電 力総研 水 力あれこれ
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21.5.29運開
愛知(えち)川・永源寺ダム・神崎川(22.3訪問)

響きが好きな愛知川。その最上流域,石榑峠へ挑むR421の途中にある永源寺とダム。R421は老番国道の割りには近年改良が可成り進んで道は真っ直ぐに 快適・便利にはなったが,過疎化は止 まっている様にはみえず無駄な投資だったのではないかと此処でも思わざるを得ない。
石榑峠のブ ロックで狭隘化の凶悪な峠感はなかなか良かったのにねえ。。
勿論R477鈴鹿峠越(野洲川沿い)やR306鞍掛峠越え(犬上川沿い)に比べて近い江勢間を結ぶ本国道であり,名神八日市IC~東海環状道大安ICがまともな 国道で結ばれるインパクトはそれなりにあると云っても良い。であるならば大安から東側は油 島大橋・長良川大橋・立田大橋の立田トリトンwを経由して名古屋の八熊通へ,西は栗東水口道路を経て京滋バイパスから大阪へ,第二京阪国道的な, 若しくは新京阪の西向日で分岐して名古屋に至る名古屋急行電鉄ばりの構想に位置づけて貰いたい所。その位しないと長大な石榑トンネルが有効活用されずに勿 体ないのである。地元は蒲生 SIC~甲賀土山IC~上柘植ICを結ぶ名神名阪連絡道路にご執心の様だが。。向きが違うねん,向きが(笑

琵琶湖に流れ込む時点では愛知川で,法律的には全体を愛知川と呼ぶ様であるが,水力発電が対象としてる区間では神崎川と呼ばれているようである。(支流の 神崎川に神崎川発電所がある一方で愛知川上にある永源寺ダムからの導水路の内,左岸(南岸)を神崎幹線用水路,右岸(北岸)を愛知幹線用水路と呼ぶように 一定の下流迄神崎川という名を使っている形跡があるのだ。)
wiki には
鈴鹿山脈の鈴ヶ岳(標高1,130m)の北西及び西に位置する桜峠(一本木)、ミ ノガ峠を端とする御池川と雨乞岳(標高1,237.7m)に源を発する神崎川が深い峡谷を刻みながら流れ、永源寺町政所付近で合流し北西へと流れを変え、 大きな扇状地を形成する。下流では彦根市と東近江市の境界となりつつ琵琶湖へ注ぐ。 [wiki
とある。御池川を岐(わ)けた後の神崎川は更に茶屋川や八風谷を岐け,水力発電の水源となっている。此処では神崎川がメインの対象となるイメージである。 因みに八風は仏教用語ら しい。。永源寺と関係あるのかな。。

川の名を調べる地図だと御池川 を分岐しても神崎川を分岐しても八風川を分岐しても愛知川で又川を分岐するとやっと茶屋川となる様に描かれている。

件の石榑峠に挑むR421は八風街道とも云い,八風谷を遡上するが,石榑峠そのものは茶屋川の支流の古語録谷(凄い名前だ。。)のどん詰まりにある。



~ 茶屋川~
(源流・御池岳付近)

~又川~
(分 岐EL459m)

永源寺第二ダム(東近江市)=中止
経緯:ダムの基本計画設計時にボーリング調査を怠っていて国の計画が無効の判決が確定。…ソース:[wiki] [八ッ場]など
>ダムの事業計画策定について若林裁判長は、農水省自らが定めた土地改良事業時 の設計基準に基づく実地測量や地質調査などが行われず、不正確な公共 測量図が使われていたことを重視。その結果、ダムの規模を当初より10%以上拡大するなど変更を余儀なくされ、建設費も倍増が試算されるよ うになったと指 摘。

目的:潅漑(A)…ソース:[wiki
堤高:90m…ソース:[wiki
場所:こ の辺(茶屋川450m付近) …ソース:[水源連
総貯水量:2,570万m3…ソース:[赤 旗
事業費:476億円…ソース:[赤 旗
満水位:EL530m…とは推計
流域面積:21.3km2…とは推計

湛水面積:110.9ha…満水位よりとは推計

電力用に再開発するならお隣の御池川辺りからも水を引っ張って来て流域を倍増させたい所。
水量は結構広いしなかなかあるのではないか。




~古語録谷~
(源流・石榑峠付近)
wikiに 拠ると
石榑峠は名古屋急 行電鉄がトンネルを建設する計画があった。また新幹線の計画の前身であった弾丸列車もこの石榑峠を通る予定であったが、結局新幹線は米原を通るルートと なった。
(京都経由の)名阪の最短ルートはここらになりそう。




黄和田発電所取水口
結構上流迄走って今度こそ(後述するが一回失敗してかなり下流迄降りてしまった)
と階段を降りる。

敢えなく立入禁止で此処迄。

とはいえ,樹々の隙間から赤い何かが見えたのであれが堰なのであろう。

ただの橋にも見えるがw
まあここも利水標無し。残念である。
当方堰とか発電所とか実体の写真そのものにはそれ程死活的な興味は無くて各取水口毎の取水量のデータが欲しいだけなので,発電所の裏手にでも一括して掲載 して呉れれば良いのに。。













設置されてた看板と階段に堰はここやと思い込み川へ降りて立派な吊り橋を発見。こ の二本だ
取水量足りないんちゃうかというレベルで川は滔々と流れていた。
実際発電してなかったのかも知れないが,発電所の取水口の下流ってもっと減水していること多し。

これは本来右欄に掲載すべき,八風谷に掛かる吊り橋。
橋を渡ると一面の雪。足がずぼっと嵌まる。。

そして次の吊り橋。
ここの川は八風谷と茶屋川の合流後であるが川の名前を調べる地図では愛知川と なっていた。
茶屋川も又川を分岐した後のみ茶屋川でそれまでは愛知川のようだ。

2本目の吊り橋から茶屋川(愛知川)上流方面の豊かな水流の眺め

写真で見ると大した事ないなぁ。。どうやったらあの水量の質感を出せるのだろうか?
その後も立派な山道が続いていたので諦めて引き返してきた。
ただの山道にしては整備されすぎで謎である。また地理院の地図よりも先迄続いているようにも見える。

~ 八風谷(八風川)~
(源流・八風峠付近)

八風峠…石榑峠よりだいぶ南寄り
石榑峠が大安町石榑へ出るのに対して八風峠の向こうは菰野町田光。
→調べたら山 科言継の日記なんかにも出てくるそうな。
伊勢風土記に由来が記されててどうやら神話由来であって仏教用語とは別らしい。

なんでそんな由緒ある峠が石榑に負けたのかと不審に思ったがwikiに 拠ると
1934年(昭和9年)頃から 八風街道を県道から国道に昇格させて改修させようとする動きが積極的になり[2]、戦前に国道となることはなかったが、1939年(昭和14年)11月 13日から15日にかけて現在の三重県桑名市と滋賀県近江八幡市の間で県道を開設するための実地踏査によって八風峠より石榑峠に道路を開設するのが望まし いとの見解が明らかにされた。
とのこと。この時の調査結果が基本的には長大トンネルで穿つ今でも影響を与えたといえるのか。
第二次世界大戦後、三重県と滋 賀県を結ぶ「江勢道路」の整備が本格的に進められる[5]。1951年(昭和26年)に滋賀県議会で改修工事事業が採択されたころには三重県側で工事が開 始していた[6]。滋賀県が策定した林道計画が1962年(昭和37年)に国の採択を受け、はじめは大規模林道として開設されることになった[6]。滋賀 県側の建設工事は1964年(昭和39年)に開始し、1970年(昭和45年)7月に完成した[6]。この林道は杠葉尾から八風谷を経て石榑峠に向かうも のであり、総延長6908 m、幅員4 mで工費は2億6千万円であった[6]。滋賀県側では竣工直後は林野庁の所轄であったが、1975年(昭和50年)4月から永源寺町道杠葉尾大安線、同年 12月には滋賀県道近江八幡員弁線になった[6]。
三重県側の動向がよく判らないが滋賀県側は先ずは大規模林道として着工し,1970年に完工,その後1975年に県道指定されたようだ。県道名から判断し て少なくとも県道指定時には三重県まで一括か。
今は八風谷からそのまま石榑へ脱けてくので八風トンネルとしても良かった様な気がする。



























八風谷の看板。
旧 道と思しき今では林道の入口の道路にこの看板は立っている。
直進方面はよく判らなかった。



茶屋川沿いに遡上する林道は茨川林道と云うらしい。

橋を渡って直ぐに黄和田発電所取水口と思しき堰がある。
立入禁止で近づけず。利水標も見当たらず,であった。



















~ 神崎川~
(源流・御在所岳・雨乞岳付近)


関西電力(株)  神崎川発電所[水力
運開:1949.4[関西配電(株)]
水路式・流込式
    認可最大出力:1,100kW     常時出力: 52kW(4.7%)←小せえ。。
    最大使用水量:1.40m3/s (67.0%)
    有効落差:96.97m
設備:水車 出力1120kW×1台
    導水路:総延長280.3m
    流域面積:20.9平方キロメートル
    取水:神崎川468.00m
    放水:神 崎川(この辺か?)368.42m
常時出力が小さい。。渇水期があるのか?
地図だと水圧鉄管が川を跨いで居るワイルドな設計の様に見える。
一度行ってみたい。→行ってきた。

立入禁止で発電所の前迄は行けなかった。

樹々越しの建屋。


そのワイルドな設計の水圧鉄管の渡河部。勾配はついてない様だった。


急勾配の道路交叉部

隣の沢は急な増水に注意とあったので余水吐に使っていそう。

その先,取水堰を目指す。暫く行った所で除雪区間が終了。

脇には階段が。ツメカリ谷という谷らしい。特に谷川がある感じでもなかったが。。

降りてみたが川は結構遠く,途中で(踏み跡はあったが)道も雪に閉ざされてたので諦めて引き返してきたから未確認だが,恐らくこの先に堰があって除雪もそ れ故此処迄してあったのだと思われる。

階段は釣り人用に漁協が設置したと云う寄り関電が設置したと判断する方が自然であろう。
可成りの山奥でも釣り師は進入して釣りしてる。凄いねえ。。


此 処らで愛知川から分岐して神崎川が南に折れる。
市道か林道かは不明だが取り合えず進入可能だった。
上で見たとおりこの後直ぐ無住地帯で雪まみれになっていつ通行止めになっても可怪しくなかったが。


~神崎川~

道の駅で休憩を取ったがその近くに黄和田発電所はあった。

関西電力(株)  黄和田発電所[水力] [DB] [場 所
運開:1922.4[宇治川電気(株)]
水路式・流込式
認可最大出力:1,440kW   常時出力: 948kW(65.8%) →結構高い
最大使用水量:1.87m3/s (50.4%)
有効落差:97.36m
設備:水車 出力1530kW×1台
導水路:総延長3574.6m
流域面積:37.1km2
取水:八風川(こ れ?・地理院だと此 処ら標高は合う)・愛知川(茶 屋川)391.46m
放水:愛知川285.79m

発電所建屋。石垣の上の方から放水されてるのは余水で,放水口は川面近くにある穴がそれっぽい。

水圧鉄管




~御池川~




(政所町・御池川合流)


永源寺ダムの北岸の道路は冬季通行止めであった。
北国あるあるの降雪前・雪解け後は自己責任で地元民ばんばん走る奴だろうと進入してみたが,基本雪解けしてて(写真とは逆の下流側から入ってみた所)ダム 迄辿り着けたが,一部山影になってる箇所は未だ雪が積もってて引き返してきた。
地元民は見なかったが自転車ツーリングの人は何人か見た。自転車なら"押し"でなんとか通り抜けれるのかな?



永源寺(えいげんじ)ダム[便覧][水力] [wiki
近畿農政局→滋賀県(1984) 目的:AP
堤高:73.5m
総貯水容量:2,274.1万m3    有効貯水容量:2,198.4万m3
堤頂標高:273~274m 洪水時満水位標高:270.00m(サーチャージ)  最低水位標高:227.00m
流域面積/湛水面積     131.5km2 ( 全て直接流域 ) /98ha
総貯水容量/有効貯水容量     22741千m3/21984千m3
着手/竣工     1952/1972

看板(愛知川土地改良事業計画一般平面図も一緒に掲出されて いた)



堰堤

湖面:


永平寺ダム貯水量:[ソー ス]…10年おきぐらいには渇水対策が必要になって永源寺第二ダムが必要とされた感じか。


関西電力(株)  永源寺発電所[水力] [DB
運開:1983.8(一部) 1977.3(全部)
ダム式・調整池式
認可最大出力:5,000kW 常時出力:0kW
最大使用水量:13.00m3/s
有効落差:45.90m
設備:水車 出力5200kW×1台
流域面積:131.5平方キロメートル
取水:愛知川[永源寺ダム]270.00m
放水:愛知川223.10m

ダム直下にある。


分水工[場 所EL.219m]…湖面ではなく発電放水位であるのでちゃんと発電後に導水しているようで安心。

左岸(南岸)方面:国営神崎幹線用水路
右岸(北岸)方面:国営愛知幹線用水路

そしてダムから此処迄は大幹線というらしい[ソース]。
農閑期の3月上旬とのことで水路は空っぽであった。

現地では気付かなかったけどこ の橋,水路橋になってたのか!?

愛知川土地改良事業計画一般平面図:
出 典:永源寺ダム看板より
【第一期】愛知川地域の.幹線用水路の諸元とし て以下だそうな。
総延長=55.7km(8路線)
流水量(最大)=15.4㎥/秒

大幹線から愛知幹線・神崎幹線への最大流量が15.4m3/sって所かな?(ダム掲出の最大取水量とも一 致)多分,そんなに使うのは田植えの時期の1カ月程度なので発電は13m3/sに抑えてあるのであろう。


愛知川頭首工(とうしゅこう)[愛知川沿岸土地 改良区
(愛知第二神崎幹線水路の水源工)(愛東町青山地先)
高さ=1.2m
長さ=193m
取水量=3.07㎥/秒