電 力総研 水力あれこれ(吉野川) 四国水 力
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21.7.11 独立
吉野川中流部支流:奥大田川(→南小川)(25.7訪問) 
(上流部→)[早明浦ダム]──立川川──穴内川─奥太田川太田口発 電所【増強案(+4.7MW)】──南小川東豊永発 電所増強案(+10.0MW)】【[私案]岩 原発電所](+8.0MW)】)──(藤川谷川[[私案]藤川谷発電所](+5.3MW)】)─(大歩危)──(小歩危)──(白川谷川[廃]白川発電所【[私案]白 川谷発電所(+9.3MW)】)─銅山川─祖谷川─[池田ダム](→ 下流部)

四電に大田口発電所という発電所がある,JRに大田口という駅がある。大豊町内に大田口という地名[地理院]が駅の対岸にあるらしい。が,川は奥大田川である様だ。大田をすっ飛ばして大田口から奥大田という取り合わせに戸惑いを隠せないが,まあ現地を通りがかったので寄ってみた。

~奥太田川~

ここにも発電所がある。ここも太田川がないのに奥太田川になっている(様にみえる。)
国道沿いにある筈なのによく解らないまま一回目は通過してしまった。二度目は注意深く走ると無事発見。堂々と国道沿いに建っていた。



太田口発電所[水力] [DB
四国電力(株)
出力:1,500kW  常時:280kW[18.7%]
出力量:8,739MWh/年[四電
水量:0.6m3/s[0.39] 
有効落差:335.50m
流域面積:15.4km2
水車:横軸ペルトン
取水:奥大田川、小法師谷川、小次郎谷川 3箇所 575.5m
放水:吉野川217m
運開:1965年

やや弱小の四電,1965年(昭和40年)と比較的遅い時期に未だこんな小規模の発電所造ってたんだな。。まあ運開が恰度S40ということは計画・着工は昭和30年代ってこ とだろうけど。
因みに大田口発電所の流域面積。調べてみると17.562km2程とでたが水力.comさんによると15.4km2とある。。奥太田川の取水路が地理院図 に描かれて 無くて程 野谷を入れてしまったけどそこは抜くべきだったかな。。DBにも取水は3箇所と明記されている。
15.4km2だとすると0.6m3/sの(流域面積・最大利用水量)係数は39%となる。一寸低めではある。一応多雨地帯(年間2500mm程度)の筈だが。。
2.4m3/sで発電すれば6,000kW位にはなるのにねぇ,,取水量4倍にしたからとて常時発電量が4倍にはならんやろとは思うけど,この多雨地帯に常時280kWは小さすぎる感じも。。
まあ,取水に多少の疑問(→解)もあるので実際に探しに行ってみる。


と山へ入りかけると「国宝薬師堂」の文字が。こんな田舎に国宝とはこれ如何に?観光は基本的にしないというのが我がスタンスだが,地方の歴史ネタで国宝級だとみたくなる。
食指が動いたのは貨物趣味の一環で立ち寄った福島の白水阿弥陀堂以来かな?あちらは高校の日本史で出てきてて感動したが,こちらは聞いたことはない気がする。
まず奥大田川上流(奥大田渓谷と名付けられてるらしい)の入り口を確認した後に薬師堂方面へGO♪
うねうねと山腹を大回りして頻繁に現れる矢印に導かれて右折左折してやっと着く。

ぱっと見,駐車場正面の本堂っぽい方は国宝ではない様で,薬師堂は脇の方にあるようだ。

そう思って脇に向かうと薬師堂の裏手に出てしまった。

どうも看板の説明が不十分の様である。また薬師堂も1151年と平安時代のもので超貴重とは云え地味な建物である。

平日ということもあって周囲はしんと静まり返っており1000年近く守り抜かれてきた文化財の行き先に多少の不安が。
文化財保護に出費をしようとおみくじを購入することに。
強く入れるとバネがどうのこうので二三枚出てしまいます,云々と書いてあるので一枚投入すると出てこないw
文化財保護やともう一枚100円玉と気持ち強めに入れると今度は二倍同時に出てきたww
息子は大吉,私は小吉だった。

まあなんだかんだで満足して奥大田渓谷へGO♪

随分上がっていくと妙に道路が広がって「音女もみじ休憩所」という東屋が現れた。

この直ぐ先に逆サイフォン登場!
谷を豪胆に水路橋で大跨ぎしているかと思ってたけどかなり細っそい鉄管で逆サイホンで凄い下迄降りて上がってしてるようであった。



小法師谷サイホン設備というらしい。

こんな大がかりな設備を作るならもっと水量積み増せば良いのにねぇと思わざるを得ない。。

東屋の脇には遊歩道とあり階段が。。歩けば奥大田渓谷と取水設備を見学出来そうだったがまあ随分降りて上がる必要がありそうなので断念。。


その先で道は再び狭くなりそこに音女の水という湧き水ポイントが。

ペットボトル二本分の水を持ち帰って家で煮沸して飲んだ♪

その後脇から水路が現れて平行する(古そうな混凝土製の)水路橋が一緒に谷を渡る。
1965運開の太田口PS,近代的な水発と現代的な水発の境目ぎり近代側にあるようで,直線の水路隧道で山を穿ったりせず,山の中を水路でうねうねと辿っている。
前年1964開通の東海道新幹線の建設を境に,鉄道新線も全部高架の完全立体交叉となったがそういう大きな変化の境目にあったのかも。数年後には石油危機が発生して高度成長は終焉,安定成長に移行する時期である。

この谷でも取水しているようだ,つまりこの谷が小次郎谷川という訳か。

これまた細い鉄管が分岐して林道沿いに谷を上がっていく。

林道は妙に新しい。

一方で小次郎谷川を渡る水路橋はかなり古びていて,近づくと水が滴り落ちている。水漏れしてるやんと息子が突っ込むのでどんな状況かのぞき込むと余水吐を兼ねている様であった。


もうちょっと行くと谷間が開けて明るくなる。
と,そこに沈砂池が設置されてた。この辺。水路は描かれていない。地理院では水路は小次郎谷で終わってる様に描かれてる[→地理院]けどミスの様だった。

沈渣池の奥でも水路が道路に併走する。

やがて竹藪の方へ水路が曲がっていく。

クルマを停めて竹藪の中の道を進むと,遂にメインの取水口に到達!

利水票もゲット!

堰堤の様子。水門をクレーンで引き上げる形式!?

堰堤全景

水はめちゃくちゃ綺麗であった。

【解】疑問の答えであるが,余水吐付水路橋より上流の水路が間違ってて実際はこんな感じであった。程野谷より手前に堰はあって程野谷からもちゃんと取水をしていた。



【大田口発電所周りの増強と新規開発】
水量に関して出合発電所を増強したスキームで 此処も増強したい。 1.5m3/sにすれば3,700kW[+2.2MW]に,2,4m3/sにすれば6,000kW出来るんだけど…。
余所みたいにさあやらざあとは直ぐにはならないのは未だ新しい(1970年運開)だから多少躊躇するってのはある。

お隣西 久保の谷EL577mから取水を試みるも1.6km2程度しか無い様で断念

そもそも太田口発電所の放流水はそのまま吉野川に流すとするなら, 太田口発電所の放水位217mは高すぎる。これが1965年に出来た頃,開発 略史によると四電は1959年に大森川ダムを1963年には穴内川ダムを完成させた所であって,この辺にダムを建設してそれに繋げてみたいな何か プランがあったのかも。

川面は195mなのでもう23m程高低差稼いで359mとかにすると3,700kWから更に3,900kW[+2.4MW]位には出来そう。
但し現時点で満水位220mの吉野川第一ダムを構想しているので放水位217mはぴったりともいえるw

東豊永の様に,もうちょっと低い標高で取水して発電して補完が良いか?


[私案]奥大田発電所
出力:4,700kW[+4.7MW]
水量:2.2m3/s
落差:253m
流域:18.6km2
導水:2.96km+1.5km
取水:奥大田川・西久保川(仮称) 474m
放水:吉野川[吉野川第一ダム]218m

まあちょっと小さいが導水も短いし許容範囲であろう。