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20215.20作成
黒又川開発
(破間川[→別頁])─黒又川第一発電所黒又川第一ダム─[─末沢第一ダム─末沢発電所─[平石川ダム─破間川発電所─破間川ダム]]─黒又 川第二発電所─黒又川第三発電所[─末沢第二ダム]―【奥地開発構想・黒又川第三発電(+5.6MW)】

佐梨川の項で,「白洲次郎が開発権をふんだくって行った(というか東電が管内の開 発を ふんだくって行くのを全力で沮止した,が正確か?)我らが奥只見発電所への入口(奥只見シルバーラ イン)のある谷筋である。奥只見ダムへ引水とかされてないか慎重に見たが大丈夫そうだ」と書き,破間 川の 冒頭では「上流域のどん詰まり,六十里越の峠を越えれば田子倉・奥只見であり阿賀野川水系に変わる。」と書いた私であるが,戦後の大水力開発の舞台となっ た奥只見はすぐ裏手である。

黒又川の発電所群が妙に高規格でしかも電発が黒又川の開発が絡んで(というか奥地は全部電発開発)いて,気付かないのは或る意味迂闊ではあったが,ここに もドラマがあったのである。

詳しくはwikiに 譲りたいが,戦後の河川綜合開発の中で,奥只見案は幾つかの案がせめぎ合ったのだが,新 潟は奥只見ダムから佐梨川,田子倉ダムから破間川へ導水して戦後の食糧難の中,穀倉地帯の魚沼地方の潅漑用水確保(只見川分流案)を 強硬に主張し本命とされ福島県や日本発送電東北支社後継の東北電力の推す只見川・阿賀野川の本流ルート(只見川本流案)と可成り激しく対立した。1952 年には各案の裁定が持ち込まれたアメリカ合衆国海外技術調査団(OCI)の裁定で本流案に決まったが,吉田側近の白洲次郎が東北電力の社長に納まり,吉田 派の固める福島県(当時は吉田派だった広川弘禅農水大臣は東京選出だったが出身は福島県石川郡)に対して,新潟県は吉田の政敵鳩山一郎に接近するなど対立 は激しかったらしい。こ の辺(仁昌寺正一1993)が面白い。
また尾瀬分水案を推す日本発送電東京支社と東京電灯の遺産を継承する東電は歴史的経緯から只見川に水利権を持っていたが本名ダム・本 名発電所の水利権が(戦時中,一定以上の開発は日本発送電に集約されたが水利権は形式的に残されていたのを継承した)東電から突然取り上げられ東北電力に 与えられるに及び行政訴訟になり,吉田は行政事件特例法を行使し「異議申立」するなど揉めに揉めた様だ。可成り強引に突破をした福島県・東北電力に見える が,次第に妥協の気運が高まり,1953年には先ず奥只見から佐梨川(と田子倉から破間も)への導水を廃止する代わり に奥只見ダムから信濃川水系黒又 川に只見川の水を分水し黒又川に発電所を建設する黒又川分水案(政府案)が 提示されて新潟県もこれを受入れ奥只見・田子倉の建設が決まり,東電には東北電力が電力供 給をする契約を結ぶ(これに拠り当該地域での東北電力への供給が予定より大巾に減少する事に。)ことで1954初頭には訴訟が取り下げられ事業が進むこと になった。今でも電発の送電線がこの地域から首都圏へ電気を送っている。

その後,黒又川第一ダムと発電所が1958年2月17日に運転を開始し、続いて第二ダムと発電所の建設が行われたが,建設(1961着工)に際し第 二ダムの有効貯水容量を 当初計画の1000万立方メートルから5000万立方メートルに拡張したことで、越後平野へ供給する灌漑用水が黒又川単独で賄えることになった。このため 新潟県は1961年9月、電源開発に黒又川第四発電所と奥只見ダムからの分水計画の中止を申し入れ、とで只見川からの分水計画は中止された。wiki

この辺に纏めて見た。併せてご参照されたい。

斯くして現在の黒又川流域の電源開発は完了し以下の様に配置されたのである。敢えて大きい地図を載せてみた。
下の方迄ちゃんとスクロールして田子倉・奥只見・佐梨川と云った登場人物達との距離感を感じて欲しい♪


黒又川第四発電所は奥只見からの導水であり,分水の中止により中止は当然だが第三(13.7MW)に関してはどれもさらっと中止となったとしか書いていな い。黒又川第二ダムの規模拡大で中止になったとも考えられるがどういう記述も今の所見かけない。
只見川から黒又川へ導水するにしても揚水式の黒又第四の下池が必要であり,黒又川第二が拡張されたとは云っても可成りまだ距離があるので奥只見シルバーラ インからもほど近い泣 沢出合辺り(579m)に造る計画だったのではなかろうか?
奥只見第四の計画がなくなれば第三ダムにそれ程多くの水は貯められないのでやはりそちら側の理由で取り止めになったのだろう。流込式で建設の余地がないか検討してみた。

先ずは地図上でも破間川からほぼ一直線に破間川ダムに向かうラインを堪能して頂きたいがその諸元である。

~破間川~

破間川(放水)

~黒又川~

黒又川第一発電所[水 力][信濃]     
出力:61,500kW 常時:19,050kW
水量:42.40m3/s
落差:167.70m
取水:黒又川第一ダム335.00m
放水:破間川143.80m

黒又川第一ダム[水 力][信濃] [便覧]     
河川     信濃川水系黒又川
目的/型式     P/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積     91m/276m/289千m3
流域面積/湛水面積     206.1km2 ( 直接:106.1km2 間接:100km2 ) /144ha
総貯水容量/有効貯水容量     42845千m3/30627千m3
ダム事業者     電源開発(株)
本体施工者     清水建設
着手/竣工     1954/1958

~末沢川~

末沢第一取水ダム[信濃]     
電源開発(株) 目的:発電
取水量:15.00m3/s
取水:末沢川[末沢発電所]
送水:黒又川[黒又川第一ダム]
2021-05-20-00.jpg
国土地理院図には末沢川第一取水ダムとあるけど信濃水力さんの撮した水利使用標識写真には末沢第一取水ダムとなっているのそちらを採用。

末沢発電所[信 濃][水力
出力:1,500kW 常時:327kW
水量:6.20m3/s
落差:32.20m
流域面積:63.9平方キロメートル
取水:平石(破間)川[平石川取水ダム]372.50m
放水:末沢川[末沢第一取水ダム]337.15m

~平石川~

平石川取水ダム[信濃
取水:平石(破間)川[破間川発電所]
送水:末沢発電所

信濃 水力さんは破間川取水ダムと呼んでいるが国 土地理院図には平石川取水ダムと明記されている。
wiki(破 間川)に拠ると
>1970年頃までは黒又川との合流点より上流は平石川(ひらいしがわ)と 呼ばれており、破間川の源流は平石川と黒又川に二分されるものとされていた。
>流域面積は平石川の方がやや大きいが、流路長は黒又川の方が10km程長 い。現在では平石川筋を本流として破間川と呼ばれているが、破間川ダムの下流にある平石川取水ダムに名称の名残がある。
とのこと。益田川でも宣言したように黒又川分岐以降の破間川は平石川と呼ぶ事にする♪
ただマイナーな此処でやると解りにくいことこの上ないので括弧付きで併記することにした。

    破間川発電所[信 濃][水 力]    
出力:5,100kW
水量:8.00m3/s
落差:77.50m
取水:平石(破間)川[破間川ダム]459.50m
放水:平石(破間)川[平石川取水堰]378.00m

破間川ダム[信 濃][便覧]      
河川:平石(破間)川 取水量:?
河川     信濃川水系破間川
目的/型式     FNP/重力式コンクリート 堤高    93.5m
流域面積/湛水面積     59.2km2 ( 全て直接流域 ) /81ha
総貯水容量/有効貯水容量     1.580.0万m3/1,330.0万m3 洪水期洪水容量1,260万m3?
ダム事業者     新潟県
満水位:459.5m(サーチャージ?平時?)
洪水期満水位?:431.0m
着手/竣工     1973/1986

さてこの破間川ダム水害で以下の様に活躍したようだ[新潟県

>破間川ダムでは、最大で765m3/sの洪水調節を行い、1260万m3を貯留、最大限効果を発揮し洪水調節容量を使い切った。
新潟県


新潟県


取水量はマージナルだが,西隣のし もやぎ沢から導水できそうではある。守 門沢辺りからも引いて来れない事もない。

この破間川ダム,嘗て奥只見開発でその実現可能性の低さから破れた新潟県の"分 流案"の流れを汲んでいるようにも見える。ムネアツ。
出典:仁 昌寺正一(1993)

~黒又川~
次は黒川第二ダムを挟んで上流部での発電システムである。

黒又川第二発電所[wiki
電源開発(株)
運開:
出力:17,000kW
水量:26.0m3/s
取水:黒又川[黒又川第二ダム]
放水:黒又川[黒又川第一ダム]

黒又川第二ダム[信濃] [便覧
黒又川
電源開発(株) 目的:発電
取水量:28m3/s
総貯水容量/有効貯水容量:6,000.0万m3/5,000.0万m3
貯留量:6,000万m3
流域面積/湛水面積     109.9km2 ( 直接:83.8km2 間接:26km2 ) /225ha
着手/竣工     1961/1964
湖 面水位:405m 堤高/堤頂長/堤体積     82.5m/235.2m/91千m3

末沢第二取水ダム[信濃
電源開発(株) 目的:発電
取水量:5.50m3/s
面積:26km2
取水: 末沢川(EL=423m)
送水:黒又川第二ダム

二転三転した地域の開発だが,最終段階で貯水量が1,000万トンから5,000万トンに増やされた黒又川第二ダム(直接流域83.8km2)であるが, 少しでも集水量を増やす必要があったのであろう。末沢川では下の方で末沢川第一取水ダムも建設され ていて,あちこちで私は妄想してるが,一つの河川で二箇所で取水するのは可成りガチで珍しい。

途中,足沢はどうだろう?取水してへんかな,これ??[地 理院(EL=423m)空 撮
また黒又第二との間に20m程の落差があることはある。

[構想]黒又第三発電所
出力:5,600kW[+5.6MW]
水量:4.0m3/s
落差:170m
取水:黒 又川(泣沢)赤 柴沢赤 柴西沢(仮称)中 ノ沢岩 沢(仮称)(580m)
放水:黒又川[黒又川第二ダム](405m)




最終案となる1953年の政府案ではいきり立つ新潟県を宥める為に先ずは奥只見から黒又川への導水と4箇所のダムが 提案されたが,第二ダムの有効貯水容量を 当初計画の1000万立方メートルから5000万立方メートルに拡張した[wiki]そうなのでその過程で生煮 えの(新潟県への目眩ましの)案で4箇所ぶら下げられた発電所も2箇所にされその分,発電所も減らされたのであろう。代わりに破間川本流に破間川ダムが建設されてそこから導水して末沢川沿いに破間川 発電所が建設さる形となった。
県境に一番近い辺りで建設される本発電所は嘗ての下図④(黒又川第四発電所)の衣鉢を継ぐものと云えるのかも知れない。
出典:仁 昌寺正一(1993)