電 力総研 水 力あれこれ
と はずがたりな掲示板(利 水スレ電 力スレ)
21.5.30運開

森吉山・小又(こまた)川の水力発電・その他

概ね河川名で呼んでるのだけど有峰・常願寺川と此処森吉・小又川だけは山の名前で呼んだ方が通りが良い。

森吉は嘗ては森林鉄道(「山行が」のヨッキの探索はアツかった。)に加え三菱金属 鉱業の電力開発等の印象が深い。本サイトでも既にちょろっと触れている。此処らか らはるばる秋田迄自営線で電力を送電してたりもしてたようだ。

と云う事で小又川というどっかにありそうな名前より森吉の名はインパクト有るし気に入ってたけど,森吉ダムに森吉山ダム迄出来て,ダム湖に森吉四季美湖み たいな醜悪な気色悪い名前迄付けられるに至って食傷気味だった森吉ブランドは暴落,残念でならない。今では森吉ダムは平田ダムに,森吉山ダムは阿仁川ダム に戻して欲しいと思う事しきりである。

三菱マテリアル
https://www.mmc.co.jp/chinetsu/hajimeni.html
はじめに(抜粋)
三菱マテリアル 株式会社東北電力所の水力発電所の歴史も古く、1898(M31)年に永田発電所、1907(M40)年に碇発電所の運転を開始し、当時の尾去沢鉱山の動 力用ならびに付近の民家にも電気を供給しておりました。
 その後、碇発電所の増強、さらに大正時代に大湯発電所、昭和時代には旧森吉町(現北秋田市)に4カ所の発電所と森吉ダムを建設・運転開始し、現在の水力 発電所計6カ所(鹿角系3カ所、小又川系3カ所)の規模に事業拡大をしてきました。
 1962(S37)年からは、自家用送電線(約60km)を経て亜鉛を製造する弊社秋田製錬所(とは註:1953開設[三 マテ])に電力供給をしておりましたが、1996(H8)亜鉛製錬事業からの撤退を機に電力会社の送電線へ直接接続する「系統連系工事」 を実施し、現在に至ります。

https://www.mmc.co.jp/corporate/ja/company/history/

沿革
873年 (明治6年)     三菱商会(三菱合資会社の前身)が吉岡鉱山を買収、金属鉱山事業に進出。
1893年 (明治26年)     三菱合資会社を設立。
1896年 (明治29年)     宮内省より大阪製煉所の払い下げを受け、金属製錬事業に進出。
1918年 (大正7年)     三菱鉱業(株)設立。三菱合資会社より炭鉱部、鉱山部、研究所を継承。
1950年 (昭和25年)     集中排除法により、石炭(三菱鉱業)、金属(太平鉱業)両部門が分離。
1952年 (昭和27年)     太平鉱業(株)を三菱金属鉱業(株)に社名変更。
1973年 (昭和48年)     三菱鉱業(株)、三菱セメント(株)、豊国セメント(株)の3社が合併し、三菱鉱業セメント(株)が発足。三菱金属鉱業(株)を三菱金属(株)に社名変 更。
1990年 (平成2年)     三菱金属と三菱鉱業セメントが合併し、「三菱マテリアル(株)」として発足(12月1日)。


さて上流から見て行く。先ず山奥に森吉ダムが建設され,近年下流に更に森吉山ダムが建設された為,色々輻輳しててややこしい。。

小又川第三発電所(廃止)三菱マテリアル (株)[水 力水 力さんの記述だと第一の下流にある感じに書かれてるけど,ここの記述(下流に森吉山ダムを建設するた め2000年に廃止から)も第一と第二との位置関係からも上流にありそうである。

森吉ダム(旧名:平田ダム)[便覧][wiki
河川     米代川水系小又川
目的/型式     FP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積     62m/105m/75千m3
流域面積/湛水面積     139km2 ( 直接:125km2 間接:14km2 ) /156ha
総貯水容量/有効貯水容量     3,720.0万m3/2,690.0万m3
ダム事業者     秋田県
本体施工者     熊谷組
着手/竣工     1951/1952
取水量:最大16.50m3/s/常時4.59m3/s [歩鉄

>秋田県が管理するダムでは最も古く、秋田県と三菱マテリアル株式会社(当時は太平鉱業株式会社)が共同事業として1952年10月に完成してい る。県内でも有数の豪雪地帯でありながら、わずか1年と7ヶ月と短い期間で完成した。高さ68mのダムサイトのうち県が上部3m分の工費を補助している。 [wiki]

さて流域面積139km2である。概ね13.4m3/sは期待出来る感じであるが,森吉ダムから取水する三マテ・小又川第四発電所(ダム式)の使用水量が 16.50m3/sである。貯水量3,000万トン級のダムであればこれ位は可能な範囲であろう。


小又川第四発電所[水力
三菱マテリアル(株)
所在地:秋田県北秋田市森吉
運開:1953[太平鉱業株式会社(尾去沢鉱山)]
ダム式・貯水池式
認可最大出力:6500kW      常時出力:1450kW
最大使用水量:16.50立方メートル毎秒
有効落差:48.98m
設備:水車×2台 出力6500kW
取水:小又川[森吉ダム]350.00m
放水:小又川第二発電所、小又川298.84m


そのダム式の第四の放流水16.5m3/sの内1/3程度の5.20m3/sを使って第二が発電(246.1mで放水),更にその下245.91mで第一 が13.51m3/s取水して発電,188mで放水,森吉山ダム迄30m程の高低差が残っている。
この様な中,新発電所の建設と第一・第二発電所の廃止が打ち出されたのである。

小又川第二発電所(廃止予定)三菱マテリア ル(株)[水力

小又川新発電所[SmtGrd]([私案]小又 川第三が好い)
運開:2022.12予
出力:10,300kW
想定発電量:4,850MWh/年 (53.6%)
水量:13m3/s
落差:約90m →200m程に放水
導水路:約8.5km

取水が小又川新発電所と被って殆ど使用出来る水量がなくなる第二は廃止は当然であるが,第一は実は未だちょっとの投資で41.0km2程の独自水源が確保 出来るのである。
女木内沢から取水堰迄の導水と小滝沢からの取水(導水橋迄の導水)である。


[リプレース]小又川第一発電所[水力](→小又川第二で好い)
出力:1,700kW[+1.7MW](→2,700kW[+2.7MW])
最大使用水量:4.1m3/s
有効落差:52.86m(→85m)
導水延長:2.5km
    取水位標高:245.94m
    放水位標高:188.21m→155m

ほんとは森吉山ダム湖畔まで序でに持って行きたいけど丹瀬沢が異様に低い。持って行くならサイフォンかなんかである。
第一発電所の取水口と放水口の間に約40km2の流域があり,もう4m3/s程取れるのである。
寧ろもう一回取水して発電し直した方が良い。第一の放水と途中の流域だけだと大したことないけど小又川新の放流水も加えられるとそこそこの量に。

[新設]小又川新第二発電所(→小又川第一が好い)
出力:1,900kW[+1.9MW]→5,100kW[+5.1MW]
最大使用水量:8.1m3/s→もし小又川新が有効落差から200m程度で放水するなら13m3/s上乗せで21.1m3/s
有効落差:29m
導水延長:
取水位標高:188m
放水位標高:155m

これで綺麗に小又川第一~第四が三マテで下流から整序させる事が出来るw

森吉山(もりよしざん)ダム(旧名:阿仁川ダム)[便覧][wiki
河川     米代川水系小又川
目的/型式     FNAWP/ロックフィル
堤高/堤頂長/堤体積     89.9m/786m/5850千m3
流域面積/湛水面積     248km2 ( 全て直接流域 ) /320ha
総貯水容量/有効貯水容量     78100千m3/68100千m3
ダム事業者     東北地方整備局
本体施工者     大林組・間組・五洋建設
着手/竣工     1973/2011

>1972年(昭和47年)7月には米代川一帯は戦後最大の大洪水に見舞われ、甚大な被害を被った。この大洪水が森吉山ダム建設のきっかけとなっ た。1973年(昭和48年)に調査事務所が開設されて以来、39年の期間を費やして2011年(平成23年)に森吉山ダムは完成した。[wiki]


小又川発電所(廃止)東北電力(株)[水力…根森田にあったらしいが,地理院に は未だ堂々と書かれているこれ(取 水口155m・発 電所79m)がその跡ではなかろうか?

最後,森吉発電所から取水して阿仁川合流点迄持って行けばOK。

東北電力(株)森吉発電所[水力
運開:2011.10
ダム水路式・貯水池式
    認可最大出力:11200kW  常時出力:    0kW
    平均年間発生電力量:約50132MWH(5013万2千キロワット時)
    最大使用水量:20.00立方メートル毎秒
    有効落差:63.40m
設備:水車×1台
流域面積:248平方キロメートル
取水:小又川[森吉山ダム]156.700m
放水:小又川87.50m

[仮称]阿仁川発電所
出力:3,300kW[+3.3MW]
水量:20m3/s
落差:20m
取水:小又川[森吉発電所]87.50m
放水:阿仁川(小又川合流点)63m

更に遠方6km程の導水で58mに至る。まあこの後は距離に比べて高低差は余り出ないので要検討。この辺で検討した。

阿仁川合流