ。

というか林道(明治道でもあるようだ)への分岐があるので此処迄廃道化は免れたと云う感じ。
その土盛り側から旧国道を見る。取り残された兵庫県波賀町の看板が淋しげである。合併で今では波賀町はなく宍粟市となっている。

但し林道は立ち入り禁止であった。なんでも専用道新設工事中らしい。

廃道化された部分を延々と歩く覚悟で来たが直ぐにも隧道であった。[場 所
南西を向いてる国土地理院の描画と違って,トンネル洞口は西向き(現地では北向きに思えたが地形図で判断するに)の斜面にあった。


1車線化もされてない旧道を快適に登っていくとどん詰まりになってそれ以上どこへ行けない鳥取側の方が有名で,通行止めながら林道への分かれ道がありそこ から直ぐのこちらの方がマイナーである。
廃屋と化した戸倉トンネル管理事務等もあるけどあっけらかんとして明るい斜面にその体躯を晒す鳥取側に対して土砂で廃道化処理され山陰にひっそりと佇む兵 庫側の方が人気が出ないのか?

いずれにしても鳥 取側は八東川の水系となる。