~漁川~ 発電所名:漁川発電所(いざりがわ)[kiss.f5] 事業者名:雨竜電力㈱ 出力(kW):1600 開始年月:大正11年12月 雨竜電力!? https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/355 昭和初期の雨竜川上流域は、北海道大学の演習林であり、未開の原始林であった。王子製紙(株)はこの地の膨大な森林資源と発電所建設に好適な条件を備えた 地形に着目し、森林は製紙用原木として伐採するとともに、伐採跡を貯水池に利用し、大きな出力を得るため、流域変更による水力発電所を計画した。 この水力発電所の完成までには多くの人びとが活躍し、さまざまな障害を一つひとつ解決してきたが、なかでも本計画の発案者である溝口潔夫氏とその計画を実 現させた王子製紙(株)社長藤原銀治郎氏のほか、北大総長であった佐藤昌介氏が演習林の譲渡に前向きであったこと、ダム予定地までの鉄道建設に理解を示し た当時の鉄道次官八田義明氏などの努力があって完成したもので、この雨竜発電所を誕生させた中心人物として挙げられる。 当時、溝口氏は大学卒業後、水力発電事業に専念し、特殊地形を利用して大発電所を建設しようと考え、内務省にいた萩原俊一技師とともに北海道に渡り、各地を踏査した結果、最適の地として朱鞠内地点を発見した。 計画立案は大正末期から着手されたが、地形図などの基本的資料がほとんど整えられていない時代であり、また、原始林内での現地踏査には過酷なまでの苦労を余儀なくされた。 雨竜発電所の建設を実現するためには、国有鉄道予定線の変更、北海道大学演習林の払い下げなどの問題があり、この計画の実現には多額の資金投入が必要とな る大事業であった。当時、財閥であった藤原氏の出馬を求めるより他なし、との決議が計画担当者の間でなされた。幸いなことに溝口氏はかねてより藤原氏と知 り合いであったことから、この計画を説明し、その実現について協力願うべく懇願した。藤原氏はこの計画を受け入れ、雨竜発電所を建設するにあたり、王子製 紙苫小牧工場へ電力を供給する子会社計画を立案し、雨竜電力(株)を卸売電気事業者として設立した。 1928(昭和3)年からの10年間は、降雨量、降雪量の基礎調査と大原始林地帯の測量に全力を挙げ、本格的にダム工事の着手を決定し、起工式を行ったのは1938(昭和13)年6月であった。 雨竜発電所の特徴としては、 ①本道の不足する電力供給が急務であった ②雨竜ダムは1956(昭和31)年の佐久間ダムが完成するまでは国内最大級であった ③発電所の天井にアーチ式を採用するなど巧みであった ④わが国最初の地下発電所であったこと などが挙げられる。 発電所名:恵庭発電所(えにわ)[kiss.f5] 事業者名:王子製紙㈱ 出力(kW):2150 開始年月:昭和3年2月 発電所名:漁川ダム管理用発電所(いざりがわだむ)[kiss.f5] 事業者名:国土交通省北海道開発局 出力(kW):720 開始年月:昭和61年5月 漁川ダム[便覧] 河川 石狩川水系漁川 目的/型式 FNW/ロックフィル 堤高/堤頂長/堤体積 45.5m/270m/647千m3 流域面積/湛水面積 113.3km2 ( 全て直接流域 ) /110ha 総貯水容量/有効貯水容量 15300千m3/14100千m3 ダム事業者 北海道開発局建設部 本体施工者 地崎工業・間組 着手/竣工 1971/1980 |