電 力総研 水力あれこれ 四国水 力
とはずがたりな掲示板 (利 水スレ電 力スレ)
21.7.11 更新
銅山川(伊予川)と利水

(銅山川源流)──別子ダム──富郷ダム──柳瀬ダム──新 宮ダム影井堰─(馬立川)──[廃案:大野ダム─ 銅山川堰堤─[廃案:岩戸ダム伊予川発電所[廃案:大佐古ダム](吉野川合流) [香川用水・池田ダム・池田発電所]

徳島県内では伊予川と呼ばれ,愛媛県内では銅山川と呼ばれる。

ここには江戸時代から分水計画があったようである。

瀬戸 内海気候である愛媛県宇摩地域(四国中央市の一部)は、温暖少雨のため慢性的な水不足を被り易く、安定した水供給の確保は喫緊の課題であった。安政2年、 宇摩郡の庄屋連合は今治藩三島代官所に銅山川疏水事業の申請を提出した。これが「銅山川分水」構想の発端であり、1924年(大正13年)には「銅山川疏 水事業期成同盟会」が結成され、分水の実現は宇摩地域の悲願となった。愛媛県は1928年(昭和3年)に灌漑・発電を目的とした柳瀬ダム計画を発表し法皇 山脈を貫く分水計画を立ち上げたが、下流の徳島県が水利権を盾に猛然と反対した。計画は頓挫し掛けるが、内務省の調停により発電事業を放棄し灌漑のみでの 分水として計画を縮小することで徳島県と合意した。だが軍需省が発電事業の追加を求め混乱、終戦を迎えた。
戦後内務省は洪水調節を付加した多目的ダムとして計画修正を愛媛県に要請、これを受けて1948年(昭和23年)より…建設は開始され…1953年(昭和 31年)に(柳瀬ダムが)完成。この間1950年(昭和25年)には銅山川分水の仮通水が行われ、悲願 の分水が実現することとなった。
銅山川分水は愛媛分水と名を変え、柳瀬ダム完成後、水源の更なる確保のために1975年(昭和50年)下流に新 宮ダムが、2000年(平成12年)には上流に富郷ダムが建設された。また、新居浜地域のコンビナートに工業用水と電力を供給するため、最上流部 には住友グループの系列である住友共同電力によって別子ダムが建設されている。 [
wiki (柳瀬ダム)

戦後,吉野川本流の池田発電所から新宮ダム手前迄は吉野川綜合開発計画(こち ら参 照)でいくつものダム計画案が立っては消えした。その一貫で愛媛県にも導水したい計画だった様である。
基本,愛媛県の水不足への対応が望まれたが水利権を持つ下流の徳島県が難色を示し交渉は難航,香川用水と池田ダム・発電所の運開はもう直ぐ昭和50年代 (1971年生まれの私としては昭和40年代というと一寸古いかなあとなるけど50年代ともなるともう"現代"(笑)も良いとこである・私も歳を取っ た…)となる1974年 (S49)に迄ずれ込む事になる。
とはいえ水不足に苦しむ愛媛県側が違法取水したのが遅延や徳島県川の不満の原因にもなったので自業自得な面もある。最終的に貞 光町長から衆議院議員になっていた武市恭信(三 木系)が「徳島に橋を、香川・愛媛に水を、高知には道路を」をスローガンとして1965年に徳島県知事に当選し、圧倒的多数が反対であった徳島県 議会を1年がかりで説得し、香川用水導水実現に尽力していた[wiki] とのこと。立派だなあ。政治家は斯くありたい。

~吉野川本流~

池田発電所[水力]        
    昭和50(1975)年5月:運用開始
ダム式・流込式
    認可最大出力:5,000kW  常時出力:1,900kW
    最大使用水量:62.00立方メートル毎秒
    有効落差:10.02m
    取水:吉野川[池田ダム]87.8m
    放水:吉野川77.3m

池田ダム[水 力]       
[独立行政法人水資源機構管轄]
    昭和49(1974)年  :竣工
    堤高:24m(基礎岩盤~天端標高でこんな感じか~。)、堤頂長:247m
     総貯水容量:12,650,000立方メートル      発電容量: 800,000立方メートル(有効貯水容量の内)
標高     常時満水位標高: 88.1 m       低水位標高: 87.5 m
面積    流域面積:1904  平方キロメートル    湛水面積:  1.44平方キロメートル

香川用水[水 機構]       
取水工:最大15.8m3/秒

[大佐古ダム計画(②案)=吉野川綜合開発参照
高さ146.0メートル、総貯水容量6億 7,600万トン
小歩危ダムと岩戸ダムを合わせた計画…デカすぎて頓挫


~祖谷川~       
こちら参照


伊予川発電所[水力] [DB]        
水利権獲得:1938[美馬水力(株)] /着工:1942[伊予川開発(株)1941設立]/運開:1947.8[日本発送電(株)]/増強:2021[四電(+300kW)…高効率水車ランナ 導入による]
 認可最大出力:3,400kW      常時出力:0kW
    最大使用水量: 9.00m3/s
    有効落差:44.20m
   水車:立軸単輪単流渦巻フランシス水車 最大出力3200kW×1台→リプレース
    導水路:総延長1577.6m
    流域面積:64.8km2
114.3平方キロメートル(案内板)・329.2平方キロメートル(水力発電所データベース)
    取水:銅山川[銅山川ダム]・相川取水堰140.00m
    放水:吉野川93.80m

水力.comによると案内板によれば最大使用水量17.35m3/s・出力6,000kW・有効落差41.78m・流域面積114.3km2とのことで現 在とだ いぶズレている要だが嘗てそんな 時代があったのだろう。
銅山川は水不足に悩む宇摩・新居浜地区の水甕として開発されて水量が激減した筈である(1938年6,000kW(18m3/s?)で運開に対して銅一1 号機1953・5.8m3/s・東平1966・4m3/s・銅三1975・8.0m3/s・銅一2号機2001・2.00m3/sと,ダムで水源は開発さ れたとはいっても実に19.8m3/sが愛媛側に取られて減水している筈なのである。勿論未だ広い讃岐平野を持つ香川県と違って宇摩地区も新居地区も平地 は僅少で溜め池に頼るのも限りがあるのである。減水の際には四電に補償とかあったんだろうか?)

また案内板114.3km2とDB329.2km2の誤差も気になる所。DBは直接流域・間接流域併せた数値であろう。案内板は古そうなので銅山川第三 251.9km2の運開より前で,その時代はどういう算出ベー スか214.9km2を愛媛に取られる時代があったのかもしれない
調べてみたら伊予川の直接流域は64.8km2あった。新宮ダムの(恐らく全)流域が251.9km2あり柳瀬ダムの(恐らく全)流域が170.7km2 あるので新宮ダムの直接・間接(馬立のみ)合計が81.2km2ある。
114km2には大部超越するので新宮ダム運開前の数字という訳でも無さそう。謎である。一番近そうなのはこの64.8に馬立川の新宮ダム取水域 39km2を足した103.8km2である。この推論が正しいとすると下記流域の正確な面積は75km2となる。はてさて。



   ~銅山川~

~相川~       
伊予川発電所相川取水堰[場 所][DB
此処に取水堰があるのはDBに取水堰数2とあり,また四電の資料にも取水堰っぽい記述があるから判明する。

岩戸ダム(計画①③案吉野川 綜合開発参 照)       
堤高:136.0m① 116.0③
総貯水容量:2億8,900.0万m3①  1億6,300.0万m3③

小歩危ダムとの導水なども検討されたそうな。

伊予川発電所銅山川取水堰[水力] [DB]        
堤高:14.00m 堤長:75.40m

現在は岩戸地区(の一寸北側)に伊予川発電所の取水堰がある。岩戸ダムの後継者なのかもしれない。
と思ったが建設はこちらが先である。良くあるダム好適地に先に発電所が出来てたったやつか。

大 野ダム(計画④⑤案吉野 川綜合開発参 照)        
堤高:65.0m
総貯水容量:4,150.0万m3


影井堰[wiki] [四国地方整備局]        
新宮ダム下流1.7(2.5?)km地点
調整堰
位置     愛媛県四国中央市新宮町新宮
固定堰     台形形状/高さ…9m(固定部)
 全長…96.1m
(固定部…84.9m・可動部…11.2m)
堤体積/約7,000m3
天端標高/EL.194.0m
基礎標高/EL.185.0m
調整池 6ha

>富郷ダム関連施設として銅山川の河川環境の保全を図ることを目的として、新宮ダム下流1.7km地点に建設されたものです。
意味わからなすぎる(;´Д`)

雀の 社会見学さんに詳しかった。基本的に水を漏らさない新宮ダムに対して僅かな水を安定化させて瀬切れ(無水区間)を防ぐようだ。不特定利水の一種 か。

新宮ダムには河川維持流量がないのかね?

それにしても銅山川の違法取水に徳島県が怒ってこれ以上の分水はまかり成らんと、1950 年(昭和25年)の吉野川総合開発計画の策定うけて結成された経済安定本部 と建設省、四国電力、1952年(昭和27年)より加わった電源開発及び四国四県の関係する機関・自治体からなる「四国地方総合開発審議会」での吉野川水 系の河川総合開発事業について協議を紛糾・停滞・頓挫させたのが隔世の感ありである。


新宮ダム[便覧]        
河川    吉野川水系銅山川
目的/型式    FAIP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積    42m/138m/80千m3
流域面積/湛水面積    254.3km2 ( 直接:214.9km2 間接:39km2 ) /90ha
総貯水容量/有効貯水容量    1,300.0万m3/1,170.0万m3
ダム事業者    四国地建→水公団一工
着手/竣工    1969/1975


銅山川第三発電所       ▲



~馬立川~       

新宮ダム取水口(馬立導水?)
取水量:4.0m3/s



銅山川第二発電所       


柳瀬(やなせ)ダム[便覧][wiki]        
流域面積:170.7km2
常時満水位:289.50m
送水:銅山川第一発電所7.8m3/s・銅山川第二発電所5.8m3/s
河川    吉野川水系銅山川
目的/型式    FAWIP/重力式コンクリート
堤高/堤頂長/堤体積    55.5m/140.7m/131千m3
流域面積/湛水面積    170.7km2 ( 直接:69.5km2 間接:101km2 ) /155ha
総貯水容量/有効貯水容量    32200千m3/29600千m3
ダム事業者    愛媛県
本体施工者    鹿島建設
着手/竣工    1948/1953

(本稿冒頭で提示した様な江戸時代・戦前の経緯を受けて)戦後内務省は洪水調節を付加した多目的ダムとして計画修正を愛媛県に要請、これを受け て1948年(昭和23年)より建設省に施工を委託する形で建設は開始された。…1953年(昭和31年)に完成。この間1950年(昭和25年)には銅 山川分水の仮通水が行われ、悲願の分水が実現することとなった。ダムの形式は重力式コンクリートダムで高さは55.5 m、洪水調節・灌漑・上水道・工業用水・発電が目的である。尚、徳島県との合意事項として銅山川下流への一定量の河川維持用水放流を義務付けた(責任放 流)が、この責任放流は早明浦ダム(吉野川本川)完成による愛媛分水事業分担により義務が廃止された。 [wiki]


銅山川第一発電所       



~中の川~       

さてこの柳瀬ダムに454m付近から水を落として発電したい。落差152mか。18.16km2と出た。1.8m3/sか。2,200kW。ちと小さめで すな。。
ただ(一部は馬立川導水等を通じて)本来新宮ダムに流入する所を柳瀬ダムに持ってこれるのでその分発電出来ていることにはなる。
銅山川第二も1.8m3/sで発電するとすると800kW分となる。合計3000kWってとこ。ちょい微妙か。。導水距離6km。2.2MWだと0.36 <0.4だけど
3.0MWと解釈すれば0.5>0.4となる。まあ此処はGOにしてとく。


[私案]金砂発電所
出力:2,200kW[+2.2MW]
水量:1.8m3/s
落差:152m


富郷発電所       


富郷ダム       


小美野発電所       

別子山発電所       


別子ダム       







(水源地)


さて,22年2月現在,銅山川渇水らしい。

吉野川水系の渇水と云えば夏の早明浦の印象が強いが,冬に銅山川で渇水するのか。基本,雨の降る時期 に使用する潅漑と違って工業用水は通年(渇水期の冬でも)使うとはいえ。 https://t.co/6sbzxy5u7H

— とはずがたり (@tohazugatali1) February 18, 2022

未だ渇水が頻発する様だとすると残るダム建設余地は富郷ダム~別子ダム間,馬立川上流ぐらいか。別子ダム上流,柳瀬ダム~富郷ダム間は一寸厳しいかな。